【短編小説】夢現の国の女王と狂気に導かれし娘
藍埜佑(あいのたすく)
【短編小説】夢現の国の女王と狂気に導かれし娘
朝日が瞼を熱く染める。アリスは目を覚ました。いつものように天蓋付きの豪華なベッドの中だった。だが、彼女の意識は朦朧としていた。夢と現実の境界が曖昧になっている。
ベッドから起き上がると、急に白い柱が天を突く広大な空間が広がった。まるで宮殿のような気高い佇まいだ。しかし、その構造は常識を超えていた。柱が上に行くほどねじれ、天蓋は幻想的な渦を描いている。
「おはよう、アリス」
気づくと、妖精のような小さな存在が目の前を舞っていた。しっとりとした金髪に、蝶のような羽根を広げている。
「ここはどこ?」アリスは訝しげに尋ねた。
「ここは"夢現(むげん)"の国よ」妖精は嬉しげに答えた。
「あなたの無意識の世界を、具現化した場所」
アリスはうなずいた。奇妙な違和感はあったが、同時に安堵感にも満たされていた。この国にあたかも長年抱いていた"第二の我が家"のような心地よさがあったからだ。
すると、建物の至る所から人影が現れ始めた。誰一人同じ者はいない。老若男女、太っている者もガリガリの者も。そして見た目は常識を超えている。二つ目を持つ者、全身が宝石のような輝きを放つ者、馬の足を持つ者。
皆がアリスの方を見つめ、合掌して深く頭を下げた。
アリスもしばし戸惑いを隠せなかったが、やがて堂々とした態度に徐々に変わっていった。まるで、自分がこの国の女王であるかのようだった。
その日を境に、アリスの"夢現の国"での生活が始まった。彼女はこの奇妙な国の王として住民たちから応対され、どこか当たり前のようにその役割を果たしていった。
朝は広間で円卓を囲んで食事を共にし、昼は庭園を散策する。住民たちはアリスの傍らに付き従い、世話を焼いてくれた。夜は宮殿の一室で読書に耽ったり、音楽の生演奏を聴いたりとゆったりとした時間が流れていった。
ある日のこと、アリスは寝室の窓から外を眺めていると、遠くに巨大な渦巻く砂嵐を見つけた。それは次第に大きくなり、あたりを砂塵に包んでいく。
「これは一体……!」
アリスは戸惑いながらも、どこか内なる気配に導かれるようにその砂嵐へと歩を進めた。
やがてその砂嵐の中心に辿り着くと、そこには長い白い髪を宙に舞わせた少女が佇んでいた。少女の瞳は朱に燃え、周囲の砂塵を呼び寄せているかのようだった。
「貴女が、この国の王か」
少女はアリスに向かって低い声で告げた。
アリスは期せずして敬意を払うように、ゆっくりと頭を垂れた。この少女から、今までにない威圧感を感じたからだ。
「この国は、もはや貴女のものではない。私の力の前には及ばぬ」
「一体何を? この国こそ私の領域……」
アリスは平静を装ったが、内心にじわじわと恐怖が広がっていった。
そんなアリスを睥睨して少女は高らかに宣言した。
「いや、この国は我が無意識の具現なのだ。貴女はそこへ迷い込んだ場違いな存在に過ぎない。今すぐ立ち去りたまえ」
アリスは疑問と戸惑いを抱えながらも、この圧倒的な存在感に従うしかなかった。それほどこの少女の威圧感は圧倒的であった。己の認識をすべて覆され、ただ放心状態でアリスはこの国を後にした。
「……!」
アリスは目を覚ました。そこはアリスの元の現実世界だった。天蓋付きのベッドに寝ていたのは、私立高校に通う16歳の少女、アリス・カーターその人だった。
「夢……? でも、あれほど生々しいなんて……」
アリスは混乱していた。夢現の国で経験したことすべてが、あまりにも鮮やかな記憶として残っている。
そんな中、アリスはふと気づいた。枕元に大きな羽根が置かれていることに。金色できらきらと輝く妖精の羽根だった。
「まさか、本当に!?」
アリスは我を忘れて羽根を手に取った。そうすると、突如として意識がまた夢現の世界へと飛翔していった。
目の前に広がるのは、あの少女が創り出した地獄絵図のような光景だった。砂塵と炎の赤と、破壊の痕跡が相まって恐ろしい景色を創り出している。
「やはりあの時は本当の出来事だったのね」
アリスは呆然とした。
夢現の国が、誰かの無意識の具現化するとは。
するとその時、アリスの側に再び妖精のような存在が舞い降りてきた。しかし、あの時の可愛らしさは微塵も感じられず、むしろ荒々しく強い存在感を放っていた。
「アリス、アナタの認識は狭すぎる」
妖精は言った。
「我らはアナタの意識を覗き込む存在なのだ」
「意識を覗く? それは一体どういう……」
「アナタの精神世界そのものを操る権能を我らは持つ」
妖精は激しい口調で説明を続けた。
「つまり、この世界のすべては、アナタの精神が生み出したに過ぎず、我らがそれを自在に操ることができるのだ」
「じゃあ、あの少女は?」
「あの少女は、アナタの無意識の奥底に潜む"狂気の化身"だ」
アリスは虚を衝かれた思いだった。
自分の中に、あんな想像を絶する狂気があるとは。
そして、その姿こそが、あの少女の姿だったのか。
「でも、私にはその姿を消し去る力がある」
妖精は言った。
「ただし、その代償はアナタでしか支払えない」
その言葉が意味することは、アリスにはよく分からなかった。
「あの少女……つまり狂気の化身を消し去るには、どうすればいいの?」
アリスは尋ねた。
