快晴の空の色
葵月詞菜
第1話 快晴の空の色
それは昼休みのことだった。
「じゃあ次のやついくね。『ここに長さがバラバラの紐が三本あります。さて、あなたはどの長さの何色の紐を誰にあげますか?』」
「ええ〜。その紐の用途は一体何なの」
「それは特に書いてない。各自のご想像にお任せする」
「雑だな~」
「この占い師『プリム』って言う人なんだけど、人のオーラの色を見て占ってくれるんだって」
隣でリンゴジュースを飲んでいた友人が教えてくれる。
なるほど、それで先程から心理テストの内容も色に関するものが多いのか。
「オーラかあ。
「んん? それはどういう?」
「いや、何となくイメージで。大人っぽいクールな感じ」
「イメージカラーか……それで言うなら初音ちゃんは赤とか橙の暖色系っぽいよね」
「そうかなあ」
「剣道部で暴れまわってるイメージというか」
「ちょっと紗枝ちゃん!」
中学から一緒の彼女は何とも遠慮がない。初音がわざと頬を膨らませて見せると、紗枝はけらけらと笑った。
初音の家は花屋を営んでいる。店内に人がいないことを確認し、初音は横着をして店の方から家に上がろうとした。入口を抜ける時に電子チャイムの音が鳴った。
「ただいまー。あれ、お母さん?」
いつもなら店内にいるはずの母親の姿が見えなかった。恐らくたまたまバックヤードに下がっているのだろう。店内に客が訪れると先程のチャイムで知ることができるのですぐに出てくるはずだ。
「こんにちは」
ふいに後ろで声がしてぎょっとする。
後ろを振り向くと、羽飾りの付きのつばの広い黒い帽子を被った背の高い女性が入口を入った所で立っていた。目元はサングラスで見えない。
「あ、い――」
初音は「いらっしゃいませ」と言葉を続けることができなかった。
それよりも先に頭の中に疑問が浮かんでしまったからだ。
(……チャイム鳴ったっけ?)
先程自分が入った時に鳴ったきりだ。
(その前に店内にいた……? ううん、誰もいなかったはず)
店内は決して広くはない。植物が多い空間とはいえ小さな子どもならまだしも、こんな派手な飾りをつけた帽子を被った背の高い女性がいれば気付いたはずだ。
女性はスラリとしたグレーのワンピースに身を包み、さらにその上に薄手の黒いロングコートを羽織っていた。足元は少しヒールのある黒い靴で、こちらにも羽飾りがついている。
初音は思わず女性を凝視していた。客に対して失礼極まりない対応であるが、それ以上に気になることがあった。
(この人、気配がない……?)
視覚情報として目の前に女性がいるということは分かる。先に声を聞いて存在も確認できた。
だが、不思議と現実感がないのだ。何かふわふわとした幻をみているような――そう、重量を伴った存在とは思えなかった。強いて例えるなら、幽霊が近いだろうか。
(いや、実際幽霊なんてみたことないけどね)
初音は背筋に冷たいものを感じながらも、女性に向かって無理やり笑いかけた。サングラスのせいで相手の表情がよく分からない。
「え、えっと、いらっしゃい、ませ」
対応を母親にパスして良いものか迷いながら、とりあえず挨拶をした。
女性は暫くじっとこちらの様子を伺っているようだったが、やがてふっと口元を緩ませた。
(な、何)
思わず頬の筋肉が緊張する。
これから起こることに身構えた初音に対して、女性は軽い口調で続けた。
「あなたが初音さん、で良いのかしら?」
「え?」
なぜ自分の名前を知っている?
