他殺眼鏡のささめごと

縁代まと

他殺眼鏡のささめごと

 最近、図書館に行くのが楽しい。


 たまたま資料が必要になり、数年ぶりに足を向けた図書館でよく話す友人ができてから変わり始めた。

 一年前には考えられなかったことだ。


 僕、西塔祝さいとういわいは高校二年。

 七歳の頃から視力が低く、今も黒ぶち眼鏡をかけている。

 黒ぶち眼鏡は服装に気を遣っていないと輪をかけてダサいが、代わりに存在感があってどこに置いたか裸眼でも探しやすいので愛用していた。

 カラコンにするなり髪を金色にでも染めるなりすれば少しは明るい印象になるんだろうが――そこまでするほど第一印象の向上に興味はないので、今も黒髪黒目のままだ。

 姉には「もっさりマン」などとセンスのない呼ばれ方をすることがある。


 一方、図書館でできた新しい友人、潟口荘介がたくちそうすけは僕とは真逆だった。


 ド派手な赤色に染めた長髪をうなじで結い、目にはキャラクターものの度無しカラコンを入れている。初めて目が合った時も瞳孔の周りに可愛らしいキャラクターがキャッキャと戯れていてぎょっとしたものだ。

 普通はかなり近距離で見ないとわからないそうだが、僕はそのキャラクターが好きでカバンにキーホルダーもぶら下げていたので目に留まったわけだ。

 オタクは視力が低くてもセンサー感度はピカイチである。


 そして、唯一の共通点は彼も眼鏡をかけているというところだった。

 ただし僕のような黒ぶち眼鏡ではなく、オーバル型のリムレス眼鏡だ。


 目が合って凝視してしまい「なに?」と言われた際、テンパってそのキャラクターが好きなことと推しポイントを語ったことをきっかけに僕たちは仲良くなった。

 ただ、図書館外で遊んだことはない。

 荘介君は閉館ぎりぎりまで館内に留まり、締め出されるとそのまま直帰するからだ。毎日毎日。

 家庭環境に何か理由があるのかもしれないが、仲良くなってもそこは一線を引かれているようで、荘介君から何か話してくれたことはない。

 それもあって僕から問うこともなかった。


 彼と楽しく本を読めるならそれでいい。

 専用のスペースに行けば会話も気兼ねなくできるので、読んだ本の感想を語り合うのが特に楽しかった。

 ただ、夏休みに入ってからは図書館の利用客が増えたことで混むことが増えた。これを機に本を借りてどこか別の場所で読まないか、と誘いたかったが――なぜか緊張して上手く誘えない。

 まごまごしていると荘介君が何冊かの文庫本を手に取った。


「祝はミステリとか読んだっけ?」

「ミステリホラーなら読んだことあるけど、あれはホラー要素の方が強かったからなぁ」

「この海上探偵とか面白いぞ。事件が全部海の上で起こるんだけど、サメがサザエを咥えて……あっ、ネタバレになるからやめとこ!」


 なんかめちゃくちゃ気になるんだが!?


 僕は荘介君おすすめの海上探偵を一巻から読むことにした。なんだか興味を引く作戦に引っ掛かった気がするが、こういう罠なら喜んでかかろう。

 荘介君は荘介君で僕の勧めた『アラクネの宿屋』というアラクネが宿屋経営をするファンタジーものに興味を示し、ちょっと探してくるわと席を立った。

 こうして自分が勧めるだけでなく、人が勧めたものも楽しそうに読んでくれるところが僕は好きだ。


 しばらく経って戻ってきた荘介君は不思議な表情をしていた。

 何冊か本を抱えているが、勧めたものは本棚になかったんだろうか。そう思っていると一つの眼鏡が机の上に置かれる。

 赤ぶちの眼鏡だった。

 スクエア型で広い範囲をカバーしている。つるの部分に閉じた目のマークが刻印されている以外はとてもシンプルなデザインだ。


「ええと、忘れ物?」

「そうみたいだな、本もあったし一旦ここまで持ってきた」


 そう言いながら荘介君は本を机に置き、赤ぶち眼鏡をじっと見下ろした。

 そしておずおずと僕に質問する。


「……で、持ってきたはいいけど……なんかこの眼鏡、変な感じしないか?」

「変な感じ? ごく普通の眼鏡に見えるけど――あれ?」


 問われて思わず眼鏡を手に取ると不思議な点に気がついた。

 レンズの向こうに映っている光景が図書館ではないのだ。

 室内であることには違いないし、壁紙の色も似ているので一瞬わからなかったが、ベッドやクローゼットもある民家の一室のようだった。


 そういうドッキリグッズか?

