黒縁めがね KAC20248

ミドリ/緑虫@コミュ障騎士発売中

見たくないなら見なければいい

 隣の家に住んでる幼馴染み、伊勢谷京介は、クラスの中心にいるお日様みたいな男だ。


 昔からとろい僕は、「京ちゃん、京ちゃん」といつも京ちゃんの後を追いかけては転び、暫く経って僕がいないことに気付いた京ちゃんに「こうちゃんは本当鈍臭いなあ」助け起こされるまで泣いてるような奴だった。


 こんな奴、嫌だよな。僕だって嫌だ。


 せめて僕の見た目が吊り合うものだったら、京ちゃんの隣にいても恥ずかしいと思わなかったかもしれない。だけど、僕の外見は京ちゃんに「全然駄目。でも俺が選んだそのめがねがあればマシになるから絶対外すなよ」って言われるくらい終わってる。


 小学三年生くらいから視力がガンガン下がって眼鏡っ子になったけど、下がるたびに何故かめがね選びに京ちゃんがついて来ては僕の為に選んでくれた。


 京ちゃんが選ぶのは、いつも黒縁めがね。縁が太いからめがねの主張が強いし、視力が年々落ちていくにつれ目はちっちゃく見えるから、写真を見てもめがねの印象しか残らない。ちなみにめがねのない自分の顔は、鏡に顔を物凄く近付けないと見えないから全体がよく分かっていなかった。


 中学までは、それでもまだよかったんだ。


 でも高校生になってからは、周りが段々色気づいてきた。当然僕だって、自分の見た目は気にするようになる。自分の姿を鏡で見ると、大きな黒縁めがねをかけた冴えない小男が見返してきた。


 もしかして、めがねをやめたら少しはマシになったりしないかな。


 そんな淡い期待を胸にコンタクトにしようかなって京ちゃんに相談したら、「やめた方がいいよ」っていう枕詞の後、コンタクトは如何に恐ろしい道具なのかと実例を元に説明された。


 特に怖かったのが、目の上で割れることがあるってやつ。ピンセットで破片を取るとか、な、なにそれ……怖い。うん、京ちゃんが止めるのもよく分かった。


 てことで、僕は相変わらずめがねな人のまま。


 なんだけどさ。


 なんだけどね。


 背も高くて格好よくてスポーツ万能の京ちゃんは、クラスの人気者。片や僕は、自分の言いたいことすら満足に言えない陰キャめがね。


 京ちゃんが僕に話しかけると周りの人たちが吊り目気味になることを、黒縁めがねを通して僕は見て知っていた。


 僕は京ちゃんに吊り合ってない。分かっていたけど認めたくなかった事実を、もういい加減認めざるを得なかった。


 京ちゃんはいつも、華やかな人たちに囲まれている。あの人たちといる時は、僕に話しかけてこない。話しかけてくるのは、誰も周りにいない時限定だって。


 察するってあるでしょ。普段から周りの視線が怖かった僕は、結構分かる方だと思う。だから僕は、何となく察していたんだ。ああ、そういうことかもなって。


 でも、一緒に帰ろうと声を掛けられたら、やっぱり嬉しくて一緒に帰った。買い物に付き合ってと言われたら、京ちゃんがどんなものに興味があるか興味があったから行った。だって、京ちゃんはいつだって格好良くて優しくて、僕の憧れそのものだったから。憧れの人が欲しがる物は、誰だって知りたくない?


 だけど、どれもこれも、京ちゃんが目立つからか後になって誰かに見られてたって知った。「なんであんなめがねと一緒に」っていう言葉とセットで。


 京ちゃんの親友とかいう男子は、すれ違いざまに「京介に付き纏ってんじゃねーよ」と僕の足を引っ掛けてきたりした。京ちゃんの腕によく引っ付いている女子は、すれ違いざまに「キモオタ死ね、京介に声かけんじゃねーよ」って驚くほど低い声で言ってきたりした。


