悪霊に取り憑かれた体操のお兄さん

ジロギン

第1話(1話完結)

16:30


専業主婦の真恥子(まちこ)はリビングの床に座り、テレビのスイッチをつけた。傍には、一人息子・肛痔(こうじ)が同じように腰を下ろし、笑顔でテレビ画面を見つめている。


真恥子「肛ちゃん始まるよ〜!ママと一緒に、鷹道(たかみち)お兄さん見ようね〜!」


肛痔「ダァハァア〜」


真恥子「ママって言ってごらん?マーマって!」


肛痔「ダァ〜ワァ〜」


真恥子「まだ無理かぁ」


肛痔は生後9カ月。言葉でコミュニケーションを取ったり、自由に歩き回ったりするのには、まだ時間がかかる年齢である。


そんな肛痔も、テレビに映っているものを認識することはできているようだ。平日の16:30から始まる子ども向け番組『顔見知りのおじさんといっしょ』のワンコーナー、加藤 鷹道(かとう たかみち)お兄さんによる体操の時間を楽しみにしている。まだ自由に歩けない肛痔なりに、手足を動かして楽しんでいるのだ。


加藤 鷹道お兄さんを楽しみにしているのは、肛痔だけではない。母である真恥子も彼の大ファンだ。「歴代体操のお兄さんの中で顔面偏差値最高」と称される鷹道お兄さん。いかにも好青年という感じの元気の良さや、柔らかい物腰、丁寧な言葉遣いが甘いマスクとマッチし、世のお母さん達の絶大な支持を得ている。


画面に、上下白のピチッとした体操服を着た鷹道お兄さんが映る。フラミンゴのように姿勢良く立つ彼の周りには、番組に応募して出演が決まったであろう子ども達が数十人。肛痔よりも4歳くらい年上の子達だ。


『顔見知りのおじさんといっしょ』は生放送で、たまに言うことを聞かず勝手に行動してしまう子がいて、ちょっとしたトラブルが起きることもある。そんなリアリティも番組の醍醐味。鷹道お兄さんの、トラブルを起こした子への対応は非常に上手く、そこもお母さん達から人気を集めている理由の一つだ。


鷹道お兄さん「さぁ!体操の時間だよ!スタジオにいるみんなも、画面の前にいるキミも、お兄さんと一緒に体を動かそう!」


恒例のセリフを、元気よく発する鷹道お兄さん。


しかし、毎日のように彼を見ているからだろうか、真恥子は違和感を覚えた。


鷹道お兄さんの顔色がいつもより白っぽい。目の下には黒いクマができている。


真恥子「鷹道お兄さん、なんか体調悪そうだな……まぁ、ほぼ毎日生放送やってるし、疲れが溜まるよなぁ。大丈夫かなぁ?」


肛痔「ダハァ〜ア〜」


心配そうな真恥子とは対照的に、満面の笑みを浮かべる肛痔。そんな肛痔の姿を見て、真恥子は改めて鷹道お兄さんのプロ意識に感心した。体調が万全でなくても、子ども達を笑顔にするため、彼は番組に出ているのだ。


鷹道お兄さん「まずは簡単な運動から!首を右に90°回して〜」


画面の鷹道お兄さんが、首だけで右横を向く。


鷹道お兄さん「そして180°!!!」


鷹道お兄さんの頭が、勢いよく真後ろまで回転した。鷹道お兄さんの黒い髪が生い茂る後頭部が、体の正面を向いている状態。明らかに人間の首の可動域を超えている。


「うわぁっ!」と驚きの声を発した真恥子。映像を加工しているのかと思ったが、生放送番組で加工はできない。正真正銘、鷹道お兄さんの首が180°回転しているのだ。


スタジオにいる子ども達も異変を感じ取ったのだろう、唖然とした表情を鷹道お兄さんに向けている。


鷹道お兄さん「おい、そこの、ファ●クスファニーがプリントされた黄色い服を着てる小僧!」


鷹道お兄さんが、スタジオにいる一人の男の子を指名した。鷹道お兄さんの顔は男の子の方を向いているのに、体は反対側を向いているという、異様な光景が画面に映る。


鷹道お兄さん「他局どころか、他国のキャラの服着て、何ボーーーーーーーッと突っ立ってんだよぉ?お前らにもギャラが発生してんだから、早くやれ。オレと同じように」


画面を通して見ても分かるほど、表情をぐちゃぐちゃにし、今にも涙き出しそうな男の子。それもそうだ。鷹道お兄さんの首はあらぬ角度に回転し、いつもの優しいお兄さんからは想像もできない、チンピラのような態度を見せているのだから。


鷹道お兄さん「早くやれ……やれよ……やれっ。英語で言ったほうがいいか?Do it now!!!」


鷹道お兄さんの大声を合図に、男の子は大量の涙を頬に走らせた。


アシスタントディレクターと思しき男性が画面外から登場し、男の子を胸に抱きかかえ、そそくさとどこかへ走り去って行く。


首が半回転したままの鷹道お兄さんは、カメラ目線に戻り、番組の進行を続けた。


鷹道お兄さん「本当に、Z世代は根性がないなぁ!画面の前のみんなは、あんなクソガキみたいにならないようにね!」


真恥子「おかしい!いつもの鷹道お兄さんじゃない!邪悪すぎる!鷹道お兄さんの偽物……?いや本人だ!ファン歴4年の私が、肛痔が生まれる前からファンだった私が、見間違うはずがない!でも明らかに変だぞ……」