 それにしては精巧だし、よく見ればレンズ奥の時計も動いている。

 時刻は今より一時間とちょっとズレていたが、べつにレンズが小型モニターになっているわけではない様子だった。

 これだけクリアに映る小型モニターなんて聞いたことないし、もし本当にあるならドッキリグッズなんかに使わないだろう。


 なんだろうこれ、と荘介君と一緒にレンズを覗き込んでいると人影が動いた。

 音は聞こえないのでわかりにくいが、どうやら後ろから誰かが近づいてきたらしい。

 すると視点がぐるりと変わった。振り返ったのだ。


「え」

「わーお……」


 僕は絶句し、荘介君は驚きの声を上げる。

 血走った目をした見知らぬ男が包丁を振り上げ、こちらへ襲い掛かってきたのだ。もちろん僕らにではなく、眼鏡をかけていたらしい人物に向かって。

 レンズに血が飛び散り、視界が斜めになる。

 そして最後に馬乗りになった男を見上げたまま暗転した。


 ぱっとレンズの向こうが図書館の景色に切り替わる。

 これは今現在のもので、つまりごく普通のメガネに戻ったわけだ。


「なんだこれ? グロ耐性あったから良かったけど、こんなのちっさい子が見たら泣くぞ」

「た、たしかに。……というか今のって、本物の光景かな?」

「さすがにそれはないだろ、とりあえず受付に持ってくわ」


 あっけらかんとした様子で荘介君はカウンターへと歩いていく。


 しかし僕はレンズ越しに見た光景が忘れられず、家に帰っても繰り返し思い出してしまった。そのたび、あの眼鏡は一体何だったんだろうかという気持ちが大きく膨らんでいく。

 どうやってレンズに映したのかも、どうして図書館にあったのかも、あれが何の光景だったのかもすべて謎だ。

 けれど予想はできる。

 予想というよりも妄想と呼んだ方が正しいのだけれど、気になって仕方なかった僕は翌日も図書館で顔を合わせた荘介君にそれを披露した。


「――死者の見た光景が映る眼鏡ぇ?」

「うん。よくあるでしょ、死んだ瞬間の光景を見て事件を解決するやつ。それの眼鏡版的な」

「祝、フィクションの読みすぎだぞ。まあ変な眼鏡ではあったけどさ」


 荘介君はイスの背もたれに体重をかけながらそう言う。手にはもう『アラクネの宿屋』の四巻が握られていた。気に入ってくれたようだ。

 そんな『アラクネの宿屋』の話もしたかったが、今はあの眼鏡のほうが気になっていた。


 あの眼鏡の持ち主は何者かに刺殺された。

 その光景がレンズにこびりついたのではないか、という予想だ。

 ミステリよりもホラー要素が強いその予想は前日の会話を思い起こさせる。僕は大真面目だったが、荘介君はそれを笑い飛ばすと「五巻取ってくる」と席を立った。

 信じてもらえないのは折り込み済みだったので、笑ってくれただけマシだろう。


 僕も話したらスッキリしたので、あの眼鏡についてはこれっきりにしよう。

 そう決めたというのに――戻ってきた荘介君の手には、再びあの眼鏡があった。


     ***


 最初は推定自室で刺殺された人。

 次は歩道橋の上でガラの悪い人に絡まれて突き落とされた人。

 その後も機械の誤作動に巻き込まれた人、交通事故に遭った人、夜道で突然絞殺された人など様々な光景がレンズに映し出された。


 赤ぶちの眼鏡は何度忘れ物として受付に届けても、次の日には当たり前のような顔をして館内のどこかに現れる。

 荘介君だけでなく僕も見つけることがあり、その位置は毎回異なっていた。今日は本棚の上だ。どうして他の人に見つからないのか謎だった。


「これって第三者に殺された人の視界だけ映してんのかな?」


 さすがに荘介君も異常だと思ったのか、僕の仮説を前提に話すようになっていた。真剣に眼鏡を見下ろしながら腕を組む。

 僕もその視線を追いながら口を開いた。


「でも機械の誤作動に巻き込まれた人って違うよね」

「あ、そうか。それにしてはやたらと殺されるパターンが多いよな……日本でも死ぬだけなら毎日三千人くらい死んでるんだろ?」


