「雨の中の偽善」前編

 〇


 今朝は雨が降っていた。

 いつもよりも少しだけ遅れた時間に目が覚めたせいでルーティンにずれが生じ(とは言ってもちゃんとしたルーティンがあるわけではなくて、普段よりも早めにご飯を食べて、身支度を整えただけ)、急いで大学に向かった。

 新学期が始まっておよそ二週間弱が経ち、一人暮らしだけでなく、バイトも学業も視野に加わり、考えなくてはならない事が増えたため疲れが体感三倍くらいになった。

 もしもバイトを休日に入れていたり、親からの仕送りがなかったりすればこのぎりぎりの均衡も簡単に崩れ、あっという間に帰省することになったと思う。

 マンションのオートロックには随分慣れて、実家にいた頃の、あれ鍵閉めたっけ? なんて心配をすることがめっきり無くなった。慣れというのは怖い。

 大学帰りにもまだ雨は降っていた。

 帰ってから何か予定があるわけでもない僕だったが、今日は急いでいた。

 どうしても気がかりになっていることが一つだけあった。バイトの日程だったりとか、レポートの締め切りだったりとか、そういう自分にまつわる心配事ではなく(まぁ、そこまできっちり真剣に管理しているわけではないので心配ではない、というのは問題であるが……)、他の、他人事に近い事だった。

 僕は、自分のマンションの前に到着すると、少し逸れた場所に位置する駐車場に小走りで向かった。傘をさしながら走ったので少し水滴が零れ、ほんのりと髪の毛が濡れてしまった。

 駐車場には何台もずらりと横並びに列を組んだ車があり、その背後にグランドカバーの植物がきれいに手入れされた形をしている。 僕の車はないが、たとえ中古車だったとしても、ここに駐車すれば見栄えが良くなると思えるような、気遣いがされている。

 その駐車場の奥の方。いつも空いている駐車場所のグランドカバーと車止めの間。

 今朝は急いでいて見て見ぬふりをしてしまったが、確か布の敷いてある段ボールが一つあるはずだった。そして、その中には濡れた状態の犬がいたはずだった。

 今朝からおよそ数時間は経っている。その間に誰かに保護してもらったりしていれば別だけど、誰にも見つけてもらえず、ずっと雨に打たれていたとしたら、少しぞっとする。そう思うなら、初めから何とかしておけばよかったのだが、つい人任せにしてしまった。

 まぁ、頼まれてもいない事ではあるのだけれど。

 僕はその駐車場所の前についた。

 すると、そこにはすでに誰かいた。先客というのも変だが僕と同じように心配してきてしまったのかもしれない。その人は段ボールに雨が当たらないように傘をさしており、背中は少し濡れていた。

「……」

 一度見て見ぬふりをした身ではあるものの僕はホッとして、つい胸を撫でおろしていた。

 すると、僕の気配を感じたのか、その人は傘を段ボールに傾けたまま、後ろを振り向いた。

「あ」

 水に滴る綺麗な黒いショートヘアに、ウサギのような赤い瞳、そして頬には見覚えのあるホクロ。

 ーー僕の姪っ子。駆動飛鳥がいた。

 傘のしたで、更に両膝を曲げているせいか、小柄な身体がより小柄に、まるで小鳥のように小さく感じた。普段通り、特に表情を変えることはなく、やはりダウナーな落ち着きがあり、僕の方が年上だというのに自分が頼りなく見えてしまう。

 ただ、最近、その落ち着きのある駆動飛鳥のイメージが僕の中で少し、崩落してきた、いや、もともと駆動飛鳥のイメージが落ち着きのある子という程度で具体的ではなかった。、ずれ、というか、もやのようなものがかかって、具体的に想像できない感じ、性格を一言で表せない状態に近い気がする。

 それも、仕方がないと僕は思っている。

 もともと、姪っ子だからと言って今までずっと仲が良い親戚さん、というわけではなかったしむしろ年末に挨拶だけするような、話したことのないクラスメイトのような関係だった。

 あの魔法少女に会わなければ多分、駆動飛鳥の事はずっと落ち着きのある親戚、というイメージのままでいたと思う。

 バイト帰りの道で、魔女に財布を盗まれたときのことだった。颯爽と現れ、魔女を撃退し無事に財布を取り戻してくれた魔法少女に出会った。その魔法少女は軽やかな口調で、割と元気に喋っていた。

 その魔法少女は、雪のような白色ではあったが、ウサギのような赤い瞳と頬には見覚えのあるホクロがあり、白色の髪以外はまるで駆動飛鳥だった。もしかして駆動飛鳥なんじゃないかと思ったけど、そんな情報があれば、親戚繋がりで知っていそうなものだし、言い切れなかった。

