でぐち

香久山 ゆみ

でぐち

 未解決事件番号No.9について、おおよその予想は立った。

 数十年前に発生した、人間の手によるものとは考えられない連続殺人事件。未解決のまま捜査終了となったが、それもそのはず、一連の事件の元凶は幽霊だったのだから。

 幽霊の正体は、一番目の被害者である白鳥しらとり琴美ことみと考えられる。彼女の無念が、怨霊となり、続く凄惨な事件を引起こしていたのだ。

 彼女の無念とはいかなるものだったのか。

 長らく「一番目の事件」と考えられていた通り、白鳥琴美殺害についても未だ犯人不明のままだという。当時琴美には年上の恋人がいたとされる。白鳥家が経営する会社に勤めていた鷲尾わしおという十歳年上の男だ。突然の死によって恋人と引裂かれたことが、彼女の心残りだったのではないか。

 だから、数十年の時を経て、彼女の亡霊はここに現れたのではないか。現在鷲尾が入所する介護施設に。

 鷲尾氏に話が聞ければ、もっと事件の詳細が分かるかもしれない。しかし。

「鷲尾さんはご高齢で、持病もお持ちなので」

 介護士の冨久司ふくしから、面会は明るくなってからにしてくれと言われた。当然だ。鷲尾氏は八十歳で、今は草木も眠る丑三つ時。

 日が昇ってから冨久司の案内で鷲尾氏に会いにいくことにして、俺は詰所で電話番、冨久司は夜勤巡回に戻った。

「怨霊になってしまうほど、恋人との別れがつらかったんですねえ」

 冨久司はそう推察した。

 けれど、はたして本当にそうだろうか。

 なぜ、琴美はここに現れたのか。。そう考えることだってできるのではないか。

 いや。

 いい加減な憶測はよそう。朝になれば、直接鷲尾氏に話が聞けるのだ。俺は視えるだけで幽霊の声は聞こえないから、相手が幽霊であれば真相は闇の中かもしれない。けれど、今回は直接生きている証人の声を聞くことができるのだ。

 まあ、聞こえたからといって、生きた人間の言葉が真実を語るとは限らないが。

 ふう、と溜息を吐く。

 だめだ、未解決事件番号一桁台のこととなると、どうしても思考がマイナスへ振ってしまう。切替えよう。ともかくも、鷲尾氏の話を聞くのが第一だ。それで事件は解決へ向かうだろう。トイレでバシャバシャ顔を洗ってから、詰所で朝までじっと電話番をした。

 その夜はもう、電話も鳴らず、利用者の居室からの呼び出しランプも点灯しなかった。


 結局、鷲尾氏から話を聞くことはできなかった。

 未明に容態が急変して、そのまま搬送先の病院で亡くなった。

「夜のうちに彼に会いに来ていれば……」

「探偵さんのせいじゃないですよ。言ったでしょ、持病をお持ちだって。さっきまで元気だった方が、あっけなく亡くなることだってあります。高齢の人に限りません」

 突然の出来事に動揺を隠せない俺の肩に、冨久司はそっと手を置いた。

「探偵さん、亡くなった鷲尾さんの部屋を片付けるの手伝ってもらえますか」

 冨久司が言う。他の夜勤職員ではなく俺に声を掛けたのは、少しでもヒントが見つかればと気を遣ってくれたのだろう。

 冨久司と二人で、鷲尾氏の居室に片付けに入る。窓の外では、未明からしとしとと雨が降っている。

 ついさっきまで人が生きていた気配がするのに、誰もいない空っぽの部屋。冨久司の指示に従って、テキパキと荷物を整理していく。鷲尾氏には身寄りがないらしい。

「介護士してると、利用者さんの身の上話を聞くこともよくあるんですけれど。鷲尾さん、生涯独身だったそうです。結婚したいと思う人はいなかったんですかと訊くと、一緒にはなれなかったが人生で愛した女性はたった一人だけだとはにかんでらっしゃいました。冨久司さんにもいつか運命の相手が現れるよって。口数は少ないけれど、温厚で優しい方でした」

