間の庭園
奈月沙耶
*
色相の魔導士ヤフヤ・イスマイールは、地上の宮殿のありさまに沈痛な面持ちで息をついた。
この間の庭園の合わせ鏡であるところの地上の美しい庭園は今、くすんだ色彩で覆われていた。
みずみずしい息吹に満ちた青々した芝生も、生垣の新緑も、とりどりの花々、白亜の泉の水色の波紋、艶やかな天幕のあずまやに至るまで。今や灰色に沈もうとしていた。
皇帝のいちばん幼い皇女が夭折し、庭園から幼子の声が失われてしまってから、宮殿の人々の表情はヤフヤの面持ちよりももっともっと沈痛で薄暗く、ターバンやヴェールの頭上に雨雲をかがげて歩いているよう。
皇帝の皇子皇女たちの半数以上が、暗殺されたり叛乱の過度で処刑されたり失意のうちに憤死したりと、悪夢のような出来事が続く中、唯一の光であった幼い姫君までも天上に召されてしまい、地上の楽園とも称される皇帝の宮殿は悲しみの色を濃くしていくばかり。
どうしたものかと思案の溜息をまた落とし、ヤフヤ・イスマイールは傍らに呼びかけた。
「スルターナ」
ヤフヤの隣で腹ばいになって泉を覗き込んでいたラーズィエは丸い瞳を上向けた後、くちびるを尖らせてまた泉の底を見つめた。
「みんな、あたしが死んじゃって悲しんでるのね」
「さようです、スルターナ。時が経てば悲しみの色は薄れるもの。ですがあなたさま亡き後、悲しみの色は濃くなるばかりです」
「だからあたしはこの先へ進めないのね? あたし、早くお母さまにお会いしたいのに」
ラーズィエ
「残された者たちのこともお考えください、スルターナ。世界を統べるお父上のご心痛は深く、地上はこんなにも暗くなっているのです」
「父上なんて……」
黒々と丸い瞳でラーズィエは魔導士を見上げる。
「あたし、数えるほどしかお会いしたことないわ。いつもムズカシイお顔をなさって、お話だってろくにしたことないわ」
「そうだとしても、お父上は苦しんでおられます。御子の死とはそれほど辛い出来事なのです」
「兄上たちも姉上もお亡くなりになられたのだものね。あたし、いちばん上の兄上のことが好きだったわ。とてもお優しい眼をなさっていたわ」
「さようでございましたね」
「兄上もここにいらして、あなたと会ったの?」
「そうですよ、スルターナ。
ラーズィエは首をのばしてヤフヤが広げたてのひらを見る。
「まあ、黒い石の指輪? 黒?」
「黒は暗闇と悪霊、死の不幸と恐怖など負の感情を呼び起こします。それだけ強い色なのです。ですから強力な魔除けにもなり得るのですよ。皇子の
「そうなのね……」
「スルターナ、あなたはどんな色を残されますか」
黒い瞳を揺らせて、ラーズィエは再び地上を見下ろす。
「悲しいのはいやね、苦しいのはいやね。あたし、熱が出て体が重くて息が苦しくなるのが辛かったけど、みんながあたしを見て痛ましそうな悲しそうな顔をするのを見るのも胸が苦しくなっていやだったわ」
ぴょこんと起き上がり、ラーズィエは泉の縁にすわったまま両のてのひらを上向けて祈り始めた。
ヤフヤも精霊と神の御名を唱える。
間の庭園のあちこちから丸い光がまろびでて、幼い皇女を取り囲んだ。丸い光は少しずつ皇女の手のひらに集まり、やがて、ころんとひとつの形を成した。
「おやおや、これは珍しい。これほど明るい黄色の石は私も初めて見ます」
ヤフヤは感嘆してラーズィエの手から石を取りあげて光にかざした。
黄金色よりもやさしい輝きを、泉の水面へ向ける。
沈鬱な灰色の庭園の隅に、一筋の光が差し込む。すると、その場所に、鮮やかに力強い緑の葉とともに黄色の花がむくりと起き上がった。
「黄色の
瞳を輝かせてラーズィエは手を叩いた。
「素晴らしいです、スルターナ」
ラーズィエが顕現させた黄色の天然石をそっと握り込みながらヤフヤは微笑んだ。
「スルターナの慈愛が地上に喜びの色を取り戻すことは時が証明するでしょう」
ラーズィエも満足そうに笑って身軽く立ち上がる。
「これでようやくお母さまや兄上のところへ行けるのね」
足を運びかけ、ラーズィエは後ろ髪を引かれるようにつと泉へと視線を投げた。
「冬は必ず春になる。冬の凍てつく寒さを経験したから、春の日差しに感謝できる。あたし、病気になって苦しかったけど、だから、元気にあの庭園を走り回った日々は幸せだったって気づいたわ」
「……今のお心映えをお忘れでなければ、地上にお戻りになるのもよろしいでしょう。まずは、天上の楽園で心安らかにお過ごしなさいませ」
ヤフヤが頭を垂れると、皇女の姿は光に溶け込むように消えた。
地上の庭園では、黄色い花がかすかに揺れた。
間の庭園 奈月沙耶 @chibi915
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