妖精は涼しげに言った。
「その化身に立ち向かい、自らの内なる狂気を受け入れるしかない」
「受け入れる!? あんな恐ろしい存在を……?」
アリスは戸惑いを隠せなかった。
「それが、狂気との共存の道だ」
妖精は続ける。
「ひとたび受け入れられれば、その化身はもはやあなたを傷つけることはできないだろう」
アリスは重い決断を迫られた。
狂気を認めるということは、これまでの自分を壊してしまうリスクがあった。
しかし、それ以上に狂気に飲み込まれてしまうことの方が怖かった。
「分かりました。私は立ち向かいます」
アリスは 荘厳な表情で宣言した。
やがてアリスの前に、あの白髪の少女が姿を現した。少女の目は無慈悲に燃え上がっていた。
「ふん、私に逆らうつもりか。愚かで虚しい抵抗だ」
少女は手を振ると、大地が激しく揺れ始めた。アリスは倒れそうになりながらも、踏みとどまった。
「私の中に、あなたがいるのは事実。でも、もう恐れはしません!」
アリスの言葉を少女は軽くあしらい、さらに手を振った。すると今度は火炎が迸り、アリスをおびえさせた。
しかし、アリスはその火の中を踏みわけながら、少女に向かって進んでいった。
「あなたは私の一部。私はあなたを拒絶しません!」
そう言うと、アリスは少女をぎゅっと抱きしめた。
少女は身体中から力を解き放ち、アリスを吹き飛ばそうとするが、アリスの抱擁は少しも緩まなかった。
「なにをする! 放せ!」
「いいえ、絶対放しません!」
アリスがさらに強くハグすると少女はびくりと体を震わせた。
「私は……」
言いかけた少女は激しく痙攣を始めた。
やがて少女は、ゆっくりと溶け始めた。
アリスは目を丸くした。
狂気の化身が、自分の内に溶け込んでいく感触……。
恐ろしかったが、同時に救われたような安堵感に包まれた。
狂気の化身が自らの内に溶け込んだことで、アリスの心は途方もない平穏に満たされていった。それまでの恐怖や不安は完全に消し去られ、かつてない穏やかな気持ちが芽生えてきた。
「私はついに、狂気と共存することができたのです」
アリスは妖精に言った。
妖 精は頷き、微笑を浮かべた。
「そうですね。あなたは自らの狂気を受け入れ、内在化することに成功しました」
「でも、これで本当に大丈夫なのでしょうか?」
アリスには細かな不安がまだ残っていた。
そんなアリスに、妖精は言った。
「ご心配には及びません。あなたの人格は健全に保たれています。ただし、狂気の影響で、あなたの認識や行動にはこれまでとは違った"ゆらぎ"が生じることでしょう」
「ゆらぎ?」
「はい、つまりあなたの中には"常識との狭間"が生まれるということです。けれども、それは決して危険なことではありません。ただ、いつもと違った視点で世界を見ることができるようになるだけです」
アリスは心の中でつぶやいた。
『つまり、今までの私とは違う新しい私が生まれるということね』
その後、アリスは現実世界に戻った。周囲を見渡すと、いつもと変わらぬ日常が広がっていた。しかし、アリスの心の在り方が大きく変容したことで、この日常は別の意味を持ち始めていた。
アリスは現実世界に戻り、普段通りの生活を送っていた。しかし、自らの内なる狂気を受け入れたことで、彼女の意識には変化が現れ始めていた。
まず、些細なことに過剰に反応するようになった。誰かが小さな間違いをしただけでも、アリスは激しく動揺してしまう。そうした反応に周りは戸惑う。しかし、アリスはそれでも大丈夫だった。このゆらぎは自分の内なる狂気の現れに過ぎず、そこに真に危険はないことを理解していたからだ。
次に、アリスの創造性が爆発的に高まった。文学、芸術、発明など、様々な分野でアリスは斬新なアイディアを生み出し始めた。常識を超えた奇想天外な発想は、まるで狂気そのものだった。しかし、アリスはそれらを上手く活かすことができた。彼女の作品は非常に高い評価を受け、賞賛の的となった。
そして最後に、アリスの対人関係も変化した。彼女はもはや周りの人々の価値観に捉われなくなった。人々が珍しがる言動をしても、動じることはない。道徳的な制約から自由になり、自由奔放な振る舞いが目立つようになった。しかし、アリスには傷つける意図はなかった。ただ、常識にとらわれずに生きていくことを選んだだけだった。
このようにしてアリスの人生は、内なる狂気を取り入れたことで一変した。一見すると反社会的で危険な振る舞いに映るかもしれない。しかし、それは単なる"ゆらぎ"に過ぎず、アリスの本質は健全さを失うことはなかった。ただ、新たな認識や価値観を手に入れたことで、世界をより豊かに生きられるようになったのだ。
そしてある日、アリスは久しぶりに夢現の国を訪れた。妖精たちが温かく迎えてくれた。彼らはアリスの変化を喜んでいた。
「あなたこそが、この夢現の国の女王にふさわしい存在なのです」
妖精が言う。
アリスも、ありがとう、と言って華やかな微笑みを返したのだった。
(了)
【短編小説】夢現の国の女王と狂気に導かれし娘 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi
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