ばあちゃんの特別な眼鏡

柚城佳歩

ばあちゃんの特別な眼鏡


昔ながらの日本家屋。

そう言われて思い浮かぶイメージをそのまま再現したような家。それがばあちゃんの家だ。


前にここへ来たのは小学五年生になる春休みだったから、ちょうど一年振りになる。

実を言うと、僕はこの家がちょっと苦手だ。

だって電気を点けていてもなんとなく暗い気がするし、時々誰もいないのに話し声が聞こえる事があるから。

気のせいだって思っていても、やっぱりちょっと不気味に感じてしまう。


本当は今日だって一人では来たくなかった。

でもばあちゃんが急に入院する事になって、いろいろな手続きや準備だったりで母さんは忙しく、父さんは普段から仕事で忙しそうにしている。

まだ動けないというのに、ばあちゃんがやたらと家の様子を気にするものだから「おばあちゃんの代わりに様子を見てきてくれる?」と頼まれたら、頷くしかなかった。


電車に乗って一時間半。

そこからバスに乗り換えて更に三十分。

久しぶりに見たばあちゃんの家は、記憶の中より大きく感じる。一人で来るのは初めてだから、余計にそう思うのかもしれない。

大丈夫、何も出ない。怖いと思うから何かいる気がするだけ。

そう自分に言い聞かせてから、母さんに渡された鍵を差し込む。

カチャリ、軽快な音を立てて鍵が開いた。


「お邪魔しまーす……」


誰もいないとわかっていても、黙って入るのは何となく居心地が悪い。誰にともなく呟いた声は、廊下の奥に消えていった。

もう春だというのに家の中はどことなくひんやりとしているし、昼間だというのにやっぱりどこか薄暗い。一通り見て回ったら早く帰ろう。


それにしてもばあちゃんはここに一人で暮らしていて淋しくないんだろうか。

じいちゃんとの思い出がある場所だからと言っても、一人で住むには広すぎる家だ。

掃除するのだって大変だろうに、いつ来ても掃除が行き届いているからすごい。


ばあちゃんは何をそんなに気にしていたんだろう。

別に普段と変わったところはないように思う。

家に行くついでにと、着替えや本、判子やお金など、持ってきて欲しいものをいくつか頼まれている。


どこにあるかは事前に聞いてきた。

衣装箪笥に本棚、飾り棚などを開けて、持ってきた鞄に荷物を詰めていく。

なんだろう、疚しい事は何一つ無いのに、なんだかちょっと泥棒しているような気分だ……。


「あ、これ……」


作業の途中、化粧箪笥の上にばあちゃんが大切にしている眼鏡が置いてあるのを見付けた。

元は亡くなったじいちゃんのものだったらしいその眼鏡はいかにも年季が入っている。

よく使っていたから、もっと掛け心地の良さそうな新しいものを勧めた事があったけれど、「これがいいの、これじゃなきゃダメなのよ」といつもやんわりと断られた。


──この眼鏡は特別なのよ。私が死んだら光太郎こうたろうにあげるわね。


いつだったか、そんな風に言っていたのを不意に思い出した。

何が特別なのか聞いても「掛けてみればわかるわ」と言ってその時は教えてくれなかったんだっけ。

ばあちゃん、病院には持っていかなかったんだな。

いや、急に倒れてそのまま入院する事になったって言っていたから持っていけなかったのかも。


ふと好奇心が湧いた。

鏡の前に立って、眼鏡をそっと持ち上げ掛けてみる。

うーん、僕にはまだちょっと大きいかな?

実際に掛けてみても別に変わったところはないように思える。ばあちゃんは、何がそんなに特別だなんて言っていたんだろう。


「あれ……?」


鏡に映る部屋の入口、一瞬何か影が横切った気がした。恐る恐る振り向くと、後ろ足で立ってこちらを覗いている狸と目が合った。


「た、狸?」

「おや、見えてるのか」


狸は素早く身を翻し、どこかへ走り去る。

え、なんだあれ。どこから入ったんだ?

というか今普通に喋らなかった?

それにあの顔、どこかで見た事があるような……。

頭の中をハテナが飛び交う。


「待って!」


僕は急いで狸を追った。

自分でもどうしてそうしたのかよくわからない。

でもこの時は“怖い”よりも“知りたい”が上回ったんだと思う。


狸は迷いなく廊下を走って行く。

靴下で滑りそうになりながら、見失わないように必死で追い掛ける。

すると狸はある部屋の細く開いた襖の隙間に体を捩じ込むようにしてするりと入っていった。


僅かに遅れながらも追い付いて、走ってきた勢いそのまま襖を開けると、客間の床板に飾られた狸の置物と姿を重ね合わせるようにして吸い込まれるように消えていくのが見えた。


「何、今の……」


自分の目で見た光景が信じられない。

確かに動いてた、よね?