 でも、気がかりではあった僕はあの日からバイト帰りは少しだけ寄り道ようになっていた。公園を意味もなく一周したり、マンションの周りを適当にぶらぶら歩きまわったり。あわよくばまた事件に巻き込まれないかな、と考えていた。

 本気で魔法少女を探しているわけではなく、ちょっと気になっていた程度だった。

 あの魔法少女を見て駆動飛鳥なのでは、と思ったが、逆に駆動飛鳥を見てあの魔法少女を連想することが出来ない。駆動飛鳥が魔法少女であると思えないのだ。もしもまた会えば何かわかるかもしれない。

 それに、どういうわけか、あの魔法少女は昼間には絶対に見かけない。見かけるのは夜の間だけで、でも人助けをした後はすぐにいなくなってしまう。高難易度のもぐらたたきのように神出鬼没でかつ即座に隠れてしまう。

 僕の知っている魔法少女はもっと、こう、自信満々でファンサービスも欠かさない。もはやアイドル的な立ち位置だったから、その様子は新鮮だった。

 だから、あの駆動飛鳥似の魔法少女の事を少し、他の魔法少女とは(と言っても僕に染み付いている魔法少女像はテレビなどで活躍する有名な人ばかりだけだが)、違う気がしていた。

 話す機会が訪れたのは、三日前の夜だった。

 いつも通りバイト終わりにマンション周辺を徘徊していた。一通り回ったあと、近くの公園に寄った先で、白色の髪をした、あの魔法少女を見かけた。

 魔法少女はベンチに膝を曲げ太ももの下に手を回しスカートを抑えながら座って、ボーっと空を見ていた。

 周りの様子を全く考えていなさそうな、完全に自分の世界に浸っている様子だった。

「あ、あの」

「……」

「えーと、あの?」

「……」

「……」

 僕の問いかけは駆動飛鳥似の魔法少女にはまるで聞こえなかったようで、微動だに反応してくれなかった。

 大声で呼んでみるべきなのか、それとも肩に手を置いてみるべきなのか、悩んで立ち竦んだ。どうするのが答えなのかは分からなかったが、どちらにせよ答えをすぐに出せないところに、僕のコミュニケーション力不足がうかがえて、今思えばなんとも情けない。

「あれ、えーと変な財布の人だっけ? 何か困りごとでも?」

 結局は立ち竦んでいた僕を駆動飛鳥似の魔法少女が見つけて、逆に話しかけてくれるというラッキーに助けられた。思わずホッとしたのは言わないでおく。

「あぁ、えーと、ちょっと散歩してたら、見かけて。で、前のお礼でもしようかなって」

「あぁ、そう。……そういえば、財布あの後また落としていたよね。偶然会った女の子に届けさせたけど、大丈夫だったみたいだね」

「うん、まぁ……」

 もしも、その女の子が駆動飛鳥本人じゃなければ、この魔法少女、言ってはあれだけれど、かなり変わっている。だって、偶然会った女の子に割と大金の入った財布を届けさせるか?

 でも、僕はどうしてもこの魔法少女が駆動飛鳥に見えて仕方がなかった。

「なんか飲み物でもおごらせてくれよ。本当に助かったから」

「……」

 駆動飛鳥は沈黙した。じっとこちらを見ている。まるでその姿は野良猫のようで、人間がちらつかせた餌を、貰いに行くかどうか悩んでいるようだった。

 要は警戒されている気がした。

「……お礼は受けない主義なんだけど、たまには、いいか」

「そ、そっか。何かーー」

 買ってくるけど、何がいい、と聞こうとした時だった。駆動飛鳥似の魔法少女は僕を見て、呆れたように微笑した。どこか自嘲的な笑顔だった。

「でも偽善だよ。魔法少女は魔法を自慢したくて人助けをするんだ。だからお礼なんて考えなくてもいいんだよ」

 僕に言い聞かすようにそう言った。

 その時、僕はどう思っただろう。

 心のどこかでは分かっていたことだったのかもしれないけれど、実際に目にしてみて、ただただ、衝撃的だったのかもしれない。

 魔法少女は魔法を自慢したくてやっている偽善的な人助け。世間ではそう言われたりしている。僕自身もどちらかと言えば、そっち方面のイメージだった。

 なのに、どうしてか、言い返したくなった。

 しかし、僕は何も言えなかった。

 魔法少女がそんなことを思っているなんて思わなかったから。いや、思わなかったのではなく、自覚できていなかった。魔法少女のイメージに囚われ、魔法少女はそう思っているんじゃないの、と勝手に決めつけていた。