 図書館通いの影響か荘介君は雑学が豊富だ。

 三千人の中には他殺も含まれているだろうが、大多数は老衰や病死の類だろう。

 たしかにその中からこんなにも他殺ばかり拾い上げられているのは気になった。死んだ時の未練か何かが影響しているんだろうか。


 世間には受け入れられ難いオカルトな思考だが、これだけ不思議なことが連続して起こっていると気にするなんて今更だ。


「とりあえず……どうする? 何回届けても戻ってくるし、逆にどこかに隠したり捨てたりしてみるか?」

「そろそろ受付の人にも変な顔されるようになってきたもんなぁ」


 僕たちの悪戯だと思われて図書館が出禁になったら一大事だ。

 多分交番に届けても結果は同じだろう。

 そう対処に迷っているとレンズの向こうで動きがあった。今日はつい先ほどまで真っ暗なままで、どうやら視界の主が居眠りをしているようだった。そこに光が差し込んだのである。

 無言で見ていると、目の前に女の人の顔があるのがわかった。

 すやすやと眠っている。

 そう認識したところで視界が大きくブレた。


「……視界の主がめちゃくちゃビックリしたのかな?」


 そう感想を漏らしているとドアを開けて誰かが入ってくる。四十代の男の人だ。その手には包丁が握られており、初日に見た恐ろしい光景がフラッシュバックした。

 予想通り視界の主は何かを叫びながら突進してきた男の人に刺される。血濡れのレンズの端で目覚めた女性が叫びながら男の人に引っ張られていく光景が映っていた。

 そして暗転し、図書館の景色に戻る。


 今回も恐ろしいことになった。

 しかし対応策を考えるなら最後まで見ないと、という一心で見開いていた目をようやく閉じる。目が少し乾いていた。


「じ、住所とか特定できるものが映ってればいいのにな」

「ああ……」

「荘介君?」


 今回の映像より恐ろしい光景が映っても平然としていた荘介君の顔色が悪い。

 しかし何が不得手かは人による。もしかすると荘介君の苦手とするものが映っていたのかもしれない。

 体調を心配していると荘介君はある提案をした。


「これ、何をしても戻ってくるなら一旦俺が持ち帰ってみるわ」


     ***


 危ないからやめよう。

 そう止めたものの、何がどう危ないのか具体的に口にすることができず、そのまま荘介君に押し切られてしまった。

 この不可思議な眼鏡は現状、ただ人が殺される瞬間を映しているだけで、こちらに直接害を加えてくるわけではないからだ。


 それでも心配だった。

 それに僕もグロテスクなものに耐性はあるものの、連続であんなものを目にしていては気分も悪くなってくる。荘介君もそうなんじゃないかと思うと更に心配になった。

 彼は僕にとって――これは一方的な感情かもしれないけれど、大切な親友だ。


 見た目はちょっと怖いけど気さくで優しい。

 そこが好きで、失いたくない。


(連絡先も知らないくせにこんなことを思うのは重いかもしれないけど……)


 知り合ってすぐの頃に連絡先の交換を切り出したが、荘介君はスマホを持っていないとのことだった。それが断るための口実だったのか、それとも本当のことなのかわからない。

 そう、親友だと思っているくせに知らないことが沢山あるのだ。


 とにかく明日図書館に行ったら大丈夫だったとしても眼鏡を手放すよう説得しよう。

 ちょっと怖いが僕が持ち帰ってもいい。

 そう考えながら眠ったが――翌日、図書館でいくら待っても荘介君は現れなかった。



 彼は翌日以降も現れず、荘介君を再び目にしたのは雨が降った日のコンビニでのことだった。

 店内ではない。軒先で雨宿りをしていた。

 だが服は肩も背中もぐっしょりと濡れていて、さすがに夏でも寒そうだ。まさか初めて図書館外で会った彼の姿がこれになるとは少し前の僕には予想もできなかっただろう。可能性はあっても予想できないくらい、普段の彼はカラッとしていた。