 京ちゃんが選んだ黒縁めがねは、見たくなかったものまでよく見せてくれる。人の悪意と、残酷さまでも。


 京ちゃんに訴えれば、もしかしたら僕を庇ってくれたのかもしれない。だけど、学校でつるんでいるのは彼らの方で、明らかに僕は余計な方。言える筈がなかった。


 やがて段々と小さな悪意は積み重なっていき、僕は息がし辛くなる。


 そんなある日のこと。


 京ちゃんがいるクラスの教室の前をたまたま通りかかった。京ちゃんとその仲間がたむろっているのを見て、さっと隠れる。ドアが開いてるから、通ると見られちゃうかもしれない。動けなくなってその場で固まっていると、偶然にも僕の話題が上った。


 馬鹿にするような声で言っているのは、いつも僕に手や足を出してくる男子だった。


「てゆーかお前の幼馴染みさ、ダサくね? キモいじゃん。なんでお前相手してやってんの?」


 彼のストレートな言葉に笑いながら答えたのは、京ちゃんの声だった。


「えー、こうちゃん? はは、腐れ縁ってやつかな」


 僕に怖い言葉を投げつける女子が、甘えた声を出す。


「もう構ってやるのやめなよー。つけ上がるだけだってえー」


 あははは! と揃って笑う声の中に京ちゃんのものも聞こえた時、僕は悟った。


 なんだ、やっぱり僕のことを恥ずかしいって思ってたんじゃん、て。


 それから僕は、自分から京ちゃんと距離を置くことにした。


 話しかけられても、聞こえないふりをした。一緒に帰ろうってメッセージが来たら、用事があるって返して裏門から見つからないように逃げた。


 避けて、避けて、避け続けて。

 

 何週間もそんなことが続いたら、ようやく京ちゃんが構ってこなくなった。情けをかけてやってたのにふざけんなって呆れたのかもしれない。でも僕は、それでいいって思った。もう、疲れてたんだ。


 丁度そんな頃、クラスで僕と同じようなポジションの男子、佐伯くんと話すようになり始めた。隣の席だから、という単純な理由からだ。


 佐伯くんはいつもぽやーっとしている。身体は大きくて、髪の毛が鳥の巣みたいにふわふわで目が半分隠れている、なにを考えているか分からない大木みたいな不思議な雰囲気の持ち主だ。


 奥手な僕とぽやっとしている佐伯くんは、質は違うけど時間の流れが似通っていた。授業ではペアを組んで作業することが多いから顕著に出るけど、僕らは他のクラスメイトよりも毎回ワンテンポ遅れる感じなんだ。ずれてはいるけど、僕ひとりじゃないって知れた上に堂々としてるのが見てると楽しくて、同時に安心できた。


 そんな佐伯くんと二人で学校に残ってレポートをまとめていた時、外をぽやんと見ていた佐伯くんが突然言ったんだ。


「長谷部くんさー、最近スッキリした顔してるねー」


 そう言われた瞬間、「あ、佐伯くんはよく見えてる方の人だ」って分かった。


 人間、理解者がいる! て思うと語りたくなるよね。少なくとも僕はそうだ。ガバッと前のめりになる。もじゃもじゃ頭の向こうから大きく見開く目がちょっとばかりだけ見えたけど、仲間を得たと思った僕は止まらなくなっていた。


