第2話

 僕はこの街に魔法少女がいるなんて噂は聞いたことがない。そもそも魔法少女は魔法取締局が年々増加傾向にある魔女や魔導士による魔法の悪用被害を抑える為に、考えられたパトロール隊のような仕事。

 だから、被害の多い都心では魔法少女の目撃が相次いでいるが、僕の住むこの街はお世辞にも都会とは言えず、どちらかと言えば田舎。街というよりも町が似合っているかもしれない。とは言え、本当の田舎、つまり街灯が一つもないような町に比べればここは全然都会だと言えるが。

 そんな街ではそもそも魔女や魔導士の目撃情報自体が少ないから、魔法少女を雇う必要があまりない。

 気が乗らなかったけれど、中学の頃、友達に誘われてわざわざ都会で魔法少女探しなんかもした。あの時の事はあんまり思い出したいとは思えないけれど、まるで自慢するかのように、魔法を見せつけているのが苦手だった。

 ここからは主観になってしまうけれど、魔法を見せつけたい人がする嫌なアルバイトのように思えてならない。正直、僕がここの地域を引っ越し先に決めた理由に魔法関連の噂がほぼないから、というのも含まれていたのに。

 ーーいけないな。

 色々と考え込んでしまうのは僕の悪い癖だ。

 今回は単純に魔女がいて、魔法少女が僕を助けてくれた。それでいい。それだけでいい。

 魔法が使えるのを自慢するためだったかもしれないけれど、それでも助けてもらったのは事実で感謝している。

 ただちょっと、苦手なだけ。

 そんなことを考えながら、僕はようやく自分のマンションの前に戻って来た。

 ポケットから財布を取り出して、ホッとした気持ちになった。もしもあのまま取られたら大変なことになっていた。

 郵便箱の中身を見てみるとチラシが入っていたので、財布を郵便箱の上に置いた。

 特に重要性のなかったチラシだったので適当に折りポケットにしまって、エレベータに乗り込んで六階のボタンを押した。エレベーターのドアにあるガラス窓をボーっと見ていると、まさかの人が見えて、思わずハッとした。

 綺麗にショートに切りそろえられた黒い髪の制服を着た女の子が歩いている。しかもここに、このマンションに向かって。

 あれは、駆動飛鳥。

 先ほどの魔法少女を見てフラッシュバックした駆動飛鳥の姿とほとんど一致していたおかげで少し離れていても恐らく彼女だと分かった。

 たしか僕が最後に見た駆動飛鳥の姿は二年前くらい前だったはずだけど、全然変わっていない事に少し驚いてしまった。しかし、そんなことを言っている僕自身、中学の時と高校の時で何か変わったかと考えれば、慎重が少し伸びた程度だし、そんなことを言える立場ではなかった。

 考えてみれば僕は中学の頃から果たして今に至るまでどの程度身長が伸びたんだろうか。

「……」

 ……いや、それよりも。

 どうしてこんな遅くに外にいるのか、だよ。

 くだらない事を考えている場合じゃない。

 僕は軽くうなずいてから、もう一度駆動飛鳥を見た。

 制服姿と言うことだから、学校帰りなのだろうか。いや、もう午後十一時過ぎているから疑うなら部活か、塾の帰りのどちらか。

 ただ、もしもさっき会った魔法少女が駆動飛鳥だったのなら、先ほどまでパトロールに行っていたことになる。まぁ、多分駆動飛鳥だろうし助けてもらったお礼もかねて明日尋ねてみよう。

 それから僕はエレベータから降りて、玄関のカギを開けて部屋に入った。

 途端にバイトの疲れや全力疾走した疲労感が一気に込みあがって来た。今にも寝っ転がりたい気持ちだったが、とりあえずは上着を脱ぎすてて椅子に座り込んだ。

「はぁ……疲れたなぁ」

 早くお風呂に入ろう。風呂に入ったらもう寝たい。明日はバイトがないし。

 そんなことを考えながらボーっと天井を眺めていた。

 そして、ズボンのポケットの上に手を置いた。

「ーーあれ」

 背筋に嫌な緊張が走った。

 天井を見たまま、まさか、そんなことはないだろうと、祈りにも似た気持ちでポケットの中をまさぐる。指先にあるのは折ってあるチラシを握った感覚だけだった。

 先ほどの疲れが嘘のように素早く立ち上がり、ぴょんとジャンプしてみた。チャリ、という音はおろか、重さすらも感じられなかった。まさかーー。

「……財布、ないんだけど」

 嘘だろ。僕。

 ポツンとその一言が出た。

 さすがに自分の情けなさを感じてしまう。財布を間抜けにも取られてしまって、でもせっかく取り返してもらったのに、それをまさか失くすなんてことあるか?

