肌に書いた手紙
よしかず(芳一)の体はその時代、
弄ばれていると知っていながら、泥沼に耳まで浸かって法悦気分でいるよしかず。その体に毎日のように書き連ねられていく呪いの言葉、愛の言葉、日々の鬱憤、仕事の愚痴……。
「や、やめろってぇ。くすぐったいだろ? もうっ、洗っても消えないんだからな」
「そろそろ私たちのうちの誰と付き合うか決めたら? そしたら落書きをやめてやってもいいわ」平家の三女が油性ペンにキャップをかぶせながら言う。
「一人に決めなきゃいけないのかよ」
三姉妹全員を相手にしているというだけでもひどい話なのに、事態は泥沼を究めた。姉妹たちは自分たちの落書きが本妻に露見しているとは
「あっ、本妻から宣戦布告よ」
よしかずの体に四人目の手による落書きが発見された。
「奥さんとはカウントダウンしてるって話じゃなかったわけ?」二女がよしかずをこれでもかと睨む。「妻に裸を見せているなんて、どういう趣味? けがわらしい」
「いや……。今、背中におできができててさ。病院で軟膏をもらったんだけど、背中に手が届かないわけ」
「ふーん……」
長女が油性ペンのキャップを口ではずして、それを床に吹き飛ばして言った。「薬くらいアタシらが塗ったげるわよ。……じゃあさ、誰が奥さんとタイマン張るか決めない? 三対一ってのは都合上、よくないからさ」
「えー……」
「じゃあ、こうしましょう」
自宅にて、今度は妻の寺子が油性ペンを握っている。よしかずのシャツをめくると、ティッシュに除光液を染み込ませ、それで背中を拭いはじめた。
「ひゃ。つ、冷てえ。ね、その液、なんかシンナー臭いけど大丈夫? 体に悪くないよね?」
「よし、できた」
寺子はよしかずの背中に「あみだくじ」を書いたのだ。「これで、三人のうちの誰が私とヤるのかはっきりするわね。〈当たり〉の部分は湿布を貼って隠すわよ?」
「ひぃー」
しかし数日後、よしかずにピンチが訪れる。薬をもらいに皮膚科を訪ねたところ、医師から「できものがその後どうなったか、診せていただけますか?」と診察に呼ばれてしまったのだ。医師というもの、黙って薬を出し続けてくれる都合のいい生き物ではない。それをわかっていなかったよしかずの敗北である。
嫌がる素振りをするよしかずのシャツを看護師がめくり、目の当たりにした医師は凍りつく。
「嘆かわしい……」
「これにはわけがあって──」
「会社で? いじめられてるの?」看護師は必死で事情を訊きだそうとする。
「違うんです。いじめとかじゃ……。とにかく、これは見なかったことにして、薬だけ処方してください」
「安藤さん、これで拭いてやって」
「だっ、拭かないで! 消しちゃだめだって」
医師と看護師はプロの威信にかけても、よしかずをこの落書き地獄から救い出すつもりであった。
「また書かれたら、いつでも遠慮なく診せに来なさい」医師はそう告げた。
肩を丸めて帰ろうとするよしかずの耳に、駆けてくるナースサンダルの音。
「いい? 体はホワイトボードじゃないの。親からもらった背中をもっと大事にしなきゃ。男の背中を」看護師はよしかずの肩にそっと手を置き、やさしく諭す。
コーヒーフレッシュの小さなカップにコーヒーをすくうと、よしかずはすぼめた口に近づけて、コーヒーを啜った。人は愛にしか耳を貸さないし、この背中にもたれているのは愛なのだ。もうずっと白いシャツは着ていない。軟膏と除光液の臭いが交じり合い、鼻をかすめる。コーヒーの香りを押しのけて。
肌に書いた手紙 崇期 @suuki-shu
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