「分かってくれる!? 実はさ……!」


 僕は洗いざらい、これまでの人生を語った。佐伯くんは、「ほへー」とか「ふおー」とか言いながら全部聞いてくれた。いい人だ。


「ストレス溜まってたんだねー。これからはのんびりいこー」


 のんびりしている佐伯くんに言われると、心から「そうだよね」と思える。


「佐伯くん……! ありがとう!」


 佐伯くんのお陰で、幼馴染みに馬鹿にされてたとはっきり知ったショックから割とすんなり立ち直ることができた。


 と思っていたけど。


 なんせ、家は隣同士。偶然会っちゃうこともある。玄関先で鉢合わせると、「あ」ていう顔をする京ちゃんを見た瞬間、家の中に駆け込むのが辛くて、辛すぎて。


 思いついたんだ。


 嫌なら別に見なきゃいいじゃないかって。



 次の日、僕は京ちゃんが選んでくれた黒縁めがねを外して外に出た。


 見えないのは凄く怖かったけど、コンタクトを付けて起こる怖いことを散々京ちゃんに吹き込まれていた僕は、恐ろしすぎてコンタクトをするという選択肢を避けた。


 授業中だけめがねをすればいい。後はなーんにも見えない世界なら、嫌なものを見なくて済む。声を聞いたとしても、本人かどうかは見えなければはっきりしないんだから。


 全員知らないどこかの人だって思えば、もう怖いものはなかった。


 通い慣れた通学路は、見えなさすぎて未知の世界だった。前方が確認できないのは怖かったけど、やっぱり人の悪意よりは怖くない。


 最初は手探りで歩いていたけど、慣れてくると段々ぼやけた世界が楽しくなってきた。周りがザワザワしてる感じもするけど、こういうのは大抵自意識過剰なせいだと知っている。


