水曜日の午後
John B. Rabitan
水曜日の午後
国道は、綱を三本張っただけのガードレールで砂浜と区切られている。砂浜は国道よりもかなり低い位置にあり、一カ所だけ砂浜へ降りる六段くらいのコンクリートの階段があった。
村山
明るい午後の陽ざしが、全身に降り注いでいる。目に見えるものすべてがまぶしい。
右の方はすぐ近くで海岸線が大きく湾曲して張り出し、岬となっている。その上は小高い緑の丘だ。
左はかなり遠い半島の先まで、砂浜が延々と続いている。
沖の方ではウエットスーツ姿の七、八人のサーファーたちが申し訳程度の波をつかまえるため、ボードの上でパドルアウトしている。
サンドバーに乗り上げても波は一向にブレイクしない。それでもサーファーたちは二フィートもない波のトップの手前からテイクオフする。でも、三十秒ともつ人はいなかった。
オンショアの風を正面に受けて、凜は少し笑った。この風では海面はチョッピ―となるので、だからサーファーたちは苦戦している。
それは潮の香りのする風だった。
左の方の近くの砂浜では間もなく迎える海水浴シーズンに向かって、海の家の建設が始まったりしている。ここが海水浴場になるとサーファーたちは規制が入って追い出されてしまうはずだ。
海の上の空は青いだけで、背後の陸の上だけ雲が湧きたっている。太陽はしっかりと青い空の方にあった。
凜は立ち上がった。
風が全身に当たる。背中まである長い髪を、風は持ち上げた。同時に白地に水色のストライプのワンピースのスカートが風にあおられ、素足の上の方まであらわになった。
彼女は慌ててスカートを押さえた。
海に背を向けて階段を上った彼女は、ガードレールに沿って右の方へと歩いた。歩道はない。海は右手に広い砂浜越しに広がっている。
海と反対の道の左側には、シーフードレストランと看板の出ている白い壁の二階建ての店があった。
国道を向こうから走ってくる車はほとんどなかった。ときどき思い出したように4トントラックが来るくらいだ。
背後からはひっきりなしに車が彼女を追い越し、行く手の小高い岬から続く山の方へと消えていく。
左に曲がる道の信号が赤になった。背後から走ってきていた車の列は、そこで止められた。
海沿いを歩いている彼女には、その信号は関係なかった。
だが、彼女は歩みを止めた。そのまま海をバックにガードレールの綱に腰を当て、少し体重をかけて立った。
向かい側は四階建てのホテルだ。一階はレストランのようで、壁はガラス張りだ。
信号が青になった。
止まっていた車が流れ出す。
だが彼女はそのままで、行き過ぎる車のナンバーをなんとなくという感じで見ていた。
背後から直射日光を浴びて、じっとしているとわずかに汗ばんでくる。
小さなバッグからスマホをとりだし、凜は画面を見た。そこに表示されていた時刻は1:38となっていた。
そのままずっと同じ姿勢で、左から流れてきては右手へと去っていく車を彼女は一台また一台と見ていた。
左から車の七台に一台の割合で、右の方からも車は来る。
やがて右から来る一台の車に、彼女の顔は少しだけほほ笑んだ。
※ ※ ※
それは見覚えのある、薄いクリーム色のピックアップトラックだった。彼女はそれがまだ遠くにいるころから、大きく手を振った。
トラックはゆっくりと速度を落とし、左側のウインカーを点滅させて彼女の前に止まった。
運転席から助手席へ身を乗り出し、平井
「こんにちは」
凜は微笑んで言った。
「どうしたんだ? こんなところで」
「あなたを待っていたのよ」
颯太は不思議そうな顔で、凜の顔を見た。颯太も凜と同じ二十代の若者だ。
「突然、どうしたんだよ?」
「乗ってもいい?」
「いいけど」
颯太は助手席のドアのキーを開放した。
凜が乗り込むと、颯太はトラックを発進させた。トラックといってもピックアップトラックは、助手席乗っている限りは普通の車と感覚は変わらない。
