本編

 本編


 千本松原せんぼんまつばらへようこそ。

 え?

 ここは、木曽三川きそさんせん公園こうえんでしょ、って。

 そうですよ。


 では、もう一度。

 木曽三川きそさんせんへ、ようこそ!


 ここは、揖斐川いびがわ長良川ながらがわ木曽川きそがわの三つの川が合流するところ。


 輪中わじゅうって、習いませんでした? 小学校の社会科で。

 川に挟まれた地域で、

 昔はしょっちゅう川が氾濫はんらんして。

 何度も治水ちすい工事が繰り返されたところ。


 地元の子だと、小学校の社会科見学でここへ来るんだよね。


 治水ちすいの歴史と、輪中わじゅうに暮らす人々の知恵を知るために。


 きみもそうでしょ?

 違う?

 まぁ、いいや。

 今日は、楽しんでおいでよ。


 まずは、この展望タワーに登っておいでよ。

 高いでしょ。

 怖くない?

 平気?

 すごいなぁ。


 ぼくは、初めて ここに登った時 怖かったよ。

 しかも、ほら、ここ!

 床が透けているでしょう!

 ガラスの上、乗っても大丈夫だと言われても、怖くて足をのせられなかったよ。


 そうそう!

 怖い話といえばね。


 千本松原せんぼんまつばら

 ほら、見てごらん。


 あぁ、そっちじゃない。

 そっちは、お花畑。

 きれいでしょ。

 チューリップも、並んで咲くよ。

 赤、白、黄色。

 あの青いのは、遊具だね。

 遊べる場所があるからね。

 後で行ってみるといいよ。

 もちろん、水屋みずやの見学も忘れないでね。

 お勉強、してってよ。

 せっかくだからさ。


 それに、

 お勉強した きみなら、知っているよね。

 宝暦治水の話。

 知らない?

 だったら、1階の展示室へ行って見てきてね。


 簡単に言うとね、

 江戸時代に薩摩藩がの治水工事を任された話。


 怖い話ってのは、これに関係する話なんだ。

 聞く?

 じゃあ、特別に聞かせてあげる。


 千本松原であった不思議な話。



 これはね、

 ぼくの友人の話なんだけど。


 彼は、大学で知り合った仲間と一緒に この公園に来て、千本松原へ行ったんだ。


 仲間達は皆、小学生の時に社会科見学で来たことがあったから、

「懐かしい」って、言っていたなぁ。

 彼だけが、初めてここに来たって。

 だから、仲間達は、当時を思い出しながら あれこれ彼にレクチャーしたらしいよ。

 木曽三川の治水の歴史を。

 そうしたら、

 彼が「千本松原へ行きたい」って、言い出して。

「じゃあ、行こう!」って、千本松原へ向かったのさ。


 その時の彼、横断歩道の信号が目に入らないくらい 早くへ行きたかったみたい。



 きみも行ってみる?

 いいけれど。

 信号、よく見てよ。

 あぁ、横断歩道、気をつけて。


 ん?!

 どうしたの?


 もしかして、きみも?

 ……そんなわけないよね。


 それで、

 千本松原へ来た彼がどうなったかっていうとね。


 彼、何かに引き寄せられるように ふらふらと歩きだしてさ。

 仲間を置いて行っちゃったのよ。


 不審に思った仲間達は、彼について行ったよ。心配だからね。

「おい! どうしちゃったんだよ!」って、彼に話しかけたんだけどさ、

 ちっとも返事しなくって。

 彼の名前を呼んでも、聞こえていないみたいでさ。


 それなのに、

「そっちじゃない?」

「ここにいるの?」

 って、ぶつぶつ 何かをしゃべっていてさ。


 ちょっと怖かったなぁ。


 でもね、本当に怖かったのは、そのあと……


 あ!