 僕は駆け寄って荘介君に声をかける。


「荘介君! めちゃくちゃ濡れてるけど大丈夫!?」

「え、あ、祝、なんでここに」

「家から徒歩三分なんだよ。傘貸すから早く家に帰――」

「家には帰りたくない」


 食い気味にそう言い放った荘介君はハッとし、ばつが悪そうな顔で赤い髪を弄った。

 よく見れば赤い髪は根元が黒くなり始めている。

 カラコンも今日はしていないようだった。


「……なら僕ん家おいでよ、親が帰ってくるのは夕方以降だからさ」

「へ? でも」

「ぼ、僕、荘介君のことかなり仲のいい友達だと思ってるから。このまま放置していけるわけないでしょ。ほら早く」


 親友とは口にできなかったが、今できる最大限の表現にしたつもりだ。

 そして僕は半ば強引に荘介君の腕を引き、傘の内側に引っ張り込むと家路についた。


     ***


 家に着いてすくにシャワーを使ってもらい、父親の服を貸す。

 困ったことに荘介君の方が僕より十五センチも背が高いので、僕の服を貸すと悲惨なことになるのだ。

 両親は人の良さを息子の僕が理解しているほどの人柄なので、勝手にシャワーを使って服を貸したからと怒ることはないだろう。というかすでに中学生の頃に同じようなことをしている。


 荘介君は僕の部屋に入ると借りてきた猫のようになっていたが、気が紛れるようにテレビをつけ、ホットココアを振る舞うとようやくホッとした表情を浮かべた。

 そしておずおずと僕を見る。


「……なんで図書館に来なかったのか訊かないんだな?」

「気にはなってたよ、ここ数日悩みっぱなしだった。けどまあ、それどころじゃなかったしさ。今にも風邪引きそうだったし」


 温まって少しマシになったものの、荘介君の顔色は相変わらず芳しくない。

 風邪を引きそう、というよりすでに引いてるんじゃないかと思ったくらいだ。しかし発熱しているわけではないようだし、鼻声でもなければ咳も出ていない。


 すると荘介君はしばらく押し黙った後、意を決した様子で口を開いた。


「――俺、家にほとんど帰ってないんだ。それでも軽く飯食ったり寝たりする程度には戻ってた。ただ……最後にお前と図書館で会って以降は一度も帰ってなくてさ」

「一度も!? なら今までどうして……」

「バイトはしてるけど、こうなるとは思ってなくて手元に金がほとんど無くてな。だから公園で寝たりしてた」


 カラコンも替えられなくて捨てたし、数少ない残金は飯代に充てていたという。

 しかし突然の大雨に襲われ、傘を買う余裕があるはずもなくあそこで凌いでいたのだと荘介君は説明した。僕にしてみれば壮絶すぎる。

 相談してくれれば助けれたのに。

 思わずそう言うと荘介君は視線を落とした。


「家のことを説明しなきゃいけないだろ。あー……その、俺、あんまり家族と折り合いが良くなくてさ。お前に知られたくなかったんだわ」

「荘介君……」

「折角できた、と、友達を無くすなんて嫌だったし」


 さっきよりほんの少し血色の良くなった顔で荘介君は言う。照れが勝ったらしい。

 僕は荘介君の両手をがっしりと握ると衝動的に言った。


「僕もだし! 僕も友達を無くすなんて嫌だし!」

「……ワリ、心配かけたな」

「ほんっとだよ、友達なら遠慮せず相談してくれ。僕は君の力になりたいんだ!」


 熱烈だな、と荘介君は笑ったけれど、そこに揶揄する気持ちは含まれていない。そして僕の肩をぽんぽんと叩くとタオルの上に置いてあったカバンを引き寄せた。

 カバンも濡れており、少し固い音をさせてチャックが開かれる。


 中から出てきたのは――例の眼鏡だった。


「前には全部話す。こないだ映ってた男二人と女一人がいただろ?」

「うん」

「あれ、俺の親父と叔父と、叔父の嫁なんだよ。刺されたのが親父な」


 思わぬ言葉に僕は目を瞬かせることになった。

 そして驚愕の後にやってきたのは「だからか」という納得だ。

 荘介君は見知った顔によるあんな光景を見てどうしようもなくなり、家にも帰れなくなった。けれど僕に家庭の事情を知られたくないから相談もできず、図書館に現れることもなくなったのだ。


