【KAC20248】めがねについて取り留めのない話をしてみよう

和尚@二番目な僕と一番の彼女。好評発売中

めがねについて取り留めのない話をしてみよう


 KACの最後のお題は『めがね』ということでこれから全然小説に関係ない話をしようかと思います。

 終着点すらわかりません。和尚というやつは、こんな風にふらふらしながら書いてるんだなと思っていただけると幸いです。



 さて、僕はSNSのアイコンがめがね(というか正確には僕の顔を模して作ってくれたケーキ)なのですが、めがね歴はもう28年ほどになります。

 本を読み過ぎて、親から本ばっか読んでいて何もしないからということで注意され、暗い中で本を読んでいたらいつの間にか視力が落ちてめがね生活となりました。

 最初は急激に悪くなったので親に信じてもらえず(めがねをかけても頭がよくなるわけじゃないんだよ?と……笑)、その後視力検査でようやく悪くなっている証拠とともにめがね生活に突入した僕ですが、何ということでしょう、こんなに付き合いの長いめがねについて詳しくありません。

 ちょっとあれこれ調べてみましょう。


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眼鏡っていつからあるの?

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 そもそも、めがねっていつからあるものなんでしょう?

 ちょいと調べてみると、「レンズ」そのものは古くからあるんですね。

 確かにマスターキートンとかでも見た気がする。古くはアッシリアの古代都市ニネベ(紀元前700頃)の遺跡からは、太陽熱をとるのに使われたレンズが発見されていますし、古代エジプトのヒエログリフにも登場しているみたいですね。

 後は文献的に言うと、水を満たした球体のガラス容器やレンズが文字を拡大することは、古代ローマの哲学者セネカが書き記していたりします。


 確かに、経験則からこのあたりのレンズ、あるものを通すと遠くのものが見えたり大きく見えたりは存在していたのでしょう。

 でも、それが眼鏡という形で使用されるまでには途中に結構な空白の期間があります。便利なのにね。

 

 なぜ?ってなると、あくまで諸説ありますし、議論したいわけでもないのですが、中世ではカトリックが主でしたから、地動説や進化論が受け入れられなかったのと同じように、変化は唯一神に与えられたものというのが常識の時代が結構長かったというもの言われているみたいですね。

 簡単に言うと、年老いて視力が悪くなるのは、神様がすべての人間に、その魂の幸せのために同じ課題、同じ苦痛を与えているんだよ的なものがあって、それを改善するなんてとんでもない、みたいな頃もあったようです。


 さもありなん。


 そんな中、曖昧な眼鏡発生ですが、13世紀(レンズ発見から最低でも1300年以上?)あたりに、イギリスの哲学者ロジャー・ベーコンさんという人が気づきます。


「・・・水晶、ガラス、または何か透明なもので透かして見ると、それが眼に対して凸状のものであれば、文字はずっとよく見えるし、大きくも見える・・・」。


 眼鏡誕生です。

 でもですね、このときの眼鏡、ググると分かるんですけど耳の部分ついてません。

 手で持って見るんですね。それ虫眼鏡じゃない?


 そして、僕らは当たり前のような形状と思っていますが、なんと眼鏡誕生から耳の部品がつくまでに300年位かかってます。この頃から、ようやくメガネかけてる人の絵で、耳にかかる形になっているんですね。

 前述の宗教関連の批判などと、そもそもの識字率の低さなどからと言われてますが、長い道のりを歩んでいます。


 しかし時代は進み、眼鏡は今度は逆に識字率の高い(聖書とかが読めるような)人たちの間で流行していきます。

 ちなみに日本に眼鏡が大体的に伝わったのは、フランシスコ・ザビエルさんが元と言われているようです。

 確かに! 授業で習った絵でもメガネかけてるわ。


 さらに横にそれて、へぇと思った知識ですが、今の眼鏡の鼻当ての部品は日本がこの後江戸時代とかで開発したと言われてるんですね。

 欧米人の方々は鼻が高いがいらなかったけど、日本人は必要だった的な。


 そして、産業革命と共に、今のような様式が大量生産されていって、更に加工技術も発展していったようです。今後どうなっていくのかも考えてみたいところですが、ちょっと寄り道を。


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伊達メガネって何で伊達?

