【KAC20247】『僕は永遠に。君の見た赤を知ることはない』

小田舵木

【KAC20247】『僕は永遠に。君の見た赤を知ることはない』

 空を見上げれば夕焼けの茜色。その血のような赤さ。

 それを僕の網膜のイメージセンサは捉えている。

 イメージセンサの出力が、脳を模したシリコン製の機械に出力される…

 ああ、僕の色の感じ方は。人の色の感じ方を模しているのに。

 どうしたって違和感がある。

 

 『僕の赤』と『君の赤』は一緒なのだろうか?

 

 きっと違うだろうな、と僕は考える。

 色という感覚ほど曖昧なモノはない。多分に主観が入り交じる。

 なにせ。人の感覚器には個人差があるし、色を解釈する脳にだって個人差はある。

 

 一応。科学的には可視光線のスペクトルの700nm前後の波長を赤と感じるらしいのだが。

 そんなモノはあくまで指標に過ぎない。

 個人の赤の体験を他者と共有する事は不可能だ。

 こういういうのをクオリアっていうのだと思うが―

 

「まーた難しい顔してるね?」かたわらに居た君は僕に言う。

「君の赤色と僕の赤色は一緒なのかなあ、って考えてた」

「そんな事、気にしなくても良いじゃない」

「気になっちまうモノはしょうがない」

「そういう事を気にしている内はだよ?」

「…確かにそうだが。僕はあくまで人間を模したロボットに過ぎない」

「だけど。かなり人間に近づけてある…人間の様に振る舞い、人間の様に考える、そういうモノは人間扱いしても良いんだよ」

「だけどなあ。君の脳と僕の脳は素材が違うもの」

「そんな事は些細な違いに過ぎない。アウトプットが一緒なら同じようなものだよ」

「そいつは暴論だ」

「暴論でも構わない。もうこの地球には。人よりもアンドロイドの方が多い」

「人口調整の失敗…」

 

 僕らの住む地球は。かつては人口が増えすぎて。

 逼迫した状況にあった。

 そこで。世界保健機構は人口調整策を取った。妊娠出産を規制した訳だ。

 しかし。人工的な人口調整策というものは上手くいった試しがない。

 致死性の新型ウイルスの流行がそれに重なり。世界の人口は減少傾向に入り。

 いまや。世界人口は30億を切っている。かつては100億を超える勢いだったというのに。

 

 人口が減少すると。

 色んな方面に影響が出る。

 分かりやすいのが、労働人口の減少。世界を支えるためには無限の労働者が要る。

 だが。世界の人口は減り続けた。

 そこで。当時台頭していたロボティクスと人工知能に光が当たった。

 その結果開発されたのが―僕のような自律型アンドロイド。

 限りなく人間を模したアンドロイド。

 それは減少した世界人口をカバーすることを期待され。

 今や、人間社会の中に混じりこんでいる。

 

 彼女と僕が一緒に歩いているのはその象徴だ。

 僕は社会化トレーニングの一環として学校に通い。

 彼女は成長過程の学習の一環として学校に通っている。

 

 人とアンドロイドは入り交じる。これが今の世界の有様だ。

 だが。僕のようなアンドロイドは所詮は機械だ。

 傍らの彼女は成長する。

 だが。僕は成長なんてしない。今の姿が完成形だ。

 僕はそういう細かい違和感が気になってしょうがない。

 細かい違和感はやがて、自分の存在の違和感となる。

 

「僕は…機械なんだよ。どこまでいっても」

「人間だって。所詮しょせんは高分子タンパク質で出来た機械に過ぎない」

「だけど。君は人間という生物だ。僕は君が羨ましいよ」

「そう?細胞の分裂限界ヘイフリック限界で縛られてる儚い存在だというのに?」

「その儚さが羨ましい。君は一時しか存在できない。だから人生に精一杯になれる。僕は―ある程度の稼働限界があるけど。パーツさえ交換すれば永遠に生きていられる。そんな生き方には張り合いがない」

「人生の張り合いなんて。自分で思いついていくものよ?」

「僕はどうしても。それを思いつけないんだよ」

「まだ稼働し始めて数年でしょ?簡単に思いつけるほど人生は甘くない」

「そんなに時間がかかるものなのかい?」

「私だって。人生の張り合いなんて思いつかないもの」

「良いじゃないか、君はどんどん変化していく。その中で多くのモノを得る…その中に人生の張り合いだって含まれているだろう」

「変化していく事を羨ましがっているけど。所詮は死に近づいているだけなのよ?」

「そうかも知れないが…変化ってのはある種の進化だと思わないか?」

「ある段階まではそうかも知れない。でも私は40歳でピークを迎えて、後は劣化していく一方なのよ?」

「ずっと変わらない存在よりも。変化していく存在の方が偉い気がするのは気のせいかい?」

「気のせい。私は老いるのが怖い」

「僕は老いないのが怖い」

「この見解の相違は埋められそうにないわね?」

「だろうね。なにせ。僕らには埋めがたい差がある」

「…そんな差、いつか無くなっちゃうかもよ?」

「無くなる時は。この地球に人間が居なくなる時だよ」

「それも遠い未来じゃないかもね」

「…ディストピアな見解だな」

「人間なんて。所詮は不完全な生き物だからね」

 

                  ◆

 

 いくつもの季節が流れていって。

 君は美しく成長する。僕はそれを羨むことしか出来ない。

 そして―君は遺伝子を運ぶ動物だから。いずれは性欲を抱く。

 その相手をするのが僕で良いのだろうか?

