夢をワインで満たした夜

あめやみ

夢をワインで満たした夜

今日は両親がいない。

学校から帰ってすぐ、リビングにあるソファに寝転がってSNSを漁った。夜更かししても怒られない日だから。

適当に動画をスクロールする。見てるような、見てないような。

前に見た動画のことなんて、よく覚えてない。



「かんぱーーい!!!!」



急に響いた音に肩が跳ねる。音が大きすぎた。

とっさに音量を落としたが、続いてカチャンッ、とガラスがぶつかるような音がいくつも聞こえた。

動画に映っているのは、変なスーツを着た男性たちに囲まれる、派手な格好をした女性。

みんな揃いのグラスを持っている。

女性の隣に座る男性が一気に中身を呷った。

それを見て周囲が沸く。女性も呷る。また周囲が沸く。

すぐに分かった。これは、いわゆるホストクラブというところで撮影された動画なのだろうということ。

この動画もすぐにスクロールするはずだった。だって、これもまたランダムに流されてきた動画だから。


ただ、とてもキラキラして見えた。


動画に映る部屋は黒っぽくて、決して明るくはない。照明もぼんやりとムーディーに机を照らすだけ。

それでも、どこかキラキラしている。

なんだか、見てはいけないものを見てしまったような気分になった。


窓の外を見る。

タワーマンションの窓から見える繁華街に、目が吸い寄せられた。

僕は、動画の保存ボタンをタップした。





「う、わぁ……」

眩しい。赤っぽい灯りがたくさん灯って、目どころか頭まで眩むようだ。

ずっと夜に来てみたかった、駅前から少し外れた繁華街。本当に来てしまった。

「すごい、夜だけど人がいっぱいいる……」

酒が入っているのか、上機嫌に笑う人たち。つまらなそうな顔をして誰かを待つ人たち。色んな表情が一堂に会している。

週末だからか、人が多い。道にいるだけでもがやがやと騒がしい空気が感じ取れる。

「えっと……どこ行こう」

周りを見渡す。居酒屋が多いが、間を縫うようにゲームセンターがあるのが見えた。

「あ、あそこなら……」

ゲームセンターに向かって歩こうと足を向ける。

しかし、視界の端で青っぽい影が見えた。警察だ。

目が合う。こちらに向かってくる。

はっとした。いくら私服を着ていても、僕は大人には見えない。

警察官が何か言うけど、緊張して何も聞き取れない。

このまま黙っていてもどうしようもないのは分かってるけど、上手い返しが全く思いつかない。

とっさに嘘をつく器用さは僕にはなかった。

このままだと、いずれ親に連絡が行って、学校に連絡が行って───。



「ちょい、何してんのお前、こんな時間にぃ」


若い男の声がした。なんとなく気の抜けるような、間延びした声。

「お兄さん、この子知り合い?」

声をかけてきたお兄さんに、警察官が即座に対応する。

「そぉ。こいつ、俺の甥なの」

「甥っ子さん?へぇ。一応聞くけど、本当に?」

警察官と目が合う。チャンス、かもしれない。

「ほ、本当です!僕の、おじですっ」

この機会を逃してはいけない。親に連絡が行くのは避けたい。

後のことを考える余裕は、今はなかった。

とっさにお兄さんの横に立つ。お兄さんが僕の頭をポンポンと撫でた。

「兄の子なんよ。兄とはちょいと年が離れてて」

お兄さんが僕の言葉に補足する。ダメ押しか、僕の肩に手を置いた。

嘘が上手い人だな、と思った。架空の設定がスラスラと出てくる。

「いやぁ、ご迷惑おかけしましたわ。ほら、お前も謝んな」

お兄さんの腕が僕の頭をぐいと押し込む。なんか、本当の保護者っぽい。

「……ごめんなさい」

「じゃあ俺こいつ送ってくんで。失礼しますわぁ」

帰ろか、とお兄さんに手をひかれる。少し怖くなったけど、とりあえず歩き出す。

しばらく歩き、自販機の前でお兄さんが立ち止まった。

お兄さんが自販機のラインナップを確認している。少しの沈黙があった。

「……あの、すみませ」

「危なかったねぇ。ちゃんと確認されてたら終わってたわ。見逃してくれてよかったぁ」

「え、そ、そうですね」

「キミ高校生?雰囲気が初々しくて若いわ」

「えっと、高校生です、けど……」

しまった、と思った。ついポロリと答えてしまったが、はっきり身分を明かすのは危ないかもしれない。

やってしまったかも、と血の気が引く。緊張で服の裾をぎゅっと握り締めた。

そんな僕とは対照的に、お兄さんはへらりと笑った。

「やっぱりぃ?ダメだよこんな時間にこんな危ないところ居ったら。親御さん心配するでしょ」

「……今日は、どっちもいないので」

「あ、そう?それはラッキーデイだねぇ。家でパラダイスできる」

お兄さんはそこまで言って、怪しくにやりと笑った。

