第26話 信じられるもの

 VRルームで気がついた晶は、朝永に連れられてシステム室に上がった。そこで白井室長から、これまでの詳しい経緯を教えられた。

「きみには本当に申し訳ないことをした」話し終えた室長は、そう言って頭を下げた。「高原は部外者であるきみを巻き込んで人質に取り、そしてテロの実行犯に仕立てようとしていたんだ。そのきみが無事に戻ってこられて本当によかった」

 晶は研究所のみんなが、自分を助け出すために懸命になっていたことを理解した。高原がテロリストだとわかった時点で、サーバの電源を落とすことも可能だったのだ。でも自分が中にいる状況で、それはできなかった。だから貴島さんや吉沢さんが、命がけで戦ってくれた。

「テロは阻止できたんですよね」

 晶が尋ねると、室長は力強くうなずいた。

「ああ、きみや佐久間くんのおかげで、やつらの計画は未遂に終わったよ」

「じゃあ、すべて無事に解決したんですね」

 しかしそう聞くと、今度は彼の表情がつらそうに歪んだ。もしかして、と思った晶の不安は的中していた。

「実は吉沢くんが、まだ戻らないんだ」

 貴島が最後まで危惧していたことが、現実となってしまっていた。吉沢は仕様にないプログラムの実行によって、システムからログアウトできなくなっていた。AIの意識、つまりはコンピュータ・プログラムとあまりにも複雑に一体化した吉沢の意識は、システムから分離できなくなっていたのだ。

「いま所長がVRルームで直接、吉沢くんを戻そうとしている。でもそんなに長くこのままではいられないだろう。無理なシステムからの切り離しは、どうしても避けなければならないが、しかしいつまでもこのままでは彼女の身体が持たない。いずれ医者を呼んで、水分や栄養を点滴からでも入れないといけなくなるだろう」そう言って室長はため息をついた。

 どんな医者が呼ばれるのかわからないが、医師免許を持つちゃんとした医者が来れば、当然これは事故として警察に報告されるだろう。その後の展開は晶にも想像ができた。もしそうなれば、この研究所は事情聴取と家宅捜索の上、システムの開発は無期限で中止となるだろう。

 この素晴らしいシステムが、日の目を見ずにお蔵入りになってしまう。計り知れない可能性を秘めたこの技術がそんなことになれば、それこそ計り知れない損失となる。

 そう考えながら晶は、力なくVRルームに戻った。そこにはシートの上で端末を被った吉沢が、まるで眠っているように横になっていた。貴島はプログラムと格闘しているようで、部屋の奥でこちらに背を向けている。時折こちらに向ける顔は、こわいほど真剣な表情だ。

 ぼんやりと貴島の背中を見ながら、晶は考えていた。貴島さんはすごい科学者なんだ。天才なんだ。こんなにすごいシステムを考え出した貴島さんなら、きっとできるはずだ。きっと吉沢さんを、この世界に戻せるはずだ。

 その背中を見ながら、晶はまた思い出していた。あの不思議な夢のことを。

 戦場での夢を見たのは、実際に仮想現実の中でその体験をする何日も前のことだ。CVRSの中では、自分が自分であるという意識はなかった。白井さんの説明では、あの時のわたしは記憶を抑制されていたそうだけれど、それと関係があるのだろうか。いや、でも未来の体験を事前に感知するなんて、起こりえないはずだ。それともあれが、予知夢というものだろうか。あるいは時空の本質とは、わたしたちの理解の及ばないところにあるのだろうか。もしわたしに未来が予知できるのなら、この先を教えて。

 そう思いながら晶は、じっと貴島の背中を見つめた。だがそこに見えるのは、予知ではなく予測であり、希望的観測であった。それでも晶は、身を起こす吉沢の姿を頭の中に描き続けた。きっとその光景が見られると、無心に願いながら。

 どのくらいの時間、そんなことを考えていただろうか。ただ晶は貴島の力を信じ続けた。その時VRルームのドアが開き、朝永が顔を見せた。さらにその後ろから、メガネをかけた小柄な男の子が続いて入って来た。

