誘う私と、拒否る旦那様~白い結婚だと思っているのはあなただけです!~

遠堂 沙弥

第1話

「さぁ、どうぞ!」


 私は精一杯の色気を演出して、ベッドの上で仰向けに寝転ぶ。

 両手を広げて、両目をぎゅっとつむる。

 だけどいくら待っても触れてもらえない。

 やがて聞こえるため息と、微動だにしない私のすぐそばで沈むベッド。


「だから、それは無理だと何度も言ってるでしょう」


 申し訳なさそうに、遠慮気味に、だけどはっきりと拒絶する彼。

 私は不満たっぷりの表情でむくれた。


「だってアレン様、私達はまだ新婚なのですよ? 新婚夫婦がベッドですることといったらひとつではありませんか」


 私は詰め寄ったけれど、困った顔でいつものように拒絶するアレン様。

 結婚式を挙げてからおよそ半年。

 毎晩とは言わずとも、共に夜を過ごす度に私はこうして彼にお断りされていた。


「ノエルさん、これも何度も言っていますが私たちは」

「もういいです! それはもう聞き飽きましたので!」


 私はぷいとそっぽを向いて拗ねてみせた。

 自分でも子供っぽいってわかっているけど、何度も何度も夫婦としての初夜を断られて、私のプライドはズタズタなの。


「すみません、ノエルさん」


 そう言って甘い声で、優しい口調で、私の頭を撫でる。

 私が寝付くまで、何時間でもそうやって私の機嫌を取ろうとする。

 だから嫌なのよ

 大好き! めっちゃ好き! 愛しすぎて頭がおかしくなっちゃう!

 私はもうずっと前から、アレン・アーデルハイドという騎士様一筋なんだから!


