後編
非アジア的な発想によるこの男の話を気に入って、息子は好奇心から眼鏡を手に入れることにしました。
『その眼鏡のレンズがなぜ緑色なのかを知ってしまった』と背中を向けた息子に男は切り出しました。
『なぜレンズが緑色なのか』と息子が問いただすと、
『焼け残った屋敷の近くをうろついて、この眼鏡について召し使いから金を掴ませて聞き出したんだが、やつらは俺たちより多くのことを知っているものだ。
召し使いどもは当初、貝のように口をつぐんでいたが、やがて周囲を気にするような素振りをしてようやく話しはじめた。
『召し使いの話では、このレンズは、文化14年に江戸に落下してきた隕石の破片を練り込んで作られているのだそうだ。そのせいで普通のガラスより少し変色しているんだ。
明治の終わりごろに、その名士の男が作らせたらしい。なんでも男が愛読していた怪しいアラビア語の書物にその理由があるらしいが、詳しいことは分からん。
だが、そいつは変な夢を見ると言ってすぐ金庫に厳重にしまった。それから数日も立たずに彼は自殺した。そのことが恐怖を呼び、召使いたちはたいそうこれを恐れているのだとか。
これがレンズの色にまつわる
息子はますます興味をもち、眼鏡を一層愛用することを心に決めて、退役してヴァーモント州の自宅に戻ってからも常時身につけるようにしていました。
彼が戻ってから数カ月後、私は夫婦で息子の元を訪れる機会がありました。途中車でヴァーモントの豊かな自然を楽しみながら、ほぼ一日かけて彼の家へとたどり着きました。
息子は歓迎して私達を迎え入れてくれましたが、その際、私達は息子のあまりのやつれように驚かされることとなりました。
いったいどうしたのだと尋ねると、眠れないのだと話しておりました。
話を聞くと、毎晩悪夢を見るのだそうです。
勘のいいローソン殿であれば、何が原因かすでにしてお分かりのこととご推察します。
ただ、当時私はあの眼鏡のことなど知りようもなかったわけですから、息子のことを心配しながらも医師にかかるようにと忠告する程度にとどめました。
その後も定期的に手紙や電話などで連絡をとっていたのですが、息子の様子というものは日に日に悪化していくようなのです。
ある日の手紙によると、「この眼鏡は別の次元へと抜ける穴だ。かけると視力を通じて異世界とつながってしまうのだ」「奴らに存在を気づかれた。目が合ってしまったんだ。奴らの巨大な眼球。奴らはどうやってこちらの次元に入ってこようかを話し合っている」などと走り書きされていました。
またある日の手紙によると「次元を隔てる壁がどんどん薄くなっている。奴らは次元の壁を掘って、こちらに迫っている。日に日に、秒を追うごとに僕に接近しているんだ」
息子からの最後の手紙には身の毛もよだつようなことが書かれていました。
「奴らは僕ととなり合ったところにいる。薄紙一枚ほどの距離しかない。やつらのいやらしい笑い声が聞こえる。こちらをあざわらう冒涜的な声が。あいつらは天国などないという。我々の神はいないという。そう言いながら、時空の壁をその長い金属的な爪で引っ掻き、いまにも突き破ろうとしている」
この常軌を逸した息子からの手紙に、私は背筋を震わせました。そして大急ぎでヴァーモントまで駆けつけた私たち夫婦は、身体中のあらゆる血液を失いミイラと化した我が子と面会することになったのです。妻はこの時正気を失い、私も立っていられるのがやっとの状態でした。
板張りの床に息子のものと思われる血液が広がっており、そこに犯人と思われる足跡が残っていたのですが、それがあまりに理解を絶したものだったので私は驚愕しました。
足跡――紅葉型で、全長二フィートはありましたが――それはまるで巨大な鶏の足跡としか思えないものだったのです。
地元県警は容疑者の悪質ないたずらと断定したのですが、それ以外に足跡もなく、いかに部屋に入りいかに犯行を行ったのか突き止めるのが困難であったため、事件は迷宮入りとなって犯人は未逮捕のままです。唯一の手がかりは不可解なあの手紙だけなのです。
息子の命を奪ったものがなんだったのか、それを考えると日頃から理性的であることを心掛けている私の信念は、揺らいでしまうのです。
どうか私を安心させていただきたい。
この眼鏡をあなたに託し、少なくとも事件が非理性的な結論に堕すことを阻止していただきたいのです。
最後になりますが、息子の絵についてお話しします。息子は画用紙に夢の光景を絵にして残しておりました。それがどうにも私に嫌な想像を喚起させるのです。
別の封書に添付いたしました。
参考までに拝見いただきますようお願いします。
……私はもう一通の封を切った。四つ折りになった画用紙を広げ、その絵に描かれた名状しがたい光景に言語を絶することとなった。
絵は、あの日本の男の夢を忠実になぞったものといってよく、巨大で幾何学的な摩天楼が林立する光景が描かれていた。
そのビルの窓に、何か黒く塗られている箇所があり、不審に思って、目を凝らした私はそこに恐怖の存在を見出した。それこそが「都市住民」の姿であろう。
発達した上腕、被毛で覆われた下半身。足首から下は鶏のような紅葉形をしていた。そしてその顔にあるのは、四対の眼球。耳元まで裂けた長い口。
いかなる想像力がこういった幻想を発現いたらしめたのか、私は沈思黙考するが、それは芸術のあらゆる系統にも存在せず、また、あらゆる太古の文化にも通底していないことを痛感してしまうばかりだった。
ふと視線が羽目板の壁を向いた時、そこに巨大な空間が広がっているのが見えた。
疲れのあまり幻覚が見えたのかと思い目をこするが……それはまちがいなく存在した。
何千と立ちそびえる巨大な摩天楼――。それは日本の男が夢に見て、ヴァーモントの男が絵に残した、異次元の都市だった。
そう、私は好奇心から、手紙を読む最中にこの眼鏡をかけていたのだ。
そして、ああ、姿が見える。こちらに近づいてくる姿が……!
ああ、レンズの向こう、レンズの向こうに!
終わり
レンズの彼方の世界より 馬村 ありん @arinning
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