青の娘

笛吹ヒサコ

青の娘

 異能がハズレでなかったら――

 父の美貌を受け継いでいれば──




 ナハト王国の五色と言えば、建国以来王国を支配する権力者たちのことだ。

 〈白〉のナロゥ王家を筆頭に、御三家の〈青〉のクラド家、〈赤〉のニルク家、〈黄〉のサクツ家、それから血脈に囚われないと言われている謎に包まれた組織の〈黒〉。

 王家と御三家は、悪しき神族との戦いで冥界の女神ナージェから授かった異能を現代まで綿々と受け継いでいる。異能持ちを排出しているおかげで、四つの血族の地位は今後も揺らぐことないだろう。もっとも、直系でも必ず異能を持って生まれるわけではないし、異能と言っても様々でほぼ万能な異能もあれば、使い道を見出すのに苦労するハズレな異能もある。

 〈青〉のクラド家の現当主クオン・クラドの長女エマの異能は、珍しいくらいハズレだった。 

 〈完全無欠の記録パーフェクト・レコード〉の父は、どんな異能も使いようだと言うけれども、エマの異能は本当にどうしようもなかった。

 異能持ちの間でも――いや、だからこそ、ハズレを蔑む風潮は根深いものがある。ハズレを理由に分家のそのまた分家の分家というかろうじて色を冠することを許された家に里子に出すことも、当然のことのように行われていた。

 けれども、家族思いのクオンは長子のエマを手放すことなく厳しくも大切に育てあげた。

 内政を司る〈青〉のクラド家の当主ともなれば、他国で言うところの宰相に相当する実権を握っている。

 その娘となれば、結婚相手を選びたい放題と、大抵の人は思うだろう。けれども、現実は厳しかった。

 『公明正大』、『清廉潔白』が表向きの家風のクラド家。なので、当主の娘の夫となったところで、優遇してもらえるわけではない。それどころか、夫はクラドの姓すら与えられない。異能持ちの子が出来て、かろうじて親族と認識される。クラド家に限らず、御三家と女を娶るというのはそういうことだ。むしろ、異能持ちの血を絶やさない重圧は相当なものだ。期待できるのは、持参金くらいなもの。それだって、経済を司る〈黄〉のサクツ家に比べたら慎ましいものだ。マイナス要素を覆すだけのものを、エマは持ち合わせていなかった。


 異能がハズレでなかったら――

 父の美貌を受け継いでいれば──


 彼女が、生き遅れるわけにはと焦ったのもしかたないことだった。

 明らかに持参金目当てだとわかっていたけれども、ともに過ごすうちに夫婦としての絆が生まれるだろう。幸か不幸か、両親を始めとした伯父夫婦にや弟夫婦といった周りの夫婦の関係は、それはそれは良好で夫婦とはそういうものだと信じて疑わなかったのだ。

 そんな甘い考えは、いとも簡単に裏切られた。夫に傷つけられ、姑には苦しめられただけの忌まわしい日々。父と二人の弟が連れ帰ってくれなかったら、今頃どうなっていたか。

 婚礼の日、父が用意してくれた最高の青で着飾ったあの瞬間が、幸せの絶頂だった。


 異能がハズレでなかったら――

 父の美貌を受け継いでいれば――

 いまだに考えてしまう自分が情けない。


 物心ついた頃から、常に青があった。青い服でなければ落ち着かないくらいだった。青といっても様々だ。エマが一番好んだのは、雲一つない青空の鮮やかな青。愛情たっぷり育てられて、ハズレ異能でも卑屈になることなく、天真爛漫で笑顔を絶やさない──それが、〈開かれた心サトラレ〉のエマ・クラドだった。

 大好きで誇りでもあった青だったのに、嫁いですぐに夫たちに嫁の立場をわきまえろと、纏うことを許されなくなった。嫁いできたからには、夫の家に染まるものだと、それが常識だと、これだから世間知らずのお嬢さんはなどと、罵倒されるうちに、青を纏う資格はもうないと自分を責めるようになった。笑顔の浮かべ方なんて早々に忘れてしまった。

 エマの異能〈開かれた心サトラレ〉は、任意の相手に自分の心の声を届けるというものだ。届けた相手の心の声を聞くことはできない。反ることのない〈心話テレパシー〉の劣化版である異能が唯一役に立ったのは、結婚して一年あまりで限界を迎えた心の悲鳴を父に届けたときだけ。それだって無意識だったし、自分のためでしかなく誰かの役に立ってない。むしろ、家族に多大な心配と迷惑をかけてしまった。