 ***


 あれは私がまだ六歳にも満たない頃、両親と共に王都を訪れる道中での出来事だった。

 道を外れ、森に迷い込んでしまった私達。

 そこに突然現れた夜盗に襲われていたところを、近辺を警備していた騎士の一団に救われた。

 騎士団をまとめていたのは、アーデルハイド騎士団長。

 そう、アレン様のお父様だった

 私の父もまた高名な商人貴族、両家の親交が深まった時に結ばれた婚約。

 当時十歳だったアレン様をぜひ婚約者にと、アーデルハイド騎士団長から申し出があった。

 アレン様に会ったのは、婚約の取り決めをする顔合わせの時のみ。

 私は一目で、その美しい少年に心奪われた。

 見目麗しい彼のこともそう、でもそれ以上に優しくて、穏やかで。

 騎士団長を務めるお父様の名に恥じぬようにと、剣の腕を磨く彼の姿も素敵だった。

 一度だけ、初めて会ったその日に剣の扱い方を教わった時は、とてもドキドキしたものだわ。

 それからアレン様が練習する姿を見せてもらって、剣を振る度に飛び散る汗がキラキラと光が舞うような光景を、今も忘れることが出来ない。

 王都で暮らす彼と、辺境の田舎町に住む私。

 遠く離れた地で、私は彼の迷惑にならない頻度で手紙を送り続けていた。

 そしてアレン様も必ず返事をくださった。

 いつか大きくなったら、私はこの初恋を実らせることが出来る。

 彼の妻になれる日を指折り数えて過ごしていた。

 ……けれど。


 王都からの不幸な報せ。

 にわかには信じられない内容に、私も……私の父も混乱した。

 アーデルハイド騎士団長による、王妃暗殺の疑惑。

 当然、アレン様のお父様は否定し続けた。何者かによる罠だと。

 私の父も必死に訴えかけたけれど、結果……大罪人として処刑されてしまった。

 不幸はさらに続く。

 職務を全うすることで多忙だったアレン様のお父様は、滅多に家に帰ることがなかったそうだ。

 その寂しさを紛らわせるために、アレン様のお母様は不倫をしていたという。

 アーデルハイド騎士団長の処刑前日に、こともあろうに不倫相手と失踪してしまうという。一人残されたアレン様。その時、彼はまだ十五歳だった。

 成人の儀式を行って、正式に騎士となる直前の出来事だったそうだ。

 風当たりが強く、世間からは落ちぶれ騎士として、その評判は地に落ちる。

 私は居ても立っても居られず、彼に手紙を送ることで無事を祈った。

 だけど返ってきた返事は……婚約を白紙に戻すというもの。

 そんなことを望んでいない私だったけど、商人貴族として損得勘定が得意な父はその提案を受け入れようとした。

 私はそれを断固拒否。絶対にそんなこと認めない。

 父を納得させるために、そしてアレン様にも心配しなくていいんだと。

 私は自分に出来ることを探した。


 ***


『また拒否られたの? ノエルの魅力が足りないだけじゃない?』


 私がハーブ菜園で手入れしていると、愛らしい声が聞こえる。

 この声は私にしか聞こえない。

 だからこの子に話しかけられた時は、周囲に誰もいないことを確認してからでないと。

 私は不自然に見えないよう、きょときょと見回し、それから私のすぐそばで飛んでいる女の子に返事をした。


「妖精にはデリカシーとか、そういうのはないの?」

『私は事実を言ってるだけだわよ』


 生意気なこの妖精は、リルル。

 このハーブ園に住んでいる妖精。

 そう、私は幼い頃から妖精や精霊といった不思議な存在と意思疎通することが出来た。

 声も姿も、他の人間にはわからない。

 両親にも話したことがない、私だけの秘密。

 この力で私はハーブ園をこんなにも大きく、有名にすることが出来たの。

 全ては管理しているリルルと、精霊さんのおかげなんだけど。

 一応私の特別な魔力を糧として力を貸してくれるから、お互いに協力関係にあるといった感じ。


『誰のおかげで騎士としての名誉が復活してると思ってるのか』


 リルルの言葉に、私は厳しい顔を向けて前言撤回させる。

 その言葉だけは許せないから。


「アレン様の努力と、誠実な対応のおかげに決まってるわ」

『でもそれも全部、このハーブ園で採れた差し入れが評判よかったからじゃない』


 アレン様は名誉を回復させるため、騎士としての地位を安定させるため、努力を惜しまなかった。

 誰もが嫌がる仕事を自ら名乗り出て成果を挙げたり。

 最近巷で増えている婦女子連続殺人事件の犯人捜しの為に、そこら中を駆け回ったり。

 色んな貴族や騎士の家に挨拶へ行ったり。

 その時の手土産として、特製のハーブをアレン様に持たせたことも一応役に立ったわけだけど。


「私のハーブのおかげだけじゃない。このハーブは、リルルが毎日丁寧に魔力という栄養を注いで、しっかり成長させてくれたおかげ、でしょ」


 私はリルルを褒める。

 するとお調子者のリルルはご機嫌になって、さっきまで非難的だったアレン様への悪口が収まる。


『まぁね~、これでもちゃあんと頑張ってるんだから当然わいさ』


 あとは、そう。

 せめてアレン様が自らを恥じて、私なんかに必要以上に気を使ったりしなければ……。


「やっぱり……、私には女としての魅力はないのかな」


 ぽつりとつぶやく。

 こんなに頑張っているのに

 家柄とか、引け目とか、世間体とか、そんなもの関係ない。

 私たちは夫婦になったのだから、二人一緒に乗り越えればいいだけなのに。

 そう思っているのは私だけ……。

 アレン様は私が夫婦の営みを求めた時、決まって必ず口にすることがある。


 それは婚約を白紙に戻そうとしたアレン様と、会って話をするために二度目の再会をした時だった。

 アレン様の家は荒れていた。

 汚名を着せられたことにより、使用人は姿を消して、忠実な者だけが数人残ったお屋敷。

 お父様は冤罪によって命を落とし、お母様は失踪なさった。

 それをまだ十五歳のアレン様はどんなにつらかっただろう。

 つらい中での決断だったに違いない。


「もう僕には何も残っていません。僕とノエルさんが結婚しても、ノイシュタット家には何の利益も生じません。ですから、ノエルさんとの婚約を白紙にすることを決意いたしました」


 彼の言葉に食い下がったのは私だけ。

 その場にいた誰もが目を丸くして、驚いていた


「私は嫌です! アレン様と結婚出来る日を、今か今かと待ち望んでいた私の気持ちはどうすればいいのです!? 私はこんなにもアレン様のことをお慕いしてます! 愛しています! 利益が必要だというのなら、私がその利益を生み出してみせますから! だから結婚の約束をなかったことになんてしないでください!」


