霞桜と愛しき眼鏡

藤泉都理

霞桜と愛しき眼鏡




 平地の桜が一通り咲き終わった頃、一重で白、または淡い紅の花と、黄緑の葉が同時に山野で開く霞桜。

 高木であるはずなのに、ここの霞桜は低かった。

 私と同じ背丈だったが、とても重厚感のある幹と枝ぶりで、上にではなく、横に、横にと広がっていた。広がり続けていた。

 このまま水の星を一周するのではないか。

 半ば本気で告げたら、そなたは笑った。

 それはいいねと言って笑ったのだ。






 ポメガバース。

 ポメガは疲れがピークに達したり体調が悪かったりストレスが溜まるとポメラニアン化する。

 ポメ化したポメガは周りがチヤホヤすると人間に戻る(戻らない時もある)。

 周りの人がいくらチヤホヤしても人間に戻らない時は、パートナーがチヤホヤすると即戻る。

 ポメガはパートナーの香りが大好きだから、たくさんパートナーの香りで包んであげるととてもリラックスして人間に戻る。


 「オメガバース」の世界観を踏まえて作られた「バース系創作」のひとつである。






 戦いに身を投じたそなたを待って、幾歳月になるのか。

 人間は、か弱き存在なのだ。

 しかも、疲労を重ねては、ポメラニアンなる小さき犬の姿になるという不利な状況に遭るのだ。

 私がこの山から離れられたのならば、そなたと共に戦っていたものを。

 私はこの山の神なのだ。

 守るべきこの山から離れるわけにはいかなかった上に、そもそも、離れられぬように縛りがかけられていたので、私の心をそなたに預ける事しかできなかった。


 大丈夫だ、そなたは強い、鬼神が如き強さの持ち主である、心配は無用だ。

 そう分かっていても。分かっているのに。不安は拭えなかった。

 まだまだ精進が足りぬな。

 この山に唯一存在する霞桜に話しかける。

 季節も廻り廻って、今年もまた、咲き誇る。

 今年もまた。そなたは、帰ってこない。


 精進が足りぬ。

 涙が、溢れて止まらぬ。

 会いたい。会いたいのだ。

 霞桜よ、どうか、お願いだ。

 枝を横に広げてくれ、水の星を一周しておくれ。

 切願した私は、そなたが置いていってくれた眼鏡を抱きしめて、そのまま霞桜の下で泣き明かした。






 恐らく、これは、夢だ。

 霞桜が、そなたの眼鏡が、見せてくれている夢だ。

 水の星を一周したばかりか、覆い尽くした霞桜のおかげで、私はあらゆる場所へと行けるようになった。

 そなたを捜しに行けるようになった。

 そなたと共に戦えるようになった。

 もう、離れなくてよくなった。


 夢だ。これは。夢。

 捜しても、捜しても、そなたが見つからない。

 もしや、行き違いになって、山に戻っているのやもしれない。

 そう思って、山へと戻れば。

 そなたは居た。

 ポメラニアンの姿のそなたが、枝を縮めた霞桜の根元で眠っていたのだ。

 私はそなたの傍らで腰を下ろして、そっと、そなたに触れた。

 やわらかい毛が、とても、硬くなっていた。

 やわらかくしたくて、温泉に浸からせたくて、その身を癒したくて堪らなくなったのに。

 起こすのは忍びなくて。

 そのまま、そなたをやわく撫で続けた。


 夢だ。これは、夢。


「お帰り」

「ああ………ただいま。ようやく、帰ってこられた」


 人間の姿に戻ったそなたに私が預かっていた眼鏡をかけて、私はそなたの横に寝そべった。


 霞桜が、霞んで見える。

 眼鏡をかけているのにおかしいな。

 そなたはそう言って、また眠りに就いた。











(2024.3.27)



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霞桜と愛しき眼鏡 藤泉都理 @fujitori

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