鷹道お兄さんの様子を見て、完全にドン引きの真恥子。


出演している子ども達は、鷹道お兄さんから距離をとっている。


鷹道お兄さん「さて!次は、スタジオのみんなでトンネルルーレットをやろう!」


トンネルルーレットとは、体操の時間に行われる催し物の1つ。


鷹道お兄さんと、スタジオで選ばれた1人の子どもが手をつないで横並びに立ち、子ども達が円形に列を作って、手をつないだ2人の間を順番にくぐっていくというものだ。


トンネルルーレットで鷹道お兄さんのパートナーに選ばれた子どもは「レジェンドチルドレン」として、お母さん達の間で語り継がれていく。


鷹道お兄さん「じゃあトンネルを作るよ!今日のパートナーは……不要だ!!クソガキが鼻水を拭いたであろう汚れた手に触るのなんか、ごめんだ!トンネル役はオレ一人でいい!!」


鷹道お兄さんは上半身を後ろにのけ反らせ、立った状態からブリッジの体勢になった。


鷹道お兄さん「さぁガキども!オレの下をくぐれ!これが真のトンネルルーレットだ!!」


恐怖におののく子ども達。泣きそうになりながら、アンダー・ザ・鷹道お兄さんブリッジを、はいはいの姿勢で通っていく。


鷹道お兄さんの首は半回転しているので、ブリッジをすると首は内側、つまり背中側を向く。だから子ども達は、ブリッジの下をくぐった振りなどはできない。鷹道お兄さんに監視されているのだ。


スタジオにいる子ども達全員が、鷹道お兄さんの体の下を1回ずつくぐった。


足の裏を地面につけたまま、上半身を起こして立った姿勢に戻り、カメラの方を向く鷹道お兄さん。


鷹道お兄さん「みんな、よくできました〜!じゃあ最後は……最……後……オボボロオオォエエェェェッ!」


鷹道お兄さんは口から、黒いヘドロのような液体を吐き出した。


黒い液体は床にボタボタと落ち、白い煙を放つ。


真恥子「やばいって!絶対におかしいよ鷹道お兄さん!!」


明らかな放送事故だ。真恥子はスマートフォンを手に取り、これ以上の放送は止めさせるべく、テレビ局に電話をかけた。


しかし何度コールしても、電話はつながらない。


おそらく、他の視聴者が何人も問い合わせているのだろう。


黒いヘドロを吐き終えた鷹道お兄さん。


一瞬、鷹道お兄さんが履いているスパッツの右尻がチラリと画面に映った。そこに、黒い円で囲まれた頭蓋骨のマークが刻印されているのを、真恥子は見逃さなかった。


真恥子「間違いない……鷹道お兄さん、何らかの黒魔術に巻き込まれて、悪霊に取り憑かれてるんだ!異様な体の動きも、罵詈雑言も、黒いヘドロも、悪霊に憑依された人間に見られる兆候だ!全部、海外ホラー映画の知識だけれども!」


おかしいのは鷹道お兄さんだけではない。スタジオがこんな事態になっているのに、放送を止めないスタッフも、正気とは思えない。


画面の向こうで、想像以上に悪い事態が起きている。そう感じた真恥子。


鷹道お兄さん「失礼しました!ちょっと体調が悪くて、ヘドロを吐いちゃったけど、気にしないでね!それじゃあ最後は、らりるれろ体操!いっくよ〜!」


らりるれろ体操とは、「らりるれろ」それぞれの頭文字から始まる動物の動きを鷹道お兄さんが披露し、鷹道お兄さんの動きを子ども達が真似する体操だ。


「ら」は、ライオンのら。


「り」は、リスザルのり。


「る」は、ルリムネハチドリのる。


「れ」は、レッサーパンダのれ。


「ろ」は、ローランドゴリラのろ。


これがお決まりのパターン。


しかし今回のらりるれろ体操は、普段と全く別物だった。


いつもの軽快なBGMは流れず無音。


鷹道お兄さんが立ったまま両腕を上に伸ばし、風にそよぐ木のように、左右にゆっくり腕を動かしているだけ。そして、ぶつぶつと何か言っている。


テレビの音量を大きくすることで、真恥子にもかろうじて聞き取れた。


鷹道お兄さん「うゆるきるいういあ……うゆるきるいういあ……うゆるきるいういあ……」


意味の分からない、いや恐らく何の意味もない言葉を発している。


鷹道お兄さんだけではない。スタジオにいる子ども達全員が、カメラの方を向きながら、鷹道お兄さんと同じ動きをして「うゆるきるいういあ」と繰り返している。


5分ほど常軌を逸したらりるれろ体操が続き、そのまま番組は何事もなかったかのように終了した。


真恥子「……何だったの……?鷹道お兄さん、どうしちゃったの……?肛痔……」


真恥子は、傍で画面を見ていた息子に視線を移す。


肛痔「うゆるきるいういあ……うゆるきるいういあ……うゆるきるいういあ……」


肛痔は立ち上がり、頭上に伸ばした両腕を左右に動かしながら、そう繰り返していた。


<完>

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