終章 幸運の呪文

34

「……く、臭い……」


 七日にも及ぶ昏睡状態からネアトを目覚めさせたのは甥っ子のネアスだった。


 弟が寝ている真横で息子のおしめを交換していたマーラは、弟の声に驚き、交換の手を止めて振り向いた。


「姉貴も死んだの?」


 目を大きくして驚く姉へと、ネアスはとんちんかんなことをいった。


 なにもいわない姉を見詰めていると、元気な証をそのままにしてどこかへと駆け出して行ってしまった。


「よ、ネアス。ママはどこに行ったんだ?」


 元気な臭いが漂ってくる方へと首を動かし、下半身まる出しの甥っ子に話し掛けた。


 もちろん、生後四ヵ月の赤ん坊が答える訳もなく、なにが楽しいのか足をバタバタさせて喜んでいた。


 そんな無邪気な甥っ子を眺めていると、駆け出して行ってた姉のマーラと沢山の医者団が雪崩込んできた。


 医者団はネアスを丸裸にしていじくり回し、終わると部屋から連れ出して集中治療室へと放り込んだ。


 数時間にも及ぶ精密検査が終了し、医者団から「異常なし」の判定をもらうのに更に数時間掛かり、やっと元のいた部屋に返ってこれたのは真夜中だった。


 なにがなにやらわからないネアスは、茫然と天井を見詰めていた。


「……まったく、君の幸運っぷりには呆れるわ……」


 その声が誰なのか直ぐに理解したが、直ぐ横で発せられたことに気がつくのにはしばらく時間を要した。


 月明かりに照らされて静かに微笑む天女を見て、やっと自分が生きていることに気がついた。


 ……死後の世界で会うとしたら一番最後の人だからな……。


 冷静でしぶとくて、とても仲間思いの我が儘な人がそう簡単には死なない。生きて生きて生き抜いて、最後の一人になっても生きることを諦めない人なのだから。


「……どうも君は、わたしを変な風に見てないかね……?」


 統一連合軍最強の軍団長にして《セーサラン》最大の障壁。徹底抗戦派ナンバー2という人である。


 この上ない程に正しく理解してると思ったが、それを口にする度胸はない。愛想笑いで誤魔化した。


 シジーの方もこのバカが統一連合軍最強のスペシャルエースにしてシルバーズ最大の難敵。中立派ナンバー1と理解しているので問い詰めることはしない。その愛想笑いを優しく受け止めた。


 どちらともなく笑みを消し、少し悲しい表情を浮かべた。


「……死ぬ覚悟はあったんですけどね……」


 死ぬことを前提に戦った訳ではないが、あの《ドラゴン・アーマー》に勝つということは死ぬと同じ意味を持つ。生きて勝てるなど想像もしなかったくらいだ。


「愛の勝利、ってところかしらね」


 シジーの言葉にネアスは眉を寄せた。


 確かに愛する人を思い戦った。だが、愛の勝利という程健全なものではないはずだ。


「スカブ・シード博士の君にしたらお粗末ね」


 静かに微笑む天女にネアスは更に眉を寄せた。


「キャットが創ったスーツを着て、キャットの記録が詰まった鍵石を持つ。しかも鍵石で変革させた機体は特番隊と死闘を演じ、ドラゴン・ブレスやらドラゴン・フィールドを経験している。成長し変化する兵器としたら十分過ぎる程の愛の力ではなくて?」


 シジーの笑みにネアトはアハハと情けなく笑った。


 あのときは機体の経験値にしか目が行かなかったが、星の勇者の兵器は思いの塊。思考進化型兵器である。最初にこめられた思いが進化の行く先を決めるのだ。


 つまり、愛する人に守られ、愛する人に拒否された、ということだった。


「……ったく。純情な男心を玩びやがって……」


 小さく笑い、そして、とても辛そうに自分を抱き締めた。


 もう抱いてあげることも、言葉を紡ぐこともできない親友に代わり、小さく輝く星を抱き締めてあげた。


 ネアトもシジーを抱き締め、これまで必死に抱え持っていた理由を涙に変えた。


「あなたの未来に幸運がありますように」


 ……キャット。あなたが愛した小さな星は、今やっと一人で輝くことを選んだわよ……。

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