 誰も僕なんか気にしない。僕はこれまで周りの目を気にし過ぎてたんだ、きっと。実際にもし僕を見ていたとしても、これから先はなにも見えないからもう気にしなくていい。


 鼻歌を歌おうが、思わず小さく笑っちゃっても、世界にいるのは僕ただひとりだけなんだから。


 ぼやけた世界は想像以上に色鮮やかで、見慣れてる筈の学校の階段も教室も綺麗な色彩だらけで、他人なんて色に溶け込んでもういないも同然だった。


 はは。何だこれ、すごく楽。


 すると突然、腕を掴まれて後ろに引っ張られる。


「へっ」

「長谷部くん、それ隣のクラスだよー」

「あ、その声は佐伯くんだ」


 どうやら僕は、感覚を間違えて隣のクラスに行っちゃうところだったらしい。内心、ちょっとひやっとする。だって、隣のクラスには京ちゃんがいるから。


「教えてくれてありがと」


 ぼんやりしたシルエットだけど、もじゃもじゃ頭だから判別がついた。分かりやすくていい。


「あれー? めがねないねー」

「あはは、煩わしいから取っちゃった」

「んー。いいとは思うけど、危なっかしいよー」


 確かに、教室を自然に間違えるのは危険すぎる。京ちゃんとかち合った日には、親友くんと彼女? な女子がどんな難癖を付けてくるか分かったもんじゃない。


 佐伯くんが、僕の手を握った。


「じゃあ、今日は俺が長谷部くんの目になるねー」


 穏やかな言い方に、僕の顔が勝手に綻ぶ。佐伯くんの手は、大きくて意外にゴツゴツしていた。温かくて包み込むような感じは、如何にも佐伯くんって感じだ。


 僕の目になってくれるのは、佐伯くんなら、ううん、佐伯くんだけがいい。佐伯くんは、僕が見たくないものが何かを知っている唯一の人だから。


「……へへ、じゃあお願いしようかな」

「かしこまりー」


 ザワッと周りがざわついたように感じたけど、やっぱり見えないからどうでもよく感じるのは、さすがの裸眼効果だった。


 僕の手を握る佐伯くんの手に、力が込められる。僕は大人しく佐伯くんの引っ張る方向に足を向けた。


 と、佐伯くんがぼそっと呟く。


「……ふーん、やっぱりねー」

「え? どうしたの?」


 くすりとした笑いが返ってきた。後ろから京ちゃんの声ににた音が聞こえた気がしたけど、気のせいだろう。


「えー? 何でもないよー」

「うん? そっか」


 教室に連れて行かれて、席につく。佐伯くんが「めがねどこー?」と尋ねてきた。


「えーと、鞄の……」

「出しちゃうねー」


 いつになく積極的な佐伯くんの手によって、僕のめがねが探し出される。


「はーい、どうぞー」

「わ、ちょっと……あはっ」


 佐伯くんが、僕にめがねをかけてくれた。いつものもじゃもじゃ頭の佐伯くんが、半分は髪に埋もれて見えないけどにっこりと笑っている。


「俺はこっちの長谷部くんもいいと思うよー? 何で急にめがねを取っちゃったのー?」


 視界に飛び込んできた佐伯くんの穏やかで柔らかい雰囲気を見たら、僕は今回の思い立ちを話したくて仕方なくなってしまった。僕って毎回こうな気がする。


「あの、実はね」


 と声を顰めると、佐伯くんが「なになにー?」と耳を寄せてきた。僕がコソコソと今朝の大冒険の話をすると、佐伯くんは全部ちゃんと聞いてくれた後、僕の頭を撫でる。


「よしよし、いい子だねーって言いたいところだけど、交通事故的な観点で危ないからアウトー」

「え……だめ?」


 かなりナイスアイデアだと思ったんだけど……でも確かに危ないは危ないか。


 佐伯くんが続ける。


「あのさー、例のあの人がなにを吹き込んだか知らないけど、取り扱いさえ間違わなければコンタクトって安全だよー?」

「そ、そうなの?」


 意外だった。


「だって俺使ってるけど問題ないもんねー」

「え? そうなの? 見せて見せて」


 僕が顔を近付けると、佐伯くんはニヤリと笑ってから「あとでねー」と答える。


「放課後さー、俺の通ってるところでコンタクト作ろうよー。裸眼で歩かせるの怖いもんねー」

「……本当に大丈夫?」

「だいじょぶだいじょぶー」


 という流れで、僕と佐伯くんは放課後に眼鏡屋に行くことになったのだった。



 教室はめがねでもいいけど、廊下や他の場所で京ちゃんに見られても気付きたくない。


 僕の我儘を聞き入れてくれた佐伯くんに子供みたいに手を引かれて、駅前にある佐伯くん御用達の眼鏡屋さんに向かった。


 学校を出るまではやっぱり周りがざわついてる気がしたけど、佐伯くんがあの間延びした口調で彼の髪の毛に関する苦労話を面白おかしくしてくれたから、必要以上に気になることはなかった。


「ほら、中学校はロン毛禁止でしょー? しかもストパも禁止されててさー。だけど俺のこの頭、短いと更にボンバーヘッドになるんだよねー」

「ふわふわで気持ちよさそうだけど、扱いは難しそうだよね」

「そーそー。でも軽い物なら乗るから便利だよー。でさー、高校でようやく髪の毛が伸ばせるようになったから、ストパかける前にまずは結べるようになりたいなーって今伸ばしてるところなんだー」

「あ、それでこの髪型なのか!」

「そーそー」


 佐伯くん曰く、何も目を隠したくて隠してる訳じゃなかったらしい。もじゃもじゃヘアも大変そうだなあ……。でも結べる長さにそろそろ達するから、毎日キューピーちゃんみたいに前髪を集めては「結べるかなー」って鏡の前でやってるんだって。なにそれ、可愛いんだけど。


 眼鏡屋に入り、視力検査をしてもらう。乱視は入ってないので在庫がありますよと言われて、ワンデータイプを購入することになった。佐伯くん曰く、「洗浄しなくていいから楽だよ」なんだって。


 でも、ここからが大変だった。


 頑張って目に入れようとするんだけど、どうやっても入らないんだ。涙をぼろぼろ流しながらひたすら鏡に向かっている僕を見た佐伯くんが、僕を励ます。


「長谷部くん、頑張れー。慣れたら楽だからー」


 だけど、やっぱり怖いやら入らないやらで半泣き状態の僕は、既に半分諦めモードに入っていた。


「ぐす……っ、む、無理だよこれ! 目の中に物を入れること自体が間違ってる!」

「でもさー、めがねはもう嫌なんでしょ? じゃあ頑張ったらご褒美あげるよー。何がいいー?」


 佐伯くんは滅茶苦茶優しい。情けない僕の姿を見て、頑張れと言うだけじゃなくできたらご褒美までくれるだなんて。


 遠い昔、転んで泣いている僕を「鈍臭いなあ」って呆れ口調で引っ張り上げた京ちゃんとの思い出が、一瞬フラッシュバックした。


 ――僕はずっと、京ちゃんのお荷物だったんだ。でももう、僕は迷惑なお荷物からは卒業するって決めたじゃないか。


 これはその最初の一歩なんだ。佐伯くんの手を借りてでも踏み出すんだよ、僕。


 ぐっと唇を噛み締めると、佐伯くんに言った。


「じゃ、じゃあ、佐伯くんの前髪を上げたところを見たい……!」


 京ちゃんは、恥ずかしい僕の姿を人の目から隠そうとした。僕は京ちゃんの言うことが正しいと盲目的に信じて、現実を直視しないようにした。


 それでも黒縁めがねは、必要以上に色んなものを僕に見せてくる。京ちゃんが隠そうとした僕の醜い姿は、人からの棘のある言葉が突き刺さって浮き彫りにされた。僕は現実を突きつけられるのが嫌になって、何も見たくなくなって京ちゃんからもらったお守りを取った。