 その後、僕はコーラを買ってきて渡そうとしたら、もう彼女の姿は見当たらなかった。

 魔法少女とはその日以来会ってはいない。

 結局駆動飛鳥かどうかは分からなかったまま終わってしまっただけだったが、まだ僕は駆動飛鳥が魔法少女なのかもしれない、と思っている。

 だから、今、目の前にいる駆動飛鳥の事をただの親戚と語ることは出来なかった。

「ーー駆動、えーと確か、芯地さんでしたよね?」

 駆動飛鳥が傘をさした状態でしゃがんだまま首を傾げていた。相変わらず落ち着いた表情で。

 財布を届けてくれた時のような慌てた雰囲気でもなく、駆動飛鳥似の魔法少女のような自嘲的な雰囲気でもない。これこそが僕の知っている唯一の駆動飛鳥。

「あ、それ」

「犬がいました。朝からだと思うんですけど、ずっと放置されっぱなしで。震えていました」

「……まじか」

 僕は駆け寄った。段ボールに入っている犬は必死に丸まって熱を逃すまいとしていた。毛はすでにびしょびしょで、いくら丸まっても温まるとは思えない。このまま放置されていたら、死んでしまいそうだった。

 もしも僕がもう少し気にかけていたら。朝、少しでも早く起きていたら。

 罪悪感が胸の中にあふれてきた。できたはずの手助けを放置したようで気持ちが悪い。

「でも、ここに傘が置いてあったから、雨にはもう当たらなくて済むと思います」

「え? 置いてあった? その傘は君のじゃないの?」

 駆動飛鳥の少し濡れた髪を見た。まるでついさっき濡れたような程度の具合だ。もしもそれが駆動飛鳥の傘でないのなら、今まで雨をどう凌いだというんだろう。あ、いや、折り畳み傘か。

「うん、今日は傘を忘れたから」

「え」

 そう言って、駆動飛鳥は傘を持たずに段ボールに置いて立ち上がり、雨を全身で受けた。

 そのまま歩いて行ってしまう彼女を僕はただ茫然と見ていた。

 なんとなく傘の取手を見てみると、【駆動飛鳥】という名前の書かれたシールが貼ってあった。

 やはり、傘を置いたのは駆動飛鳥だった。自分のじゃないと言っているのはこの犬のためなんだろうけれど、そこまでするものなんだろうか。いや、するべきじゃないと言いたいわけではなくて、何というか、名前を隠す必要は無いでしょ。

 今この場においてこの感情はあまりいい物ではない気がするけど、僕はどこか悔しかった。もちろん僕の姪っ子は勝ったわけじゃなかったし、僕も負けたわけじゃない。だけど、何か大切な試合に負けてしまったような敗北感が残っていた。

 だから、だと思う。どうしようもなくなってあんなどうしようもない決断をしてしまったのは。

「いや、傘。忘れているよ」

 僕は雨に濡れる駆動飛鳥を呼び止めていた。

 そして段ボールを丁寧に持ち上げてこう言った。

「こいつは僕がしばらく面倒を見るからさ」



「お兄さんって割といい人だったんですね」

「え? 何、なんて言った?」

「前は関わりたくないなと思っていた、って言いました」

「関りたくないって……僕なんか変な事したか?」

「……初対面の女子に魔法少女が可愛かった、と、べた褒めするのはドン引きでしたけど?」

「確かに。ごめん」

「別に謝らなくてもいいですけど。ーーそれよりも、お兄さん、犬飼った事ないんじゃないですか?」

 僕はあれから、駆動飛鳥に連れて帰ると宣言し、段ボールごと犬を連れてダッシュで帰ってきていた。

 段ボールも僕も濡れていたが、そんなのお構いなしに風呂場に直行し、ゆっくりと犬をバケツに移し、上から弱めのシャワーを流そうとしていた。

 正直、犬を飼っていたことがない僕だったのでどのようにすればいいのか分からず、とにかく手あたり次第やってやる、という大雑把さだった。でも冷えている体を温める必要があることは誰にだってわかる。当然僕でもわかっていた。しかしーー。

「ーー長時間雨にうたれていたんですよ。体力的な問題でゆっくり温めた方がいいんですよ。なのに、いきなりシャワーを流そうとしていて」

 駆動飛鳥が後から来てくれて本当に助かった。過去に犬を飼っていたことがあるみたいで頼もしい助っ人だった。

「シャワーで急激に体を温めるよりもまずは、タオルで濡れた体を拭いてあげて。で、ある程度乾いたら、毛布でゆっくりと回復するのを待てばいいですから」

 毛布がなかったので代わりにたくさんのタオルで代用することになったが、不思議なことにタオルで水を拭きとったら不自然にも急に体温が上がり、どういうわけかうまくいったようだった。駆動飛鳥自身もそんな風になるとは考えていなかったらしく、首をひねっていた。