 当時十一歳の子供が言い放った言葉は、ただのわがままとしてみんなの目に映ったことだろう。

 でも私は本気だった。命がけだった。

 だから私は持てる力を、利益を生み出す力にしようと思った。

 結果的に、それは大成功を収めた。

 自然には必ず精霊や妖精が宿っている。

 私は彼らに魔力を分け与え、菜園を整える仕事を始めた。

 庭師として多くの庭の手入れを行い、それぞれの庭園や菜園に住まう精霊や妖精に管理を依頼する。

 見返りは私の持つ魔力。

 妖精や精霊にとって、私の魔力は栄養源であり極上のごちそうみたい。

 そうやっていくつもの庭園を手入れしながら、貴族のお屋敷にある庭園なども請け負うようになった。


 自立すら出来るほどになった私は、父親を屈服させることに成功した。

 家を出て行くより、お嫁に出せば私の庭師としての知名度を手元に残しておけるから。

 そうして私はアレン様に見合う妻になれると、そう思っていたけれど……。

 アレン様は頑なだった。


「君の才能は君だけのものだ。それこそ私は君の夫として相応しくない」


 どうしてそんなことを言うの?

 ちょっと自分のことを卑下しすぎじゃなくて?


「そんなに私との結婚を望んでくれるのならば、こうしよう……。君と私との結婚は、白い結婚だ。世間的には婚姻関係を結ぶけれど、君は純潔を守るように。そしていつか私に愛想を尽かして、他に愛する男を見つけたのならその人に捧げるといい」


 ちょっと何を言ってるのかわかりません。


「君のような素敵な女性が、私と結婚するなんてもったいない。君には私なんかよりもっと幸せにしてくれる男が現れる。こんな落ちぶれ騎士なんかと離婚したところで、君の汚点にはならないよ。むしろ私を不甲斐ない夫だと捨ててくれて構わないから」


