第五話 狂人

「ナタリー。お前、狂っているよ。」

ラムエルは真顔だった。主との食事会が終わり、二人に束の間許された自由の時間だ。五年間一度も失敗せずに任務を果たした彼等には、たまにこうして二人で談笑する機会が与えられる。

 先日のパーティーで、ラムエルの次のターゲットと接触を測れたことを、主に告げた。主は喜んで、ターゲットをラムエルからナタリーの管轄に移動した。政治家や実業家と違い、宗教団体や裏社会の人間は自分がどんな手を使って狙われるかわかっている。警戒心が強く、自らを守る方法を選ばない彼等をターゲットにすることは難解で、頭脳の優れたラムエルの担当になることが多い。その獲物を、自分のものにできた。主が、私に託した。同僚に勝ったという優越感と、僅かな罪悪感に浸っていたナタリーは、ラムエルに横取りを謝ろうとした。しかし、彼の様子はどこかおかしい。

「狂っている?どういう意味?」

ナタリーやラムエルに与えられた部屋とは異なり、食卓の置かれる白い壁紙の張られた広い部屋は、光が反射して少し眩しく感じる。ナタリーの質問にラムエルは答えず、深いため息をつくと髪をかき上げた。ナタリーのものよりも少し色の薄いこげ茶の巻き髪を眺めながら、ナタリーは首をかしげる。

「ずっとお前に聞きたかったんだ。」

ラムエルの声が少し震えている。巻き髪に隠れて、目は見えない。

 ラムエルは、とても頭が良い。単純な殺し方しか知らないナタリーと違い、ラムエルはありとあらゆる知識と技術を用いて自分を偽り、殺し方を工夫する。人を殺めるその瞬間にしか楽しさを見出せないナタリーと違い、ラムエルはその過程に何倍もの時間をかける。ラムエルは以前、国で一番頭の良い学校に通っていたらしい。両親が宗教にはまってお金がなくなり、学校にいけなくなったラムエルは、多大な借金を返すために危ない仕事を続け、気付いたらここにいたという。

「お前は、なんのために仕事をしている?」

なんのため?

ナタリーは眉をひそめた。そんなことを聞いて、なんの意味があるのだろう。

「お前、俺の仕事奪って、今どんな気持ちなんだ?」

やっぱり怒っている。ナタリーは後ろめたい気持ちになった。

「もちろん、申し訳ないと思っているわ。でも、その代わりにあなたにもっと最適な仕事が主様から降られるでしょう?私がやる仕事は、あなたにはやる必要がないものってことなのよ。」

ラムエルがこちらを見る。表情が読めない。怒っているのか、悲しんでいるのか、疑っているのか、あるいは全部か。

「ごめんなさい。もし、あなたが手を下したいのなら今から主様にかけあうわ。」

ラムエルの両親は宗教にはめられて破滅した。ラムエルの今回の仕事は、復讐の意味もあったのかもしれない。しかし、ラムエルの返事はやはり予想と反していた。

「なぜ謝るんだ?」

 悲しんでいる。ラムエルの顔には、どうしようもない憐れみの表情が浮かんでいる。人は、悲しいときにこういう顔をするはずだ。ナタリーは戸惑った。

「なぜそんなに必死な顔で、謝るんだ?お前は、俺がこの仕事をそんなに誇りを持って、楽しんで、自分の意志で、やっていると思っているのか?」

ラムエルはふっと笑った。

「つまり、お前は生き残りたいとか、殺されたくないとか、そういう思いでこの仕事をしているわけじゃないんだろう?」

笑顔を浮かべる目は冷ややかで、おぞましいものを見るような目つきでナタリーを見下す。意味が理解できないナタリーは困惑した。

「お前さ、本当にこの仕事が好きなんだな。学校にいたんだよ、先生に良い印象残したいから、一生懸命みんながやりたがらない仕事やって、面倒な役割背負うやつ。俺だって、今ここにいるやつらだって、みんな同じだ。主様に気に入られて、ちょっとマシな監獄に入れてもらって、ちょっとうまい飯が食えて、なにより気を損ねて殺されねえように、主様の顔伺って死に物狂いで働いてる。」

