狙撃手は眼鏡をかけない

いいの すけこ

日常の終わりと眼鏡

(痛い)

 抜けるような青空。太陽の位置はわからないけど、真上じゃないと思う。光と色はわかる。外気にさらされてることも。あとわかるのは、全身が痛いということ。それ以外は何もわからない。

 一体全体、何が起きたのか。

(屋根が、ない)

 春の日の土曜、気持ちのいい朝。私は惰眠を貪っていた。学校はお休み、バイトの予定もない。心ゆくまで朝寝を堪能していた、のに。

 突然の衝撃に襲われた。

 強烈な揺れと轟音と、私は飛び起きることすら出来なかった。なにか大きな力に、ベッドごと地中に引きずり込まれるような気がした。

 あれはきっと、一階が崩れたのだ。

 私の部屋は二階で、しかも屋根は吹っ飛んでいて、だから押し潰されずに済んだ。

(おかあさん、おとうさん。ペロは)

 ベッドの周りを埋め尽くすのは瓦礫の山。

 人の声は、気配はしないか。私はなんとか上半身だけでも起こして、辺りを見渡し、気づく。

「眼鏡」

 視界が滲んでいた。

 眠る時に外した眼鏡がない。

 いつもどおり、そのまま枕元に置いた眼鏡。手探りで探そうと手を伸ばし、すぐに辺りは木材やガラスの破片だらけであることに気づいた。

 お母さんはいつも言っていた。外したらケースにしまいなさいって。寝てる時に地震なんかが起きて、眼鏡が壊れたらどうするのって。

 お母さんは正しかった。

 お母さん、これ、地震かな。それともなにかの事故かな事件かな。

 涙が溢れそうだった。

 目が痛い、塵が酷い。

 怖い。


「ボサっとしてないで早よ逃げろ!」

 空から、声がした。

 直後、がしゃんと瓦礫を踏み潰す音がして、なにかが降ってきた。

 ほぼ目の前、多分学習机があったところ。瓦礫の山の上に人がいた。砂煙とともに、低い姿勢からゆっくり立ち上がる。なんだか着地の姿勢みたいに見えて、空から飛んできたか、飛び跳ねてきたんじゃないかなんて思った。

「どうした、怪我でもしてんのか」

 少し荒っぽい口調で話す声は、男の人のもの。若い、もしかしたら同い年くらいかもしれない。ぼやける視界じゃ何も分からなくて、私は目を凝らした。

「怪我じゃないんなら、とっとと行け」

 明らかに機嫌の悪い声に、私はどうしていいかわからなくなってしまう。

「でも、目が。目がよく見えないんです」

「目え、怪我したんか」

「眼鏡が、なくて。たぶん潰れて」

 目が見えなければ何もわからない。

 この人がどんな人かも。周りや家がどうなってるのかも。家族がどこにいるのかも。

「やる」

 泣き崩れそうになる寸前、座り込んでいた膝元になにかが投げられた。簡潔な言葉とともに降ってきた、軽い感触のそれに手を伸ばす。馴染み深いこの形、でも少しだけ歪で、不格好なような。


「眼鏡……?」

「俺んだけど、いらね」

 どうやらこの人の眼鏡を貸してくれたらしい。ぶっきらぼうながら、助けようとしてくれているのか。その気持ちはありがたいけど、でも。

「度数が合わないんじゃ」

「かけたら勝手に合う。そういう機能がついてんだ」

 言われるままに渡された眼鏡をかける。なんだか少し重たかった。瞬きをして、恐る恐るレンズの向こうの景色を確認する。

「わ」

 ぼやけたのは一瞬。

 すぐにピントが私の視力に合わさった。眼科の検査で覗き込む、あの機械。あの中の気球にピントが合う時みたいな感覚だった。私の眼球が合わせたのではなくて、まさしく眼鏡の方から合わせにきたような。

 レンズの上だけ繋げた、ハーフリムのフレーム。私の愛用の眼鏡と比べて、ずいぶん幅が広くて厚みのあるツル。右のツルには小さな長方形の箱というか、パーツのようなものが付いていた。例えるなら、USBみたいな機械っぽい部品。

「見えるな。それやるから、逃げろ」

 その人の声に、ようやく姿を確認する。

 やっぱり私と同じくらいの男の子だった。この近所の学校では見ない学ランを着ている。後ろ姿だから、顔は見えない。男の子は真っ直ぐ右腕を伸ばし、人差し指の先を遠くに向かって突きつけていた。


