飛鳥先輩の色紙

海沈生物

第1話

 私には今すぐ、尊敬する先輩が持つ色紙を奪い取る必要があった。


 彼女――飛鳥先輩は我らが森ノ盛中学校美術部(私と先輩以外は幽霊部員)が誇る絵の天才である。

 絵のコンクールでは毎回最優秀賞を受賞は当然のこととして、私が適当に「飛鳥先輩の実力なら絶対にいけますって!」とSNSに投稿させた漫画が大バズりして、複数の出版社からDMで「是非うちで連載を!」と声がかかったこともある。もちろん、先輩との時間を漫画連載に奪われたくなったので、全部断わったが。


 一方の私は凡人である。美術部の癖に絵は下手だし、いつも先輩に迷惑をかけてばかりの人間である。家が人を呪い殺す「呪術師」の家系であることぐらいしか、取り柄がない。それも、あまり口外できるようなことではないし。


 そんな先輩だが、卒業式である今日、命の危機が迫っていた。彼女が持つ寄せ書きの色紙に「三分後に持っていた者が死ぬ呪い」がかかっているのである。その呪いは本来、私が嫌いだった教員の寄せ書きにかける予定のものだった。


 そいつは先輩のことが嫌いなカスで、いつも「スカートが0.01mm短い」だの「学生風情に芸術の何が分かる」と先輩を虐め倒していた。私はもちろん嫌いで、だからこそ卒業式の日に呪い殺してしまおうと思った。邪魔だし。


 だが、何の手違いか先輩の色紙に呪いがかかってしまったのである。私はとても焦った。正しく人を呪い殺す「呪術師」の家系の人間としても、飛鳥先輩を愛する者としても、彼女をこんな所で死なせるわけにはいかない。どうにかして、三分以内に先輩から色紙を引き剥す必要がある。ついでに、その呪いをその教員にかけてやる必要がある。


 そんな理由から、私は飛鳥先輩から色紙を奪うことにした。


「飛鳥先輩!」


「ああ、なんだい穂波さん?」


 相変わらずの「その顔で宝塚歌劇団に入団してないのか?」と思うような美麗な顔である。ガラス玉のように透き通った彼女の青い眼は、ずっと見ていられるほどに美しい。芸術作品である。家に飾りたい。


「あの……ちょっと色紙を貸してもらって良いですか?」


「ああ、別に良いが。一体どうしたんだい? 何か手違いでも?」


 二重瞼を少し細めつつ、彼女は不安げに色紙を渡してくる。……しめた。これであの教員に色紙を渡してしまえば、呪い殺すことができる。両親から聞いたので間違いない。これで家の汚名も、飛鳥先輩の命も守ることが出来る。ほっと息をついた。


 しかし、先輩から色紙を貰い受けることはできなかった。彼女の手が色紙をぎっちりと握っていて、離してくれなかったのである。


「あの……先輩?」


「……いや」


「いや……?」


「やっぱ嫌だ! いくら大切な後輩である穂波からのお願いだとしても、君から貰った色紙を一秒たりとも手放すことはできない!」


「はぁ?」


「朝起きたら色紙に向かって”おはよう、穂波くん”と言いたいし、寝る時は”おやすみ、穂波くん”と言ってキスをしたい! 趣味で映画館に行く時も二人分の座席を取って、一緒にほな……色紙くんと一緒に鑑賞したい! 他愛のない感想を言い合いたいながら、近くのカフェで美味しいご飯を一緒に食べたいんだ! ! この気持ち、後輩の君になら分かるだろ、穂波!」


「いや……普通に分からないですけど」


「な、な、な……分からないだって? 僕がどれほど後輩である君を……穂波くんを愛しているのか、この大海より深く、山より高き海千山千の豊穣なる愛が、理解できない……そう言いたいのかい!?」


「そう、ですね。先輩の愛は有り難いのですが、さすがに……気持ち悪いです。実はただの冗談ですよね? まだぐらいなら嬉しいですが、映画館に持ち出すとかカフェにまで連れ歩くとか、意味分からないです。それが本当なら”生理的に無理”というやつですね。許せるラインを越え越えです。先輩じゃなかったら、今ここで絶縁している自信しかないですよ。本当に」


