色揺らめく世界

歩弥丸

それは万色に輝いて

 自分が、『新世界旅行社』を異世界への旅行会社に作り替えたのは、親父が早くに亡くなったからだ。


 ※ ※ ※


 元々は爺さんの爺さんのそのまた爺さんの頃からやってる、ごく普通の、小さな旅行会社だった。

『創業の頃はの、まだニホンから外のクニに旅行するのすら、占領軍からの制限が解かれたばっかりじゃった。新しい時代に自由に旅行できるように、そう願って「新世界旅行社」と付けたんだそうな』

 爺さんは自分に語って聞かせた。本当かどうかはよく判らない。そもそもクニとかニホンとかいつの時代の話だよ、としか思ってなかった。何しろ自分らが物心つくころにはクニなんて無くなっていて、地球中いつでも・どこでも自由に行き来できるのが当たり前だったからだ。

 ――そう。(基軸世界内での)世界旅行なんて、とうに当たり前になってしまっていた。旅行ガイドの持ってる情報なんてホログラフを捲ればすぐ調べられる時代だ。何なら宇宙旅行だって個人でスペースプレーン仕立てて行く時代だ。めいめい勝手に旅行に行くから、旅行会社なんて右肩下がりばっかりだ。

 旅行業界にはもう先はない。

 そう思ったから、自分は大学は理工学部に進んだ。親父は哀しそうだったし、爺さんは怒鳴り散らしてきたけど、知ったこっちゃなかった。


 ※ ※ ※


『多元世界の量子論的記述』という論文が発表されたのは、自分が大学に上がるより十年ほど前のことだったという。異世界を量子と見做して一定の方程式を解くことによって『異世界の存在』を証明する、という理論は、当初は机上の空論だと思われていた。実際に、超弦の振動を経由して異世界とこの世界が相互作用すること――『時空場』が物理的に観測されるまでは。

 実験用の時空場励起装置の調整を、学部生の自分も手伝わされた。

 励起した時空場の境界面では光の通る空間自体が歪むので、肉眼では光が屈折するように見える。光の三原色とその混色を行き来しながら煌めいて、シャボン玉のようだった。

 ――大きさもシャボン玉ほどでしか無かったのだけど。


 ※ ※ ※


『スクープ! 異世界に行きて帰りし物語!』

 今で言う『転移服』を自作して異世界に転移した、元祖・冒険家の存在が大っぴらになったのは、自分が学部を出てすぐの頃だった。

 実験室レベル・フラスコレベルだと思われていた時空場操作が既に人間の肉体を覆うレベルに達していたことの衝撃もさることながら(当然、出し抜かれたアカデミアも大騒ぎになった)、異世界というフロンティアがいきなり『この世界の人間』の前に拓かれたのだから、そりゃ蜂の巣をつついたような大騒ぎだ。

『異世界開拓・移民論』だの『異世界資材移入論』だのと、中世アメリカの侵略をなぞるようなトピックが幾つも取り上げられては、そのリスク・無謀を説く主張と叩き合いになっていった。


 ※ ※ ※


 親父が心臓を悪くして倒れたのは、そんな時だった。

「――大学院は、いいのか」

 途切れ途切れに言う親父の顔を見て、自分は咄嗟に答えていた。

「いいんだよ! 今からは旅行の時代だからよ! 異世界だぜ? 見たこともない旅行先がガンガン増えるんだぜ! だから元気になって、もっと儲けてくれよ!」

 その時点では口から出任せだった。ただ、その出任せでも、親父の寿命は延ばせなかったらしい。


 ※ ※ ※


 こうして『新世界旅行社』を継ぐしかなくなって、最初に自分が言ったのは『この世界の中での旅行会社は畳む。異世界旅行の企画運営に特化する』という大方針だった。

「異世界旅行? なんじゃそれは!」

 爺さんは大反対だったけど、親父の持株は自分が全部相続してるので、最終的には押し切った。

 そこからは、一かバチかのベンチャー人生だった。

 新世界旅行社への出資を募るために、ロードマップを作った。まだ『実現していないこと』なので、随分と楽観的に過ぎると、作りながら自分でも苦笑いしながら。

 大学院の頃の同期や先輩の伝手を使って、航界機の開発に出資した。冒険家たちにも出資した。爆発したのも、未帰還で終わったのも一回や二回では利かない。

 ――自分が死なせたようなもんだ。

 それでも涙を見せないように、突き進んだ。


 ※ ※ ※


 そうやって初めて迎えた、一般客を乗せての異世界旅行。一般客と言っても、設立時の出資者たちだ。大富豪で、未帰還リスクを取ってでも『史上初の異世界旅行』という楽しみを取る方々だ。

 まだ業界も、旅行規約も存在しなかったあの日。

 航界機を始動させ、時空場で機体を覆う。十数年前の実験室ではちっぽけなシャボン玉でしか無かったものが、今は巨大な虹の壁となっている。世界間移動は、理論上は一瞬でも、体感では数十分に引き延ばされて感じる。その間、窓からは虹の壁だけが見える。

 やがて、目的の世界に到着した。

「皆様、お待たせしました。初めての新世界です。外気観測上も安全を確認しました。では外に御案内――」

「――まだ、窓の外が虹色なんだが?」

 お客様の疑問を受けて、窓の外を見る。

 確かに虹色だ。しかし、時空場はもう解除できているはずだ。確か、冒険家からの報告では、この世界では地磁気場が基軸世界とは異なり――

「御安心ください。そういう現象だと思われます。ほら、我々の世界で言うオーロラですよ」

「なるほど!」

 ――中緯度でもオーロラの発生しうる世界なのだ、という。

 お客様を率いて外に降り立つ。空一面を覆う、虹色の煌めき。物理的には基軸世界と同じ現象なのだとしても、それは特別な煌めきだった。

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