床に伏し。祭りに喜び。
私の願い虚しく、刃は下ろされた。軽々しく重苦しい音を立てて。
歓声と拍手が起こる。夏の熱気と湿気のような、不快な空気が場を満たした。
制服の男が両手で首を掲げている。アステカの儀式のように、大元帥と二党の頭領、その三つの首を空へ高々と。
歓声と拍手は止まない。熱狂と恍惚が場を支配している。
私はまた、眼前の光景を見ながらも問答に浸る。
願うだけで何もできなかった。
民主政を見殺しにした。
天地否に記された大人は追い出され、良心も大元帥も殺されてしまった。
そして、小人とは————もう少しでわかりそうだ、誰が小人なのか。やっとわかる。
小人とはつまり————畢竟するに—————、
「いい景色だねえ」
まただ、また意識の範囲外にいた赤ヘルの男が私の頭の中に、しかも今度は思索に耽る内向的な意識の中に、無理やり入ってきた。
「いい景色……ですか」
私は、ぼそりとそう一言だけ返事した。
「どうした、そんな気落ちして」
彼が気遣うように、そう一言。そして、
「まあ、グロテスクだったからね、そうなっても仕方ない。でも、これからが本番なんだ、君ももっと楽しめるよ」
と言った。
「本番?もう殺しつくしたじゃないですか。何をこれ以上……」
私は、できるだけ嫌悪感を隠そうと努めた口調で問う。
すると彼は、広場の入口の方、舞台の反対側を指さし、
「アレが見えるかい」
彼の指す先、そこにはマーチングバンドがいた。軽快な演奏を奏でながら、三人のモーニングを着た男女を先頭に、舞台へと行進している。
群衆は、海を割ったように道を開けている、制服の男達は舞台の前で三つの首を抱え、直立不動で立っていた。
モーニングの男女が、私と赤ヘルの男の前を通過する。
一瞬、人垣の間からモーニングの手元が見えた。紅白幕と抽選で使うベル、そしてショットガンが一丁。鉄パイプで作られた粗雑な散弾銃、雑に溶接されたZip gunが、それらが、三人の手元にあった。右の男の手には紅白幕、真ん中の女はショットガン、左の男はベルを持っていた。
「これから、射的大会をやるんだよ」
赤ヘルの男は大通りで私の現実を崩したときと同じような、ほぼ瓜二つの気持ちの悪い笑みを浮かべながら、
「君も射的は好きだろ?」と、
「的が何かによりますが……」
的が何か。何となく察していた。が、私は撃ちたくないという願望から、彼の言葉に、問いを混ぜながら答えた。
「的か。的ならあそこにある黒五類の首だよ。大元帥、右の党首、左の党首、あそこの首だよ」
彼は笑みを浮かべながら、問いに対して、あたかも共通認識の再確認を、常識を説くような口調で言う。
加えて私を思い遣るように、
「もう血は抜けてるよ、撃ってもそこまで血は飛び散らない。だから君でも楽しめると思う」と勧め、誘う。推察は的中、願いは的より先に撃ち砕かれた。
「本気ですか?」
私はできるだけ、口調だけは落ち着かせた、だが、感情を抑えきれずに、そう溢す。
嫌悪感と恐怖を隠すのに限界が来ていた。哀願や悲壮は、怒りに変わりつつあり、声を荒げぬようにと何度も自分に言い聞かせ、声調だけを何とか冷静に保っていた。
「死人ですよ、遺体ですよ、もう死んでるんですよ?これ以上、殺す意味があるのですか?石で殺し、ギロチンで殺し、そして次は……次は銃で殺すのですか?」
「ああ、そうだが、そのつもりだが」
彼は平気な顔で言う。
「これは黒五類の首だ。大犯罪人の、敵の首、死体だ。何回死んでも償えない程の罪を犯した極悪人の首だ」
私は唖然とした。
「これでもまだ生ぬるい。コイツ等の罪状に見合った罰を下すなら、それはもう灼熱地獄も、コキュートスも甘く感じるほどの、本当の地獄を味合わせてやらなきゃいけない」
固まる私に構わず、彼は続ける。
「でも、そんな地獄はない。もっと言えばコイツ等は、権力の座にいる限り裁かれることすらない。そんなのおかしいだろう?」
語尾を上げそう問うと、答えを待たずに口角を吊り上げて、
「なら、我々の手で、できるだけの地獄を見せながら殺し、死後も辱めを受けさせる。それが残された手段。そして正当な権利だろ?」
「殺しに正当な権利があるとでも?そう言うのですか?」
感情を抑えきれず、私は冷徹な、嫌悪感を隠すのをやめた声で放つ。
「理由さえあれば行動は全て正当化される。殺人ですら善しとされる、そう言うのですか?」
「もちろん、その通りだよ」
彼は間髪入れずに「当たり前のことだ」と言うように答える。
「この行動は、犯罪としての殺人、破壊のように『怒り』や『恨み』が動機ではない。憂国と大衆の救済。そして理想的な共同体をつくるため、この国の権力構造の欺瞞と不義を暴き討つための、つまり『正義』と『善意』を動機としたものだ」
彼は私に鋭く輝いた、敵意こそ無いが「正義」とやらを、もはや罪と言えるほどの純粋を籠めた目を私に向ける。彼の口角は下がっていた。