 だけど佐伯くんは、そんな情けない僕の隣にずっと自然体で居てくれたんだ。僕の黒縁めがね姿もいいと思うって言ってくれた上に、怯える僕の手を引っ張ってコンタクトにチャレンジする僕を応援してくれてもいる。


 恥ずかしくないよって、隠す必要なんてないんだよって、そう言われている気がしたんだ。

 

「え? そんなのがご褒美でいいのー? まあヘアゴム持ってるから出来るけどー。本当にキューピーヘアになるからねー?」


 あははーと笑う佐伯くんに励まされて、僕は頑張った。本当に頑張った。


「キューピーになったよー。頑張れー長谷部くんーコンタクト付けたら見えるぞー」

「わっ、見る! 見るから待ってて!」


 片方が入って、残るはもう片方のみ。油断すると震えそうになる指を瞳に近付けると、コンタクトが瞳に触れ、貼り付いた。何度か瞬きをしてから、「ティッシュー」と言って渡されたティッシュで涙を拭き取る。


 佐伯くんの両手が、後ろから僕の両肩を掴んだ。


「どおー? 視界は良好ー?」

「ま、待って、今よく見――、」


 前の鏡を見た瞬間、僕は一瞬で目を奪われた。


 キューピーヘアだよーと言って笑っていた佐伯くんが、僕の頭の上から鏡越しに僕を覗き込んでいる。


 いたずらっ子みたいな表情を浮かべた佐伯くんの顔は、驚くほど整っていた。甘めのハーフ顔って言えばぴったりかもしれない。


「イケメンがいる……」


 思わず呟くと、佐伯くんが顔をくしゃりとさせて笑った。


「わーい、長谷部くんにイケメン認定されたー」

「うん、驚いた……あのもじゃもじゃの中にこんな顔が隠れてたなんて思いもしなかったよ」


 僕が素直な感想を述べると、佐伯くんが更に楽しそうに笑う。


「長谷部くんは普段人の見た目で判断しないもんねー。みんな大抵ギョッとして俺に近付いてこないのにー。俺、長谷部くんのそういうところも大好き」

「えっ? いやだって、僕は外見で苦労してきたし……」


 この見た目でいい思いなんて、一度もしてこなかったから。


 佐伯くんが、ケラケラと笑う。


「俺も苦労したよー? ばあちゃんが外国の人なんだけどさー、小学校の頃とかは周りの奴らに顔と頭についてからかわれてたしさー」

「そうだったんだ……」


 子供って、違うものを残酷に排除しようとする時あるからね。そっか、佐伯くんもかなりの苦労人だったんだなあ。


「ていうか、長谷部くん自分の顔見た? 今まで裸眼でちゃんと見たことなかったんでしょー? めがねがないところ」

「え、あ、そうだった」


 佐伯くんの姿にあまりにも驚いて、あれだけ直視して現実を見ようと思っていた自分の姿を確認するのをすっかり忘れてた。


 佐伯くんが、僕の頭の上に顎を乗せる。


「ほら、見て見てー」

「う、うん……!」


 勇気を振り絞り、僕は少しずつ視線を前に向け――再び固まった。


「え? 誰?」

「何言ってんのー、長谷部くん以外いないでしょー」


 クスクスと僕の頭の上で笑う佐伯くん。


「例のあの人はさー、他の人に長谷部くんのこの姿を見られたくなかったんだろうねー」

「え? 例のあの人って……」


 京ちゃんのことだ。なんで今突然、京ちゃんの話が出てきたんだろう?


