もじゅらむ

百舌すえひろ

もじゅらむ

もじゅらむは筆をとった。

書き初め用の太くて大きい毛筆に、たっぷりの墨汁を吸わせると、白紙にベッタリと押し付けて筆を滑らせる。

一枚目の空白が消えると二枚目を用意し、二枚目の空白が消えると三枚目に……何度も何度もなにかを書いていた。

なにかとしか言えないのは、内側から観察していた私には、日本語や漢字として認識できない文字だったからだ。

筆を走らせるもじゅらむには、何かを書いている自覚があるようで、筆に迷いがない。内側で見ている私にはさっぱりわからない。

すべての紙を毛筆の筆跡で埋め尽くすと、もじゅらむは水をはった桶を持ってくる。

そして今まで書いた紙を束にして、すべて破り、小さくちぎって水に入れた。

水に浸った筆跡の紙片は、桶の中をゆっくりと赤く染める。


なんて無駄な行為だろう。

もじゅらむ、君は何がしたいんだ。

これでは墨汁と紙の無駄じゃないか。内側の私が独り言のように呟く。


もじゅらむには届かない。

もじゅらむは桶の水が赤く染まることに満足してるのか、じっと中を見ている。


ところで、なぜ桶の水が赤く染まるのだろう。

内側の私は夢の中だと気づきながら、その世界が見せるよくわからない現象にきちんと疑問を抱いている。

なぜもじゅらむは文字を書く?

なぜ破いて水に浸す?

答えが得られないまま、どんどん次の事象が起こる。


「もじゅらむ、清少納言はどうだった?」

背後で少年の声がした。

「彼女のことよく知らない」

もじゅらむが答えた。

「嘘つけ、この前まで絶賛だったじゃないか」

「せっかくだけど、わたしには自信がない」

「次は何を出すんだ」と少年が言うと「明子がなぁ……」ともじゅらむが言った。

明子って誰。

内側の私は独り言を言う。


「どうしてこんなことができるのかな」

少年は赤く染まった桶を見て批難めいた言い方をしてきた。

「蛆のように沸く文字を頭から出しただけだ」

もじゅらむは桶から出る赤い色を眺めて泣いていた。

「なんの話にもならない文字が涌き、頭の中を占拠して身動きがとれなくなってしまう。誰にも望まれず生まれてしまったものは密かに堕ろす他ない」


桶は真っ赤に染まっていた。

毛筆の紙片が見当たらない。


「お前はこれからもそうするんだな」

少年が言うと、もじゅらむは泣きながら頷いた。


「誰にも求められずに産み落とされたものは、他者に必要とされるか支配する力を持たなければ、あやふやなまま流される悲しい存在だよ」

そう言ってもじゅらむが桶の水を足元に捨てると、地面に幾筋もの泥の川を作り、中から濁った泡の花が浮き上がる。

『お前は担がされてることがわかっててここにいるのか』と、もじゅらむが内側の私に向かって言った。

担がされている?なにに?

私はよくわからないで答えた。


『他者の衝動のままに産み落とされた無意味で悲しいもの。満たされようとするならば、他者を利用して生きる覚悟がなければ、浮上できずに踏み潰されるだけ』


目が覚めて泣いていた。

墨汁の黒、赤く染まる水、泥水の焦茶と黄土色。

こんな夢は二度と見たくない。

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