 それはさすがに自分を下に見すぎですってば。

 だけどアレン様はネガティブモードに一度入ってしまうと、とことん自分を最低のクズ人間として認定してしまうところがある。

 私が初夜を求める度に、アレン様はこのモードに突入してしまう。

 連戦連敗、何を言っても私の旦那様は私に手を出してはくれなかった。

 だからリルルが言うことも、本当はわかっているの。

 ここまで頑なに手を出さないということは、きっと私はアレン様の好みとは程遠いんだろう。悔しいけれど、女としての魅力も感じないんだわ。

 せめてアレン様が、自分を蔑む原因を取り除くことが出来れば……。


 ***


 アレン様が勤務中の間、私は各庭園を訪れては手入れを……つまりその庭園に住んでいる妖精に魔力を与えに行っている。

 剪定したり、顧客の要望に応じて植え替えたり。そういった作業ももちろんこなしているけれど。メインはあくまで妖精に会うこと。

 侯爵家の庭園も、私の噂を聞いて依頼をしてくれるようになった。

 アレン様との結婚前からのお得意様になり、結婚後も私は旧姓のまま。

 それは侯爵家だけじゃなく、依頼を受けている顧客全員。

 私が庭師として活動を始めて、およそ五年。

 ようやく実を結ぶことが出来た。


「シェリル、ごきげんよう。調子はどうかしら」


 アインバーグ侯爵家の庭園に住んでいる、ゲラニウムという花の妖精。

 紫色の髪で愛らしい見た目だけど、反面とても強気な性格をしている。


『ノエル! ついに尻尾を出したわよ!』

「……っ!」


 どこかへ案内しようと飛んでいくシェリルを追いかけていく。

 やがて私が管理している庭園を出て、裏庭にたどり着いた。


「こんな所にも庭が……。一応手入れされているみたいだけど、どうしてこの庭も私にお願いしてくれなかったのかしら」


 依頼料はそれほど高額にならないように、私がそう設定したはずなのに。

 低額・高品質が売りだから、私の評判がすぐに広まったというところもある。


「私に触れさせたくなかった……?」


 考え込んでいると、シェリルがある区画に咲いている花に注目させた。

 見てみると、そこには各地で栽培されている多年生草本植物が。

 ピンク色の花は初夏から夏に咲いて,紫褐色で釣鐘状に下垂している……その植物の名前は――。


「ベラドンナ……」


 確かにこの植物は、庭にあっても別に不思議じゃない。

 扱いにさえ気を付けていれば。


「猛毒の植物が、どうして侯爵家の裏庭に……」


 狼狽えていると、背後から声をかけられた。

 私は驚いて振り向く。

 そこには侯爵家の長男、アーノルド様が笑顔で立っていた。


「やぁ、君は父上が雇っていた庭師……だよね?」

「はい、申し遅れました。ノエル・ノイシュタットと申します」


 恭しくお辞儀をして名乗る。

 アーノルド様がすぐ目の前まで来て、私は思わずあとずさりしてしまった。


「何をそんなに怯えているのかな」

「いえ、その……。管理を任されていない裏庭に入ってしまったので……、えっと」

「責められると思った?」

「……はい」


 震える手に気付かれないよう、私は平然を装った。

 そんな私の耳元でシェリルがずっと喚いている。


『こいつよ! この男が王妃殺しの犯人よ! あたし聞いたんだから!』


 わかってる。

 タイミング良く私に接触したのも、きっとベラドンナのことに勘づかれたと思ってのことだわ。


『早く逃げて!』


 ***


「いたた……」

『やっと気が付いた!』


 後頭部に激痛が走っている。

 私は痛む場所に手を当てながら、どういう状況になったのか見渡した。

 石造りの個室、まるで牢屋だわ。


『よかった、もう! 心配したんだからね!』


 見るとシェリルがずっと、私のことを心配してくれていたみたい。

 泣きそうな顔で私にしがみつく。

 私はよしよしと撫でて、一体何があったのか訊ねた。

 シェリルの話によると、私に詰め寄ってきたアーノルド様の合図で背後にいた人物が私を殴って気絶させたそうだ。

 それから私はこの地下牢に閉じ込められて数時間が経過したと。

 ジャケットのポケットに入れていたはずの懐中時計がない。

 あちこち探るけど、身に着けていたものが全て……衣服以外取られていた。

 私は恐ろしくなりながらも、この先どうなってしまうのか考える。


「私が帰らないことは、お屋敷のジェフさんが気付いてくれるはず……」


 ジェフとは数少ない、アレン様に尽くしてくれる執事。とても有能で、彼もアレン様のお父様の無実を信じて疑わない。

 きっと私に何かあったと心配して捜索を、あるいはアレン様に伝わっている頃合いだわ。

 私は考える。

 これまでのこと、今まで手に入れた情報を。

 隣でまだ泣いているシェリルに、他の庭園の妖精にも助けを求めると言って地下牢から出て行ってしまった。

 私が閉じ込められている個室には、天井に近い部分に小窓が見える。人間の大きさでは到底出入り出来ないような、そんな細長い小窓が開いたままになっていた。

 シェリルはそこから外へ。

 私はとにかく落ち着くように努めた。

 きっと大丈夫、有能なアレン様のことだから……きっとすぐに助けが来るはずだわ。

 そう思った矢先、扉を開ける音と廊下を歩く靴音がこちらへ向かって来た。

 見るとアーノルド様が歪んだ笑みを浮かべて立っている。


「他人の敷地に勝手に入るものじゃないよ、お嬢さん」

「アーノルド様、私をここから出してください。そうすれば私は何も」

「言わないってのは嘘だね」

「……っ!?」


 腕組をして、座り込んだ私を見下し、話を続けるアーノルド様。

 それは今まで私が集めてきた情報の集大成、答え合わせ、解答だった。


「ノエル・アーデルハイド……。あのアーデルハイド騎士団長の、愚息の妻だとはね」

「知って……いたのですね」

「バカなあいつは、ここにも丁寧に挨拶をしに来たからね。念のため調べておいたのさ。何かを探るのなら、自分の素性はもっと巧妙に隠すべきだ」


 私の目の前にいるのは、貴族の……侯爵令息じゃない。

 数々の婦女子を死に追いやった死神だ。


「ベラドンナは……、葉の汁を目薬にして目を大きく美しく見せるために用いられる。だけどベラドンナの葉や根には、アトロピンと呼ばれる成分が含まれているわ。この成分には瞳孔を拡大する散瞳作用があるけれど、確かな知識を持つ者でなければこれはただの猛毒でしかない」


 アーノルド様から微笑みが消えた。

 私は構わずに続ける。

 わかったことを、彼に答えが合っているかどうか採点してもらうために。


「目が大きく美しく見えるようになるのは、このアトロピンの作用によるもの。美への執着が強い女性は、このベラドンナによる目薬を欲しがって……自ら進んで点眼したのね。ここ最近増えている婦女子連続殺人事件……」


 私は怖くて震えていた。

 でも意を決して、続きを話し続ける。

 シェリル……、リルル……、早くと願いながら。


「それはズブの素人が作ったベラドンナの目薬を、大きく美しい瞳を得たいと願う女性に点眼したもの。目に直接猛毒を流し込み、その女性は死に至った……。何人も何人も。そしておそらく最初の被害者は……、王妃様だった」

「……なぜ知っている。どこで聞いた!?」


 鉄格子を乱暴に腕で叩くアーノルド様。

 大きな音が地下内部で響き渡った。

 私はアーノルド様から視線を外さず、まっすぐに見ながら答える。


「事件を担当なさっているのは、私の夫……アレン・アーデルハイドです。本来なら口外してはならない秘匿情報ですが、被害者の年齢層が私と同じくらいだった……。そうして心配したアレン様が、事件の特徴を教えてくれたんです。……身を守るようにと」

「はっ、それで事件に首を突っ込んでいたら世話ないな」


 その言葉を聞いて、私にはもう確信という言葉しかない。

 自白そのもの。


「では、五年前に王妃様にベラドンナの目薬を渡して殺害、それをアーデルハイド騎士団長に罪をなすりつけて処刑させた……というわけでよろしいんですね」


 すっかり笑顔がなくなったアーノルド様は、自分が優勢であることを信じ切っているのか。もはや殺人鬼の顔を隠すことすらしなくなった。

 冷酷な表情が現れる。冷たい、感情のない顔をした侯爵令息……。

 いえ、婦女子連続殺人鬼の素顔が。


「君も女なら理解できるだろう? 女性の美への欲求は計り知れない。それが例え猛毒で出来たものだとわかっていても、確かな効果が表れると言えば誰もが欲した。俺はその欲求に応えてやっただけだ」

「……わかりませんわ。毒とわかっているものを欲する女性たちが、ではありません。その欲求に応えようと自ら犯罪に手を染めるあなたの真意は? なぜそんなことを?」


 女性から大金と引き換えに渡していたのでしょうか?

 私が庭園を渡り歩いて得られた情報は、被害に遭った女性に関する噂話。

 そしてアーデルハイド騎士団長様の、アレン様のお父様の名誉を傷つける人物の特定が関の山でした。

 当然ながら犯人に関する手掛かりはほとんどなく、せいぜい五大貴族の誰かと接触があった……ということくらい。

 だから犯人側の目的が全くわからなかった。

 アーノルド様は再び笑みを浮かべるけれど、それは恍惚に満ちた微笑み……。

 髪をかき上げ、酔いしれるように語り出す。


「君は見たことがないだろう?」

「……何を、ですか」

「ベラドンナの目薬をね、こう……女性の瞳に俺がさすわけ。無防備に大きく見開いて、何の警戒心もなく。そこに一滴二滴、眼球にさした瞬間。もちろんたったそれだけさした程度で、いきなり瞳が大きくなるわけじゃない。だがベラドンナは猛毒だ。暴れ出す女性を押さえつけ、ゆっくり……ゆっくりと瞳孔が開いていく瞬間を、最も間近で観察出来る特別感。死ぬ瞬間をじっくり眺めることがこれほど興奮するなんて思わなかったよ」


 ぞっとした。

 この人は異常だ。人の死を眺めることに快感を覚えるなんて。


「それを教えてくれた王妃には感謝しかないよ! 最初はびびったけど、誰にもバレることなく難を逃れることができた。そしてうまくアーデルハイドに罪をなすりつけることにも成功。暇で仕方なかった日々に、ようやく色が付いた瞬間だった」

「なんて人……っ! でも、どうやってアーデルハイド騎士団長様に罪を……?」


 そこが最も知りたいところだった。

 アーデルハイド騎士団長の無実を証明することが出来れば、アレン様ももうあんなに自らを卑下することがなくなる。

 私たちの夫婦生活を円満にさせることが出来るように……っ!


「そんなのは簡単さ、本人の愚妻を使えばどうとでもなる」

「……なん、ですって?」


 愚妻?

 今、そう言った?

 それはつまり、不倫相手と失踪した……アレン様のお母様?