 冨久司がしみじみと言う。ズッと鼻を啜る。

「昨夜の巡回の時には静かに眠ってらっしゃったのに。鷲尾さん、まだここにいるような気がします」

 冨久司が布団もシーツもそのままのベッドに手を掛けると、ふっと高齢の男性が姿を現した。

「冨久司さん」

「え?」

 冨久司がきょとんと振り返る。そうか、冨久司には視えていないのだ。

「中肉中背、背筋はぴんと伸びていて、白い蓬髪、鷲鼻で垂れ目、四角いフレームの眼鏡を掛けている……、彼が鷲尾さんでしょうか」

「ああ、それは鷲尾さんです」

 俺の視線を追うように、冨久司もじっとベッドを見つめる。真っ白なベッドの上に、鷲尾氏が座っている。

 ぽとり。

 胸に挿していたはずのボールペンが、ベッドの上に落ちた。事件現場に残されていた、琴美の念の籠もった押収品だ。

 ふっとボールペンから若い女性の姿が浮かぶ。彼女が白鳥琴美なのだろう。

 俺は視えるだけで、霊の声は聞こえない。けれど、彼女の表情から、琴美を殺したのが鷲尾氏でないということははっきりと分かった。

 いかにも愛おしそうに、彼女は恋人を見つめる。鷲尾も同じ表情で見つめ返す。琴美が鷲尾へボールペンを手渡す。少し手が触れただけで二人は幸せそうにはにかむ。

「事務仕事とかしていると、その辺のボールペンを適当に使って、そのまま取り込んじゃったりするるんですよね」

 冨久司が言っていた。

 あのボールペンはもともと鷲尾のものだったのではないか。彼女はそれを返せぬまま死んでしまったのでは。

 いや。そもそも二人はまだ恋人同士ではなかったのかもしれない。互いの気持ちに気づきながらも。

 当時琴美は十八、鷲尾は二十八だ。未成年の琴美に鷲尾から想いを告げることはなかっただろう。琴美もまた、親の経営する会社で働く年上の男に直接想いを伝えることはできなかったのかもしれない。代わりに、彼の持ち物をこっそり自分の物にしたのではないか。

