私たちの物語
@zawa-ryu
第1話
差し込む西日の眩しさに、思わず顔を顰めた。
しんと静まり返った教室は一面橙色に染められ、そのどこかもの悲しい雰囲気に、私は胸をギュッと締め付けられるような感覚を覚える。
教壇の上に立つ担任の蜂田教諭は、いつも通り苦虫を噛み潰したような顔をして腕を組み、私たちを見下ろしていた。
その傍に、一人俯いたまま佇む生徒の姿があった。
……真由だ。
真由、どうしてそんな所に立ってるの?
私が声をかけようとしても、なぜか口はパクパクと動くだけで、声が音になって出ていかない。
「えー、みんなもう知ってると思うが、今日で西山君とはお別れになります」
蜂田の口から飛び出したその言葉に、私は大きく目を見開き、言葉を失った。
「…今まで、ありがとうございました…」
普段と変わらない、ゆっくりとした、小さいけれど優しい声。
どうして?どうして真由?
どうして言ってくれなかったの?
なんで?
そう叫びたいのに、やはり言葉は音声となって出ていってくれない。
「……さようなら」
真由が頭を下げると、教室からまばらな拍手が起きた。
「……ごめんね……結愛……」
真由が小さく私の名を呼ぶ。
いやっ!待って!
待って真由!
私は立ち上がって叫ぶ。
だが、そこから体は一歩も動かず、届かない声をいくら叫んでみても無駄だった。
蜂田に促され、真由は俯いたまま、教室を出て扉の向こうに消えて行く。
待って!お願い……。
真由、どうして……。
私はその場で、呆然と立ち尽くす。
「真由っ!」
大声を上げて飛び起きた私は、思わず辺りを見回した。
いつも通りの自分のベッド。何も変わらない部屋。
壁に架けた時計は7時前を指していた。
夢?ああ、夢か。
……良かった。
安堵するとともに、激しく脈打つ胸を押さえ、ふぅっと息を吐く。
嫌な夢。なんであんな夢見たんだろう。
額や首筋には、ぐっしょりと汗が滲んでいた。
ベッドからゆっくりと起き上がってカーテンを開く。
窓の外は曇天。
街全体に低く垂れ込む雨雲に向かって、私は深いため息を吐いた。
遅れて鳴り出したアラームが忌々しく音を立てる。
私は乱暴にそれを止めると、顔を洗いに部屋を出て、洗面所に向かった。
傘を持っては来ていたが、出番の無いことを祈るばかりだ。
雨の日はいつも頭痛に悩まされる。
気圧の変化に弱い私は、雨の日が特に憂鬱だった。
だけど、今日の気分の重さは、天気のせいだけでは無い。
今朝方のあの夢。
思い出しただけでも胸が苦しくなる。
とぼとぼと向かったいつもの待ち合わせ場所には、すでに芽理が待っていた。
「おはよーっダルいね、月曜日ってのは」
いつも通りの芽理の声。
明るいその声を聞くと、幾分か私の心も軽くなった。
「ホントだよ。雨も降りそうだし最悪」
「特に結愛は頭痛持ちだしね、じゃ、行こっか」
芽理は傘をぶらつかせながら、私の前を歩き出した。
「えっ?待って。真由が来てないよ」
「は?何?誰って?」
私の言葉をさして気にもしてないように、芽理はずんずんと進みだす。
おかしいな、いつも三人で登校しているのに。
ひょっとして喧嘩でもした?