「バカな女だよ。ちょっと誘ったらすぐに体を差し出した。あのお堅い騎士団長は、仕事に熱心すぎて夜の相手をさぼりすぎたせいだね」


 侮辱するのはやめて……。


「トントン拍子に事がうまく進んだのは、犯人の妻の証言と証拠さえあれば面白いくらいにみんな信じてくれたよ。あのババアも俺の言う通りにすれば、財産の半分は自分のものになって俺と一緒になれるよって言ったらさ。意気揚々と長年連れ添った夫を簡単に売ったよ。いや、女は怖いね」

「やめてください! もうわかったから!」


 そう叫んだ瞬間、アーノルド様は恐ろしい形相に変わった。

 右手に持っている瓶のようなもの。


「君も綺麗にしてあげよう」


 ベラドンナの目薬……!?

 鉄格子の扉の鍵を開けて、中に入って来る。

 私は立ち上がって部屋の隅へと逃げた。だけどアーノルド様は面白がるように、じりじりと私を追い詰めていく。

 隙をついて開きっぱなしの扉から逃げ出そうとしたけど、その前には一人の男が立ちふさがっていた。

 きっとこの人が私を殴って気絶させた人物に違いない。

 この人に助けを求めても無駄だろう。

 私は牢屋の壁にへばりつくように背中を付けて、後ろに下がっていく。

 迫って来るアーノルド様。

 するとシェリルが出て行った小窓から、ひらひらと花弁が舞いながら入ってきた。

 一枚、二枚……次々と。


「なんだ?」


 ピンク色の花弁がアーノルド様にまとわりつくように、ひらひらと舞い続ける。

 これは……。


『お待たせ! 大丈夫だった!?』

「シェリル!」

「誰だ? なんのことを言っている!?」

「坊ちゃま、大丈夫でございますか!?」


 よく見ると、花弁を操っているのは精霊だった。

 キラキラと輝く小さな蛍の光のように、アーノルド様の周囲を縦横無尽に飛び回る。


「ベンジャミン! 助けろ!」

「そこまでだ!」


 え……っ?

 その、声は……。


 振り向くと、ベンジャミンと呼ばれた使用人らしき男に剣を突き付けて動きを制している――アレン様がいた。


「アレン様? どうして、ここに……?」

「ノエルさん! 早くこっちへ!」


 そう叫ばれ、私は駆けて行こうとした瞬間。

 腕を掴まれた。骨が折れそうなほどに強い力で掴まれて、私は短い悲鳴を上げた。


「くそっ、どうしてここが!」


 そう言って私を人質に取ったつもりだろうけど、それはきっと無駄なあがきだ。

 なぜならアーノルド様にまとわりついている花弁は……。


「うっ、なんだ……体が……?」


 ピンク色の花弁は、裏庭に咲いていたベラドンナの花弁だから。

 直接触れるだけでも有毒とされる。

 力が抜けた腕から逃れ、私はアレン様の元へ走って行った。

 共犯者をもう一人の騎士に託し、私を抱きとめてくれたアレン様。


「ノエルさん、無事でよかった。他に怪我は?」

「大丈夫です。それよりも、どうしてここがわかったのですか?」


 アレン様には精霊や妖精の姿は見えないし、声も聞こえない。

 それなのに、どうしてここがわかったんだろう。

 アレン様も戸惑った様子で、自分でも信じられないといった風に話してくれた。


「不思議な現象があってね。君が戻らないことをジェフから聞いて、どこをどう探したらいいのか狼狽していた時……庭園で奇跡が起きたんだ」

「奇跡?」


 私を助けるために出て行ったシェリルが、アーデルハイド家の庭園を管理しているリルルに伝えてくれたのだとすぐにわかった。

 でもどうやって伝えたのかわからなかった私は、アレン様の言葉で納得がいった。


「君が丁寧に手入れしていた庭園の花々が、風もないのに宙を舞っていた。そう、さっきアーノルド・アインバーグを翻弄した花弁のようにね。それが文字を紡いだんだ。何を言っているのかわからないかもしれないが、私は君が心を込めて手入れをしてきた植物たちが、君を助けるために奇跡を起こしてくれたとしか思えなかった」