 そうしてとりあえず新しい段ボールにタオルをひいて寝かせ付けた。僕と駆動飛鳥はその様子を見ながら、ホッと息を吐いた。

 僕は助けてくれたお礼にとお茶と適当なお菓子を出した。駆動飛鳥は断ろうとしていたが、僕一人に任せておくと心配だから、と言って残ってくれた。僕としては駆動飛鳥が魔法少女だとはこの時たいして考えておらず、純粋に感謝の気持ちでいっぱいだった。

「飛鳥でいいですよ。親戚らしいですし」

 駆動飛鳥はカーボな感じの私服だった。僕が犬を連れ帰ったあとすぐに着替えてきたらしい。

「僕は駆動芯地。シャー芯の芯に地面の地」

「珍しいですね。なんか」

「だよね。しんじと言えば、真面目の真が付く真司とか、信じるの信がついたやつとかが多いのにね」

「でも、そういう方がなんだか普通とは少し違う感じがしていて良くないですか?」

「そう?」

「私の飛鳥はあすかって打つと一番目に来ることが多いんです。メジャーな名前です」

「ふふ、まぁ、分かりやすいから僕としてはいいと思うけどね。ほら、キラキラネームとかだったらさ、何て読むのか分からないことがあるじゃん? そう考えるとメジャーな名前って呼びやすくていいと思うよ」

「かもしれませんね」

「だよね。うん」

「……」

「……」

 僕らは名前の他にもペットの話題で話していたが、やはり最終的に沈黙に至ってしまう。沈黙に至った時はなんとなく犬の方をちらりと見て、「寝ているね」とか「眠っていますね」とか言っていた。

 僕としては、二つ下の高校生相手にしかも相手が自分よりも少し大人びた駆動飛鳥だったし、どんな会話をすればいいのか、何がマッチするのか、全然わかんなくて手あたり次第に聞くのも、面倒くさがられそうだし、と思った結果、随分と遠慮がちに話していた。

 会話が空回りしているような気分だった。

 そうなってしまえば、やっぱり犬を見るしか僕にはできない。何か聞いておくこととかあるだろうか。魔法少女について? いやこの場でその話題はやめておこう。チャンスではあるけれど、その話をするために呼び止めたわけじゃない。

「あの、傘、なんですけどぉ」

 沈黙を破るように駆動飛鳥は言い出した。どこか苦々しい態度で、緊張感を纏わせながら絞るように声にしていた。僕はその様子を見て内心慌てた。

 そう言えば、駆動飛鳥は傘を置いて行こうとしていた。それには彼女なりの優しさの印だったのだ、それを僕はなんか急に湧き出てきたくそみたいなプライドのせいで踏みにじり、なきものとしてしまったのだから、と僕は思い、怒られるかなと思ったのだが、全然そういうのではなかった。

「偽善、でしたよね。でも私はあれしかできなかった。ここのマンションじゃ動物飼うの禁止だし、そもそも持ち帰ってもお父さんが犬アレルギーだから許してくれない。だから、傘を置くしかなかったんです」

 駆動飛鳥の声は震え、更に涙目になっていた。しかもそれが怒りによるものではないと感じた。

 僕は唖然としてしまい、慰めも言い訳もいくつか考えたのだが、その言葉が一気にパっと消えてしまった。

「本当に助けたかったら、後先なんて考えずに、お兄さんのように素人であろうと手を差し伸べるべきだった。分かってはいたんですけど、下手に関わると面倒を見なきゃいけなくなるんじゃないか、とか思って傘は自分のじゃないって言っちゃったんです」

 この言葉を聞いて、僕は三日前の夜の、魔法少女との会話を思い出した。

 あの時、自嘲的に、偽善だよ、とつぶやく彼女に何か言い返したくなったことがあった。ただ、それが何なのか思いつかなかったから、言えなかった。

 でもあれから考えた。三日間考えてみた。それでなんとなく言いたかったことが分かった。

 僕は助けられたときに、自慢されたとは一切思わず、助けてくれてありがとう。本当に助かったんだと感じた。たとえ自慢目的の偽善だったとしても。

「僕はーー」

 駆動飛鳥とあの魔法少女が同一人物である確証はないけれど、あの魔法少女にも言うつもりで駆動飛鳥に、三日間考えた末の答えを話した。

 今思えばこの時の答えが、これから先に出来事を通して駆動飛鳥があの魔法少女なのかもしれないと本気で疑うようになるのだった。

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やはり姪っ子は魔法少女なのかもしれない 真夜ルル @Kenyon_ch

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