「ひっ……」

 彼の指が指す方向に視線を向けて、私は息を飲んだ。悲鳴すら上げられなかったと言うのが正しいかもしれない。

 遠く、壊れた家々の先に多量の足が蠢いている。赤黒いたくさんの足を、長い蛇腹の胴体から生やした怪物が空を泳いでいた。巨大な百足のようなその怪物が体をくねらせる度に、腹が壊れた家を擦って砂煙が上がった。

「あれがあんたの家と、この辺り一帯を吹き飛ばしたヤツな」

 そんな、そんな馬鹿なこと。

 だけどクリアな視界を取り戻した私の目には、恐ろしい化け物と瓦礫の山が写っている。

 眼鏡のレンズは遠い怪物の姿を大きくし、はっきり見せた。まるでカメラのズーム機能みたいに。いっそ映画とか、VRだとか思いたい。

 こんなの現実だなんて、信じたくない!

『カズホ!』

 思わず目と、耳までふさごうとしたら、耳元で突然大きな声が響いた。

『アンタなんで眼鏡グラス外してんの!』

 眼鏡のツルに触れたら、かすかな振動を感じた。どうやらこの声は眼鏡から聞こえているらしい。スピーカーでも内蔵されているんだろうか。ウェアラブル端末ってやつか。

『おかげでアンタの生体反応、途切れたんたですけど?ってかこの生体反応は誰よ!』

 生体反応。

 耳慣れない言葉だけど、生きているってことだ。

 私は生きている。こんな状況でも。あの男の子も。

『応答なさい、カズホ!』

「あの」

 マイクがあるのか分からなくて、それでも話しかけてみる。

「この眼鏡、貸してもらいました。私は眼鏡が無くて、家が、潰れて。助けてもらったんです」

 一瞬、声を詰まらせたような音を拾った後、眼鏡から小さなため息が聞こえた。


『……状況はわかりました。市民の方ですね。お怪我はありませんか。その場から避難できますか』

 さっきとは打って変わって、冷静な女性の声。私も気持ちを何とか落ち着いて答える。

「眼鏡がないと、つらいです。でも眼鏡、カズホさん? に返した方がいいんですよね」

「いらねえ、邪魔」

 男の子――カズホというらしい――はこちらに目線もくれず、すげなく言い捨てた。きっと彼の目と指先は、ぐねぐね宙を這い回る怪物を一心に捉えている。

「……って言っといて」

「ええ……」

「よろ」

 私の戸惑いの声は無視された。私に見知らぬ人同士を、取り繕うことなどできようか。

「……あの、眼鏡、邪魔だそうです」

『カぁーズホぉぉ! アンタねえ、魔法単独で使う無茶、いい加減やめなさいよ! 今どきの魔法は、科学と文明と最先端技術の合わせ技で成り立ってるって、何度言えば理解するの!』

 え、今のこの複雑な内容も私が伝達するの?

 だって魔法って、なに?

『人間の目にはね、照準器スコープなんてついていないの! 的がでかいって言ったって、何百メートルって離れてて動いているものの急所、裸眼のままピンポイントで狙撃できると思う?』

 言ってることはよくわからない。伝えられる気がしない。けれど彼が何度も腕の位置を変えて、ふらつく指先を調整しているのがわかる。

 何をするつもりなのかは知らないが、カズホさんが身一つであの怪物に対抗しようとしているのは理解した。

『カズホの魔法の威力は頼もしいよ。だからこそ眼鏡グラスで足りないものを補ってほしい』

 眼鏡のレンズに、円と十字、目盛りのようなものが浮かび上がった。

 これが照準器スコープってやつか。


「あの、カズホさん。やっぱり眼鏡返します」

 立ち上がって声をかけても、カズホさんは振り返らなかった。怪物に集中しているのだろう。そっと隣に近づいて、顔をのぞき込む。ほんの少しだけ、どんな顔をした人なんだろうと興味を抱いて。

