心の色 [KAC20247]
蒼井アリス
心の色
人の感情には色がある。
怒りや興奮を感じている時は赤、嬉しいときは黄色、落ち着いているときは青、落ち込んでいるときはグレー、恋をしているときはピンク。僕にはその色が見える。
僕の仕事はフリーの動画クリエイター。クライアントは個人から大企業まで様々でプロジェクトの規模はいろいろだが、クライアントが気に入るものが提供できるかどうかが決め手になるのはどのプロジェクトでも同じだ。その結果を出すために僕のこの力は大いに役立っている。
今回のクライアントは雑誌にたびたび取り上げられるような有名人、イケメン書道家・椎名飛龍。遺伝子的には日本人らしいが、生まれ育ちも海外で日本語より英語のほうが得意らしい。
日本語や漢字を忘れないで欲しいという両親の希望で書道を始め、絵画を描くように文字を書くそのスタイルと芸術性が海外で人気を博している。
彼の拠点はロンドン。今回日本で初めて開く個展のプロモーションのための動画制作の依頼が僕のところに舞い込んできた。
なぜ僕に白羽の矢が立ったのかというと、僕が手掛けた企業CMのショート動画を偶然見かけ、制作者の名前を調べて僕の作品をネットで何本か閲覧したそうだ。「なんとなく」雰囲気が良かったという理由で彼のエージェントが僕にDMを送ってきた。
僕はこの「なんとなく」というのに戸惑っている。あちらからの大まかな要望は聞いているが具体的な指示は一切ない。もう少し具体的なイメージを伝えてくれないと案を考えるこちらは雲を掴むような状態でどこに向かって進めばいいのかまったく分からない。
このままではプロジェクトが頓挫してしまう。僕はダメ元で椎名さんとの直接対面のミーティングを希望してみた。
オンラインミーティングのカメラ越しでも色を見ることはできるが色が出るタイミングがずれることもあるので正確に感情を読み取るには直接対面ミーティングが望ましい。
椎名さんはロンドン在住。直接対面が簡単ではないことは分かっていたので実現は諦めかけていたのだが、エージェントから椎名さんが直接対面ミーティングを望んでいるとの連絡が入った。
自分から要望を出しておいていざ実現するとなると恐れ多くて足がすくんでしまう。
個展会場の下見とスポンサーとの打ち合わせのため来日する予定があるので、その時にスケジュールを調整して時間を作りませんかとのことだった。
もちろん時間作りますとも。何が何でも作りますとも。
****
ミーティング当日、指定された場所に向かうと椎名さんのエージェントが出迎えてくれた。彼の心の色は青。メールのやり取りからも感じていたが冷静沈着で穏やかな人なのだろう。
僕と挨拶を交わすとうっすらと黄色い色が混じる。
僕は会議室に通されて椎名さんが来るのを緊張して待っていた。僕のような無名の動画クリエイターに新進気鋭の書道家が直接会ってくれることがまだ信じられず夢でも見ているようだ。
やがてノックの音がして先ほどのエージェントが会議室に入ってきた。その後ろには椎名飛龍様ご本人が。エージェントの感情の色は落ち着いた青のまま。そして次に椎名さんの姿を見て驚いた。
――無色
今まで色のない人に出会ったことがない。感情に動きが少ない人でも必ず淡い色がついている。だが、彼には色がない。強いて言えば美しく透き通った透明。
今回ミーティングを希望したのは動画の案をプレゼンして椎名さんの感情の色がどう変化するのかを確かめるためだったのに彼の感情が無色だと判断できない。困った。
「では始めましょうか」
青に少し興奮の赤が混じったエージェントがミーティングを進める。
僕は用意してきた動画の案をプレゼンする。イメージしやすいように簡単な絵コンテも添えてある。
無我夢中でプレゼンを終えると、エージェントの感情の色が黄色に変わっていた。気に入ってくれたようだ。
エージェントの好意的な反応に胸をなで下ろしていると、突然眩しいくらいのオレンジ色が目に飛び込んできた。眩しすぎて目が開けていられないほどだ。それは椎名さんから放たれた色だった。
金色に近い黄色と興奮の赤が混じり鮮やかなオレンジに。
彼の感情の大きさは規格外だった。普段は感情の波に飲み込まれないように自制しているが故の無色だったのだろう。
これほど激しく大きい感情を生み出し、自身の内に収められる椎名さんはやはり凡人ではない。
椎名さんは嬉しそうに微笑みながら立ち上がり僕に近づいてきた。オレンジ色の眩しい光がどんどん強くなる。
彼は右手を僕に向かって真っ直ぐ差し出し「素晴らしい。僕が期待していた以上の動画になりそうだ。あなたにお願いして本当によかった」と言う。
僕は彼のオーラに圧倒され、握手をしながら「あ、ありがとうございます」と答えるのがやっとだった。
僕の手を握ったまま「あなたと一緒に仕事をするのがとても楽しみです」と言う椎名さんの感情の色が少し変わった。
眩しいオレンジの中にほんの少しピンクの光りが生まれていた。
そのピンクは僕に対する心の色なのだろうか。僕はそう願いながら彼の手を離せずにいた。
End
心の色 [KAC20247] 蒼井アリス @kaoruholly
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます