夢の眼鏡

春成 源貴

 

 茂呂博士は、少年のような心を持った人とよく言われる。彼が、光に関する研究に傾倒していた時、その心は開花した。


「……光の波長を研究して、動物の細胞に反射した光だけを増幅して見ることが出来たら……服が透ける眼鏡とか作れないかな?」


 最低だった。

 少年というよりも、ただ思春期を拗らせただけだが、たちの悪いことに学者としての才能は本物だった。もっとも、その才能を持ってしても五年の年月が必要だったが、茂呂博士は、いつもの自分の研究所で、ひっそりと透視眼鏡を完成させた。

 薄暗い研究室の、ステンレス製の机の上に鎮座するそれは、初期の試作型ということもあって、眼鏡というには仰々しく、glassぐらすというよりはgoggleゴーグルといったほうが近い。最近はやりのVRの機器よりも若干大きく、両脇のつるの付け根の部分には、大きめの冷却ファンが付いている。

 茂呂博士は、さっそく透視眼鏡を装着した。

 ひどく重く、身体が前へ傾いでいる。それでも、一歩一歩を踏みしめて玄関まで歩いた。

 透視眼鏡の重さは、優に一〇キロはある。頭が首にめり込むのではないかと思えるほどには重たい。齢五〇歳の壮年である。青年ですらない。だが、少年……いや、思春期の心には、羽が生えたように軽く感じるのだ。

 茂呂博士は、玄関から一歩を踏み出し、それから、ゆっくりと右手で電源のスイッチを押した。ブンッという電子音と共に、ファンが回りはじめる。

 正直、耳元で排気音が鳴り続けるので、周囲の音はほとんど聞こえない。だが、代わりに薄暗かった視界が、ぼんやりと明るくなり始める。

 電源が入らなければ、ただの濃いサングラスと変わらないのだ。いや、重たいだけ邪魔だ。

 明るくなった視界の端に、近所に住む老人が、犬を散歩する姿が映った。犬はもふもふのまま、老人の衣服が消えて肌色が見える。長い思春期中の茂呂博士には、目を背けたくなるような姿だが、実験の結果としては申し分ない。


「やった!やったぞ!」


 歓喜の声を上げる茂呂博士だったが、問題がないわけではなかった。

 ちょうど、男性以外はいないかと、首を左に向けた時、全身を毛皮のコートでくるまれた、若い女性を見つけた。頭に血の昇った茂呂博士は、思わずそのまま見入ってしまったが、少し様子がおかしい。

 腰掛けたような格好の女性は、少しだけ宙に浮いて、そのまま滑るようにこちらへ向かってくるのだ。しかも、なかなかの速さだ。

 落ち着いて考えれば当たり前だった。

 動物に反射した光以外は見えないということは、もちろん、地面も見えなければ建物もなにも見えない。生物以外は(死んでいたとしても)見えないのだから、足元も周囲もなにもない。

 すべての生物が浮かんで見えるのだ。自身も浮かんでいるように感じている。

 茂呂博士がそのことに気が付いた時は、すでに手遅れだった。

 全身を衝撃が巡る。なにもない空間で身体がふわりと浮かび、見えないなにかに、背中から打ちつけられた。

 多分、アスファルトかコンクリートの壁だったのだろう。

 弾みで機械は砕け散り、世界に色が付く。

 機械が止まり、車が急停止する音が聞こえる。


「大丈夫ですか!?」


 車から飛び降りて、茂呂博士の前にかがみ込む女性。

 目的は達した。

 やっぱり、この壮年は最低だ。

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夢の眼鏡 春成 源貴 @Yotarou2019

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