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 急ですが、調べてたら、ちょっとだけ気になったりしました。

 眼鏡って、悪く言えばガリ勉だったり、良く言えば理知的だったり、イメージ色々あるじゃないですか。(ちなみに僕はメガネを外すと、何か薄い、本体がなくなった、等と言われます)。

 で、必要に迫られてかける人はいるものの、どこかでおしゃれのためにかけはじめて流行らせた人がいそうだなとか、なんで伊達やねん?とかを思って調べてみたら。


 伊達はそのまま伊達政宗でした。

 いや、そもそも伊達で思いつくのなんて伊達政宗かサンドイッチマンの伊達さんくらいですが(時々似てるって言われます)。


 結構派手だったり、見栄っ張りだったり、格好つけ的なのが伊達政宗さんだったらしく、それで伊達男とかの言葉もあるそのままに、伊達メガネって言われる様になったみたいですね。


 ちなみに結構歴史は最近で、ジョン・レノンさんとかがファッションでかけていたのが流行ったらしいです。90年代後半~らしい。


 

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めがねの今後

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 さて、本題にもどります笑

 ちなみにめがねという形状は結構洗練されているようで、色とか形にバリエーションはあれど、大きく変わっていません。

 つまり形的な進化はいくところまで行ってそうです。


 では次は機能面ですね。

 多機能めがねといえば、阿笠博士が開発したコナンくんの例のやつですが、意外と未来の技術にめがねが関わってくる可能性もゼロではなさそうです。


 というのも、ガラケーからアイフォンが出てきた時のことでよく言われていることですが。

 あれは『携帯電話』として売りに出したからこそ爆発的に売れたと言われています。

 要はですね、スマホって普通に考えたらPCですよね。

 電話って、その中の1つのアプリに過ぎないわけです。


 でも、持ち運べるPCだよって売り出しだと売れなかったんです。他にもノートパッドとか、機能的に優れているものはあったんですけど、iPhone一人勝ちになったのは、便利な『電話』だったからとっつきやすくて、機種変更として携帯電話であるガラケーからiPhoneに乗り換えていったわけです。


 そして、そこからもうすぐ15年。

 まだスマートフォンという形の次は来ていません。


 もしかしたら埋込み型のニューロリンクかもしれませんが、精神的なハードルが少し高いですよね。

 そこに、超高性能眼鏡が出てきたら?

 写真も取れるし、ARで色んなアプリもできて、電話もできる。というか視覚と聴覚と繋がれたら、ARで何でもできる技術は結構すぐそこまで来ているでしょう。


 まぁ妄想かもしれませんが。

 アップルも、グーグルも、AR向けレンズ開発企業を買収していたりするんですよね。


 もしかしたら5年後には、iPhoneやAndroidから、高性能眼鏡に機種変更しているかもしれないですね笑


 ついでにカクヨムという小説のサイトのはずなので、最後は小説の話で締めます。

 今はスマホなので、縦長の漫画が流行りです。

 しかし、僕は『本』という形状もまた、読むというものに対して昔から凄い洗練された形だと思っているんです。

 もちろんスマホという形においては、持ち運びしやすいし電子で読む上で、縦長がフィットしています。

 しかし、ARやVRの世界では、縦長である必要がありません。

 物理の本の形で、めくるという行為と共に、電子書籍ではあるもののあの形で本が読めるかもしれないなと密かに思っています。


 まぁ、5年か10年した時に、果たしてこの想像が黒歴史になるのかならないのか。

 それはその時代にまだ書けているかのお楽しみですね。


 お読みいただきありがとうございました!


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