 そうしてその花々によるメッセージ通りに向かった先で、今度はアインバーグ家の庭園で咲き誇っていた花弁が道案内をしてくれた……というわけらしい。


「とにかく無事でよかった。本当に」

「アレン様……」


 私は全てを話して聞かせた。

 命に別条のなかったアーノルド・アインバーグは連行され、全ての罪が明らかとなる。

 アーデルハイド騎士団長の冤罪も証明され、滑稽なくらいに手の平を返す周囲の者たち。

 心にもやつきはあるけれど、それでもお父様の無実さえ伝われば。

 アレン様はもう犯罪者の息子なんかじゃないと、そうわかってくれれば私はそれでよかった。


 ***


「さぁ、どうぞ!」


 もうアレン様の憂いは晴れたはず。

 負い目も何もないはず。

 だから初夜を! 私のことを、心も体もあなたの妻に!


「ノエルさん、これはまだ……言ってなかったことだけど」

「またそういうことを言うんですか!?」


 私は毎晩のように繰り返された言葉をまた聞かされるのかと思って、反射的に言い返した。だけど、いつもとセリフの出だしが違ったような?

 見るとアレン様は顔を真っ赤にして、私から視線を懸命に逸らしていた。


「ノエルさんがそうやって私を口説くのに、……何も感じてなかったとお思いですか」


 アレン様の言葉に、私はいつも「私に女を感じないのですか?」「魅力がないですか?」「好みのタイプではなかったですか?」と、ひたすらに追及していたことを思い出す。


「いえ、あの……私も焦っていたと言いますか。女が求めていることがなんだかはしたない気がして、それをひた隠すために他に理由を見つけようとしていて……ですね?」


 私までなんだか恥ずかしくなってしまって、顔を伏せようとしたら頬に触れられ唇に何かが触れた。

 すぐ目の前にはアレン様の綺麗で凛々しいお顔。

 私が一目惚れをして、一途に恋焦がれた初恋の人の顔が、唇が……重なって?

 すぐにぎゅっと抱きしめられ、いつの間にかアレン様のターンになっていた。


「私はずっとあなたをこの手で抱きたいと思っていましたよ」

「えっ、ふぇっ!? そう、なのですか?」

「父の無実を信じていても、世間は許さない。それに君を巻き込みたくなかった。だから君を汚してはいけないと……ずっと欲求を抑えていました」


 そのままベッドに倒れ伏して、アレン様は私に覆いかぶさる形で体を起こして見つめ合う。胸がドキドキして呼吸さえままならない。私、うまく呼吸できてる?


「本当はずっと恋人がするように手を繋ぎたかったし、事あるごとに抱きしめたかった。騎士団の詰め所に行く度にキスで見送ってほしかった。帰る度に君のキスで出迎えてほしかった。毎晩、君との愛を育みたかった」


 アレン様がずっとしたかったことを次々と聞かされ、私はそれを聞いて恥ずかしくなるばかりだ。

 どれもが私が望んでいた夫婦生活だけど、ここまで密度が濃いものはちょっと想定していなかった。


「だから、今夜が来ることがとても怖かったんです」

「怖い……? どうして」


 そう言ってまた視線を逸らし、白状するように告白するアレン様。


「父の無実が晴れ、もう君に対して引け目を負うことがなくなったと実感した時からずっと……私は、君のことを抱くことしか頭になかった」


 悔やむように、絞り出すような声で言う。

 まるで懺悔のような言い方に、ちょっと笑いそうになった。


「自分がこんなに欲望に溺れるような男だとは思わなかった。でも……私も一人の男なんです。ノエルさんだけを愛する、性欲まみれの男なんです」


 それが罪深いかのように言い放つアレン様の頬を両手で包み、私はキスした。

 笑顔で、アレン様がまたネガティブモードに入らないように。

 全てを受け入れる覚悟で、アレン様を優しさで包み込もうと思った。


「私は初めて会った時からアレン様だけなんです。私の方が先輩なので、遠慮しないでたくさん愛してくれて構わないんですよ」

「ノエルさん……っ!」


 彼の言っていたことは、嘘偽りがなかったみたい。

 少しだけ不慣れで、不器用な……。

 お互い初めて同士なのだと、そう思わせるような……もたついた行為。

 それでも私は幸せで満ち溢れていた。

 ようやく初夜を迎えた不器用な夫婦が、やっとベッドでひとつになれたのだから……。

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誘う私と、拒否る旦那様~白い結婚だと思っているのはあなただけです!~ 遠堂 沙弥 @zanaha

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