初音が目を見開いて思考が止まった次の瞬間だった。
「もう、ちょい待ちい言うたやん!」
二人の間に、一匹の小狐が現れていた。初音の顔なじみの、なぜか関西弁を喋る小狐である。小狐はいつものように二本足で立ち、コートのような衣服にその身を包んでいた。おまけに毛糸で編んだ小さな鞄を斜め掛けにしている。
小狐が初音の方を向いて頭をかいた。
「いきなり堪忍やで、初音」
「……その人はきつねさんの知り合い?」
「まあ知り合いっちゃ知り合いやけど……そこまで知ってるわけやない」
なあ?と小狐が女性を見遣ると、女性はサングラスを外しながらため息を吐いた。
サングラスの下に隠れていた瞳は漆黒とも言えるような黒で、思わず引き込まれそうだった。
「ええ、この前会ったばかりね。それで、
「キリちゃん?」
女性の口から出て来た名前に初音が反応する。その名前はよく知っていた。
「八霧がこっちにいる時はだいたいこの辺りをぶらぶらしていると聞いたから探しに来たのだけど」
「初音の所におるかもしれん言うたらすぐここの花屋見つけて突撃するんやもん。びっくりするわ」
「こっちだって暇じゃないのよ。折角私がわざわざ足を運んだっていうのに」
女性はここにはいない者へとぶつぶつ文句を言い、やれやれと肩を竦めた。
「えっと……キリちゃんをお探しなんですか?」
「そうよ。頼んでいた物が手に入ったっていう連絡があったから早く欲しくてね」
八霧が一体何に首を突っ込んでこうなっているのか不明だが、たまに彼は普通ではないところがあるので最早初音は何も驚かなかった。そもそも、関西弁を話す狐と友達同士である点からして普通ではなかった――初音も今ではその小狐と友達になってしまっているが。
「あの、キリちゃんがここにいるって本当なんですか?」
そんなことは全然知らなかったし、最近彼の姿を見かけることもなかった。
むしろ彼が帰って来ているのなら初音だって会いたいくらいである。
(本当、キリちゃんはいつも突然帰って来て、勝手にいなくなって、ふらふらふらふら……)
考えるだけでため息を吐きたくなる。
大学生の彼は大学が関西の方なので、基本的にはこちらにいないはずだった。
「そう聞いたんだけど。私の勘違いだったのかしら?」
困ったわねえと頬に手を遣る女性は本当に困っているようだった。余程急ぎの用なのかもしれない。
「そういえば何を頼んどったんや?」
「仕事に使う道具をね。自然のものなんだけど、ある地域にしかなくてそうそう取りに行けなかったのよ。だけど先日、八霧がその辺りに行くっていうから可能ならお願いしたの」
その自然のものとやらが何かも分からなければ、八霧が一体どこまで行っていたのかも初音には想像できなかった。
(どっかの山の奥地とか、秘境とかだったりして……まさかね)
心の中で笑いつつも、どこかでそれが冗談だとも思えないところがある。八霧だったら平気でどこへでも行きそうだからだ。
「できれば今夜のお客さんに使いたかったのだけど」
仕方ないわね、と女性がどこか諦めた声を漏らした時だった。
チャイムの電子音が鳴った。
はっとして店の入り口を見ると、背の高い茶髪の青年が入って来る所だった。
「キリちゃん!」
思わず初音が声を上げていた。そう、話題に上っていた八霧本人だった。
八霧は不思議そうな顔で初音を見て、それから困った顔のままの女性を見た。
「こんな所にいたんですか。探しましたよ」
飄々と言ってのける八霧に、女性は微かに頬を引き攣らせた。
「――私もあなたを探していたんだけど?」
「え、そうなんですか? でも何でここに?」
「あなたがこっちにいる時はこの女の子に会いに来ることが多いって聞いたからよ」
「――それは誰から?」
八霧が珍しく眉間に皺を寄せて怪訝そうな顔で聞き返す。
だが女性は小首を傾げた。
「さあ誰だったかしらね」
「……」
八霧はますます憮然とした表情になったが、そばで聞いていた初音も思わず口を挟みたくなった。
「その情報ウソですよ! キリちゃんは滅多に私に会いに来ませんから! こっちに帰って来てるってことも全然教えてくれません!」
女性が「あら」と口に手を遣り、八霧が「初音……」と小さく呟いた。
(いやいや、本当のことでしょ!)