 そこ、気を付けて。

 足元あしもとよく見て歩いてね。きみも。


 そう。ちょうど この辺だったかな。

 彼の

 彼の体が パタリと倒れたのは。


 仲間達には、彼が足元あしもとの何かにつまずいて転んだように見えたらしい。

 らしい、っていうのは、

 ぼくには違うものが見えたからさ。


 知りたい?

 ふふふ。


 ぼくにはね、彼の体から抜け出る女の人の姿が見えたのさ。


 女の人は、着物姿だったよ。

 質素だけれど、よく手入れのされている感じだったな。

 まとめ上げた髪には櫛が挿してあってさ。

 あれ、きっと、つげの櫛だよ。


 彼を起こした仲間の話では、

 彼自身は、何が起こったのか よくわからなくて。

 ただ、引き寄せられるように 歩いてきたんだって。

 誰かに呼ばれているような気もしたけれど、よく覚えていないって、言ってた。

 そして、

 そう、そこ。

 きみが立っている ちょうど、その場所で。

 なぜか、急に、体の中から魂が抜け出ていくような、

 体の皮が ずるり と、がされるような感覚があって。

 その あまりの気持ち悪さに気を失ったらしい。


 何が起こったのかって?

 謎が解けたのは、彼がお盆に母方の親戚の家を訪ねて、九州へ赴いた時。


 彼は、そこで自分の祖先が宝暦治水に関わっていたことを知るのさ。

 それも、とても不思議な形でね。



 なぜ、岐阜ぎふとは縁もゆかりも無い薩摩に治水工事の命が下ったのかといえば、

 薩摩が外様とざま藩だったからね。

 外様大名とざまだいみょうって、知っているだろう?


 江戸時代、江戸から遠くに配置された大名達だよ。


 なぜ遠くに置かれたのかは、徳川にあだなすことを防ぐためって、習ったよね?


 天下分け目の戦いと言われた 関ヶ原の合戦。

 その勝敗に基づくものだよ。

 あ。関ヶ原も、この岐阜県内にあるんだよ。

 知ってた? もちろん、知ってるよね。


 それで、外様大名っていうのは、この関ヶ原の合戦以降、徳川幕府に従うことになった大名達だからさ。

 徳川も用心したのだろうね。

 そこで、

 参勤交代では江戸への道のりが遠いことからも 財力を消費させ、謀反を起こす資金すらも貯めさせないようにって、思惑もあったらしいね。

 だから、だよ。

 薩摩藩は、この治水工事で多くの資金をついやさざるを得なかった。藩財政だけでなく、藩士の命も実に多くを失った。


 その命を落とした藩士の許嫁いいなづけ

 それが、彼の遠いご先祖にいたわけだ。


 ぼくが見た彼女は、きっと その許婚なのじゃないかな。


 250年の時を経て、ようやく岐阜の地に辿り着けた彼女。


 会いたかったのだろうね。


 許婚として贈られた櫛を大切にしていたのだって。


 その 飴色の櫛。

 彼は、親戚の家で櫛を見せてもらった時、千本松原で起きたことが やっと わかった、って言ってたよ。


 きっと、彼の血を辿ると現れる彼女が ようやく愛しい人の元に辿り着けたのだって。


 だから、良かったって。


 きみは、信じる?


 250年前の想いを。


 もしかしたら、そんな果たされない想いが どこかにくすぶっているかもしれないね。


 薩摩の地に帰りたいって嘆いている藩士達の声が聞こえるかい?


 きみが立っている この場所は多くの人の汗と涙と血で固められているのだよ。

 歴史とは、そういうものさ。




 ところで、あなたの正体は? って。

 ぼく?

 ぼくはね、

 ふふふ、やっぱり内緒。

 きみがまた来てくれたら、教えてあげるよ。

 きみが忘れないでいてくれたら。

 ぼくと、またお話しようね。


 ぼくは、で待ってるよ。


 ありがとう、

 ぼくに気付いてくれて。


 じゃあ、またね!











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250年の時を経て 結音(Yuine) @midsummer-violet

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