第2章 刹那

第9話 春 〜在りし日に〜

「起きてください、師匠。起きてくださいってば。」


やわらかな春の日差しの差し込む部屋に少女の声が響いていた。応援するかのように窓枠で雀がちゅんちゅんと泣いている。声をかけられた青年はベッドで寝息を立てていた。


「今日は一緒に買い物に行ってくれるって言ったじゃないですか。」


少女がゆさゆさと肩をゆすると、青年は腕を眉間にあててかすかに目を開いた。かと思うと、ゴロリと寝返りを打ってまた寝息を立て始める。


「もう~~~。もうすぐ昼になるんですよ。いい加減起きてください。」


そう言って少女が布団をはぎ取ると、ようやく青年はむくりと体を起こした。眠そうに目を擦りながらふわぁっと呑気にあくびをしている。そのまま寝起きでぼさぼさの頭をガシガシと掻きながら「もう朝か」などとのたまった。


「もう昼です。早く起きてきてくださいね。これから買い物に行くんですから。」


少女は怒りを込めて布団を投げつけると、ドスドスと階下に降りて行った。




 アイシャが弟子になってから、早くも2年が経とうとしていた。あの後、知ったことなのだが、師匠は非常に高名な冒険者だった。


 当時無名のDランク冒険者であったにも関わらず先の魔族との戦いで序列6位の魔族を倒し、史上最速、最年少で冒険者のトップクラスであるSランクにまで上り詰めた時の人。街を歩けばあちこちから黄色い悲鳴と羨望の眼差しを集める。それほどのすごさを持ちながら、おごることなく誰にでも分け隔てなく真摯に接する様は、まさに冒険者の鑑だともっぱらの噂だった。


(師匠は外面そとづらはいいからなぁ。)


別に内面うちづらが悪いというわけではない。ただ、プライベートではとにかくだらしがない人だった。脱いだ服はそこらへんに散らかすし、すぐにベッドでごろごろしたがる。着替えもせず布団に入ろうとするものだから、汚いから着替えてくださいと注意すると、「じゃあソファでいい」と言ってそのままソファで寝落ちする。そのくせ寝起きは悪いのだ。寝つきが悪いようなところで寝るのだから、そりゃ寝起きだって悪いだろう。師匠を見てきゃあきゃあと騒ぐ女子たちに見せてやりたいぐらいだった。


(いや、逆にお世話してあげたい、ギャップがたまらないとか言って騒ぐかなぁ。)


思わずため息が零れ落ちた。まぁ忙しい人なので仕方ないのかもしれないが。


 師匠はときどき夜に任務に出かけていることもあった。心配させないようにと思ってなのか、人の寝静まった夜中にこっそりと出かけているようだが、2年も一緒にいればさすがにバレる。仕方がないと思うことにしてまたため息をついていると、おかみさんが心配して声をかけてきた。


 ちょうどそこに師匠が階段を下りてきた。寝起き感を感じさせないキリッとしたたたずまいをしている。アイシャが女将さんに「何でもないです」と言っていると、師匠は何食わぬ顔で隣のカウンター席に腰かけて、昼食を頼み始めた。思わず横目で睨みつけると、さわやかスマイルで返された。アイシャが師匠に弱いのをわかってやっているのでたちが悪い。


 じっとにらみ続けていると、後ろ髪が少しだけはねているのに気がついた。


「師匠、後ろハネてますよ」


そう言うと、師匠はごそごそと髪の毛をさわって直ったか聞いてくる。違いますよ、もっと下、もうちょい上などと言っても全く目的の場所に届かない。しばらくしてもうまくいかないことに焦れたのか、「直して」と言ってこちらにすっと頭を差し出してきた。


「っ〜〜〜」


思わず無言の悲鳴を上げた。こういう無防備なことをされると信頼されていると勘違いしてしまう。師匠にとってはただの都合がいい弟子なだけなのに。この人はつくづく人たらしだ。



 師匠が朝ご飯を食べ終わると、ようやく買い物に出かけた。やはりというべきか、外を歩くだけで視線を集める。羨望や憧憬のものもあれば、ねたみやそねみ、あるいはなぜ悪魔の落とし子なんかが隣りにいるんだとでも言いたげな怒気のこもった眼差しもあった。だが、師匠は欠片も気にしていないといった様子で堂々と歩いていた。時おりファンやお近づきになりたい女性陣から声をかけられることもあるが、師匠は用事があるからと素気なく断っている。


(お誘いを断るぐらいなら朝から起きてくれればいいのに。)