 もしかしたら、部屋に落ちただけかもしれないだろ。

 僕は冷や汗を額ににじませ、必死に玄関を漁った。先ほど帰ってきてから特にしまったりしていないから、無意識に置いたとしても表面的なところのはずなので、靴箱の中などは無視して探したのだが見つからなかった。

 となると落としたのだろう。いつだろう。

 ふとポケットに入れたチラシの事を思い出した。

「あ! そういえば」

 思い出した。

 そういえば、エレベータに乗る前に郵便箱を見たんだ。その時に郵便箱の上にポンッと置いたままだった。代わりにチラシを突っ込んでしまったのだ。

 そうと分かると、中途半端に靴を履き、勢いよくドアを開けた。

 ーーが、僕はドアを開けて、目の前の光景が視界に入った瞬間、急停止した。

「あ、えーと……」

 人がいた。ポツンと立ち止まって少し目線を外している女の子。制服を着ていて、綺麗に整えられたショートカット。少し僕よりも背は低くて、華奢な体つきだけれどどこかしっかりした雰囲気。赤い瞳に頬のホクロ。あの時に見た魔法少女と髪色が白かったこと以外同じ姿の女の子がいた。

 いや、というか。

 僕の姪っ子、駆動飛鳥だった。

「……」

 それだけじゃない。

 駆動飛鳥の左手には財布が握られていた。

「えと、お久しぶりです。駆動飛鳥です。あの……」

 他にもいろいろ疑問に思った事はある髪の色や魔法少女として僕を助けてくれたはずなのに、お久しぶりです、と言っていること。そして魔法少女の時とは口調がなんだか違うことに違和感を覚えた。

 駆動飛鳥が財布を持った左手をそっとこちらに伸ばしてきた。僕は少しだけびくっとしてしまった。

「これ郵便箱の上に置いてありました。忘れ物です」

 そう言って、外していた目線を、申し訳なさそうにこちらに向けてきたのだった。

 不意を突かれたというか。想定外過ぎて、僕は思わず目をそらしてしまった。というかそらさずにはいられなかった。

 僕の高校時代の先生が言っていたことを当時の僕は特に気に留めていなかったけれど、これはそういうやつなのだろうか。いやそうなのかもしれない。

 姪っ子が、か、可愛いんだけど……!

 その瞬間、僕は姪っ子がいてよかったと本気で思ったのだった。

「え、えと、あ、えーと」

 口が動かない。いや、動かすんだよ。何をもごもごしているんだよ。お礼を言えお礼を。

「あ、あの、ありがとね。今日は魔女から助けてもらって、その上財布も拾ってくれて」

 僕は震える口で頑張った。なんとも情けない大学生なのだが、言うべきことは言えた。

「え、え、……え?」

 急に駆動飛鳥の様子が一瞬だけうろたえるかのように困惑した。

 まさか人違い! と焦った僕は誤魔化すように「えとあの時は髪が白かっただろ?」と言った。

 しかし、僕の財布を届けることが出来るのは、僕の財布の色や形を事前に知っていて、なおかつ、ついさっきまで下にいた人物に限られるはずだ。駆動飛鳥じゃないとおかしい。

「私は魔法少女じゃないです。見間違い、だと思いますけど?」

 駆動飛鳥はすでに落ち着いた口調で話していた。まるで先ほどの動揺なんてなかったように。

 しかし、僕は人違いだったじゃないか、と自分を責めることはしなかった。信じられなかった。あの時の魔法少女の姿と言い、これまでの行動と言い、どう考えても駆動飛鳥が魔法少女じゃないと変だ。