 異能がハズレでなかったら――

 父の美貌を受け継いでいれば──

 また考えてしまってる。


 あれから十ヶ月。

 エマは王都ナハルの父の屋敷に引きこもっていた。

 母がいる郊外の屋敷や、地方の別荘などで療養するように勧められたけれども、慣れ親しんだ土地を離れるのほうが怖かった。

 母には、一番迷惑をかけてしまった。事情を聞いた母は、すぐに郊外から駆けつけて抱きしめてくれた。母の腕の中で、声を上げて泣いた。静かな郊外の屋敷に帰ろうと言ってくれたのを狂ったように暴れて拒否した娘のために、こちらに居を移して寄り添ってくれた。


「わたしなんか、産まなければよかったのに!!」

「なんでまともな異能持ちに産んでくれなかったのよ!!」

「お母様のせいで、お母様のせいでッ」


 そんな母に、エマは心ないことばかり言ってしまった。

 本当に狂っていたのだと思う。

 娘だけでなく母まで壊れてしまうのではと危機感を抱いた父は、強引に母を郊外の屋敷に帰した。それでも、母は三日に一度はこの屋敷を訪ねてくる。

 これ以上傷つけたくなくて、あれから半年も母の顔を見るのを拒否している。

 時間が解決してくれるのを待つしかない。父は、自分に言い聞かせるように言っていた。

 誰もがエマに非はないと言ってくれた。悪いのは人でなしどもだとも。

 それはわかる。頭では理解できているのに、何も悪くないのにあんな仕打ちを受けたというのも受け入れがたかった。なにか至らないことがあったのではないか。自分にも悪いことがあれば、あの仕打ちも罰として納得できる。


 異能がハズレでなかったら――

 父の美貌を受け継いでい


「しっかりしなさい、エマ。今日から始めると決めたでしょう」


 また益もないことを考えている自分を叱咤するために、頬を叩いた。痛い。けれども、この程度の痛み、たいしたことない。苦痛でしかない行為を耐えて耐えて授かった命が流れてしまった苦しみに比べたら、全然たいしたことない。

 いつもなら、空腹に耐えかねて昼下がりにようやくベッドから這い出るのを、今日はわざと弾みをつけて飛び起きる。

 薄暗い寝室を横切って真っ先にしたのは、カーテンを開けることだった。

 思わず眩しさに目を細める。朝の日を臨むのは、いつぶりだろうか。王都の朝は、もう始まっていた。家々の煙突から立ち昇る煙。大通りの石畳の近くには靄のような灰気はいきガス。町並みの向こうには、深淵を湛えた聖湖のさざなみがきらめいている。湖上神殿の五色の旗が風にはためいている。おそらく王都の町並みを挟んで向かい合っている王宮でも、同じように旗がはためいているだろう。エマがどうしても離れられなかった王都の姿だ。当たり前のようにそこにあったのに、懐かしくて胸が熱くなった。

 深く深呼吸をして、昨夜用意していた服に袖を通す。最後に青を纏ったのは、婚礼の日だ。あれから一年と十ヶ月。短くはないけれども、長くもない。青を纏う資格を失ったなんて、ただの思いこみだった。

 姿見に映るエマは、ずいぶん痩せていた。それでも、青が似合わないなんて誰も言わないだろう。


「ちゃんと着られるじゃない」


 青を纏うだけで背筋が伸びる。体が軽くなったような、しっかり地に足がついたような、体が軽くなったような――生まれ変わった気分というのは大げさだろうか。

 軽い足取りで部屋を出ようと扉に伸ばした手が止まる。

 震えている。他人事のように思った。まだ、心の傷は癒えていないのだと。

 青い服を着たからって、結婚前の自分に戻れるはずがない。そんなことはわかっている。

 それでも、決めた。今日から、始めようと。父が言うように時が解決してくれるのを待っているなんて、自分が自分を許せなくなる。


 きっかけは、二日前。

 いつもより少しは気分も落ち着いていたから、庭先に出てみる気になったのだ。呼び鈴を鳴らせば、使用人の誰かが付き添いに来てくれるけれども、その日は一人で外の空気を吸ってみたかった。不思議と誰の目にも止まらなかったのは、もしかしたら腫れ物のように彼女を避けていたからかもしれない。出戻りの引きこもり娘なんて、使用人からしたら厄介な存在でしかないのだと、彼女はまだ気づいてなかった。

 気配を殺すように廊下により掛かるように歩く。結婚していた頃の習慣は、まだ抜けきらない。

 屋敷のどこだったか、エマは思い出せない。父の異能ほどではないにしても、記憶力には自信があったのに、この一年と十ヶ月の記憶は霞がかってはっきりしない。それなのに、苦痛だけは心にしっかり刻み込まれていた。