 大きな目が、驚いたように僕を見つめ返している。人間、目の大きさが違うだけでこんなに印象が変わるんだ。


 鏡に映っている僕の顔は、若干男臭さには欠けるけど、ちっとも醜くなんてなかった。


 卵型の輪郭、小さめな鼻、薄くて淡いピンク色をした唇に、大きなアーモンド形の瞳。僕ってこんな顔をしてたのか。いや僕、可愛いな? 男らしさよりも可愛いが強いのは微妙にショックだけど、それよりも京ちゃんが言ってたように「全然駄目」な見た目じゃない気がする。


 あ、あれ? どういうこと?


「え、京ちゃんはだって、」


 佐伯くんが鏡越しにじっと見つめながら、教えてくれた。


「かわいーって言ったら長谷部くんは怒るかもしれないけど、かわいー顔してるよねー。例のあの人はさ、長谷部くんの目を曇らせた上で、みんなから長谷部くんを隠したかったんだねー」

「隠したかった……?」


 だけど僕には佐伯くんが言っている意味がよく分からなくて、問い返す。佐伯くんは答えないままコンタクトが入った袋を持ち、それから僕の手をまた繋いで、「お店出よー」と笑顔で言った。


「へ、あ、うん?」


 コンタクトを入れたお陰で、視界は良好だ。めがねで遮られていた部分がないと世界がやけに広く感じる。だから今はもう交通事故に遭う危険性はぐんと落ちたのに、なんだってまだ手を引かれているんだろう。


 手をぶんぶん振りながら、「長谷部くんのお家ってどこー?」と尋ねられて、「あ、徒歩圏内だよ」と答えた。


「今日は俺に付き合ってもらったから、送ってくねー」

「えええ? 付き合ってもらったのは僕の方なんだけど?」

「気分の問題ー」

「ぷはっ、変なの!」


 世界が明るく感じると、笑顔も勝手に出てくるんだろうか。佐伯くんと目を合わせながら会話をするだけで楽しくて、次第に僕も自ら繋いだ手を大きく振り始める。


 笑い声を上げながら、僕をにこにこして見下ろしている佐伯くんに伝えた。


「佐伯くんがいてくれてよかった」

「やったー」

「ね、ねえ。これからも友達でいてくれる?」


 佐伯くんだけが、僕を外見で判断しないでいてくれた。佐伯くん自身も外見でつらい目に遭ったからだというのが分かっただけに、これからも仲良くしていきたいと思ったんだ。


 佐伯くんが、ちょっとだけ首を傾げた後、笑顔で頷く。


「うん。早く友達以上になりたいけど、まずは例のあの人を撃退しないとだもんねー」

「え?」


 やっぱり言ってる意味が分からなくて聞き返すと、佐伯くんがアハハと笑った。目が見えてない時から、佐伯くんはよく笑う人だった。こんな顔して笑ってたんだなあ。意外だけど、しっくりくる。


「俺さー、長谷部くんの番犬だからー」

「へ? 番犬? どういうこと?」

「例のあの人はさー、自分で守るんじゃなくて背中を丸めさせて隠してたつもりだろうけどー、俺は背筋がしゃんと伸びた長谷部くんと一緒に沢山色んなことして遊びたいからー」

「うん? ごめん、意味がよく分からないよ」


 佐伯くんが、「あれ?」という顔で首を傾げた。


「結構はっきり言ってるのに伝わってないー」

「ご、ごめん」

「ええとねー、さっきも言ったけど、どんな俺でも仲良くしてくれる長谷部くんが大好きー」

「あ、うん、ありがと。僕も佐伯くんが好きだよ」


 友達と好きとか大好きとか言い合うのはちょっと気恥ずかしいけど、友情の確認だって一度もしたことがなかった僕にとってはただ嬉しいものだ。


 佐伯くんが、笑いながら眉をへの字にする。


「伝わってないー。俺はねー、長谷部くんの見た目に寄ってくる奴らをこれからガンガン追い払うからねって言ってるのー」

「え? 見た目に寄って……くるかなあ?」


 いくらなんでもそれはないんじゃないかな、と思ったけど、佐伯くんの意見は違ったらしい。眉間に皺を寄せて、唇を尖らせる。


「くるくるー。うじゃうじゃ来ると思うー。でも最初に長谷部くんを見つけたの俺だから、絶対譲らないー」

「うん?」


 見つけた? どういうこと?


