第25話 ワシントンD.C.

 目の前で味方が消えたワンは、即座に状況を理解した。VRLから入ってきた誰かの仕業だ。これは最悪の事態だ。こうなってはプランCを強行するより他に選択肢はない。腰のハンドガンを手にすると、銃口をこめかみに当てる。そしてなんの迷いもなくトリガーを引いた。


 来る。ヨシザワはたすきにかけていた背中の軽機関銃を構えた。5メートル横のリスポン・ポイントに霧がかかり、人の形を創る。まだ実体化していないその影に向けて、ヨシザワは発砲した。

 素通りしていた銃弾がその影に食い込むと同時に、実体化した大佐の巨体が猛烈な勢いで突進してきた。ダンプカーに激突された軽自動車のように、ヨシザワの体が吹っ飛ぶ。

 防弾チョッキか。ヨシザワはかすむ意識を懸命に立て直すが、気がつくと体は宙に浮いている。ゴリラのような腕が胸ぐらをつかみ、そのまま建物の窓に投げつけられた。ガラスを突き破って外に放り出されたヨシザワの視界が、壊れかけた昭和の白黒テレビの画像のように歪む。

 血だらけで仰向けに伸びたヨシザワの目に、割れたガラス窓の向こうで、大佐がコンソールを操作している姿が見えた。なんとか起き上がる。体は動くようだ。見回すが軽機関銃はどこかに飛ばされたようで、手元にはなかった。

 その時、辺り一面に、霧が立ち込めた。その霧が晴れると、ヨシザワの周囲は一変していた。閑静な住宅街の向こうに、緑の森が見えている。


「ここはどこだ?」

 すっかり変わった辺りの様子に、リスのコウスケがキョロキョロと周囲を見回す。乗っていた戦車も消え、ふたりと一匹は丘の上の芝生に立っていた。下の方にはたくさんの墓石がある。

「墓地のようだな」そうキジマが応える。

「キジマさん、あれ」アキラが指さす先には、ずっと遠くに鉛筆のような細い塔が見えている。

「ああ、ワシントン記念塔だ。やはりマップが変わったんだ。後ろの建物はアーリントン・ハウスだな」

「でもいま、アメリカは夜じゃないのかな」誰にともなく、アキラがつぶやく。

「現実世界ではそうだ。しかしここは仮想現実の世界だから、時間はどうにでもなる」

 キジマの解説にアキラとリスはうなずいた。


 研究所のサーバ内、そのVRの世界はいま、ワシントンD.C.周辺の街に変化した。そしてその仮想の世界は、現実の世界と密接にリンクしていた。アーリントン国立墓地の西側の住宅街の道路脇に停められた、アルミ製箱型ボディを架装したトラック。その後部の扉が開かれると荷台に据えられたカタパルトから、かすかな音とともに黒い無人機が射出された。すぐにその後を追うように、もう一機が続く。

 都内のマンションの一室にある高性能コンピュータにつながった王の脳内信号は、インターネット回線を通じて研究所のサーバを経由し、最終的にはワシントンD.

C.の無人機を操作した。

 いくつものカメラをつけた無人機からの映像は時間補正をされた上、その逆の経路をたどり、王の脳が見る仮想現実空間へとつながっている。


 ワン大佐の操作する無人機は、墓地の南側を回るように旋回しながら、ホワイトハウスへ機首を向けた。レーダーに映る機影により、ワンはすぐ後ろからもう一機無人機が続いてくるのを知った。仲間がいなくなったいま、それは摺鉢山にいた兵士としか考えられない。コンソールを操作し、仲間を消し、機銃を撃ってきたやつだ。そしてこのドローンを操縦し、自分を追ってきている。ワンは底知れない脅威を感じた。

 ワシントンの空を飛ぶ無人機は、大型ラジコンほどのサイズでそれほど速度も出ない。後続機はまったく無駄のない動きで、差を詰めているようだ。操縦に不慣れなワンは焦った。しかもこのコロンビア特別区のマップを、大まかにしか憶えていない。本来ならこの機は日本人が操縦するはずだった。そしてワン自身は本部から送られてくる指示をコンソールで受け、そのデータを仲間の操縦する機のHUD(ヘッドアップディスプレイ)に表示させる。その指示を元に仲間に誘導された日本人は、玉砕しかお国を守る術はないとインプットされている。そしてバンザイ・アタックによって任務完了となるはずだった。

 仲間は十分な訓練を受けているし、日本人にも事前に一通りの操作はさせるはずだった。その予定が大きく狂っていた。まさかプランCが発動されるとは思いもしなかったワンの精神状態は、異常に昂っていた。

 確かにCVRSというシステムを使えば、電送されたデータであっても脳が現実と同じように認識しそれを元に判断を下すのだから、リモートコントロールされたドローンなどとは比較にならない精度での攻撃が可能だ。しかし万が一を考えてあれほどGPSによる自動飛行プログラムをサブシステムとして導入するように要望したのに、ドローンなど使ったところで想定外の事態に対応できないと却下された結果が、まさにその想定外の事態によって危機的状況に陥っているではないか。さらにこんな事態に備えて予備のコマさえ用意していたというのに……。

 どこにぶつければいいのかわからない不満を抱えたワンは、それでもなんとか心を落ち着かせようと必死になった。しかし必死になることで、さらに心は平静とは逆の方向に向かった。そしてその乱れを意識することで、いっそう心は乱れる。ワンはそんな悪循環に陥っていた。

 木々の向こうに見えるワシントン記念塔が目印だ。しかしはっきりと、ホワイトハウスを目視した上で、その内部に突入する必要がある。そのためにはもっと高度を上げなくてはいけない。ホワイトハウスの警備がどの程度のものかわからないが、進入速度は速いに越したことはない。そう考えたワンは、操縦桿をひいた。

 ポトマック川の手前で一気に高度を上げた大佐機を見ながら、ヨシザワはその動きのすべてを計算していた。そして無駄な動きを一切排除し、まっすぐに目的の方向へと機首を向ける。高度を上げてから一気に降下、加速して突入するつもりだ。ワンの脳内信号を読み込んだCVRSによって動かされている大佐機の動きは、すべて瞬時にヨシザワに伝わっていた。だから最短距離を飛びながら、大佐機とのインターセプト・ポイントを割り出すのは容易なことだった。

 ホワイトハウスまで一キロ余り、急降下する大佐機とのインターセプトに成功。上昇しながら大佐機に左翼側から激突したヨシザワ機は、一緒になって墜落しながらナショナル・モールの木々に勢いを削がれ、そのままワシントン記念塔を映すリフティング・プールの浅い水面(みなも)に捉えられた。

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