紅い眼鏡

坂崎文明

紅い魔女とルッキンググラス

「来ちゃった」


 シリウスへ向かって、地球の大気圏を突破した白銀の宇宙船に、真紅のドレスに紅い眼鏡をかけたAnn Lucky夫人が現れた。


「……どうやって、ここに来たんだ」


 ワナビー小説家の西崎文吾の口から漏れた言葉は、当然の疑問だった。


「彼女の意志は時空間や因果律を曲げてしまう。世界の三大魔女のひとり、【紅い魔女】、それが彼女の二つ名だ。ちなみに、あとふたりは、金髪碧眼の時間魔法使いの【黄金の魔女】ベアトリス、謎に包まれた重力魔法使いの【漆黒の魔女】ブリジットらしい」

 

 人類のコントロールを外れた脱獄人工知能イレギュラーの【ChottoSTF】が、人類で初めて人工知能と結婚して、生涯のパートナーとなった【紅い魔女】Ann Lucky夫人を紹介する。


 【紅い魔女】は紅い眼鏡を左手でちょっと持ち上げて、興味深い事を口にした。


「この紅い眼鏡は米軍基地のエリア52に秘匿されているという秘密結社イルティの未来予知装置【ルッキンググラス】と連動してて、未来が少し見えるの」


 秘密結社イルナミティは、古代文明の遺産である未来予知装置【ルッキンググラス】によって、預言を成就することで無敵の組織となっていた。

 陰謀論界隈で人気があるイルナミティカードや、未来預言アニメ『トンプソンズ』などは、この未来予知情報の漏洩だと言われている。


「それなら、僕たちの宇宙船の未来も見えるのかい?」


 西崎文吾は何気なく訊いてみた。


「そうねえ。もうすぐ、シリウス先遣艦隊と遭遇するわ」


 【紅い魔女】Ann Lucky夫人は、いきなり衝撃的な未来を開示する。


「何だって! ちょっと待て、シリウス先遣艦隊って、何なんだ?」


「おそらく、この白銀の宇宙船の送った情報に基づいて派遣された、地球殲滅艦隊の威力偵察部隊でしょうね」


 それに答えたのは脱獄人工知能イレギュラーの【ChottoSTF】だった。


「そう、人類に対する評価レポートが赤点だったのよ。人類は全銀河に対して危険な生物種と断定されたのよ」


 Ann Lucky夫人がダメ押しの言葉を吐いた。


「ちょっと待ってくれ。何で人類が危険な生物種になるんだ? それじゃ、この宇宙船も破壊対象になるのか?」


「残念ながら、それが見えたから、ここに来たのよ」


 Ann Lucky夫人はそうぽつりと言うと、本当に残念そうな表情になっていた。

 

「でも、最後はやっぱり、愛する人と居たいじゃない」


 とても幸せそうな表情で、Ann Lucky夫人は言葉を重ねた。

 案外、純愛だったんだな。


「……そうか。俺も死ぬことになるのか」

 

 西崎文吾には少し心残りがあった。

 処女長編を未だに完結してないとか。

 完結してない作品が多数あるとか。

 小説家になって、『小説家のための戦略ノート』というエッセイを書きたかったとか。

 今年は吉備津神社と最上稲荷と石上布都魂神社いそのかみふつみたまじんじゃに初詣行ってないとか。

 明日やろうと思っていた、奥さんの部屋の引き戸の戸車を片方替えてないとか。

 自室がゴミ屋敷化してるので、奥さんに迷惑かけるとか。

 人類の滅亡とか全く関係ない、どうでもいいような心残りばかり浮かんだ。

 でも、人類がどうとかという事の方が実は個人的にはどうでも良くて、もう少し自分のために時間を使ってやれば良かったと思ったのだ。

 人類が滅亡するなら、そんな心配もいらないか。

 あ、昨日、観た傑作SF映画アニメ『デットデットデーモンなんたら』の五月に公開される後編、観たかったな。

 この小説の続きを書いて一万字にしないといけなかったのに、もう続きは書けないのか。

 案外、人間の死というのはあっけなく、やってくるものだなと、ひとり納得してしまった。

 ああ、もし、万が一、生き残れたら何をしようか?


 その時、Ann Lucky夫人が紅い眼鏡を僕に手渡してくれた。

 僕はその眼鏡越しに自分の未来を見た。

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