眼鏡属性、と言われる側

家葉 テイク

コンタクトレンズ、始めました。

「えーっ! 先輩、コンタクトにしちゃったんですかぁ!?」



 秋の放課後。

 部室の中に、少女の悲鳴じみた叫びが響き渡った。


 窓の向こうへ向けていた視線を室内へと戻すと、そこにいたのは艶めいた黒髪を肩のあたりで切りそろえた、小柄な少女。

 ぼくは頷いて、



「まぁね」



 と、のんびり答えた。


 ぼくこと────人見ひとみ朝日あさひは、このたび長年お世話になった眼鏡を卒業し、コンタクトレンズデビューを果たした、のだけれど。

 ぼくが所属する文学部の後輩であるところのこの少女──東井あずまい涼子りょうこは、ぼくがコンタクトレンズに鞍替えしたことが相当腹に据えかねたらしい。部室に入って来てぼくの顔を見るなり、彼女は唖然としたままぼくの顔をぺたぺたと触り始めた。

 事情を説明したところ、冒頭に戻る──というわけだ。



「別に、そこまで驚くほどのことかな? ただ眼鏡をコンタクトにしただけだよ」


「全然!! 驚くことですよ!! 眼鏡が!! 貴重な……本当に貴重な……あんなに眼鏡が似合う人がコンタクトになっちゃうなんて……」



 ぼくの言葉を受けて、涼子はその場に崩れ落ちた。

 大袈裟だなあ……。ただ眼鏡をコンタクトレンズに変えただけなのに。



「ほら、眼鏡だと動き回る時に不便でしょ? ただそれだけだよ。今も鞄の中に眼鏡は入れているし」


「入れてるなら!! 眼鏡をかけてくれればいいじゃないですかぁ!!」


「スゴイ情熱だね……」



 あまりの涼子の剣幕に、ぼくは思わず引き気味で呟く。

 実際、涼子が此処まで眼鏡に執着しているとは思わなかった。前々から眼鏡をかけている人が好きだとは言っていたけど、ぼくはそういう対象ではないと思っていたし。いや、確かにしきりに眼鏡をかけているぼくのことを褒めていた気がするけど……。

 ……これはひょっとして、気付かなかったぼくに落ち度があるんだろうか?



「逆に、眼鏡のどこがいいんだい?」



 話を逸らす意味も込めて、ぼくは涼子にそう問いかけた。


 正直、むず痒い気持ちがあったのも否めない。

 装飾品ありきとはいえ自分の見目に対して他者からこうも拘られるというのは窮屈な反面、嬉しいような照れ臭いような気持ちもある。

 自分としては眼鏡があろうがなかろうが変わらないつもりでいるので、装飾品の一つでここまで大袈裟な反応を返してくれるこの少女が、何にそこまで惹かれているのか純粋に気になったのだ。



「眼鏡が悪いとは思わないし、お洒落のアイテムになったりもするけど……ぼくがかけていたようなものは、野暮ったい例の代表格みたいなものだったじゃないかな?」


「そんッッッッッッなことありませんッッッッ!!!!!!」



 窓が。

 振動した。



 ──冗談抜きにそのくらいの剣幕で、涼子は力強く断言した。

 あまりの剣幕に、ぼくの方が思わず気圧されてしまうほどだった。



「あ、ああ……。そうなんだ……」


「そうですよ! そもそも眼鏡をお洒落のアイテムとして使うようなのはド三流ですド三流! 生活の為に使う実用的な眼鏡! そんな眼鏡との調和が魅力なんですから! 特に先輩みたいなクールな美貌のお方が眼鏡をかける、それだけで……『良い』んです!」


「あはは……」



 やっぱり照れ臭い。

 涼子はぼくのことをクールと言ってくれるけど、こんなものはただ引っ込み思案なだけだ。美貌と持ち上げられても、そんな風にぼくのことを言ってくれるのはこの後輩だけだから、評価が正確とも思えない。

 ぼくはといえば、部室の外では周りから遠巻きにされてしまう、いわゆる『コミュ障』なのだ。



「眼鏡越しの先輩の怜悧な視線、本当に素晴らしかったのに……。本当にどういう心境の変化なんですか? はっ!? まさか好きな人でも!?」


「いやいや、そんな年頃の乙女じゃないんだからさ……」


「………………まぁ言いたいことはありますが良いでしょう」



 じいっとぼくの方を見てくる涼子から視線を逸らしながら、ぼくはまた窓の外へ視線を戻す。


 眼鏡。

 それをかけていた頃、ぼくの視界は黒い枠によって縁取られ続けていた。眼鏡をはずしてコンタクトレンズにした今、ぼくの視界を縁取っていた黒い枠は失われ、縦横無尽に世界が広がっている。

 鼻にかかる感触も、耳にかかる僅かな重みも、今は何もない。ただ風が髪の間を抜け、耳に触れる涼しさがあるだけだ。

 たった五〇グラムの重さが失われただけの違いだけど、ぼくの世界には確かな変化があった。そしてそんな変化が、ぼくには新鮮だった。


 もちろんわずらわしさもあるし、今はその天秤を量っている最中──というのは、この可愛らしい後輩には言わないけれど。



「それとも、涼子は眼鏡のないぼくは嫌かな?」



 冗談っぽく笑って、ぼくは涼子に視線を向ける。

 真っ黒な瞳をじいっと見つめてみると、今度は涼子が視線を横へと逸らした。



「………………先輩が眼鏡をやめたら、私の眼鏡属性が粉々に壊されそうだから、嫌なんですよ」


「性癖って大変だねぇ」



 忌々し気によく分からないことを言う涼子に、ぼくは適当な調子で笑った。


 しかし。


 いくらぼくが女子生徒とはいえ、もう眼鏡なんて言われるほど幼くはないと思うんだけどなぁ。

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