 落ち込んでいる先輩を見て、少し申し訳ない気持ちになる。私も先輩のことは好きだ。だが、先輩が私のことを好きなのは解釈違いなのだ。私が一方的に愛を拗らせていて、先輩は何も気付いていない。そういう構図が「美味しい」のである。だから、先輩はこのまま「何も知らない先輩」として卒業して貰う必要がある。私のために。


 話を戻すが、ショックを受けた先輩が色紙を持つ手は緩んでいた。本当は平和的な交渉の末に貰い受けることができたのなら良かったが、もうあと一分の猶予もなかった。私は先輩の手から色紙を奪い取ると、くるりと背中を向ける。


「すいません、先輩! あとであいつを呪い殺し終えたら返すので!」


 先輩の顔も見ないまま、その教員がいるであろう体育館の辺りにダッシュする。

 空気を切る音と心臓の音がうるさい。まるで『走れメロス』の主人公にでもなった気持ちである。美術部の私には、あんな人間をふっとばすようなスピードでは走れない。だが、それでも、気持ちはメロスと同じである。


 尊敬する飛鳥先輩セリヌンティウスのため、あの教員を殺したい。メロスとは真逆のことをしに行く自分の奇妙さを少し面白く感じていた。


 けれど、少し時間がかかりすぎたらしい。教員がいる場所まであと一歩の所で、色紙から紫色のモヤモヤとした呪いが放たれた。抵抗する間もなく、呪いは色紙を持つ私の首を絞める。走り疲れて酸欠気味の私の意識はもう、ほんの少し絞められだけでグラグラと揺らいだ。


 ダメだ、もう。ここで私の人生は終わるのか。――そう思っていた時だ。


 飛鳥先輩がやってきた。さすがは飛鳥先輩である。私が息をぜぇぜぇと吐いてやってきた地点に、無の顔で立っていた。首を絞められて地面に叩き伏せられている私の姿を見た先輩は、少し戸惑ったような顔を浮かべた。だが、すぐに色紙から紫色のオーラが出ているのを見ると、何かを察したかのように色紙を拾い上げた。


「せん……ぱい……ダメです……色紙を持ってしまえば、呪いが……先輩に……」


 先輩は何も言わなかった。ただ、落ちていた色紙を拾い上げると、そっとキスをした。あっと思った瞬間、私の意識はそこで途絶えてしまった。最後に見たのは、先輩の儚い笑顔と「あいしている」という口パクだけだった。


 目が覚めると、私は保健室にいた。保健医によると、私は貧血で倒れていた所を、あろうことか件の教員によって運ばれたらしい。あんな奴に借りが出来てしまったやつに、舌打ちをしながらも「まぁもう見逃しやるか……」ぐらいは思った。先輩は卒業したのだし、実害はもうないだろう。他の生徒からは(不服ながら)人気みたいだし。


 そして肝心の先輩だが、あれから姿を見た人はいないらしい。周囲にいた人々の証言によると、色紙を持った瞬間に跡形もなく姿が消えてしまったらしい。私が倒れていた場所にはただ、色紙だけが落ちていた。既に呪いは消失しており、色紙はただの寄せ書きになっていた。ただ、私の愛する先輩だけがどこにもいない。


 空っぽになった色紙は私の部屋に飾っている。さすがに先輩の言っていたように添い寝はしないし、おやすみのキスもしない。だが、最近朝起きると色紙が勝手にベッドの隣に落ちていたり、あるいは学校に行く鞄の中に入っていることがある。


 元々寝相が良くないタイプなのでたまたまなのかもしれないが、そういう時、その色紙の中には先輩が宿っている気がしてくる。その度に私の文字で「今までありがとうございました」とだけ書かれている色紙を見て、「いや、まさかな……」と思うことばかりを繰り返している。その内、両親に見せてみるつもりだ。

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