 いや。僕にだって。性的な機能は搭載されてはいるけどさ。

 生物どうしでセックスした方が生産的ではなかろうか―

 

「良いのよ。初めての相手に妊娠させられたら敵わない」ベッドの傍らに居る君は言う。

「にしたって。君の破瓜はかの相手が僕だなんて」

「痛かったけど…最後は気持ち良かったわよ?」

「こういう事をしているセクサロイドの憂鬱を味わえる」

「自分には精子がないから?」

「ああ。無駄な事をしているな、って思える」

「いまやセックスに神聖な要素はないの」

「娯楽に過ぎないってかい?」

「そ。人口抑制策がなくなろうと。子どもを産むのはリスクが高い」

「君は子孫を残さねば」

「そういうプレッシャーはあるけれど。怖いって感情が上回る」

「ま。歳を取れ考えも変わるだろう。それまでは。僕が相手をしようか?」

「頼まれくれる?」

「いいけど…」

 

 僕は。起き上がって。ベッドのシーツを見る。

 そこには赤い鮮血。僕が彼女を破瓜させた証拠がある。

 

 赤。

 それはある種、僕と彼女を隔てる壁のような色だ。

 彼女の感じる赤と。僕の感じる赤には差がある。

 その差は。永遠に埋まらない。

 それは僕らの体の成り立ちが違うから。

 有機物の塊と無機物の塊。

 彼女と僕の決定的な差。

 

 ああ。

 僕は。この差を恨めしく思う。

 なにせ。彼女を抱いた僕には。愛情が芽生えてしまったから。

 脳に搭載れたAIが恨めしい。

 機械の体で有機物の思考を模倣する人工知能。

 ミスマッチにも程がある。

 僕も。もっと機械的な思考が出来れば良かったのに…

 そうすれば。彼女とのセックスだって、もっと機械的にこなせただろうに。

 

                  ◆

 

 この宇宙は始まった時から乱雑さエントロピーを増している。

 それが戻ることなどない。

 ヘイフリック限界細胞の分裂限界に縛られた彼女はどんどんと歳を重ねていく。

 僕は変化しないまま、それを見守る事しか出来なかった。

 

 いまや彼女は。

 ベッドの上で死を待つだけだ。

 僕は少年期のままの見た目で。彼女を介護し続けている。

 

 ベッドサイドのテーブルで林檎を剥く。

 別に僕は食べる必要はないのだが。なんとはなしに林檎を剥いている。病室には林檎が似合うような気がして。

 

 その果実は。赤い果皮に包まれている。

 赤。

 僕は可視光スペクトルの700nm前後を赤として認識しているが。

 その赤さの体験を。彼女と分かち合う事は不可能。

 クオリアってヤツだ。

 機械で出来た僕にも認知っていう余計なモノが付いている。

 だから余計な事を考える。

 彼女と同じ世界を見てみたいと。

 叶わぬ願い。思うだけ無駄な事。

 だが。僕は人間として振る舞うように出来ていて。

 人間のように考えてしまう。

 これはある種の不幸だ。永遠に埋まるはずのない差に執着してしまう。

 

 彼女のベッドの傍らの延命装置の心電計がリズムを刻む。

 ピッ…ピッ…ピッ…ピッと。

 僕にはそんなモノは備わっていない。赤い心臓がないのだ。

 バッテリーシステムと細かいモータ群で動く命を模したモノ。それが僕で。

 生きている君と僕の間には埋めがたい差がある…

 

 そんな僕らが。

 愛し合った事に不幸はある。

 …破瓜の相手なんてしなければ良かった。

 あの日以来。僕は彼女に愛を抱いたのだ。

 単純だって?そりゃ人間を模したAIだ。セックスをした相手に執着してしまう。

 だが。僕の性器からは精子がほとばしらない。

 子孫を残す事など不可能で。僕と君の間には何も残らない。

 

 そうして。君は僕より先に消えていく。

 有限の命に縛られた君は。加齢によってあっさりと死んでいく。

 ああ。儚い。人という存在は儚い。

 まるで一時の夢を見ていたようだ。

 アンドロイドの僕と、人間の君が愛し合う夢。

 そんな夢は叶わない。無駄な事なのだ。

 だが。人を模した機械は夢を見てしまう。

 いつか人になる夢を。いつか人と同じ世界を見る夢を。

 

 そんな事を考えている内に。

 君の傍らの延命装置の心電計は止まっていた。

「ピー」間延びした音が。君の命の終わりを告げる。

 

 

                  ◆

 

 いつか見た夕焼けの茜色。その血のような赤さ。

 僕はその可視光のスペクトルの700nm前後をなんとはなしに赤だと認識する。

 そこに上るのは君を焼く白煙。その白煙は宇宙を目指して上っていく。

 

 ああ。僕が愛した君は。無に帰っていく。

 増大した乱雑さエントロピーは君を呑み込んだ。

 

 僕は夕焼けの茜色を眺めて。

 君と僕の赤の違いに想いを寄せる。

 だが。それは共有できない認識で。

 僕は永遠に。君の見た赤を知ることはない。

 

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【KAC20247】『僕は永遠に。君の見た赤を知ることはない』 小田舵木 @odakajiki

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