 けれど、どれだけ互いを想っていたか、二人の表情を見れば一目瞭然だ。

 ペンを受け取った鷲尾が、そのままぎゅっと琴美の手を握る。琴美ははらはらと涙を流しながら、小さく頷いた。

 鷲尾がちらとこちらに視線を向けて小さく会釈する。琴美もそれに合わせて頭を下げる。

 すうっと光に包まれるようにして、二人の姿は消えた。

 ちょうどその時、雨宿りをしていたのだろうか、窓の外で白い鳥が二羽飛び立っていくのが見えた。いつの間にか雨はやんでいた。

 俺と冨久司は、二羽の白い姿が朝日に溶けて見えなくなるまで、その軌跡を見送った。

 No.9の事件を起こした琴美の行く先は地獄かもしれない。けれど、どこであろうと、鷲尾氏はもう彼女の手を離さないだろう。そう思った。

 白い布団もシーツもすっかり引上げて、俺達は彼の居室の扉をそっと閉め切った。


 朝だ。

 各室の利用者達が起き出し、日勤職員が出勤し始める。

 冨久司はパタパタと慌しく館内を駆けていき、俺は詰所の隣の空室を覗きにいく。昨夜、琴美の霊に憑かれて気を失った詩織が眠っている。

 窓際のベッドの上で、朝の白い光を受け詩織は静かに長い睫毛を閉じている。

 白雪姫みたいに口付けで目を覚ますだろうか。そんな不埒な考えが過ぎったが、もちろんそんな度胸はなく。

「詩織さん」

 彼女の名前を呼ぶ。何度か呼び掛けて肩を叩くと、やっと目を覚ました。

「うひゃあ! え、わ、私、どうしてここに?」

 昨夜の記憶がないのか、布団を引き寄せて慌てる。簡潔に事情を説明すると、ようやく落着いた。

「それでは、事件はもう解決したんですね」

「……はい」

 解決といえるか分からないが、No.9について、もうこれ以上事件は起きないだろう。

「じゃあ帰りましょうか」

「帰りましょう」

 部屋を片付けて、一階ロビーへ下りる。

「探偵さん! 詩織さん!」

 パタパタと階段を駆け下りてくる足音。

 日勤への引継ぎを終えた冨久司が、玄関ホールまで見送りに来てくれた。

「お二人とも、本当にお世話になりました」

 ありがとうございました、と頭を下げる。

「冨久司さんこそお疲れでしょう」

「いえ、……まあそうですね」

 ソファーの背凭れに手を置き、うーんと伸びをする。「確かに疲れちゃいました」と言って、そのままボフッとソファーに座る。

「本当にありがとうございました。あたしはちょっと一眠りしてから戻ります」

 そう言うと、もう寝息を立てている。

 そりゃあ疲れているだろう。冨久司の方こそ、昨日の昼間から今まで介護職員として働き詰めで、そのうえ幽霊騒ぎのサポートをして、鷲尾氏のことで諸手続の対応までしているのだから。

「今日の業務は終わっていると言っていましたし、少し眠らせてあげましょう」

「そうですね、改装中のロビーの隅だから人目に付くこともないでしょう」

 眠る冨久司に上着を掛けてやる。念のためと詩織は職員に声を掛けに行った。

「帰るぞ」

 にゃあ、とソファーの隅から黒猫が出てきた。やっぱりいたか。

「あれっ、猫ちゃん。どこかから紛れ込んじゃったのかな」

 戻ってきた詩織が黒猫の前にしゃがむ。

「……うちの猫です。黙って家を空けたから、勝手についてきたようです」

「ふふ、かわいい。なんて名前ですか?」

「……ツクモ」

 まだ名付けていなかったのだが、咄嗟に答えた。

 不思議な力をもつ猫だから。詩織には短く切れたくるんと丸いしっぽしか見えないだろうが、霊力のある者ならばこの黒猫に二又の長いしっぽが生えているのが視えるだろう。この黒猫も白鳥琴美に劣らず、あちこちによく憑く。だから憑喪ツクモという名前を付けた。こいつも満更でもないようで、にゃあと鳴いて足元に体を擦り寄せる。

 抱きかかえて、ひだまり園をあとにする。

 朝の光が眩しい。通勤通学の人達が忙しなく通り過ぎていく。今朝一人の命が消えた、けれど世界はこんなにも変わらない。死は非日常ではない。よくあることなのだ、皆内に秘した哀しみを見せないようにしているだけで。

「黒猫なのに、白って名前なんですか?」

「え?」

 くすっと詩織がいたずらっぽく笑う。

百年ももとせ一年ひととせ足らぬつくもがみ我を恋ふらしおもかげに見ゆ。伊勢物語のこの歌が、『九十九』と書いて『つくも』と読ませる由来となったと言われます」

 詩織が宙に字を書くように指を動かす。

 俺の腕の中で黒猫も金色の瞳でじっとその指の動きを追う。

「『次百つぐもも』ということから、『九十九』と書いて『つくも』です。だから逆に、『百』という漢字から『一』を引いて、『白』という字で『つくも』と読ませることもあります。白髪のこと『つくも髪』っていったり」

「へえー。さすが詩織さん、物知りですね」

 詩織が指を下ろすとともに、眠いのかツクモも腕の中で目を閉じる。

「長生きしそうないい名前だと思います」

 詩織が背を撫でようとすると、ツクモは煩わしそうに腕の中でぎゅっと体を丸める。

「ツクモ」と名前を呼ぶと、しっぽだけふりふりと振り返す。気に入っているようだから、まあいいか。

 黒も白も色がないという意味では同じなのだし。すべての色を反射すると白、すべての色を吸収すると黒になる。

「虹です!」

 詩織が声を上げる。

 その声に、早足で行く人々も立ち止まり、皆で西の空に架かる七色の虹を見上げた。


 元同僚の刑事からメールを受信していた。

 白鳥琴美殺害事件は、No.9の連続殺人事件から外された後、No.1の事件に組み込まれたのだという。

 俺は返信せずに、メールボックスを閉じた。真っ黒な画面から目を逸らすように、スマホをポケットにしまう。

 事件はもう終わったのだ。

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