「……えぇこと思いついた。着いてきな、少年」

彼の手には、財布が握られていた。





「いらっしゃいませー」

店員さんの機械的な挨拶を聞き流し入ったのは、近くのコンビニ。

お兄さんが持つカゴには、ジュースやお菓子が吟味されながら放り込まれていく。

「ん~、これとこれとこれならどれ?」

突然、味の違うスナック菓子の三択を迫られる。お兄さんが食べるんだろうか。

とりあえず、お兄さんのイメージにいちばん合うと思った味を選んだ。

「えっと……僕ならこれですかね?」

「ピリ辛シュリンプ味?いいんじゃねぇ?」

僕が選んだスナック菓子もカゴの中へ。

「お前、炭酸好きぃ?」

「好きですけど……」

「ふぅん」

500mlのサイダーもカゴの中へ。

「俺の知る中だとぉ、このサイダーの炭酸がいちばん酒に近い気がすんのよ」

「はぁ……」

ジュースを選んで満足したらしいお兄さんがレジに向かう。

着いて行こうとすると、急に肩を組まれた。

驚いてもがこうとすると、お兄さんが顔を近づけてくる。

「な、肉まんとピザまんどっちがいい?」

「ピザまん……?」

「ピザまんな、りょーかい」

「あ、えっ」

ピザまん、という言葉に聞き覚えがなくて聞き返しただけだったのだけど、お兄さんはさっさとレジに向かう。

僕が慌てている間にお兄さんがレジにカゴを置き、ピザまんをひとつ注文した。

支払いを済ませ、買ったものを受け取って流れるように出口へと歩き出す。僕は慌ててそれに続く。

ありがとうございました、という店員さんの声を背に、お兄さんはコンビニの入り口の横で立ち止まった。

「な、少年。悪いことしよぉ」

買ったばかりのピザまんをお兄さんが割る。綺麗に半分にはならなかったが、少し大きい方を差し出された。

「ぼ、僕にですか?」

「ん」

おそるおそる受け取る。同級生が食べているところは見かけるけど、実際に食べたことはなかった。これ、ピザまんっていうんだ。面白いネーミング。

お兄さんの方を見ると、大きな一口でピザまんにかぶりついている。もう食べ終わりそうだ。

僕も真似してかぶりつく。慣れない食べ方でチーズをこぼしそうになるが、なんとか食べた。

「食べ終わったぁ?んじゃ帰ろか。もう危ない時間だからねぇ」

「はい……お手数かけてすみませんでした」

「いんや?たまには遊ぶのも大事だよねぇ」

お兄さんがどこかを向きながら話す。少しキョロキョロと辺りを見てから、俺の手を引いた。

「今日の俺冴えてる!もういっこ悪いことしよぉ!」

「え、ど、どこ行くんですか!?」

「お楽しみぃ。着いてきな!」

声ののんびり具合からは想像がつかない速さでお兄さんが走る。僕もそれに必死に着いて行く。

今更だけどなんで僕はこのお兄さんに着いて行ってるんだろう。さっさと家に帰ればいいのに。


息を切らしながら追いかけていると、前方から「着いたぁ!」と声がした。

顔を上げると、お兄さんが公園の入り口に立っている。

「ふふん、懐かしいでしょぉ。ブランコ」

お兄さんが親指でブランコを指さす。乗ろう、ということらしい。

お兄さんの隣のブランコに乗る。ほんの少し足を動かす僕の横で、お兄さんが立ちこぎでグングンと高さを伸ばす。


「ふぅ~!楽しぃ!」


夜だからか、控えめな声でお兄さんが歓声をあげる。

あまりにもお兄さんが楽しそうで、僕も意を決してブランコの上に立ってみた。

「う、わっ」

思ったより安定しなくて、ふらつく。足の裏とチェーンを握る手に力が入った。

安定するまで少し待ってから、お兄さんを真似て膝を曲げ伸ばししてみる。

ブランコが大きく揺れる。びっくりしてチェーンにしがみつくけど、もう一度膝でこいでみる。

楽しい、と思った。座った状態では感じることのできないスリルにワクワクして、おっかなびっくり何度もこぐ。

それなりの高さが出て、空が見えるようになる。昼には感じない、夜の空気に包まれた気がした。

空気は昼間と比べて冷たいけど、僕の身体は興奮で熱い。空気と僕の差が、なんとなく心地よい。

「楽しいやろ、少年!」

夢中になっているとふと、お兄さんの声が聞こえた。

お兄さんの方を見ようと思ったけど、ブランコが動きすぎてお兄さんがどこから話しているかよく分からない。

というか、降りられない。

「え、わっ、あ、どうしよう!」

急に怖くなってしまい身がすくむ。足の裏がつりそうなほど力んだ。

「なぁに、降りられんの?ちょっと待ってな~」

待っとき、という言葉に従ってそのまま耐える。周りの景色がだんだん見えるようになった頃、またお兄さんの声がした。

「飛び降りろ!」

「え、とっ、飛び降りっ……?」

躊躇していると、ガシャンという音とともにブランコに衝撃が走る。

身体が前に傾いて、とっさにブランコから跳んだ。