そう言いかけて、その言葉は胸にしまい込んだ。そもそも自分がこんな良い暮らしをできているのは全て師匠のおかげだった。それだけで感謝すべきことだった。文句を言うなどお門違いだ。そう思いなおして黙っていると、何を思ったのか師匠は頭をポンポンと叩いてきた。隣を見遣ると、少し申し訳なさそうに眉尻を下げている。


「悪かったって。今度からはちゃんと起きるからさ。」


その言葉に、アイシャは思わず口元が緩みそうになった。師匠はいつも欲しいときに欲しい言葉を的確にくれるのだ。心を読む能力でも持っているんじゃなかろうかと思う。緩む頬を必死に抑えて唇を尖らせると、アイシャは今の心境をそのまま吐露した。


「いいんですよ、無理しなくて。私はただの弟子ですから。」


そう言うと、師匠は少し驚いた顔をした後、心底何を言われているか分からないとでも言うようにクスクスと笑って言った。


「いいんだよ。アイシャは。俺のたった一人の愛弟子だろう。」


そう言った師匠はとても晴れやかな顔をしていた。


(やっぱり師匠は人たらしだ。)


この気持ちは絶対に悟られまいとするように、アイシャは口を真一文字に引き結んだ。



 しばらくすると、ようやく目的地の武器屋に着いた。今日の買い物の目的は武器屋でアイシャ専用の魔法の杖を買う事だった。


 一般的に、魔法をメインに使用する冒険者は自分専用の魔法の杖を持っている。冒険者になりたての場合は持っていないこともあるようだが、一流と呼ばれる冒険者であるほど良い杖を持っているそうだ。ある種のステータスでもあるのだとか。人族の間では良い杖であるほど魔法が行使しやすくなると言われているが、アイシャにとっては杖などあろうとなかろうと関係ない。だからいらないと言ったのだが、


「俺の弟子が杖も持っていないなんて格好がつかないだろう。」


と嘘か本当か分からないことを言って、師匠は強引に買うと言ったのだった。


 武器屋の中には大小様々、色とりどりの杖が並べられていた。蛇が巻き付いたような形をした木彫りの杖から、ルビー、サファイアなどの宝石が組み込まれた銀細工のきらびやかな杖まで。値段も物によってまちまちだった。


 つい楽しくなってあちこち見て回っていると、その中でもひときわ輝く杖があった。その杖には真っすぐな柄に蔓が絡みついたような文様が掘られており、持ち手の部分には大きなオパールがはめ込まれていた。そのオパールは乳白色の下地に澄んだ空色が浮かび上がったような輝きを放っている。何より杖全体がうっすらと紫色に光り輝いていた。


(これは魔道具だ――)


アイシャは思った。


 魔法陣などは描かれていないため一見するとただの杖に見えなくもないが、明らかに魔力が込められている痕跡があった。おそらく魔族の匠が作った杖ではなかろうか。思わずその杖に魅入られていると、いつの間にか師匠が近くにやってきていた。


「これがいいのか。」


そう言って杖を持ち上げる。思わずアイシャは目をキョロキョロと泳がせて、激しく首を横に振った。


「違うんです。ちょっと珍しい形だなと思ってみてただけで……」


その杖の値札には、「霊木の杖」という名の下に明らかに法外な値段が書かれていた。いくら師匠の稼ぎでも、3か月分ぐらいはしそうな値段だった。弟子にやるにはあまりにも高すぎる。


 そう思っていると、師匠はいぶかしげに片眉を上げた。明らかに疑われていた。思わず目を伏せると、気がつけば師匠はレジに直行していた。慌てて追いかけるも後の祭りで、師匠はさっさと会計を済ませて、手に杖を握らせて言った。


「俺の目と同じ色の宝石なんだから大事に使えよ。」


にやりと笑みを浮かべてからかい交じりにそう言うと、またさっさと歩きだした。


 アイシャは慌てて追いかけた。だんだん師匠に借りばかりができてくる。もはやどうやって返せばいいのか分からないぐらいだった。


「ありがとうございます。大事にします。」


と言った後、アイシャは勢い込んで言った。


「ぜったいぜーったい、何年かかってでもお返しをしますから。ちゃんと覚えててくださいね。」


そう言うと、師匠はひらりと右手を上げていった。


「期待しないで待っとくよ。」


そう言った緋倭斗の口角が嬉し気に上がっていたことに、背中を追いかけていたアイシャは気がつかなかった。

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愛弟子は憎んでいたはずの魔族だった Wacco @Wacco

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