何も間違ったことは言っていない。事実である。
ずっと黙っていた小狐が、隣で愉快そうに笑っているのが見えた。
「――それはそうと、これ、頼まれていたものです。念のためご確認下さい」
気を取り直したように――むしろ何かを誤魔化したように見えなくもない――八霧が肩にかけた鞄から紙に包んだモノを女性に差し出した。
女性が包みの中から、透明な丸い石を三つ取り出した。占いでよく見る水晶に似ているが、それぞれ大きさはゴルフボールより少し大きいくらいだった。
「ああ、これよ、これ。ありがとう、助かったわ」
女性は見るからにほっとした顔になり、八霧に礼を述べた。
「無事に今夜の仕事に使えそう」
「それは良かったです」
「でも三つも良いのかしら? 私が先に支払った対価にお釣りがくると思うのだけど」
申し訳なさそうに言う女性に、八霧は束の間考えるように宙に視線を彷徨わせ、初音の方を見て軽く首を傾げた。
「そういや初音、お前占いとかって興味あったっけ?」
「え?」
突然何だ。初音は意味が分からないと思いながらも、「まあ興味がないこともないけど」と返した。
八霧が初音の方を手で示しながら女性に言う。
「じゃあ少しこいつを見てやってくれませんか?」
「「え?」」
女性と初音の声が綺麗に重なる。
小狐が初音の足をぽふぽふと叩きながら言った。
「良かったなあ初音! あの姉ちゃんの占いはめっちゃ当たるんやで!」
「占い師だったんですか……」
初音の呆然とした視線に気づいた女性が少しだけ困ったように微笑む。
「まあ、最近少し名前が売れて来た程度の占い師よ」
「あなた名前何個持ってるんでしたっけ?」
八霧の質問に女性はふふふと笑う。
「占いの種類と顔を出す場所によって違うわね。最近は『プリム』の名が人間の世界で出回ってるかしら」
え?『プリム』?
つい最近、初音はその名を耳にしたような気がする。
「インターネットを使ってウェブサイトで簡単な占いや心理テストを載せたら思いの外好評で――」
(ああ! 心理テスト!!)
最近もつい最近、本日のお昼休みのことではないか。
初音たちはまさにその『プリム』の心理テストをやって盛り上がっていた。
(え? その『プリム』さんがこの女性なの?)
そして恐らく、小狐や八霧と関係があるところや、彼女の話す内容からして彼女自身は人間ではないのだろう。それなら気配を感じない不思議な存在であることも納得だ。
「上手く情報化社会に順応してますね」
苦笑する八霧に、「キリはスマホでの連絡も全然せえへんからな。おじいちゃんや」と小狐が付け足す。
「では初音さん。もしよければ軽く見させていただいても?」
「あ、はい。お願いします」
こんなチャンスは滅多にないだろう。
人間でないだろう彼女はどこか不思議で神秘的な雰囲気をまといながら、妖艶な笑みを浮かべた。
「あの、プリムさんはオーラで占ってくださると聞いたのですが」
「ええ、『プリム』としてはそうね。他にも色々あるけれど――それで良かったかしら?」
「はい」
場所は初音の部屋に移動していた。
先程まで店で話している間、母親も他の客も来なかったのは何か結界のようなものが張られていたらしい。
八霧は小狐と一緒にお菓子を買いに行くと言って席を外していた。
ひとまず目の前の占い師の女性は初音に害を為す存在ではないと判断しているらしい。
プリムは八霧から受け取った丸い透明な石を取り出し、正座した初音の前に転がす。
「こちらを見て」
彼女の声に誘われるように視線を上げると、彼女の漆黒の瞳に捕まる。そのまま黒の中に引きずり込まれそうな錯覚を覚え始めたところで、彼女はすっと目を細めた。
「こちらの石の上に手を」
言われた通り、右端の石の上に右手を置く。
すると、左端の石に変化が生じた。透明だった石の中に気流が生まれ、底の方からだんだんと青く染まって行くのが見えた。
「初音さんの色は、快晴の空の色」
(青い……空の色)
