【KAC20248】親切な駅員さん

鈴木空論

【KAC20248】親切な駅員さん

 ――しまった、寝過ごした!


 目を覚ましたとき、私は真っ先にそう考えた。

 跳ねるように電車の座席シートから立ち上がり慌てて周囲を見回す。


 電車は止まっていた。

 窓の外は見覚えの無い駅のホームで、日はすっかり落ちている。

 他の乗客の姿は無い。


 私は頭から血の気が失せていくのを感じた。

 疑う余地もない。

 どうやら寝ている間にいつもの駅を乗り過ごしてしまったらしい。




 私は高校ではバドミントン部に所属していて、県大会を間近に控えていた。

 だからここ数週間は校門が閉まるギリギリの時刻まで毎日皆で練習に励んでいた。

 今日もそうだった。


 だから……というのは言い訳にはならないのだが、自分で思っていたよりも疲れがたまっていたらしい。

 帰りの電車に揺られながら、うっかり居眠りしないようにしなきゃと思っていたはずなのに、いつの間にか舟を漕いでしまっていたようだ。


「と、とにかく降りなきゃ!」


 私はラケットとカバンを掴むと急いで電車から降りた。

 だが冷静に考えるとこれは悪手だった。


 降りてから気付いたが、そこはどうも無人駅らしい小さなホームだった。

 こんな所で降りてもどうにもならない。むしろ、そのまま電車で人が多い駅まで乗っていったほうが今のこの状況をスムーズに解決できていただろう。


 でもこの時の私は寝ぼけていたためそこまで考えが回っていなかった。

 しかも……。


「――あれ、めがねが無い……」


 目を覚ましてからずっと違和感を覚えていたが、私は顔に手を当ててようやくその理由に気が付いた。

 いつも掛けているはずのめがねが無かった。

 きっと寝ている間に落としてしまったのだろう。


 早く取りに戻らないと。

 そう考えて振り返った時には既に遅かった。

 プシュー、と音がして目の前で扉が閉まり、電車は私を置いたまま走り去ってしまった。



 ※ ※ ※



「参ったなあ……」


 私は途方に暮れていた。

 夜の見知らぬ駅にたった一人。

 しかもめがねが無い。


 私は小さい頃から目が悪く、めがねを付けていないとほとんど何も見えない。

 いや、正確には曇りガラス越しみたいなボヤッとした視界なので歩いたりするだけなら問題ないのだが、文字などはさっぱり読めなくなってしまうのだ。


 そのため私にはここがどこなのか知ることができなかった。

 駅目標は見つけたものの肝心の駅名が読めず、恐らく平仮名四文字らしいということしか分からない。


 とりあえず土地勘も無いのだ。

 現在地も分からないのに駅から出ても迷子になるだけだろう。

 下手に動かず次の電車を待った方が良さそうだ。


 私は溜め息を付き、いつ来るかも分からない電車を待ち続けた。

 そして、どれくらい経ってからだろう。

 十数分……いや、実際は数分だったのかもしれない。

 まだかなあと思いながら線路の先を眺めていたところ、私は突然声を掛けられた。


「お客さま、どうなさいましたか?」


 振り返ると恐らく紺のスーツを着た背の高い男の人が立っていた。

 頭には紺の帽子らしきものを被っている。

 どうやら駅員さんのようだ。

 てっきり無人駅だと思っていたけれどそうではなかったらしい。


 良かった、これなら何とかなるかもしれない。

 私は駅員さんに事情を説明した。


「すみません、実は降りなきゃいけない駅を乗り過ごしてしまったんです。それで慌ててここで降りたんですが、ここがどこかも分からなくて……」


「そうでしたか、それは大変でしたね。ですがもう大丈夫です。私にお任せ下さい」


 駅員さんの声は優しかった。

 私は安堵し、何度も頭を下げた。


「ありがとうございます。お手間を取らせてすみません」


「いえいえ。……ただ、その前にちょっとお伺いしたいのですが」


「なんでしょう?」


「――私の顔、どう思います?」


 駅員さんは帽子を取って私に顔を近付けてきた。

 どういう意味だろう、と私は思った。


 今にして思い返してみると、ちょっと気味の悪い質問だった。

 しかしその時の私は帰ることだけで頭が一杯でそれどころではなかったから、特におかしいとも感じなかった。


「どう思うか……ですか?」


 私はどう答えるべきか迷った。

 顔をどう思うかと言われても、目の悪い私には良く分からない。


 周りの景色と同じで、駅員さんの顔も私には曇りガラス越しのぼやけた肌色にしか見えなかった。

 正直な印象を言えと言われたら、のっぺらぼうである。

 しかしそれをそのまま言うのは流石に失礼だろう。


 ひょっとして、と私はふと考えた。

 今の私にはわからないが、駅員さんの顔には例えば大きな傷とか、何かコンプレックスになるようなものでもあるのだろうか。

 それでこんな質問をしたのかもしれない。


 しかしそれをわざわざ尋ねて確認するのはどうかと思ったし、そもそも見た目がどうであろうと私は気にしないたちである。

 だから私はただ首を横に振った。


「いえ、特に何とも思いませんが」


 私の返事に対して駅員さんは何故か戸惑ったようだった。


「え? いやいや、そんなはず無いでしょう。もっとよく見て下さい、私の顔。ほら、恐ろしいでしょう?」


 やはり余程のコンプレックスを抱えているらしい。

 私は内心不憫になり優しく微笑んだ。


「そんな事はありませんよ。少なくとも私には気になりませんし」


「………」


 駅員さんは黙り込んでしまった。

 返答を間違えたかな、と私は不安になったが、どうやら大丈夫だったらしい。

 駅員さんはやがて気を取り直したように丁寧に頭を下げた。


「大変失礼致しました。今のはどうか忘れて下さい」


「いえ、許すだなんて……ご迷惑を掛けているのはこちらのほうですし」


「そう言って頂けると助かります。――ではご案内致しますのでこちらへどうぞ」


 駅員さんは私を事務室のようなところへ連れて行ってくれた。

 それから電車があとどれくらいで到着するかを丁寧に教えてくれただけでなく、ジュースも一本奢ってくれた。


 私が電車内にめがねを忘れたことを伝えると何やら納得したようすで頷いていた。

 そして、忘れ物センターに届いていたら係の者に届けさせます、と言ってくれた。


 やがてホームに電車がやって来た。

 私は電車に乗り込み、駅員さんに窓越しに何度も頭を下げた。


 電車が走り出すと私はシートに腰を下ろした。

 今度は寝過ごさないようにしないと、と思ったのだが、いつの間にかまた眠ってしまっていたらしい。

 気が付くと電車はいつも私が降りる駅のホームに停車していた。

 そして不思議なことに、私の右手には失くしたはずのめがねが握られていた。



 ※ ※ ※



 帰りが遅くなったせいで両親には酷く怒られた。

 事情を話し、駅員さんの世話になったことを伝えるとさらに怒られ、後でお礼を言いに行ってきなさい、と菓子折りを買うお金を渡された。


 私もそのつもりではあったので、その次の休みに電車に乗ってあの時の駅へ行こうとした。

 しかし終点まで乗り続けてもそれらしい駅は見当たらず、あの親切な駅員さんに再会することもできなかった。

 仕方が無いので終点の駅員さんに事情を伝えて菓子折りを受け取ってもらい、私はまた電車に乗って家に帰った。

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