今回も賭けは僕の勝ち

鷹見津さくら

今回も賭けは僕の勝ち

今回も賭けは僕の勝ち


 鴨井五十鈴いそすずの瞳の色は、きらきらと太陽を反射して輝いている。その美しい色彩に目を奪われたのは、何度目のことになるだろう。数えることも億劫な程だった。


「どうかした?」


 五十鈴が、ソーサーとカップをそっと机の上に置く。中に注がれた紅茶の淡い色に俺は息を吐き出した。五十鈴の瞳の色に良く似ている。


「いいや。どうもしてない」

「そう?」


 にこりと笑った五十鈴は、自分用のマグカップを口につけた。ごくり、と紅茶を飲み込む喉仏を眺めてから俺もソーサーを持ち上げた。温かなそれに息を吹きかけ、舌を火傷しないようにする。湯気が揺らめいて、少し冷えたのを確認してから口にした。

 滑らかな舌触りで、品の良い苦味が口の中に広がる。


「今日の分の仕事は終わったからゆっくり出来るねえ」


 頷く俺に五十鈴が笑いかける。鴨井五十鈴は超能力者として人々の悩みごとを解決するのを生業としていた。超能力者、と言ってもその能力は共感能力に特別優れているというだけで万能な訳ではない。彼らは、物や人に共感することで様々な現象を引き起こす。まるで、その共感した人間と同一の存在であるかのように振る舞ってみせるのだ。


「そういえば、頼まれてたトイレットペーパーは買っておいたよ」

「え?」


 端末を弄りながら、告げられた五十鈴の言葉に俺は困惑する。そんなものを頼んだ記憶が無かった。思い出そうとするけれど、思い出せない。まるで、霞がかかったかのよう記憶が曖昧だった。


「忘れちゃった?」

「……そうかもしれない」

「最近、忙しかったから疲れてるのかもね」


 にこりと笑った五十鈴は、怒っていなさそうだった。俺は頼みごとを忘れていたというのに。


「トイレットペーパー、買ってきてくれてありがとう」

「ううん。気にしないで」


 五十鈴は優しい。だから、超能力者として人々の悩みごとを解決するなんてことが出来るのだろう。俺なら、無理だ。実際、有象無象の超能力者たちが、その特殊能力を活かそうとして相談室を開いたりしているが、成功している人間は一握りだった。テレビに出るまで有名になっているのは、五十鈴ぐらいだろう。


「……ねえ」


 五十鈴が、マグカップを机に置く。


「紅茶美味しかった?」

「ああ」

「良かった。その茶葉、あんまり得意じゃなくってさ。苦味が強いでしょう?」

「そうだな。五十鈴はもっと爽やかな方が好みだったか」

「うん。だから、よかったら今日持って帰ってね」


 でもその前に、と五十鈴が微笑みながら俺に続けた。


「君はだあれ?」

「……何言ってんだよ。俺だよ。今井彰、お前の秘書だろう?」


 お前こそ、疲れてるんじゃないかと続けようとして言葉が止まる。


「彰はそんな色を纏わせて、俺のことを見たりしないよ。君は、俺の親友の彰じゃない。姿形はそっくりだけれどね」


 すっと表情を消した五十鈴が、恐ろしく見えて息を呑んだ。口を開けては閉じてしか出来ないこちらを見て、五十鈴は笑顔を作った。先ほどまでと変わらない、優しげな笑顔だけれど、落ち着かない気分になる。


「これだけ言われても納得出来ないよね? ちゃんと説明するから聞いてくれると嬉しいな」


 五十鈴が、人差し指を立てる。


「一つ。彰は俺に頼んだことは絶対に忘れない。俺に頼るのが嫌いなんだ。彰は頼られる方が好きだからね。だから、絶対に忘れない。俺へ頼みごとをしたら、必ず俺のわがままを叶えるようにしてる面倒な男なんだよ、彼は」


 面倒、と言いながら五十鈴は楽しげに笑った。


「二つ。さっき君が気に入った茶葉だけど、彰は結構甘いものが好きなんだ。苦い茶葉は苦手。ブラックコーヒーとか好きそうな性格なんだけどねぇ。だから、うちではこの茶葉を消費しづらくてね。君が気に入ってくれて助かったよ」


 茶葉の袋を取り出した五十鈴が、そっとこちらに差し出してくる。思わず受け取ってしまった。


「三つ。これは少しずるい方法で確かめたんだけれど、さっき、彰にメッセージを送ったらまだ外出してるって返ってきたんだ」


 じっと見つめてくる五十鈴の瞳に耐えられなくて目を逸らす。


「君の正体が名前は分からないけれど、誰なのかは分かるよ。たまにいるんだよね、僕のファンで彰の姿をしてくる人間が。そんな芸当出来るのは、超能力者だけだ」


 喉がひどく乾いた。


「超能力者は万能ではない、というのは彰がよく言うことだ。実際、万能なんかじゃないよね。けれど、そうだとしても特異な能力を持っている。強く対象に共感するとまるでその対象のように振る舞うことが出来るっていう能力を」


