目が、ね。

西しまこ

閉ざしてしまえばいい。

 あの目で見られると、ぞっとする。

 眼鏡の奥の、あの目。

 あの目があたしを捉える――痛みが走る。

 閉ざせ。

 閉ざしてしまえばいい。

 あたしは降りかかる痛みと熱さを、ずっと遠いところで、そう、ベールの向こう側で受け留めていた。

 あたしが動かなくなると、あの人は急に優しくなる。そしてあたしを抱き締めて、血を拭いたり氷で冷やしたりする。血で汚れた衣類を脱がし、ベッドに連れていく。

 ベッドの上でもあたしは遠くで彼を感じている。

 気持ち悪い。何もかも。触らないで欲しい。

 ぞわり。

 遠くであたしは熱いものを感じる。荒い息遣いも感じる。ぞわり。

 ぞわり。ぞわり。ぞわり。

 気持ち悪い。

 目があたしを捉える。「麻衣、あいしてる」 愛? 愛ってなんだろう? 

「麻衣、あいしているんだ」愛って、気持ち悪いんだ、こんなにも。涙が出た。ひと筋。

 目が、気持ち悪くあたしを見て、「気持ちいいんだね」と言う。気持ち悪いんだよ。あたしは目をきつく閉じて、彼の首に手を回し、彼の目を見ないようにする。

「どうしてつきあうことにしたの?」もうずっと昔の、友だちの声が蘇る。

「目が、ね」と過去のあたしは言う。「目が、とても優しかったの」

 友だちが「おめでとう」と言って、持っていたグラスを、かちんとあたしのグラスにあてる。あたしは「ありがとう」と言って、グラスに口をつける。甘いフルーツの味。

 目が優しいと思っていた遠い昔を思い出したら、涙が止まらなくなりそうだったので、あたしは彼に回した手に力を入れた。

「目が、とても優しかったの」

 いつの間に、目を見るとぞっとするようになったのだろう?

「麻衣、あいしている」

 いつの間に、愛という言葉の意味がまるで違うように聞こえるようになったのだろう?

 気持ち悪い。

 体温も手のひらも。かかる息も。言葉も。

 あたしはあたしの中に深く深く潜っていく。

 仄暗くて、何も見えない場所で、あたしは膝を抱えて丸くなる。

 気持ち悪さがアメーバーのようにまとわりついてくる。だけど、あたしは暗い場所で閉じていく。

「目が、ね」

「目が、とても優しかったの」

 もうその目を思い出すことは出来なかった。




   了

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目が、ね。 西しまこ @nishi-shima

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