少し意外だったかもしれない。友人の紗枝からは暖色系の色のイメージだと言われたが、実際初音もそっち系の色かと思っていた。寒色はどちらかというとクールだとか冷静沈着というイメージがあるせいだろう。
プリムは最後の一つ、初音から一番遠く彼女に一番近い場所にある石の上に手を翳した。
「努力家で真っ直ぐなのね。快晴の空のように明るくて眩しい――逆に言うと、陰りや曇りは隠してしまう方かしら。それとも気付かないふりをして光で消してしまうか――」
占い師は読み取った情報をすらすらと言葉にし、それから初音の方を見て微笑んだ。
「――なるほど。これでは眩しすぎて直視できないこともあるはずだわ」
「え?」
「基本的にあなたは今のままで大丈夫よ。ただし、何か心配事や悩みがある時はどこかに吐き出すこと。見ないふりして我慢して消し去ろうとしてはだめよ」
「――はい」
プリムの言葉は抽象的で、正直分かるようで分からないところもあったが、初音はとりあえず頷いた。そして後少しだけ、気になるあれこれについて助言をもらった。
使った石を片付ける彼女を見ながら、初音はふと訊ねていた。
「そういえばプリムさんは、キリちゃんも占ったことありますか?」
「ああ、八霧? 面白そうな人間だから占ってみたかったけど、本人に断られたわ」
「え、断った?」
「ええ。とはいえオーラ自体は何となく見ただけで分かるんだけど」
曰く、詳しく読み解こうとすると微妙な色の変化などを読むために道具があった方が良いらしい。
「キリちゃんは何色だったんですか?」
初音はただ興味本位で訊いてみただけだった。
だが、占い師は神妙な顔で束の間言葉を探すように黙った。やがて、ポツリと零れたのは、
「揺らめく灰色――薄い雲が棚引くような、煙のような」
詩的な表現は何とも曖昧としている。だが、初音はまた意外なように感じた。
「キリちゃんって見るからに『陽』って感じなのに」
それこそ、彼こそ快晴の空の色も似合いそうなのに。
「そこがまた不思議なのよねえ。八霧は確かに人間だけど、私たちに近いような気もする」
「……」
初音は思わず唾を飲み込んだ。彼女の言葉を否定したい気持ちはあるが、言葉として出てこなかった。
プリムがはっとして、眉を八の字にして初音を見た。
「……失礼なことを言ってしまっていたらごめんなさいね」
「いえ……」
そろそろ仕事の準備をしなければというプリムと共に家の外に出ると――今度は店を通らずに裏の玄関から出た――丁度八霧と小狐と鉢合わせた。
「初音、占ってもろたか?」
駄菓子屋の袋を抱えた小狐が見上げて訊いてくる。
「うん。私のオーラは『快晴の空の色』だって」
「へえ! 確かにそうかもしれんなあ」
じゃあソーダ味のグミをやるわ、と小狐が水色の細長いグミを分けてくれた。初音は小さく笑いながらそれを受け取る。
「では、私はこの辺りで失礼します」
サングラスをかけ直した占い師は軽く会釈をした。
「あ、ありがとうございました!」
初音も頭を下げると、彼女は口元で軽く微笑んだ。
「八霧、改めて今回はありがとう、助かったわ」
「いえいえ。お役に立てて何よりです」
八霧が冗談めかして言うのに対し、占い師はふと口元の笑みを消した。じっと八霧の方を見る。
「――何か?」
「――いえ。あなたが初音さんを煙に巻く理由が何となく分かったような気がして」
「は?」
きょとんとする八霧に、占い師は軽くサングラスをずらしウインクをして見せた。
「灰色のあなたにはきっと曇りなき快晴は眩しすぎるのよね」
「……」
八霧が仏頂面になったのを見てプリムは頬を緩ませた。
「あなたがそんな表情をするなんて珍しい。やっぱり一度ちゃんと占ってみたいものだわ」
「それは丁重にお断りします」
二人が暫し睨み合うのを不思議に思いながら、初音は小狐にもらったソーダ味のグミを噛みしめていた。
快晴の空の色 葵月詞菜 @kotosa3
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