後編

 長く馬車に揺られ、アリシアは帝国の首都にある宮殿へとおもむいた。


 従者とは引き離され、一人謁見えっけんの間に通されたアリシアは、目を伏せたまま玉座に座る皇帝の前へと進み出る。


おもてを上げよ」


 ジョシュアに似た、しかし彼からは聞いたこともない硬質な声。


 顔を上げたアリシアはびくりと固まった。


「ジョ――」


 皇帝の顔はジョシュアにそっくりだった。思わず声を出してしまい、慌てて口をつぐむ。


 しかし改めて見直してみれば、やはりジョシュアとは異なっていた。髪型も違うし、メガネもしていないし、そして何より、ジョシュアはこんな冷たい目をしない。


「遠路はるばるご苦労だった、我が花嫁。まずは旅の疲れを癒されよ。夕食の後に時間をとろう」

「はい」


 それだけ告げると、皇帝はアリシアの退室を促すよりも先に自ら奥の出口から部屋を出て行った。



 * * * * *



 私室に通され、これからアリシアの世話をするという侍女との顔合わせが終わった。連れてきた侍女たちは帰さなければならないかと思ったが、アリシア付きのまま残っていいとのことだ。


 一人にして欲しいと告げ、侍女たちには下がってもらった。


 夕食も一人で食べ、皇帝からの呼び出しを待った。


 随分と夜が更けてから、使用人が呼びにきた。


 案内されたのは皇帝の私室だった。


 夫婦となるのだから、何も問題はない。だが、それはそれ、これはこれである。


 深夜に男性の部屋に入ることに、アリシアはひどく緊張していた。


「どうぞ陛下の向かいにお座りください」


 使用人に促され、くつろいだ服装でソファに座っている皇帝の正面の席に座る。


 使用人が静かに出て行き、アリシアは緊張のあまりに伏せていた目をそろそろと上げた。


 皇帝と目が合った瞬間――。


「申し訳ありません!」


 ――皇帝は勢いよく立ち上がると、深く頭を下げた。


「一度してしまった宣戦布告を取り消すのは容易ではなく、婚姻により和平を結ぶのは古今東西ありふれた方法で、ですが多分に私情を挟みました! アリシア様の意向を確認することなく進めてしまったこと、心からお詫び申し上げます!」

「え、あ、え? ジョ、ジョシュア……?」


 驚いたアリシアは、ジョシュアの名を口にした。


 話し方も声もジョシュアそっくりだ。


 しかし、先ほど使用人は「陛下」と言っていなかったか。


「はい」


 顔を上げた皇帝は、もはやジョシュアにしか見えなかった。


 髪型が違う。メガネをかけていない。だが、叱られた時のように眉を下げ、アリシアをじっと見ている目はジョシュアのものだった。


「ジョシュア? ケイドン陛下ではないの? 私は陛下に呼ばれて――」

「ケイドンは死にました。今は俺が皇帝です」

「え!?」

「アリシア様に求婚したのも俺です」

「何を言っているの……?」


 混乱しているアリシアに、ジョシュアはこれまでの出来事を掻い摘まんで話した。


 説得しようとケイドンに会ったが、説得に応じず最後はキレて斬りかかってきたこと。メガネを吹っ飛ばされ踏み潰されたので、ムカついて魔法をぶちかましたら殺してしまったこと。事態の収拾のために皇帝になったこと。宣戦布告を取り消すためにアリシアに求婚したこと。

 

「なんてこと……」


 アリシアは茫然ぼうぜんとしていた。


「アリシア様に頂いた大切なメガネだったんです」


 そこじゃない。


 アリシアはジョシュアをじっと見つめた。


「あなた、メガネがなくても見えてるの?」

「唐突ですね。見えてますよ。身体強化魔法を使っているので、視力は並以上にあります。もうずっと素通しのレンズでした」

「じゃあ、どうして外さなかったの?」

「アリシア様に頂いたものだからです。アリシア様が俺の世界を変えてくれました。その最初が、メガネを掛けて見える景色が変わったことだったので、俺にとってはただの視力を補うための道具ではなかったんです」

「そう……」


 それにしたって、帝国の皇帝を殺害する動機にしてはあまりにもアレではないか。


「アリシア様は未来の皇帝を保護して、王国滅亡の未来を変えたんです。予定通りですよ」

「そう、かしら?」

「そうです。アリシア様はやり遂げたんです」


 事実としては、その通りだった。とにかく王国滅亡の危機は去ったのだ。


「だけど、そのためには、ジョシュアと結婚しなければならないのよね?」

「え……やっぱり嫌ですか……?」


 アリシアは首をひねった。


 嫌かと自問すれば、別に嫌ではない。ジョシュアはいずれ帝国に戻るのだと思っていたから、そういう対象として見ていなかっただけで。


 他に想う人がいるわけではなく、というか正直今世は恋愛どころではなく、今後はどのみち家のために誰かと結婚しなければならない。


 であれば、別に相手がジョシュアであってもよいのではないだろうか。


「でも私、皇妃になる教育なんて、受けてないわ」

「大丈夫です。俺も皇帝になる教育は受けてません」


 それはそうだ。アリシアもよく知っていた。


「ならなおさら、きちんとした教育を受けた人と結婚するべきじゃない?」

「そうですか。なら仕方ないですね。俺は皇帝を降ります」

「え!?」


 皇帝とは、そんな簡単に辞められるものだったか。


「俺が皇帝であることが原因でアリシア様と結婚できないなら、辞めるしかないんで。他の血縁はケイドンが皆殺しにしちゃったらしいですけど関係ないですよね。血迷って王国に攻めてくるようであれば、軍隊吹き飛ばすだけです」

「軍隊を吹き飛ばすって……」

「そのくらいの実力はありますよ、俺。今回だって、穏便に済ませられるならと思って説得を試みましたけど、応じなければ迎え撃って叩き潰す気でいましたから。心配なら、ここで先に潰しておきますか?」

「いいえ!」


 冗談とも本気ともつかないような軽い物言いだったが、これまでジョシュアは嘘を言ったことも自己を過大評価したこともない。ジョシュアができると言うのなら、できてしまうのだろう。


「アリシア様はどうしたいですか? アリシア様が決めていいですよ。俺はアリシア様についていくだけなんで」

「少し……考えさせてちょうだい」

「いくらでも、と言いたいところですが、現状維持するなら、婚礼を急がなきゃなりません。他国にも宣戦布告は伝わっていますから」


 はぁ、とアリシアは溜め息をついた。


 覚悟を決めるしかない。


 どうせ元々そのつもりでここに来たのだ。


 だが、このまますんなりとうなずくのもなんだか悔しかった。


 ちらっとジョシュアの顔を見る。


 どうせなら、ちゃんとしたプロポーズが欲しかった。


 少しくらい焦らしてもいいのではないか。


「今すぐには決められないわ。二、三日くらい待てるでしょう?」


 アリシアはそう言って、ジョシュアの部屋を後にした。


 次の日からジョシュアの熱烈な求婚に翻弄されることになるとも知らずに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

滅亡は嫌なので隣国の皇帝を善良に育てる……つもりが間違えました 藤浪保 @fujinami-tamotsu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