 そうして数日間彷徨った末に今に至る。

 あそこで荘介君を見つけられて本当によかった。


「家に帰ったらどんな状態か想像するのも怖くってさ。けど確認しなきゃだよな……」

「電話で確認するとかは?」

「だからスマホねぇんだわ、あれ契約には親の同意が必要だろ? そういうのに煩くて、仲違いしたまま数年経っててさ」


 親の本人確認書類を用意すれば未成年者だけでも契約できるが、そんなの勝手にやったら悪いことだろと荘介君は眉根を寄せた。

 ファッションは派手だけれど、荘介君は不良というわけではない。彼の倫理観では許されないことだった。

 公衆電話は駅にはあった気がするけどそれは最寄り駅じゃないし、そもそもお金が心許ない荘介君にはなかなか選べない選択肢だ。

 そして交番などで電話を借りるのも大ごとになるかもしれない。

 起こって数日ならああして放浪したまま何もできなかったのも頷ける。


 じゃあうちの電話を貸そう。

 そう言おうとしたのと同じタイミングでテレビのニュース内容が切り替わる。


 もしあれが明るみに出ていたらニュースに取り上げられるかも。そんな考えが脳裏を過り、荘介君と同時に画面を見た。


「え、これ……」


 女性が夜道で突然絞殺されたというニュースだ。

 発生時刻は昨晩で、遠く離れた土地だというのに事件現場の光景に見覚えがあった。道の脇にある民家に設置された古い子供用ブランコや電柱の配置、街灯の位置など眼鏡のレンズ越しに見たものとそっくりだ。

 そして、その光景も夜だった。


 僕は慌てて自分のスマホで検索する。

 このニュースのことじゃない。直近で起こった機械による事故や歩道橋での事件のことだ。交通事故は毎日沢山起こっていて判別がつかなかったけれど、前述の二つは小さなネットニュースになっていた。

 普段あまりテレビを見ないから気づくのが遅れたが、類似の事件があったか早めに調べるべきだった。――いや、僕も気が滅入ってたから無意識に避けてたのか。


「機械の事故はトラブルのあった同僚が故意にやったことらしい。そして歩道橋の事件も合わせて……これ、眼鏡で見たのより後の日付けだ」

「マジか」

「最初の事件も探せばあるかも。でもそれより先に……荘介君!」


 僕は急いで立ち上がると荘介君の腕を引いた。

 また濡れてしまうかもしれないけれど、ここで座ってるわけにはいかない。


「――まだ間に合うかも! お父さんはまだ殺されてないし、叔父さんも罪を犯してないかもしれないよ!」


     ***


 どんな理由があったのかはわからないけれど、命を救えるならそれに越したことはない。

 荘介君と共に彼の家へと走る。

 まだ事件が起きていなかった場合、警察を呼ぶわけにはいかないので僕ら二人だけだ。とにかく中の様子を窺おう、と荘介君の家に辿り着いたところで――遠目に誰かが家の前に立っているのが見えた。


 髪の長い女性だ。

 女性はそのまま鍵を使って中へと入っていく。


「知ってる人? 鍵持ってたけど……」

「遠くてわかりにくかったけど、あれは多分……時子さんだ。叔父の嫁」


 ならまだ事件が起こる前かも。

 そう足を早めたところで荘介君がぴたりと止まった。とても憔悴して不安げな顔をしている。


「すまん、祝。親父は時子さんと不倫してたのかもしれない。……死んでほしくはないけどさ、お前を危険に晒してまでそんな奴を助けるのが正解かわからなくなってきた」

「荘介君――僕はそれでも助けたい。助けてもう一度よく話し合ってみよう? どうしようもない親もいるけど、荘介君はそうして迷うくらいお父さんに憎しみ以外の感情があるんでしょ」