いや、この二人に限ってそんなことは無いはず。
まあ万が一そんな事があったら、二人とも私に相談するはずだ。
「あーっヤダヤダ。学校なんか消えて無くなればいいのに」
駄々っ子のように腕を振り回す芽理の後ろを、私は妙な違和感を覚えながらついて行った。
朝の教室はいつもながら、賑やかな喧騒でごった返している。
私は鞄を席に置くと、自分の後ろにある真由の机に目をやった。
…おかしい。
いつも机の横に掛けられた、小説のぎっしり詰まった手提げ鞄が今日は見当たらない。
机の中に入っているはずの教科書もノートも、そこには何もなく空っぽだった。
「おっはよー」
春菜が後ろから抱きついてきた。
「春菜おはよ。今日も元気ね」
「あったりまえよ!私はいつもフルパワー!それに、今日から体育バレーボールでしょ?あー超楽しみっ!」
「はいはい、脳筋さんはお気楽でいいわね。私ら月曜日ってだけでダルさマックスなんだけど」
「大丈夫っ!そんな気分もバレーで吹き飛ばしましょ。チーム分けになったら三人で組もうね。私がいれば圧勝よっ!」
「そうね。私ら動くのダルいから、あんた一人で頑張ってよ」
「ちょっと三人って。真由も入れてあげなよ」
私の言葉に、二人は顔を見合わせる。
「あんたさっきもそんな事言ってたね、真由って誰?」
芽理が怪訝な顔をする。
喧嘩したか何したか知らないけど、いくら何でもそれは酷い。
友達のことをそんな風に言うなんて。
「なんか朝から結愛が変なんだけど。春菜、あんた真由って子知ってる?」
「へっ?真由?うーん聞き覚えないなぁ」
首をかしげる春菜に、私は苛立ちを隠さず言った。
「ちょっといい加減にしてよ春菜まで。私ら四人ずっと親友じゃ無かったの?」
「……私らずっと三人組じゃん。中学からずっと」
「……………」
困惑した表情を浮かべる二人に、
私はそれ以上、何と答えたらいいか分からなかった。
授業が始まっても、私の頭には教師の声は何も届いてこなかった。
おかしい。おかしいよこんなの…。
何がどうなってるの?
教科書で隠すようにして、そっとスマートフォンを取り出す。
表示させたアドレス帳、今までやり取りしていたSNS、どこを開いてみても、真由の痕跡は跡形もなく消えていた。
休み時間に他のクラスメートに聞いてみても、担任や、いつも相談に乗ってくれる現国教師の「操ちゃん」ですらも、誰に聞いてもみんな答えは同じ。
「西山真由」なんて名前は知らないし聞いたことも無い。みんな口を揃えてそう言った。
自分の頭がおかしくなったのだろうか?
何がなんだか分からなくなって、目の前がクラクラしてくる。
芽理と春菜に早退する事を伝えると、心配そうに見つめる二人を残し、
私は鞄を抱えて学校を飛び出した。
いったい真由はどこに行ってしまったんだろう。
まるであの夢が暗示していたかのように、真由がこの世界から消えてしまった。
ううん、そんなことあるはず無い。
私は首を振ると、そのまま家には帰らずに真由の家まで走った。
だが、そこに架かっていた表札は、それこそ聞いたことも無い名字だった。
どういうことなの?
みんなが言うように、本当に真由なんて子は初めから存在しなかったのだろうか?
通学路にある公園のベンチで、一人鞄を抱きしめる。
いや、そんなこと在り得ない…。
私の後ろの席にいた、おっとりとした、優しい笑顔。
二年生の終わりに、奇跡みたいな偶然が起って友達になれた、
小説が大好きな女の子。
小説を読むのも書くのも、彼女は好きだった。
私に合いそうな本を勧めてくれたり、サイトに投稿した自作の小説を読ませてくれた真由。
真由の書いた小説も、もう読めないのだろうか。
そう考えて私はハッとした。
そうだっ!小説投稿サイト!
真由はいつもそこで小説を書いていた。
そこにいけば、真由の存在が残っているはず。
なんで気づかなかったんだろう。やっぱり今日の私はおかしい。
鞄から急いでスマートフォンを取り出し、登録してある小説投稿サイトの、真由のページを表示させる。
……ダメだ。
私のトップページにあるはずの登録者の中に、真由の名前はどこにも無かった。
やっぱり真由はここにもいない。
でも待って、まだ手はあるはず。
真由のペンネーム、「天使のめがねっこ」
私は一縷の望みをかけて、そのペンネームで検索をかけた。
あった!
良かった、真由はここに存在している!