どこかひょうきんな顔をしたこの狸の置物は、昔じいちゃんがどこからか貰ってきたものだという。


「おーい、君は何者なの?」

「…………」

「もしかして化け狸ってやつだったり?」

「…………」

「もう動かないの?」

「…………」


話し掛けてみるが、反応はない。

置物なんだから当然ではあるんだけれど、さっきのは絶対に見間違いなんかじゃない。


「置物が動くなんて、全然聞いた事なかったと思うけど、ばあちゃんは知ってたのかなぁ」

「……お前、フサエの孫のコウタロウか」

「えっ」


突然声が返ってきた。

見るとさっきの狸がちょこんと立つようにしてこちらを見上げている。


「そう言えば見覚えのある顔だ。人の子の成長は早くて最初わからなかった」

「あ、え、えっ」


動いたと思ったら、急に流暢に人の言葉を話し出したものだから、今度は僕があたふたしてしまう。


「やはり見えているようだな。その眼鏡については何か聞いているか」

「えっと、あの、特別なものとだけ……」

「では付喪神を見るのも初めてか」

「付喪神?」


付喪神とは、長い年月を経た道具などに精霊や魂が宿ったものと言われている。

ここには古くから大切にされてきたものがいろいろあるから、この狸以外にも付喪神がいるらしい。

時々誰かが囁くような声がしたように感じたのは、僕の気のせいじゃなかったんだ。

聞けばこの眼鏡を掛けると、付喪神を見る事が出来ると言う。だからばあちゃんは特別だなんて言っていたんだ……。


「フサエはまだ戻らないのか」

「うん、今は入院してる。退院はいつになるかまだわからないって言ってた」

「……そうか。ではコウタロウは何をしに来たのだ?一人で遊びに来たわけでもあるまい」

「家の様子を見てくるように頼まれたんだよ」

「あぁなるほど。我々を気に掛けてくれたのだな」

「我々?」

「コウタロウにも紹介しよう。皆、集まれ」


狸が呼び掛けた途端、どこからともなく付喪神たちが現れた。掛け軸、箪笥、髪飾りに食器など、その姿形、大きさまで様々だ。


「話を聞いていたものもいるだろうが、この子はフサエの孫のコウタロウだ。改めて挨拶しようじゃないか」

「よろしくー」

「初めまして!」

「ボクは前から知ってるよぉ」

「あ、光太郎です。よろしくお願いします」

「コウタロウの用事はもう済んだの?」

「うん、後は戸締まりをして帰るだけだよ」

「ならボクたちと遊ぼうよ!」

「遊ぼ遊ぼー!」


手のひらサイズの小さな付喪神が僕の周りを飛び跳ねる。


「え、でも遊ぶったって何を」

「かくれんぼ!」

「いいねー」

「やろうやろう」

「じゃあ鬼を決めよう」

「時計のオジサンが鬼ね」

「みんな隠れろっ」

「え、ちょっと、待ってよ!」


皆一斉に部屋から飛び出して行く。

口を挟む暇もないまま、あれよあれよという間にかくれんぼが始まってしまった。

静かだった家が俄に賑やかになり、家のあちこちからいろんな声が聞こえてくる。


「コウタロウ、いきなりで驚かせてしまったろうが付き合ってやってくれないか。あの子たちはここ数日、話し相手になってくれるフサエがいなくて淋しがっていたんだ。そこへ遊んでくれそうなコウタロウが現れたから嬉しくなっているのさ」


最初に見た狸が僕を見て言った。


「わかった。じゃあちょっとだけ」

「ほら早く隠れておいで。ワシもどこかに隠れるとしよう」


皆から少し遅れて部屋を出る。ばあちゃんの家でかくれんぼなんて初めてかもしれない。

わくわくしているのが自分でもわかった。


「もーういーいかい。探しに行くぞぉ」


鬼になった時計のオジサンこと時計の付喪神の声がした。僕は押入れで声を潜める。

少し離れた場所で早速誰かが見付かった声が聞こえた。


「ここへはまだ来なさそうだね」

「わっ」

「しーっ、静かにね」


隠れた時は気付かなかったけれど、どうやら僕は着物姿の付喪神と同じ隠れ場所を選んだようだ。

彼女は髪飾りの付喪神らしい。


「かくれんぼなんていつ以来かねぇ。皆はしゃいで楽しそうだ」

「こういう事ってよくあるの?」

「そうさね。特に悪戯好きなのがいるんだよ。だから時々物を隠しては皆で家中宝探しみたいなのもやるね。誰が一番に見付けるか競争してね。見付かった後はフサエがお茶を淹れてくれたりして、結構楽しくやってるんだよ」


隠れている間、彼女はこの家であったいろんな話をしてくれた。それはどれも楽しそうなものばかりで、初めて聞くばあちゃんの話になんだか僕まで嬉しくなる。


「こっちにも誰かいるかな」


カチコチと鳴る足音が近付いてきた。

時計の付喪神だ。


「ここかな?お、二人見付けた」

「見付かっちゃった」

「あとはチビたちだけか。さぁあの子らはどこにいるかな」


最後まで残った二人は重ねた座布団の隙間に隠れていたらしい。僕には真似出来ない隠れ方だ。

集まった皆を見ると、どこか満足そうな顔をしている。


「そうだ、休憩するのに僕がお茶を淹れようか?」

「それは素敵な提案だ。だが……」


ボーン、ボーン、ボーン、ボーン……。


時計の付喪神から四時を知らせる音が響いた。


「子どもは早く帰った方がいい。あまり遅くなると家族が心配してしまうからな」

「でも……」

「何、またそのうち来ればいいさ。ワタシたち皆で歓迎しよう」

「また遊ぼー!」

「次はお菓子持ってきてね」

「今日は楽しかった」

「今度はおにごっこしよう」

「うん!絶対にまた来るね」


付喪神たちに見送られ、ばあちゃんの家を後にする。もうここが怖いなんてちっとも思わない。

ばあちゃんの眼鏡は本当に特別な眼鏡だった。

今日あった事、早くばあちゃんに話したい。

次はいつ来られるかな。あの付喪神たちに会えるのがもう楽しみになっている。


「次はばあちゃんと一緒に来るね!」


振り返って呼び掛ける。夕焼けに染まる家の中で、皆が手を振ってくれている気がした。




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