「この破壊も、殺人も、ただの矮小な犯罪ではない。大義のため、正義のための純粋で、正当な行動だ。そのうえで起こるすべての非倫理や破壊は、理想と正義のためのものであって、罪などではない。そして————そして、もし、仮に、万に一つ、この我々の義憤に基づく行為が罪に問われたとしても、それは偉大な犯罪として裁かれる。そして我々が正しかったと、歴史書にはそう記される」
彼は飾り気のない、内容を聞かなければ正気と聞こえてしまいそうな、真っすぐな声でそう述べた。
私は嫌悪も、恐怖も、怒りもすべてを隠しきるのを辞め、彼に、忌々しい赤ヘルを被った「北朝打倒」「七生報国」の鉢巻、それらと同等の不快さをもった装飾品をまとった彼に、疑問と駁す言葉をぶつける。
「偉大な犯罪、歴史書での正当化……本気で言ってるのか?この行動が生むのは無秩序だ……歴史書の編纂も、裁判の開廷も、果てには共同体の設立すらできない、個々人が互いに腐肉を求めて争う、原初への回帰……社会性、人間性の喪失……それが、文明の崩壊が……それだけだぞ?この先にあるのは……」
纏まりのない、断片的な非議に彼は、真っすぐな目で言う。
「そういう結果でも我々は現状、いや今では過去か……とにかく、それよりはマシだと、善いと、道理が通っていると、そう思うのだよ」
彼の言葉には、先程の謳い文句のような威勢も、アジテーションのような整然さもなかった。だが、その話し方には教え諭すような、優しさの中にエゴを混ぜた、考えを変える気はない、顧みる気はないというものを暗に感じた。
曲げない二人。睨む私、ひたむきな眼差しの彼。その間に微妙な時間が流れる。
その張り詰めた時間、言葉と言葉の間隙、或いは果の後、
「そもそも、こんな社会なんて跡形もなく消えるべきで……いや、壊したかったんだ、僕は。壊したいから壊した。僕もみんなも————」
何を言っている?何を……?「壊したい」「誰も」「欲求だった」、それが本当の目的だと言うのか?
沈黙が破られる。彼は一度俯いたあと、か細く「壊したかった、みんなもそうだった」と、そう言った。
私はアジテーションでも、啓蒙でもない言葉に、彼の突然の独白に————思想と正義の下にあった、善意と至純に隠されていたグロテスクな事実に困惑した。
まかり通り得ない正義、咀嚼する前に拒否感を覚える主張。狂気的な主義が、思想が、大義がなかったと。
それすらもなかったと、虚像だったと、目的ではなく手段の一種だったと彼は言うのだ。
「じゃあ、お前は行動者でも革命家でもなく、矮小な、自ら散々否定した犯罪者なのか……?」
私は一種の哀願とも言える疑問を彼に投げかける。
ここにいる全員が、短絡的で、欲望に限界まで忠実な、犯罪者だと信じたくなかった。いや、信じられなかった。
大元帥を殺し、党首を殺し、政治家を殺し、遺体の山を作る。革命を謳い民主制というプロセスと、自己を自己とたらしめる歴史と系譜を壊す。
それが主義や主張、ついには独善ですら成されていなかったことを、欲望と下衆な熱情だけで、殺しと冒涜、破壊が行われたことを信じたくなかった。
もし、破壊の動機が彼の言う通りであれば、ここにいる大衆は、社会の構成員の内訳を占めるこれほどの人間が、下衆で情動的な、理性を持たぬ人間ではないか————それこそ原初では、始まり、そしてこれから行きつく、原初ではないか————考えず、思わない、野蛮そのものではないか。社会構造という理性の集積体が、野蛮に敗れたということではないか。
私は大衆の人間性を、理性の僅かな保持を確認しようとしたのだ。
人間性、理性の喪失の大衆化。構造がこんないとも簡単に、暴力という思考を放棄した手段によって崩されたこと。そのことに絶望と恐怖を感じ、否定したかったのだ。
私の哀願に彼は嘲笑うような笑みを浮かべる。つぶらな瞳を保持しながらも、口角を耳に当たろうかという位置まで吊りあげ、露悪的な、そんな印象を受ける赤黒い口内を、党首から流れていた血液、てらてらとしていて、赤黒い血液。それを思い起こさせる口内を晒し静かに笑った。
西日が私と彼、広場を包む。チラと私の目に映った時計は、四時三十分頃を指していた。
西日は私と対峙する彼の頭上にあった。そして段々と、彼の背後へ、赤ヘルの後ろへと落ちる。
西へ沈みゆく太陽は、皇居前広場の、神亡き広場の、私のいる地面との射角を徐々に緩やかにしていき、赤ヘルと水平になろうとしていく。
落陽が赤ヘルの、頭の陰に隠れたとき————彼の後ろに光背が、後光が差した。
黄金色の陽光が彼の輪郭をぼかした。光背と不定形な輪郭は、何処か神聖なような、そんな印象を覚えさせた。だが、同時に、彼の邪悪さを引き立たせていた。
神亡き広場に、現人神が処刑されたコンコルド広場に、邪神が現れたようであった。
東京風情 東杜寺 鍄彁 @medicine_poison
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