思わず泣きそうになって、こぼれ落ちそうになる涙をぐっとこらえる。
「天使のめがねっこ」
そのトップページをクリックする。
そこにはプロフィールも何もない、真っ白な画面だけが写しだされていた。
ただ一つ、「投稿した小説」の欄。
そこに「1件」とだけ表示されている。
私は震える指で、祈るようにそれをクリックする。
そこに現れた一文に、私は思わず息をのんだ。
― ワ タ シ ヲ ミ ツ ケ テ ―
「ふぅ……」
そこまで書いて、私はスマートフォンを机に置いた。
「こんな妄想めいたお話、読んでくれる人なんかいるのかな……」
自虐的な独り言が、誰もいない教室に虚しく響く。
そろそろ日も落ちて薄暗くなってきた。
ポツンと一人取り残された私は、所在なく自分の机から教室の時計を眺める。
……もう、いいかな?
何度見たって同じなのに、私は黒板の上に掛けられた無機質なアナログ時計と、自分のスマートフォンを交互に眺めていた。
教室にいる時、私はいつも独りで小説を読んでいた。
ふと思い立って、小説を「書く」ようになってからも、私はずっと独りだった。
「小説」その世界が私の全てで、現実の私は、存在しているのかいないのか、そんなあやふやな境界線上にポツンと立っている。そんな毎日だった。
「うわっまだ人いたんだ」
クラスメートの、名前も知らない誰かが入ってきて、一人教室にいた私を見て驚く。
「えっと、西山さん、だっけ?まだ帰らないんだったら、戸締りお願いしていい?」
「…………」
いつもの事だけど、私はごく親しい人とじゃないと上手に話すことが出来ない。
自分でもわかっているけど、どうにもならない。
なんとか答えたいと思っても、言葉が上手く出てこないのだ。
私が黙ったまま頷くと、
「そう。じゃお願いね」
彼女はサッと身を翻して教室から出て行った。
「ねえ、今の誰?」
「西山さんじゃん?私も話たこと無いけど」
「へえ、何か変な子ね。返事もしないで」
廊下から聞こえてくる会話。これもいつものことだ。
私は今まで、ずっとそんな風に言われ続けて生きてきた。
自分が悪い。
上手く話せない、自分が悪いんだ。
だからもう慣れっこ。
小さい頃からそうやって過ごしてきた私が「自分の耳と心に蓋をする」のは、今さら造作もないことだった。
グラウンドに響いていた運動部の声も、そろそろ聞こえなくなってきた。
もういいかな……。
なるべく誰にも会わないようにして帰ろう。
そう思った時、また教室の扉が開く。
「なんだ西山。まだ居たのか」
顔を上げると、担任の蜂田先生だった。
「もうすぐ完全下校の時間だ。用が無いなら帰りなさい」
「……ハイ」
「思いつめた顔して、変な事考えてるんじゃないだろうな?やめてくれよ、問題起こすのは」
「…………」
そんな先生の言葉は無視して、
もう一度スマートフォンを開くと、私はそっと席を立った。
独りで歩く夕暮れの街。
オレンジ色に染まる道を、私は歩いていく。
ゆっくりと歩いたはずなのに、気づいたらもう玄関まで来ていた。
家の灯りを見つめる。
もういいだろうか?