 五十鈴は、歌うように言葉を続ける。


「共感しすぎると姿形も思考もその人みたいになってしまうというのは、一見便利に聞こえるよね。でも、完璧ではない。対象について深く知らないと失敗してしまって、中途半端な記憶だったり味覚が元の人間のままになったしまったりする。今回みたいにね。そして、意識も共感した相手の思考に飲まれてしまうから他者から指摘されないと中々元に戻れなくなってしまうんだ」


 不便だよねぇ、と言った五十鈴はマグカップを手に取る。ゆっくりと紅茶を飲んだ五十鈴は口を開いた。


「最後は、僕だから気付いたし、根拠を示せと言われても困るんだけれど」


 五十鈴は少し困ったように苦笑する。


「僕を見る視線に乗せた色が違いすぎるんだ。彰はそんな憧れを含んだような目で僕のことを見たりしない。もっと、複雑でややこしい色で僕のことを見る」


 ふぅ、と五十鈴はため息を吐いた。


「改めて聞くよ」


 君はだあれ? と五十鈴さんが笑顔で問いかける。


「わた、しは」


 パチンと意識が弾ける。

 わたしは、私は今井彰ではない。鴨井五十鈴に憧れを抱いている超能力者だ。自分の手を見つめると先ほどまでとは違って、ちゃんと女性の手のひらだった。元の姿に戻ったらしい。

 共感能力に優れている私は、人の心に昔から触れてきた。私だけじゃなくて超能力者には、人間不信に陥っている人が多い。それでも、なんとか折り合いをつけて社会で生きているのだけれど。だからこそ、超能力者だというのに五十鈴さんのように明るく優しく人々を助けている姿に憧れてしまうのだ。超能力者にとって、彼の存在は眩しい光で、勇気を与えてくれるものだ。人間を信用することが出来ない自分でも、いつか五十鈴さんのようになれるかもしれないと希望が生まれるから。


「……私、五十鈴さんに伝えたいことがあって、それで話しを聞いてもらう為にこんなことをしてしまったんです。申し訳ありません」

「そうなの? 言いたいことがあるなら、普通にきてくれたら良かったのに」


 にこにこと五十鈴さんが笑う。私はそれに曖昧な笑みを返した。本当ならば、そうしたかったのだけれど、今井彰に共感しすぎてしまったのだ。私は、彼のことを調べていた最中に起きてしまった事故だった。

 今井彰は、五十鈴さんの秘書を務める男だ。超能力者ではないけれど、サポートを色々としている。普段、表に出てくることはないが、五十鈴さんが受けるインタビューなんかには必ずと言って良いほど、名前が出てくる。今の五十鈴さんは、その人のおかげで存在しているのだとまで言われてしまえば、気になってしまうのは仕方のないことだろう。

 超能力を使って、彼のことを調べた結果、分かったことを私は五十鈴さんに伝えるかどうか悩んでいた。知れば、傷付くかもしれない。けれども、五十鈴さんがこのまま騙されたままではいけないと決意した矢先にこの事故が起きてしまったという訳である。計画とは違ったけれど、やることは変わらない。

 私は、私の味覚の好みに合った紅茶を一飲みし喉を潤す。


「五十鈴さん。落ち着いて聞いてください。これから私が言うことは、本当のことです。今井彰は、一般人ではありません。彼は」

「うん。そんなことは知ってるけれど」


 超能力者なんですと続けようとした私の言葉は五十鈴さんに遮られる。出鼻を挫かれた私は、ぽかんとした顔で五十鈴さんを見る。


「彰が、そうなんだって昔から知ってるよ。君はそれを俺に伝えてどうしたいの?」

「えっ、それは……」


 下心が無かったとは言えなかった。ずっとそばにいて支えてきた秘書に超能力者であることを隠されていたのだ。わざわざつかなくても良い嘘をつかれていた。五十鈴さんはショックを受けるだろう。そこで、私が秘書に立候補したいという邪な気持ちを持っていなかったとは、言えない。


「ああ、それ彰には言わないでね。そのこと、隠したがっているから」


 黙り込む私に五十鈴さんは言葉を続ける。


「彰が隠したいみたいだから、僕はそれに乗っかって勝手に賭けを始めてるんだ。だから、邪魔しないでね」

「……賭け?」

「うん。僕が知っているって彰が気が付いたら僕の負け。僕が死ぬまで彰に隠し通せたら僕の勝ち。僕はずっとこの賭けに勝ち続けなきゃいけないんだ。多分、賭けに負けたら彰がそばにいてくれなくなるかもしれないからね」


 五十鈴さんは、ちらりとドアの方に目をやった。外に人の気配は感じられない。だから、五十鈴さんは話しを続けてくれた。


「ずっとずっと、僕に嘘をつかれていたと知った彰は、裏切られたって思うだろう。彰は純粋だからね。僕のことを裏表のない優しい人間だと思っているんだよ。まあ、彰に対しては誠実であろうと思っているし、彼に対して嘘はつかないようにしているのは事実なんだけれども」