「えーとちなみに、財布ってどこにあったの?」

「あ、え-と」

 まるで何かを隠すかのように視線を横にずらし、口元に右手をかざした。明らかに考え込んでいるんだけど。

「あ、魔法少女さんから渡しておいて、と言われたんです。駆動さんにって」

 そして、ハッと何かを思いついたかのように平然と語った。

 嘘を吐いているように思えたが、その姿がなんというか、可愛いと思ってしまい、僕は、とりあえず泳がすことにした。

「そうなんだ。えーと、魔法少女さんなんか言っていた?」

 駆動飛鳥は信じてもらえたと思ったのか、そらしていた目をこちらに向けた。安心したように微笑んで言った。

「せっかく魔女から取り返したのに置き忘れるなんてドジすぎるって」

「うん、さすがに僕もそう思う。本当に感謝し足りないくらいだよ」

「あと、次からは気を付けてくださいって言っていました」

 気を付けなければならない。財布とチラシを間違えるとか、プリンを食べ終えた後にごみとスプーンを逆にして処理してしまうようなものだ。

 しかし、それはそれとして、ちょっと聞いてみたくなった。もしも本当に駆動飛鳥の言い分が正しいとすると、疑問が出てくる。

「でもさ、どうして魔法少女はさ、僕の名前知っていたのかな」

 駆動飛鳥の眉間にしわが寄る。

 今思ったけれど、この子、意外と表情が豊かだ。

「え? それは……魔法でも使ったんじゃないですか?」

「あぁ、かもね。でも、僕的には最初から知っていた気がするんだよね」

「な、なんでですか」

「例えば同じマンションに住んでいるとかね、でも妄想だから」

「そ、そうなんですかね? だったら会ってみたいですね」

 そう言って、駆動飛鳥は引きつった笑顔を見せた。

 僕はふと思いついた。ーーよく見ると表情が豊かな駆動飛鳥なのだから、もしかしたら効果が出るかもしれない。

「あの魔法少女さ」

「はい」

「すごくかわいかったんだよね」

 そう言った途端、駆動飛鳥の表情はこわばった。

「え、そうだったんですか? へぇ、そうですかね」

 しかし、また落ち着きを戻してしまった。こうなればとにかく褒めてみる。駆動飛鳥ならば何かしらの反応があるかもしれないし。

「うん、何というか、小さくて華奢な体型なのに、しっかりとした雰囲気があって。髪も綺麗だったし、瞳も透き通った赤色だった」

「あ、そうなんですか」

「ああいう風にしっかりした人になれれば、僕ももっと立派なオーラが出ると思うんだけどな」

 いや、ちょっと待った。ここまで言って僕は察した。こんなの気持ち悪い人じゃんか。助けてもらった魔法少女の事をあまり仲の良くない親戚の子に可愛い可愛い、というのは、あまりにもきもすぎる。

 今度は逆に僕が目をそらした。顔まで引きつってしまった。

 流石に退場しようと思い、お別れを言おうと駆動飛鳥を見た時だった。

「……え」

 駆動飛鳥は、赤面していた。耳まで赤く染まり、熱気がわいてくるほどに。更に、眉をハの字にして唇を微妙にかみしめて平然としているつもりなのだろうが、何かを耐えるようにどこか一点をじっと見て硬直していた。

「はっ」

 駆動飛鳥はそう口にして、我に返った。そして、赤面した顔のまま、「あの魔法少女なんて可愛くないですから!」、と走って行ってしまった。

 やはり駆動飛鳥は、僕の姪っ子は、魔法少女なのかもしれない……。


 あれから、僕は大学生活が始まり、毎日が疲れのたまる日々となってしまった。それで駆動飛鳥とは、何とも言えない微妙な空気を感じる。

 彼女も高校生なので登校時に鉢合わせすることがあったりする。いつも通りの落ち着いた雰囲気でいる。でも、なんとなくこちらを気にしているが、何も言い出せないような気がしてしまう。

 気のせいだと思うことにしているが、僕としても気になる。もしもまた魔法少女に出会うことがあったら、その時にまた聞いてみようと思った。だってそうだろう。僕の姪っ子は魔法少女なのかもしれないから。

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