「……っ」

 ようやく顔を見られて、そのまま声を失う。

「あの」

 声が震えた。眼鏡越しに女性に話しかける。

「カズホさん、眼鏡あっても、駄目かもです」

『は……?』

 訝しむ女性には答えず、私はカズホさんに問うた。

「カズホさん。それ、目、見えてますか」

「……ギリギリ見えてんよ。すっげえ霞んでるけど」

 カズホさんの黒目に、白い靄がかかっていた。

 我が家のおじいちゃん犬、ペロみたいな目だった。

「あのクソデカ百足、変な毒を持ってやがった」

 カズホさんの瞳は怪物を捉える。睨みつけるように、目を細めて。

「これなら見るより、感覚でブチ込んでやった方がマシだ」

 カズホさんは震える指を怪物に向けた。

 レンズに浮かんだ照準マーク越しに怪物を見る。カズホさんの指先は、マークから大きくブレていた。

「駄目!」

 私はカズホさんの右腕に飛びついた。

「なっ!」

 そのまま抱きつくようにして、カズホさんの右肩に頭を乗せる。


「あの、眼鏡の声の人! 私の掛けてる眼鏡の映像って、そっちで見えるんですか?」

『眼鏡の声の人って、え、私?』

「です!」

『えーと……まあいいわ。映像、見えてるよ。レンズに収まってる範囲はね』

 押さえつけたカズホさんの腕が逃げようとしてる。離すまいと、私はさらに力を込めた。

「そっちから照準合わせる指示下さい! 私の頭一個分、考慮して!」

「おいおいおい、マジかよ無茶じゃね?」

『それは……』

 眼鏡と繋がる誰かの、躊躇うような息遣いが聞こえる。

「おいおいおい民間人だぞ」

 それなら学ランのあなたは何なんだろう。どうやら怪物と戦う魔法使い、であるらしいけれど。

『……やってみましょう。カズホの感覚だけに任せるよりはまだマシだわ』

「はい!」

「ああああマジかよこいつら!」

 カズホさんに腕を振り払われた。逃げられる、と思ったら。

「やるならとっとと指示よこせ!」

 解いた手で、ぐいと頭を引き寄せられた。より頭を近づけて、お互いの視線の誤差を少なくする。

 体温が伝わる距離。緊張はそのせいじゃない、はず。

「……よろしく頼むな」

「はい」

 カズホさんが、怪物に指先を突きつける。まるで銃を構えるように。

 彼は怪物を仕留める銃。

 私は照準器スコープ

 レンズの照準を怪物に絞る。眼鏡からの声で細かな指示が入り、カズホさんは指先の狙いを定めていく。私の頭一個分を計算に入れて、照準の位置と私たちの視線、カズホさんの指先がぴたりと一点に集中した。

『撃て!!』

 カズホさんの指先から、光の矢が放たれた。光の弾道を描いて、魔法とやらが怪物を貫く。私はその威力にただ呆然として。怪物が粉塵を巻き上げながら倒れるのを、夢とも現実ともつかない心地で見つめていた。



 ***



「はい、新しい眼鏡」

 お母さんから手渡された赤いケースを、私は避難所のホテルで受け取った。

 怪物襲撃からひと月が過ぎていた。

 あの後のことはあまり覚えていない。私は救助隊、なのかもわからないけれど、現場に駆けつけてきてくれた救助の人におぶわれて、あの場から助け出された。

 そのまま病院で治療を受けていたら、お母さんとお父さんが迎えに来てくれた。二人はペロの散歩に出かけていて難を逃れたらしい。

 家は潰れちゃったけど、あなたが無事だっただけで良かったと泣かれてしまった。

 家が無いのは困る。けど、今はひとまずホテル暮しをさせてもらっていて、こうして新しい眼鏡も用意してもらって。眼科に残っている処方箋を元に作ってもらえて助かった。

(この眼鏡グラス、もう使えないんだもの)

 私の手元には、あの時借りた眼鏡が残っていた。あの人たちはグラスと呼んでいた、高性能の。通信機能や映像共有機能、照準器までついた、カズホさんの魔法をサポートするための眼鏡。

 あの場を離れたら、視力矯正機能を含め全ての機能が使えなくなってしまった。

 だから新しい眼鏡が届く今日まで、イマイチ度数の合わない仮の眼鏡を使っていた。支給してもらえただけ有難かったのだけど、それでもこの高機能スマートグラスを使えたら便利だったろうに。

 何度か試してみたけれど、あの人たちとは一度も通信は繋がらなかったし。

 なにひとつ、わからないまま。

 あの時も今も、私はただ状況を受け入れるしかなくて。怪物の存在すら、然るべき所や人からろくに説明されず。あの人たちが何者だったのかもわからなくて、あれきりで。

(こうなったらもう、ガラクタだ)

 手の中で弄んで、なんの意味もないと知りつつ眼鏡グラスをかける。

 その時ツルわずかに、振動した、気がして。

『……あれ、繋がった?』

 眼鏡グラスのツルから、声がした。

『いや、さすがにバッテリーが死んでるか』

「つな、繋がってます!」

 慌てて応答する。

『え、マジ?』

 耳元で響く、少しノイズの混じった声。

 二人の頭がぶつかる距離で怪物と対峙した、あの時の恐怖と緊張と、熱を思い出す。

 彼が何者なのか、知りたい。

 私は再び繋がった眼鏡グラスのツルを、ぐっと耳元に押し付けた。






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