 あはは、と笑う五十鈴さんはテレビの中の五十鈴さんと変わらない。きらきらとした瞳の色をしていて綺麗だった。けれど、少しだけ恐ろしい。


「僕は昔、結構しつこい子供だったんだ。同じ年の子にべったりくっついて、ずっとお喋りしたいタイプのね。最初はいいんだけれど、後から嫌がられることも多かったんだ。でも、彰は違った。僕が話しかけたら嫌そうにしていたけれど、諦めないで話しかけていたら、付き合ってくれるようになったんだ。彰と喋るのは楽しい。今もずっとね。僕は優しいと言われるけれど、僕からすれば彰の方が優しいよ。僕は、彰といつまでも喋ったり仲良くしていたい」


 恍惚としたような瞳がゆらゆらと揺れて、きゅうと細まるのが見えた。


「だから、彰の友達でいる為なら、世界の全ての人間に嘘をついたって構わない」


 五十鈴さんがぱっと私に笑いかける。怖くない笑顔だ。私のよく見慣れた、笑顔。けれども、きっと先ほどまでの笑顔の方が五十鈴さんの本当の笑顔なのだろう。


「今日は僕に会いにきてくれてありがとう。僕のこと、心配して伝えにきてくれたんでしょう? その気持ちは嬉しいよ。でも、彰には今日のこと絶対に言わないでね?」


 私はこくこくと頷く。満足そうに微笑む五十鈴さんが立ち上がった。私も慌てて立ち上がる。ドアを開けた五十鈴さんに促されながら、部屋の外に出た。


「次は君の姿で来てねそうしたら、僕も優しく出来るから」


 ばいはい、と手を振る五十鈴さんにぎこちない笑みを返してから私は背を向ける。視線が背中に刺さるのを感じながら、気持ち早めに歩く。

 憧れは憧れのままにしておいた方がいいのかもしれなかった。



***



「ただいま」

「おかえりー」


 五十鈴が、だらんとソファに寝転んでいる。行儀が悪かった。

 机に視線をやると客用のソーサーとカップが置かれていた。


「え、飛び込みの客でも来てたのか?」

「うん。そうだよー」


 もぞもぞと五十鈴が起き上がる。随分と疲れているようだった。


「大丈夫か? そんな厄介な客だったのか」

「うーん。彰の真似して、色々説明したから疲れた」

「俺の真似?」


 ふわぁと欠伸した五十鈴は、俺に手招きをする。


「なんだよ。疲れてるなら後でいいけど、ちゃんと何があったか教えろよ。お前の仕事は把握してないと困るからな」


 五十鈴は超能力者ではない。超能力者のフリをして人々の悩みを解決している。俺は、そのサポートの為に五十鈴の秘書をしているので、仕事の把握出来ていないと上手く補佐が出来ないのだ。五十鈴に超能力を使えば、考えていることを覗き込むことは出来るが、極力しないようにしていた。五十鈴が、裏表のない性格なのを理解しているし、脳内を盗み見るのは罪悪感を覚えてしまう。


「大丈夫。仕事を頼まれた訳じゃないから。なんか僕と話したかったんだって」

「お前のファンがまた突撃してきたのか。俺がいない時は、誰か来ても開けるなよ。もし過激なファンだったら、一人だと危ないだろ」

「次から気をつけるよ」

「お前、前回もそう言ってたよな?」

「あはは。ごめんね。今度から、もうしないよ」


 向かいのソファに座った俺を五十鈴がじーっと見てくる。


「ね、彰にとって、僕は何?」

「急になんだよ。……親友だろ」

「うん。そうだよね! 彰は俺の秘書でもあるけど、親友だよね!」


 満足そうな五十鈴が一人でうんうんと頷いていた。

 そして、今度は立ち上がり俺の隣に座る。ずいっと顔を近づけられて少しのけぞってしまった。五十鈴の淡い琥珀色の瞳が、俺を見つめる。遠目から見ると、もっと赤に近い色に見えるのだけれど、光の加減なのかなんなのか本来の五十鈴の瞳の色は金色が混じって琥珀色に見えるのだ。


「彰だなぁと思って」

「逆に俺以外の何だと思うんだよ。他のやつには見えないだろ」

「ふふ、そうだね。彰は彰だ。僕は彰のこと、ちゃんと分かってるから人混みに紛れていたって、彰のこと見分けられるよ。例えば、ドッペルゲンガーがいても」

「……ほんとに急にどうした?」


 俺が超能力者だと知らないくせに、と思う。だから、そんなことを堂々と言えるのだ。俺のことが分かっているだなんて。俺には、五十鈴のことを全て理解出来てるとは思えないのに。

 例えば、ずっと俺に嘘をつかれているのだと知ったら五十鈴はどう思うのかなんて、分からない。想像するだけで恐ろしい。けれども、五十鈴の自信満々な笑顔を見ていると笑いたくなってしまうのだから、困りものだった。

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