「う、わあっ!」

勢いで前につんのめると、お兄さんの派手なスーツの袖が差し出された。

差し出された腕に掴まると、お兄さんがケラケラと笑う。

「大胆に飛び降りるなぁ、少年」

「お、お兄さんがブランコのチェーンを掴んで無理に止めるから!」

「んはは、それもそうかぁ!悪かったな」

お詫び、と言ってお兄さんが僕にコンビニの袋を差し出す。

「ほら、受け取って」

「え、そんな、いただけません!」

「詫びなんだから受け取ってもらえないと困るわぁ」

「え、でも……」

「今日は両親いないんでしょぉ?じゃあ朝までこれで飲み明かそうや。酒はないけどぉ!」

お兄さんがさらに袋を差し出してくる。悪い気がしながらも、圧に負けて袋を受け取った。

「よし、少年も楽しんだようだし、帰ろかぁ。危ないから送るわ」

「はい、ありがとうございます」

乱れた髪を整えて、お兄さんに向かって軽く頭を下げる。

お兄さんは胸の前で両手をブンブン振って、俺に笑いかけた。

「えぇよぉ、久しぶりに楽しい夜だったし。共犯者にもなってくれたしぃ?」

「共犯者?」

「そそ。高校生と深夜に肉まん食べて、無理やり連れてきて公園で遊んで。バレたら俺、捕まるもん」

「す、すみません……」

「バレなきゃだいじょぶ。んふふ、俺にとって夜ってのはただ疲れるだけの時間なんだけどね。今日は爽やかな夜だわぁ。ありがと、少年」


公園を出て、僕の家に向かって歩く。

家の場所がバレたらまずいかも、と思ったけど、お兄さんなら別にいいか、とも思った。

深夜の道を、ポツポツと話をしながら二人で歩く。

お兄さんは聞き上手で、お喋りが得意じゃない僕でもスラスラと話が出てきた。

夜の街に憧れて家を飛び出してしまったこと。今日はすごく楽しかったこと。

実は自分は大手の経営者の息子であり、少し将来を不安に思っていること。


「将来への不安ねぇ……不安を感じられてる時点で大丈夫だと思うけどぉ?」

「そう、ですか?」

「ん。俺はねぇ、それすら感じられなかったからこんなところにいんの。あ、俺みたいになっちゃダメだよぉ?」

「お兄さんは、普段のお仕事は何をされてるんですか?」

「俺ぇ?うーん、お酒を飲む仕事?」

「お酒を飲む仕事?ワインソムリエとか?」

「そうだったらいいなぁ。俺、ワイン好きだし」

お兄さんがヘラりと笑う。その笑顔に見覚えがあったような気がした。

「……お兄さん、前に僕とどこかで会いましたか?」

「んぇ、心当たりないけどぉ。電車とかじゃない?」

「そうですか……」

生活圏が似ているのかと思ったけれど、もしかしたら人違いかもしれない。やめておこう。

「まぁ、とにかくキミなら大丈夫よ。不安に感じるくらい将来のことちゃんと考えてるんだからねぇ」

お兄さんが僕の背中をバシバシ叩く。

抗議しようとして、家の前に着いたことに気がつく。

「あ、僕の家ここです」

「そうなの?立派なマンション住んでんねぇ」

お兄さんがマンションを見上げて感心したように息を吐く。

しかしすぐに僕に向き直り、じゃ、と手を上げた。

「じゃあねぇ。夜中のお出かけは高校卒業してからにしなよ?」

「はい、高校卒業まで我慢します……」

「ん、よろしい。少年が高校を卒業してもまだ夜に憧れてたら、またねぇ」

そして、家の前で分かれる。

お兄さんの姿を見送ってから、名前くらいきいておけばよかった、と後悔した。

悔やむ気持ちを抱えたままロビーを抜け、エレベーターに乗り、玄関をくぐる。

ソファに勢いよく身体を預け、お兄さんからもらったお菓子とジュースを開けた。

繁華街のにぎやかさを思い出して、出かける前に保存した動画をもう一度再生した。


『かんぱーーい!!!!』


けたたましいグラスの音。煌びやかな格好の人たち。

女性を煽るようにして一気に酒を飲む男性を見て、ふと気づいた。

お兄さんだ。

今日と同じデザインの派手めなスーツを着たお兄さんが、酒を呷りながら女性にヘラりと笑う。

さっき感じた既視感はこれだったのか。なんだか拍子抜けしてしまう。僕が一方的に覚えていただけなのだから、お兄さんに覚えがなくて当然だ。


ちょっとだけ背伸びをしたくて歩いた、数時間の夜。

高校三年生の春、ぼんやりしていた夢が、やっと決まった。

まずは、経営を学べる大学に行かなくちゃ。




『将来の夢』

私の将来の夢は、ワインバーを開くことだ。

そのお店にはワインソムリエを1人配置する。

少し間延びした声のソムリエとのんびり会話ができるような空間を作り、共に経営していけるような人でありたい。

(学級文集より引用)

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