「私だって同じよ。殺されないように、生きていくために必死だわ。」

「違う。」

ラムエルの手が伸びてきた。顎を掴まれ、彼の方に向けられる。

「お前さ、この仕事が楽しくて仕方ないんだろう。俺の仕事に手が出てしまうほど、本当に人を殺したくて仕方ないんだろう?」

 首筋に刃をたてる瞬間。毒に苦しんで首をかきむしる人間がこと切れる瞬間。崖から落とされる人間の、手をこちらに伸ばして意味のない命乞いをする瞬間。今まで殺めてきた数多の瞬間が、蘇る。胸が高鳴り、全身の血液が湧きたち、己の魂が、命が震える感覚。私は生きている。人を殺めるたびに、自分の存在を感じる。

「ほら、その顔だ。」

ラムエルの声にはっとした。

「お前、仕事の話するときにその顔すんのやめろよ。主様ですら、ひいてるよ。怖いんだよ、お前。せっかく綺麗な顔してんのに。」

ラムエルは顎を離した。相変わらず幽霊でも見ているような顔をこちらに向けている。

「お前、今何歳だっけ。」

「…17よ。そういうことになってる。」

ナタリーの年齢は確かではない。年齢というものを、ここにきて初めて知ったからだ。そもそも、ナタリーは幼いころの記憶がない。ひどい虐待を受けると記憶がなくなると、主が言っていた。見た目と、身長と体の成長具合からして12歳だと、ここに来たばかりのころに主に言われた。

「お前、まだこれから人生長いだろう。これからもこうやって、人殺しして、牢屋みてえな部屋で暮らす人生に、何も思わねえのか?人さえ殺してれば幸せだって思うのか?」

ラムエルとは、仲が良いと思っていた。有望な生き残りとして、二人には絆があると思っていた。年上のラムエルはナタリーを可愛がってくれて、ナタリーもラムエルの実力と、その頭脳に憧れていた。そんな兄のような存在であるラムエルが、突然奇妙な顔をして、自分を責めている。

「俺が突然こんなこと言いだして、おかしくなったと思ってるんだろう。」

心の声を見透かされたようで驚いた。今日のラムエルはやはりおかしい。

「ずっと思ってたんだ。お前のこと、気味悪いって。俺もお前みてえになれたら、幸せかもしれないけどな。」

「気味が悪い?」

それは、今日のラムエルのことじゃないだろうか。急におかしな話を持ちかけて、「なんのために仕事をするんだ」などと意味のない質問をするのは、疲れでおかしくなっているとしか思えない。はやく後片付けをして部屋に戻ってもらおう。

「俺は、勉強を頑張ってたんだ。お前の知らないであろう、普通の社会でな。貧乏だったから、将来は良い暮らしをするんだって、誰よりも勉強したよ。でも今はこんなありさまだ。俺は今までの頑張りをなかったことにしたくないから、殺し屋という商売にも今までの知識と経験と、頭脳を活かすことで、主に還元しようとしている。そうすることで、俺は俺という存在の生きる意味をわずかに見出せる。」

 ラムエルが壁際から食卓まで歩き、そこに手をついた。食卓の上には夜に食べた肉の油が残った皿と、僅かに果物が残っている。もうすぐ主様が戻ってくるから、お皿を片してテーブルを拭かないといけない。

「でもお前はなんだ?殺すことを考えるときだけ生き生きしやがって、気味が悪いんだよ。お前にはそれしか楽しいことがないのか?本当に心の底から今の境遇を楽しんでいるのか?」

分からない。言っている意味が理解できない。私にはここの暮らししか分からないし、人を殺める瞬間の喜びが、至上の快感なのだ。「普通の社会」とやらで暮らしたことのない自分に、なぜそんなことを聞くのだろうか。腹がたってきた。どうしてそうやって、自分の思う「普通」を押し付けるのだろうか。