 再び手を握ると荘介君の手は冷え切っていた。

 その手に体温を移すように力を込める。


「話し合って、もしダメだったら僕がいる。僕を頼ってよ」

「……さっきも怒られたところだったな。あぁ、ありがとう祝」


 そうする、と頷いて荘介君は僕と一緒に玄関へと走り出した。


     ***


 それから数時間後にわかったことがいくつかある。


 まず、時子さんは荘介君のお父さんのストーカーだった。

 あの日はあらかじめ作っておいた合鍵で侵入し、クローゼットに潜んでから夜にお父さんのベッドへと潜り込み、既成事実を捏造した写真を撮るつもりだったらしい。

 そして一緒に起きて写真を突きつけ、無理矢理関係を成立させようとしたという。


 不法侵入で警察に連れて行かれた時子さんは、用意周到さから余罪がある可能性があるとこれから調べられるそうだ。


 叔父さんは時子さんと兄の不倫を疑っており、まさか妻からストーカーしているとは思っていなかったと後から荘介君に聞いた。

 だから何らかの痕跡を見つけて兄の家を訪れ、あの光景を見て激昂したんだろう。――でもそれはすべて『起こらなくなった未来』だ。


 最悪の未来を回避した結果、あの眼鏡はいつの間にか消えてなくなっていた。

 初めからそういうものだったのか、イレギュラーが起こったのかはわからないが、今僕らの手元にないのは確かだ。

 もう突然図書館に現れることもなくなった。


 眼鏡の正体も気になるところだけれど――僕としては、あれから荘介君がお父さんと話し合い、妥協点を見つけたり理解を深めることで和解したことのほうが頭の大部分を占めている。


 そうしている間に夏休みも終わり間近になり、一緒に放置していた宿題に手をつけながら荘介君がポツリと言った。


「なあ、祝。俺たちが気づけて他の誰も気づかないなんてあり得ないだろ。……あの眼鏡、そのうちまたどこかに現れるかもしれないな」


 あの眼鏡が一体何だったのかはわからないが、図書館に現れたのも他の人がどこかで同じことをしたのかもしれない。十分に可能性はある。

 眼鏡そのものに害があるわけではない。だから出会った時にどうなるかは、眼鏡を手にした人次第ということになるだろう。


 どこで何が起こるかわからないのだから、今後僕たちにできることは何もない。

 心配しても詮無いことだ。

 そう口にしかけたところで、憔悴した荘介君の顔を思い出した。害はないにせよ――あんな顔をする人には少しでも減ってほしい。


 なら。


「荘介君、試したいことがあるんだけど……手伝ってくれる?」


 地道で地味で大変かもしれない。

 そう付け加えると、荘介君は歯を見せて笑った。


「お前も俺をもっと頼れよな。手伝うに決まってるだろ!」


     ***


 ――それから一年後。

 僕の通う高校を中心に、ある都市伝説が広まった。それは上手くインターネットに流れ、創作物に組み込まれ、少しずつ人々の間に浸透していく。


 都市伝説の名前は他殺眼鏡。

 第三者に殺される人間の見た光景が映るが、それはすべて未来に起こることであり、阻止すると眼鏡は消失する。

 そして人知れずまたどこかで現れるという。


 詰められるだけの情報を簡潔に纏めたものだ。

 そう、これは僕と荘介君が起点となって広めた人為的な噂だった。原理や対処方法がわかっていれば今後悩む人も、そして殺される人も減るかもしれない。

 そう願って様々な人に協力を仰ぎ、少しずつ広めていった。今はそれが実を結びつつある。


 今後どう転ぶかはわからないけれど――


「あ、他殺眼鏡で親友を救ったってスレ立ってる。嘘かホントかわからないけど嬉しいもんだな」


 ――荘介君がこうして笑顔を見せてくれているだけで、僕は満足だった。

 荘介君は使い慣れてきたスマホの画面を見下ろしながら「でもさ」と続ける。


「この話、なんか俺たちに似てるな」

「え?」

「祝と俺、親友だろ」


 赤い髪の向こうで荘介君がニッと笑う。

 僕がぽかんとした後に何度も頷くと、荘介君は「やっぱり熱烈だなぁ」と肩を揺らして笑った。

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