……もういいよね。
私はそっと扉を開けて、
「……ただいま」
そう呟いた。
『ハッピーバースデー真由!!!』
玄関に響いたみんなの大きな声に、一瞬耳がキーンと音を立てる。
一呼吸置いて、鳴り響くクラッカーの音。
「真由―っおめでとう、愛してるよーっ!」
「ひゃっ」
春菜がジャンプして飛びついてきた。よろけそうになる私を芽理がガシッと支えてくれる。
「ちょっと春菜っ!真由が怪我したらどうすんの!」
「えへへ、ごめーん。だって抱きつきたかったんだもん。ごめんね真由。部活帰りの汗臭い私を許してっ」
「あんたマジ最悪。てかマジでくせぇ」
鼻をつまんで手をひらひら降る芽理の後ろから、結愛が顔を出した。
「おかえり真由。そして誕生日おめでとう!」
『おめでとーっ!』
またクラッカーが鳴らされた。
「みんな、ありがとう……」
「さあさあ上がりなさいよ。自分の家なんだし」
芽理に背中を押されて入ったリビングには、色とりどりの飾りつけが施され、ハートの風船に囲まれた、「真由ちゃんお誕生日おめでとう!祝18歳」と書かれた横断幕が部屋いっぱいに掲げられていた。
「……すごい……」
「ごめんね真由。だいぶ待たしちゃったよね」
「ううん……何かしてくれるのかなって……思ってたけど、まさか私の家でこんな……パーティー準備してくれるなんて……」
「えへへ。ちょっと頑張っちゃった」
今日、4月29日は私の誕生日。
夕方のホームルームが終ったあと、いつも通り帰り支度をしていると、隣の席の春菜が私の肩を掴んで捲くし立てるように言った。
「ねえ真由っ。今日は絶対6時までここから一歩も動いちゃダメよ!いや、ちょっとぐらい動いてもいいけど。帰ったらバレちゃうから……あっなんでもない!とにかく家に帰ったらダメっ。私からのお願いっ!」
言い終わったと同時に芽理が春菜の頭をバシッと叩く。
「この下手くそ脳筋!」
春菜に詰め寄る芽理の横で、結愛が少し引きつった笑顔を浮かべていた。
「真由、訳わかんないと思うけど、いや……ちょっとバレちゃったかもしれないけど、私またメールするから、ちょっとだけ帰るの遅らせてほしいの。ごめんね、また連絡するから」
そう言って3人は風のように消えていった。
「ホントあの時の春菜には殺意を覚えたわ」
「まあまあ、でもこうやって無事に開催出来たんだし。でもちょっと時間かかっちゃったね。真由退屈だったんじゃない?」
「ううん……次の新人賞に出そうと思ってる小説書いてたから……平気だよ……」
「はい、お待たせーっ」
ママがキッチンから大きなケーキを運んで来てくれた。
「きゃーっすごい!」
「写メ撮ろ写メ」
「真由っ早く真ん中来てっ」
私を囲んでみんなが笑顔で集まる。
ありがとう、みんな。
私、こんな嬉しい誕生日初めて……。
「はい撮るわよー。真由ちゃんもっと笑って」
ぎこちない笑顔を浮かべる私の頬を、結愛がつんつんと突く。
みんなありがとう……大好き。
「それで、今度の小説はどんな感じになるの?」
「えっ?うーんと……まだ書いてる途中なんだけど……」
ケーキを頬張る手を止めて、私は少しだけ躊躇いながら答えた。
「みんなのこと……書こうかなって思って……」
「えっ嘘?」
「なになに?私たちのお話になるの?」
「うん、ごめんね……勝手に書いちゃってて……。嫌だったら言ってね……」
「嫌なわけないよ!すごく嬉しい!私たちのこと書いてくれるなんて」
「ねねっ私はどんなキャラになるの?やっぱりゴブリン倒しまくっちゃう感じ?」
「私は私は?やっぱり走りまくっちゃうっ?」
良かった。ちょっと不安だったけど、みんな盛り上がってくれてる。
「それで、結末は?最後はどんな感じになるの?」
芽理が勢い込んで尋ねる。
「……それは……読んでからの、お楽しみ……」
「ちょっと何よそれ!私また気になって眠れなくなっちゃう!」
「あちゃ、また芽理の気になる病が始まっちゃった」
じたばたと暴れ出す芽理を春菜がどうどうと抑える。
二人の様子を笑いながら見ていた結愛が、そっと私の耳に顔を近づけた。
「ねえ真由。私たちの物語、素敵な結末にしてね。約束よ」
「うん……約束する……」
私も結愛を見て頷く。
私たちの物語。
その結末は、もう用意してあるの。
私絶対に、最高の物語にするね……。
結愛、芽理、春菜。私を見つけてくれてありがとう。
世界のすみっこで、いつも独りだった私を。
眼鏡を上げて、自然に溢れた涙を、そっと拭う。
私の目の前に広がる、みんなが連れて来てくれた世界。
その景色は今まで読んだどんな物語よりも、きらきらと輝いているから。
私たちの物語 @zawa-ryu
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