それまでかなりの音量で音楽がかかっていたが、颯太はそのボリュームを絞った。軽快なポップスだった。
しばらく互いに無言でいた。
海岸沿いに走っていた国道は岬の付け根で少しだけ海岸線を離れ、両側が緑の崖になった。
「なんであそこにいたんだ?」
前を見て運転しながら、颯太が聞いた。凜も前方から手繰り寄せられるアスファルトを見ていた。
「たまたまいたのか?」
「時間通りね」
「午前中だけのバイトだからね。昼めし食ったら交代して終わり」
「知ってる。だから、颯太君が一時半ちょうどにここを通ることも知ってる」
再び左手に海が広がった。二人の間に、再び沈黙が漂った。
「今日はサーフィンはしないの?」
「しない。波がないから」
「そう?」
「それより君は、俺を待っていたの? 今度の日曜日にドライブに行く約束してるのに。それまで待てなかったとか?」
颯太は少しほほ笑んだ。だが、凜は真顔だ。
「今度の日曜日は、なしね」
「なしって? キャンセルってこと?」
颯太の微笑みが消えた。
「うん」
「なんか用事でも?」
颯太はハンドルを握ったまま、凜の顔を見た。
「ちゃんと前を見て運転して!」
そう言って凜が少しだけ颯太を見た。そしてすぐにフロントガラスの向こうに凜は視線を戻した。
「今度の日曜日だけじゃないよ」
「え? どういうこと?」
「私たち、付き合ってからどれくらい?」
「一年とちょっとかな」
「そう? でも、それももう終わり」
「待って! どういうことなんだよ!」
「だから、そういうこと」
「そういうことって?」
「終わりってこと」
「どうしたんだよ急に」
凜は少し笑った。
赤信号で止められた。颯太は本格的に凜の方を見た。
「だからそういうことだって」
「なんか俺、怒らせた? どっか悪かった?」
「別に、そういうことじゃない」
「何かあったのか?」
「何も」
「理由は?」
「なんとなく」
「そんなんで納得できるかよ」
「本当に理由なんかないの。ただ、なんとなく」
「めちゃくちゃじゃねえかよ」
「ほら、青よ!」
仕方なく颯太は、トラックを発進させた。
「俺のこと、嫌いになったのか?」
「いいえ」
「じゃあ、飽きたのか? それともほかに好きな人ができたとか?」
「全部違う。颯太君はなにも悪くない。本当に理由なんかない」
「信じられない」
颯太はつぶやいて苦笑した。国道は少し海岸から離れた。道の両側は人家や商店が並び始め、ちょっとした町中になった。
「とにかくそんな急な話、今は結論は出せない」
「結論は出てる」
「君が勝手に決めたことじゃないか」
「ごめんなさい」
凜は小声でつぶやいてうつむいた。
「とにかくそれには納得できない。どこかで車止めてゆっくり話そう」
「その必要ない」
「もうちょっと時間かけて話し合う必要はあるだろ」
「今日の、そして今でないとだめなの」
「何が?」
「お別れするのは」
「なんで?」
「今は水曜日の午後だから」
「だから?」
「あなたと砂浜で出会ったのは木曜日の朝だった。だからサヨナラするのは水曜日の午後じゃないとだめなの」
前方に踏切があって、ちょうど警報が鳴って遮断機が下りた。颯太はその手前でトラックを止めた。
緑色の二両編成の電車がゆっくりと走ってきた。踏切のすぐ左脇が駅で、平屋造りの屋根のある駅舎がある。電車はその駅に止まった。
「私、ここで降りる。さようなら」
助手席のドアを勝手に開き、凜は車から降りて駅の方へ走っていった。
午後の陽ざしに、その後ろ姿は耀いていた。
遮断機が上がる。
後ろにも車が詰まっているので、颯太は仕方なくトラックを発進させた。
凜の姿は駅の改札に消え、今着いた電車に飛び乗ったようだった。
<おわり>
水曜日の午後 John B. Rabitan @Rabitan
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