「隠されてた長谷部くんのいいところを見つけたの、俺だからー。だから長谷部くん、俺が好きなら付き合ってー」

「うん? どこに? これから? でも別にいいよ!」

「あは、やっぱり伝わらないー」


 あはは、と楽しそうに笑う佐伯くんと話している内に、うちの前に到着した。


「あれ? どこかに付き合ってって言ってたんじゃ――」


 佐伯くんにそう聞いた瞬間、僕はビクッとして咄嗟に佐伯くんの影に隠れる。そうだ、ここなら遭う可能性は高かったのに、僕ってば佐伯くんといてすっかり忘れてた。


 唸るような低い声が、僕を呼ぶ。


「おい――こうちゃん、そいつ誰だよ」


 何故か、隣の家から京ちゃんが出てきたんだ。なんでわざわざ出てきたんだろう? しかもなんで睨まれないといけないのか分からない。


 と、怯える僕に腕を回した佐伯くんが、にっこり笑って京ちゃんに向かって言った。


「俺は長谷部くんの恋人だよー。ただの幼馴染みさんはおじゃま虫だからお家に帰ってねー?」

「さ、佐伯くんっ!?」

「あ? その喋り方、もしかしていつもこうちゃんといるもじゃもじゃか? てちょっと待てよ、恋人って一体、」 


 そ、そうだよ!? こ、恋人って!? と驚いて佐伯くんを見上げる。佐伯くんは僕の頭を撫でると、にこにこしたまま聞いてきた。


「俺のこと好きってさっき言ったでしょー?」

「あ、うん」

「なっ!?」


 何故か京ちゃんの驚く声が聞こえる。


「俺も大好きって伝えたでしょー?」

「う、うん」

「ま、待てよっ」


 あれ、あれれ? も、もしかして、僕は何かを激しく勘違いしていた……? これはもしかして、と気付いた途端、身体の奥底から熱くなってきた。


「付き合ってって言ったら、いいよって言ったよねー?」

「い……言った……」


「伝わらないー」と言って笑っていた佐伯くんの姿を思い出した。


「はあっ!? てめえ、人のもんを!」


 怒鳴る京ちゃんを、佐伯くんはさらっと無視する。


 僕の頭をイイコイイコと撫でながら、僕の目を見つめて言った。


「だから俺と長谷部くんは恋人ー。これから末永くよろしくねー」


 えっ。え、僕、そんなに佐伯くんに好かれてたの!? 衝撃の事実に、頭が真っ白になる。何も考えられないまま、オウム返しに返した。


「よ、よろしく……?」

「わーいやったー。長谷部くん、大好きー!」

「わ、」


 佐伯くんは僕をぎゅっと抱き締めると、おでこに唇を当てた。ひやっ!


「お、おい! 無視すんなよ!」


 完全に存在を無視されてた京ちゃんが、更に怒鳴る。すると佐伯くんはスッと笑顔を消して、京ちゃんを冷たい目で見た。


「……おい、誰が人のもんだって?」


 地獄の底から響いてくるような低い声に、京ちゃんがビクッとする。ついでに僕も、「え、これ誰?」とドキッとした。恐怖はない。代わりに守られてる感が半端なかった。


「てめえの勝手な屁理屈で、長谷部くんの自尊心をゴリゴリ削りやがって……!」

「お、俺はそんなつもりは……っ」


 僕らに近付いてきていた京ちゃんの足が、止まる。


「てめえの取り巻きに長谷部くんがいじめられてるの、知ってたんだろ? 知ってた癖に知らんぷりして一緒になって笑った上に長谷部くんから視界を奪っておいて、なにがてめえのもんだよ」