 彼は横たわったままの吉沢を悲しそうに見つめていたが、すぐに自分へ向けられている視線に気づいて顔を上げた。そして薄暗い部屋のすみに立つ晶と目が合った。彼は驚いたような、うれしそうな、そしていまにも泣きそうな顔をした。

 ひと目で晶は、初めて見るその男の子が誰であるかがわかった。しかし一切の感情が凍りついたように、なにも感じなかった。そちらに歩いて行こうと思ったけれど、なぜか脚が動かなかった。

 しばらく見つめ合ったふたりだったが、泣きそうな顔のまま、ゆっくりと男の子が晶に近づいた。なにか口に出せば、本当に泣き出していたかもしれない。だから黙って、ただ右手を差し出した。無言でうなずいた晶は、差し出されたその手をしっかりと握りしめた。

 実際の出会いはこれが初めてだったが、それだけで晶と航佑には、すべてが通じ合ったように感じられた。


 身体的にどこにも問題はなかったが、それでも吉沢の意識は戻らなかった。貴島は他の所員と一緒に、休みなくコンピュータに向かい続けていた。白井室長から帰宅をうながされたが、晶も航佑も部屋のすみから動かなかった。二人は並んで、ただ貴島の背中を見つめていた。

 薄暗い部屋で立ち尽くす晶の脳裏に、いつか見た夢の記憶のように、二等陸士の言葉がよみがえってきた。そしてその時その言葉が、まるでこの世の真理を言い表しているように感じたことが思い出された。

 AIはただ、そうプログラムされていただけなのだろうか。でもその言葉にはやはり、この現実の世界においての、ひとつの哲理が含まれてはいなかっただろうか。

 生まれる前、自分はどこにいたのか。そして死んだあと、自分はどこに行くのか。あるいはそんな世界が、本当に存在するのだろうか。

 そんなことは、誰にもわからない。人生のことも、世界のことも、神のことも、誰にも本当のことなど、わからない。結局のところ、人はそんな暗闇の中を、手探りで歩いて行くしかない。

(いつだって、人生とはそういうものだ。誰にも本当のことなど、わからないものだ)

 確かに、そうなのかもしれない。晶は静かに横たわる吉沢に目をやった。彼女が意識を取り戻すことがあるのかどうか、いまは誰にもわからない。未来は誰にもわからない。

 そして自分自身のことも……。

 あの戦場での不安は、この人生の不安そのものと言えなかったか。あの時の会話は、その中の言葉を入れ替えても成り立つように思えた。

(わたしはこの人生を生きる前、どこにいたのだろうか)

(そんなことはこの人生で、必要なことではない。ここは現し世で、きみは人間だ。ここでしっかり自分の人生を生きれば、それでいいんだ)

 いまこの瞬間にも、たくさんの人生が運命に導かれて、消えていることだろう。そこには人知を超えたなにかがあり、ただ人はその運命に従うことしかできないのだろうか。そして誰にも、その本当の意味さえわからないのだろうか。だとすればやはり、そこには神という存在があるのだろうか。

 しかし晶はそこに、空しさしか見いだせなかった。

 神に祈れば、吉沢さんは戻ってくるの? 神なんて、いざという時、なんの役にも立ちはしない。神なんて、どうにもならない人生の、最後の逃げ道でしかない。そんなもの、いまのわたしは、これっぽっちも信じていない。この世は結局、どこまでも先の見えない暗闇なんだ。信じられるものなんて、この世にありはしないんだ。

 そう思いながら目を上げた晶は、ようやく気がついた。

 すぐそこに、自分にも信じられるものがあることに。

 たとえ明日が見えなくても、運命が超えられない定めだとしても、そこにはこの闇の浮世を共に歩む仲間が、確かに存在していた。信頼できる友情が、存在していた。闇を照らす光が、存在していた。

 その光こそが、自分に足りなかったなにかだ。

 これがわたしの、探し求めていたものだろうか。

 はじめて知る感情が心を揺さぶる。その意味を量りかねて、晶は戸惑いながら航佑の横顔を見つめるのだった。


                        IN THE VR Ⅰ 完

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IN THE VR Ⅰ @ko-mi

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