「お嬢様は、いつまでお籠りしてるつもりかしら」


 本当にいいご身分だと吐き捨てる女の声に、エマはビクリと固まってしまった。何を言われたのか理解するのに、数秒かかってしまった。

 家族にも屋敷の使用人たちにも、心配と迷惑をかけて申し訳ないという気持ちはあった。けれども、疎まれているとは微塵も思いもしなかったのだ。

 一人が愚痴を始めると、すぐに同意する相槌が続いた。それも複数。


「嫁いびりも、浮気性の夫も、珍しくないのにね」

「お嬢様、世界で一番不幸なわたくしとか思ってるのかしら。なんか、ムカつく」

「母は、娘のわたしがいるから、クズ男に何をされても我慢するしかなかったのに」

「同情はするけど、やっぱり御三家のお嬢様は違うわ」

「こう言ってはなんだけど、ただの穀潰しじゃない」

「旦那様も甘やかしすぎよね」

「そうそう」

「旦那様も、このまま一生お籠りさせるつもりかしら」

「うへぇ、それは勘弁してほしい」


 どうやって部屋に戻ってきたのか、わからない。

 気づいたときには、薄暗い寝室で声を上げて泣いていた。

 どうして気づかなかったのだろう。少し考えれば明らかだったのに。

 〈青〉の当主の娘ですら、あんな目にあったのだ。身分の低い女ならなおさらだと、なぜ気づかなかったのか。気づこうとしなかった自分が許せなくて悔しくて――泣けるだけ泣くと、不思議と頭がすっきりした。


 異能はハズレで、母によく似て容姿は人並み。それでも、エマは〈青〉のクラド家の当主の娘であることは決して揺るがない。父の権力は娘でも計り知れないし、弟を夫に選んだのは〈白〉の王女で、母の上流階級の婦女子の人脈は女帝と囁かれるほど豊かなものだった。

 自分と同じような女を増やしたくない。救いたい。エマ個人の力は弱くとも、周囲を巻き込めば出来る気がしてきた。

 まずは避難所を作るにしても、何をするにしても、先立つものは金だ。

 夫に限らず親兄弟、身内からの暴力を訴えられないでいる人に対しての救済方法は、すぐに思いつかない。けれども、父に相談すればなんとかしてくれるかもしれない。

 母を介してチャリティパーティーなどを開いて、賛同者を増やせるのでは。

 義妹である〈白〉の王女には、地獄のような結婚生活から脱出に協力してくれたから、もしかしたら父よりも積極的に動いてくれるかもしれない。

 金と言えば、〈黄〉のサクツ家のにも協力をしてもらおう。昨年代替わりした若当主は、弟の親友だったはず。

 女の問題なら、湖上神殿の聖女にも賛同してもらいたい。今の聖女は〈赤〉の女当主の妹だ。炎姫将軍に直接のツテはないけれども、お近づきになりたい。それなら、ニルク家の友人に久しぶりに手紙を書かなくては。以前のように文通を再開するきっかけになるかもしれない。

 これは、〈青〉の娘だけの問題ではない。それなら、他の色も巻き込んでしまおう。

 考えだしたら、引きこもっていられない。

 まる一日、頭と心を整理して、とにかく今日から始めようと決めたのだ。


 震える手を握りしめて、決意を新たに勢いよく扉を開けた。

 ちょうど食事を届けに来た使用人と鉢合わせてしまった。昨日までとはまるで違うエマに、彼女たちは目を丸くする。


「おはよう。いつもありがとう。朝食は、お父様とご一緒したいのだけど」

「え、あ……」


 驚き戸惑いながら、使用人は当主の父は今日は朝食抜きで早くに屋敷を出るのだと教えてくれた。


「もう行ってしまったの?」

「いえ、ちょうど出るところかと……お、お嬢様?!」


 廊下の真ん中を走る青に誰もが振り向く。

 玄関の車止めがギリギリ見える窓から身を乗り出すと、まさに父は車に乗り込むところだった。


「お父様ぁあああああ」


 大声で呼ばれたクオンは、弾かれたように顔を上げて目を見開いた。


「エマ?」


 二階の窓から身を乗り出して大きく手を振る娘が、青を纏っているではないか。これは夢か。晴天の空のような娘は、もうどこにもいないのだと諦めかけていたというのに。夢ならさめないでほしい。


〈お父様、お帰りになったらお時間をください。ご相談したいこと、お話したいことがたくさんあります〉


 エマの心の声は、ちっとも弱々しくなかった。


「エマ、今すぐ聞くぞ」

「旦那様、いけません」

「離せ!! 娘が、娘が……」


 今すぐに駆けつけようとするのを三人がかりで無理やり車に押し込められる父の滑稽な姿に、エマは声を出して笑いながら窓を閉める。


〈お父様、お勤めしっかり頑張ってくださいね〉


 まずは腹ごしらえ、それから郊外の母に会いに行こう。やることはたくさんある。


 異能がハズレでなかったら――

 父の美貌を受け継いでいれば──


 これからも、折に触れて悩むだろう。けれども、しょうがないと笑えるようになるためには、〈青〉の娘としてやれることは全部やらなくては。


 今日は、雲一つない晴天。

 エマが一番好きな青が広がっている。

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