「そ、それは……」


 京ちゃんの様子を見て、僕はショックを受けた。京ちゃんが否定しなかったからだ。


「京ちゃん、知ってたの……? 知ってたのに放っておいたの……?」


 じわりと涙が滲む。


「そんなことをするほど僕が嫌いだったなら、なんで僕に構い続けたんだよ……!」

「お、俺はそういうつもりじゃ……」

「言い訳してもやったことに変わりはねーんだよ。散々長谷部くんを傷つけやがって、もう金輪際話しかけるんじゃねーよ」

「……!」


 京ちゃんが、何故か傷付いた顔になり。


 僕に向かって、へらりと笑いながら手を伸ばした。


「こ、こうちゃんはさ、俺を許してくれるよな……? だってさ、あいつらほら、俺のこと好きじゃん? だから庇うと余計さ――」

「一緒になって笑ってるの、僕聞いたよ」

「……! あ、あれは……」


 僕はこれまで、背も高くて格好よくてスポーツ万能な京ちゃんを、格好いいと思ってた。


 でも、違った。


「……サイテー。もう話しかけてこないで」

「――! こ……っ」


 伸ばされていた京ちゃんの手が、力なく落ちる。すごすごと家の中に消える京ちゃんの後ろ姿を見て、結局京ちゃんは何をしたくて僕にあんなことをし続けたのかなって疑問に思った。


 だけど、もう知りたくもないと思った。彼がやったことは、いずれにしても最低なであることに変わりはないから。


 パタン、とドアが閉じた音を聞いてから、佐伯くんが腕の中の僕に視線を戻す。


「……てことで、恋人万歳ーやったー」


 そうだった。


「え、あの、本当に僕のこと……?」


 先ほどの迫力はどこへ消えたやら、佐伯くんがにこにこしながら頷いた。


「うん。話すようになってからずっといいなって思ってたんだー。俺のもじゃもじゃヘア見ても動じないし、スローペースで動いてても嫌がらないしー。居心地良すぎてもう離れたくないからー」

「わ、え、あ、」

「長谷部くんが早く俺にベタ惚れになるように頑張るからねー。あ、手始めに毎日送り迎えするねー。俺、番犬だしー」

「え、あ?」


 結局、パニックになった僕はまともな返しができないまま、その日は別れた。


 そして翌日から、佐伯くんの送迎と激甘な溺愛の日々が始まったんだ。


 最初は「佐伯くん男だし!? こ、恋人って冗談じゃないの!?」ってやっぱりどこかで疑っていた僕だった。だけど次第に、心から僕を大事に思ってるのが彼の行動のひとつひとつから伝わってくる。


 やがて僕は、佐伯くんの気持ちが本当なんだと心から納得できるようになった。


 そんな彼は、毎日僕に好きだと伝えてくれる。


康太郎こうたろう、大好きー」

「わ、う、うん、ありがと……っ」


 まだ時折京ちゃんは物欲しげな目で僕を見てくることもあったし、京ちゃんの取り巻き男子と女子が僕らに近づこうとする時もある。だけど、佐伯くんが全部追い払ってくれたから助かっていた。


 佐伯くんと出会うまで僕は何も見えていなかったと、今なら分かる。


 佐伯くんは僕に色んな景色を見せ続けてくれていて、僕はそれが毎日楽しくて心から幸せだと思う。


 めがねをかけた僕も、コンタクトをしている僕も、裸眼の僕だって関係なく、佐伯くんは僕の中にいる僕を見つけてくれた。感謝で一杯だ。


 お礼を言う僕に、佐伯くんはケラケラと笑う。


「何言ってんのー。最初に俺を見つけてくれたのは康太郎こうたろうの方でしょー」


 照れ笑いをする佐伯くんに、僕はベタ惚れしている自覚があった。


 でも、まだなかなかきっかけが掴めなくて伝えられていない。


 だから僕は今朝、はっきり佐伯くんの目を見つめられるようにやっぱりまだ慣れないでいるコンタクトを付けてきた。


「今日はコンタクトなんだねー?」


 僕の家の玄関まで迎えに来てくれた佐伯くんが、今日もにっこりと笑う。


 僕はそんな佐伯くんに向かってこれから伝えるんだ。


「もじゃもじゃヘアで見えない佐伯くんも、キューピーヘアの佐伯くんも、どっちも僕は大好きだよ!」って。

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