「何が言いたいのかよく分からないわ。仕事をとられた腹いせのつもり?私の境遇を憐れんだところで、あなただって同じじゃない。どうせこの世界しか知らないのならば、この世界が自分の一番生きやすい世界だって、思い込むほうがよっぽどしあわせよ。」

「俺が怒っていると思うのか?」

ラムエルは食卓に手をついたまま、こちらを見た。軽く息を吐くと、ナタリーの方に歩み寄る。

「俺の、妹と似てるんだ。お前は。生まれてきてからの環境が普通だと思ってる。貧乏で、両親は変になっちまって。満足な食事も教育も与えられないけど、にこにこして幸せそうに生きてたんだ。」

壁にナタリーを押しやり、背をかがめてしばらくナタリーを眺める。そして、小声で耳元にささやいた。

「ここから逃がしてやりたい。」

思わず耳元に近づく顔を見返し、ナタリーは眉をひそめた。

「何を言っているかわかっているの?」

「俺はもう、自分がどうなっても良い。どうせこの先の人生に希望なんて見いだせない。宗教家を殺したところで、俺たちの組織が所属する派閥は、次の大統領選挙で破滅が決まってるんだ。主が宗教家の殺害をお前に頼んだのは、時間がないからだ。ちんたら作戦練る暇なんてないってね。」

殺す瞬間にしか興味のないナタリーと違い、ラムエルは全体像をよく把握している。この組織のことこも、社会のことも、国のことも。ラムエルにだけ新聞が与えられているらしい。

「どうせここで死ぬのなら、最後になにか良いことして、せめて地獄での罪をちょっと軽くしたいんだ。でも、俺が助ける女の子が、殺し屋組織の主よりとち狂ったままだとどうしようも後味が悪い。だから、お前にはまともになってほしいんだ。」

まとも。聞き馴染みのない言葉だ。学校には行っていないが、主に与えられた膨大な数の本や教科書で常識は全て頭に入っているはずだ。「まとも」とか「普通」とか、外の世界からきてここで働く人間は、よくそんな言葉を口にする。

「分かるわけないじゃない。」

怒りよりも、笑いがこぼれた。

「かしこいと思ってたけれど、あんた馬鹿なのね。ごちゃごちゃ言ってないではやくお皿片すわよ。」

真剣なまなざしのラムエルを置き去りにして、食卓の皿を片しにいった。

「それと、もう一度そんな話したら、今のこと主様に言いつけるわ。」

ラムエルに背を向けているから、彼が今どんな顔をしているかは分からない。分からなくてよい。気味が悪いし、これからもラムエルとは仲良くしていきたいのだ。ラムエルは片づけを手伝ってくれなかった。静かな部屋には、食器の重なる音と、二人に部屋に戻るよう告げる主の使いの足音が聞こえてくるだけだった。


 その晩、久しぶりに夢を見た。空は青く、雲が目と鼻の先にあるほど近く見える。見渡す限り続く草原に、太陽の光を受けてキラキラと光る小川が流れている。前を走る背中を追いかけようとして、石に躓いた。膝に痛みが走って、泣きそうになる。

「泣くな、セレナーデ。兄さんがおぶってやるから。」

セレナーデ?誰の事だろう。これは私の夢ではないのかもしれない。そのはずだ。私は虐待を受けていたのだから。「お兄さん」が私を背中に乗せる。濃い紫色の髪が暖かい風になびいて、足下に広がる草原みたいだ。


 空がもっと近くなった。小川のせせらぎの音が耳に心地よい。風は草花の良い匂いがして、目のまえに広がるすべてが暖かくて美しくて、悲しい。頬を生暖かいものがつたった。涙がこぼれている。草原の景色が消えて、瞼の裏の暗闇が広がる。悔しくて、涙が止まらない。何も知らない私が、なぜ「普通」の世界の夢を見なければならないのか。目を開きたくなかった。私の「普通」を直視することが、無性に悔しくて仕方なかった。






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翼を宿す君たちへ 瑠奈 @runa-67

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