リンドウの花

マキシ

眼鏡をかけたお手伝いさん

「お前って、ほんと眼鏡っ子好きだよな」

 午前中の取引先との会議の後、自席に座って家族写真を眺めていたとき、同僚の啓介がそんなことをいいながら通り過ぎて行った。


 なるほど、うちの奥様は、眼鏡をかけている。啓介とは大学時代からの付き合いなので、私の女性遍歴も知っているわけだ。確かにこれまで付き合っていた女性は、眼鏡をかけている女性ひとが多かった。

 特に狙ったつもりはないのだが……、と少し思いを巡らせる。会議が少々難航したので、気晴らしがしたかったのだ。


 そうして手繰り寄せたのは、随分昔の記憶だ。私の実家は、随分奥まった地方にあったが、昔から続いている商家だった。

 実家の商家は、今でこそ潰れかかっているが、私が子供の頃は、まだまだ羽振りがよく、家にはお手伝いさんまでいた。


 お手伝いさんの名前は、ハナと言った。当節はやりのメイドなどではない。奉公人と言う方が近いだろう。丁稚というほど小さい頃からではないが、それでもまだ大人になる前位の頃から家で働いていたらしい。

 際立って、と言うほどではないが、普通にかわいらしい女の子だった……と、思う。「思う」というのは、まだそのお手伝いさんが家で働いていたころ、私は小さな子供だったからだ。


 活動的な女の子だった。高等学校には行っていなかったと思うが、何かと母が褒めていたから、かしこい女の子だったのではないか。母に何か言いつけられては、嫌な顔ひとつせず、くるくるとよく働いていた。


 私の初恋だった……、とも思う。その辺りは、少々記憶があいまいだ。

 でも、ハナが眼鏡をかけていたことは、なぜかよく覚えている。不思議なものだ。そして、やたらとハナの気を引きたかったことを覚えている。


 台所で米を研いでいるハナの後ろに忍び寄って、大声を出して驚かせたり、ハナが客間に箒をかけているときに、そばにねずみを離してみたり……。ハナは、ねずみが大の苦手だったので、その時には大きな悲鳴を上げて泣き出していた。さすがにその時は、母からきつい折檻を受けることになったが、私は全然凝りもせず、翌日には、新しいいたずらを思いついては、ハナを困らせていた。


 数年が過ぎたころ、ハナに縁談が持ち上がった。外国に留学していて、最近帰ってきたという村長の息子が、ハナを見初めたんだそうだ。見た目も悪くない、結構な伊達男だったそうだ。


 ハナも両親もその話を喜んだが、ハナは、自分なぞが、あの人のお嫁さんになれるんだろうかと、不安がっていたらしい。両親は、ハナを励まして、花嫁衣裳も、嫁入り道具も、全て私たちが用意するから、何も心配しないで、胸を張ってお嫁に行きなさいと、言ってあげたそうだ。

 ハナは、そう言われたときは、とてもそこまでしていただくわけにはいかないと断ったそうだが、両親が、長い間家に仕えてくれた、せめてものお礼だからと、ハナを説得したと聞いている。


 私は、ハナにお別れを言わなくてはと思ったが、中々言い出せなかった。毎日のように、ハナを困らせていたのだ。きっと、私の顔を見なくてよくなって、せいせいしているに違いないと、そう思っていたのだ。

 そういう私に、両親は顔を見合わせて笑い声を上げ、そんなことはないから、ハナに何か贈り物でもしてあげなさい、そうだ、今なら山にリンドウの花が咲いているから、それをハナにあげるといい、ハナはリンドウの花がとても好きだから、と言った。


 私は、一生懸命リンドウの花を探した。子供の足では、リンドウの花を見つけるのに骨も折れたが、何とか見つけることができた。しかし、リンドウを持ち帰って家まで戻った時は、辺りはすっかり暗くなっていた。


 家まで戻ると、ハナが門のところで心配そうな顔をして待っていた。

「坊ちゃん! ご無事で……、もう、心配したんですから……」

 私は、ハナに申し訳なく思って、ようやく見つけたリンドウの花をハナの前に突き出して、「あげる」と言った。

「まあ、私にですか? 坊ちゃんが、わざわざ私のために?」

 私は、照れ臭くて、ただこくんと頷くことしかできなかった。


 ハナは、涙ぐんだ顔をほころばせて、私に言った。

「ありがとうございます、坊ちゃん。ハナは、とてもうれしいですよ。このお花、押し花にして、ずっと大切にしますね」

 そういうハナの笑顔は、きらきらしていて、何か特別な感じがした。私は、恥ずかしくなって、ただこくこくと頷くことしかできなかった。



「おい、午後の会議、始まるぞ」

 私は、そういう啓介の声で、現実に引き戻された。そして、自分が眼鏡の女性に惹かれる理由がわかったところで、あの堅物ともいえる取引先の男性から、色よい返事を引き出す助けになぞならない現実に気が滅入った。

「ああ……、昼飯食べそびれたな……」


 午後の会議が始まった。私は、気を取り直して話し出した。

「午前中の会議で、プロジェクトの概要について、概ねご理解いただけたかと存じます。続いて、このプロジェクトを進めるにあたって想定されるリスク、及びリスクヘッジについてご説明します」

 取引先の堅物は、何も言わずに資料を眺めながら、私の話を聞いていた。私は、プロジェクトの全容について、包み隠さず説明した。変に隠しごとをしても、良い結果にはつながらないものだ。


「以上が、今回、私どもからご提案申し上げるプロジェクトの全容です。御社におかれては、是非前向きにご検討いただきたく……」

 言いかけた私の言葉を遮るように、その堅物は話し出した。

「なるほどよくわかった。よく考えられていると思うよ。このプロジェクトは、君の発案かね?」

 意表を突かれた質問をされ、少々戸惑いながら、私は答えた。

「は、左様です」


「大きくなった……、成長したものだ……。私が知っている君は、ただハナを困らせるだけの悪ガキだったのだがな……」

 そう言って、その堅物は胸のポケットからリンドウの押し花を出して見せ、笑顔になった。何か特別な感じのする、きらきらした笑顔だった。私は、驚いて言った。

「まさか……」


「まあ、君の発案だというなら、乗ってみてもいいさ。悪くはなさそうだし、何より結果に興味がある」

 その堅物、いや村長の息子だった男性は、こちらに向かってウインクして言った。

「奥様は、ご壮健ですか……」

 私は、そうい言うのがやっとだった。


「ああ、元気だとも! こんな偶然もあるものだね。会議資料に君の名前を見つけて驚いたが、それを聞いた時の妻は、もっと驚いていたよ。機会を見て、是非うちに遊びに来てくれたまえ」

 男性は、そう言っていたずらっぽく笑った。

「はい……、はい……」

 私は、もう何も言葉を続けることができず、目に涙を溜めながら、ただこくこくと頷いていた。


Fin

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リンドウの花 マキシ @Tokyo_Rose

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