第5話 アフスク・シンデレラ

 昼休みを告げるチャイムが鳴り、大半のクラスメイトが食堂や学校近くののコンビニへと散っていく。そんな中、俺は教室で友人の松川まつかわ一樹かずきと机を囲んだ。


「おっ、今日も妹さんの弁当か?兄貴思いでいいなぁ」

「そんな大したものじゃないよ」

「そうか?けっこう凝ったもの作ってきてるじゃん。俺にも少しくれよ」


 購買で買ってきたコロッケパンを頬張りながら、俺の弁当箱の中身を覗き込む。目の前に茶色のパーマが寄ってくるのを俺は払いのけた。


 確かに普段ならすべて妹が作ってくれるが、基本的に冷凍食品ばかり詰めた愛想がない弁当だ。しかし、今日は少し違う。いくつかは詩織が今朝作ってくれたおかずも入っていた。

 中でも卵焼きはかつお節の風味が鼻に抜け、塩気が優しめだった。妹が作ると醤油の味がもっと強いので、きっと詩織がよく食べている吉塚家の味なのだろう。

 放課後会った時にでも、お礼を伝えよう。


「そういや、今年度の新入生は女子のレベルが高いみたいだな。特に、音楽科に入った子はレベルが違うらしいぞ」


 普段は彼の語る女子の話など右から左へと聞き流すのだが、音楽科という言葉に反応し、思わず聞き返す。


「・・・・・・へえ、どんな子?」

「名前は何だっけな?忘れちまったけど、遠くから学校に通ってきているみたいで、授業終わったらすぐに姿を消すらしい。男子達の間じゃ、『アフスク・シンデレラ』とも言われているみたいだぞ」


 おい、それってまさか詩織のことを言っているのか?俺のアンテナが低かっただけかもしれないが、そんなあだ名が勝手につけられているとは知らなかった。

 俺の家で昨夜一緒に寝泊まりしたなんて口が裂けても言えない。そんなことがバレたら、スキャンダルとして瞬く間に学校中に広がってしまう。


「そんな子、一度拝んでみたいよな。授業終わったら、音楽科の教室か校門の前でちょっと覗こうぜ」


 紙パックのカフェオレを飲み干し、一樹は意気揚々と提案してくる。

 この時期は部活の勧誘という名目で校門前に待ち伏せ、女子生徒にナンパする男子の輩もいる。一樹はそのようなタイプではないのだが、このままでは俺と詩織の関係性がバレてしまう。

 俺は咄嗟に誘いを断った。


「悪い。今日は授業終わったらすぐバイトなんだ」

「何だよ。いつもバイトまで時間あるからって、付き合ってくれるじゃん」

「最近辞めたスタッフがいてさ、人手が足りなくなってるんだ。少しでも早く入ってくれないか店長に頼まれてるんだよ」


 それっぽい理由を伝えると、一樹は「じゃあ、仕方ないな」と諦めたようだった。

 しかし、他の男子生徒に狙われる可能性もあるので、帰りは職員が出入りしている裏門から出るよう、詩織へこっそりメッセージを送った。





 放課後、学校から自転車を走らせて自宅に一旦戻った後、荷物を下ろして九空へ向かう。詩織とは国内線ターミナル1階の到着ロビーで待ち合わせた。


「遅くなってごめんなさい。待たせちゃいましたか?」

「いいの、気にしないで。誰にも絡まれなかった?」

「おかげさまで大丈夫でした。教えてくれてありがとうございます」


 自宅へ着いたタイミングで『例のシンデレラは来たのか?』と一樹へメッセージを送って探りを入れた。案の定、彼以外にも数名の男子生徒が正門前にたむろしていたようだが、暫くしても姿を現さなかったために今日は退散したようだった。

 彼女の荷物には昨夜俺の家に泊まったときの下着も入っていたし、何もなくて本当によかった。この数日で変な奴らに学校内で絡まれないように目を光らせておけば、それ以降はきっと大丈夫だろう。


「どこか行きたい場所ある?」

「どこでもいいですよ。あまり詳しくないので、優翔先輩のオススメの場所でお願いします」


 彼女としては俺のバイト先の喫茶店なら一番安心できるだろうが、店長や浩一に見られると色々面倒くさくなりそうだ。それ以外で任せられるとなると、彼女を連れていきたい場所は一択しかなかった。




「わぁ、凄い!」


 ターミナルから牽引車に押し出されて現れた大型機を目の当たりにし、詩織は圧倒されている。


「ここの展望デッキは初めて?」

「初めて来ました!こんなに近いんですね!」


 九空の国内線ターミナルは一部が駐機場にせり出る構造となっており、4階にある展望デッキからは手が届きそうなほど近い場所から飛行機を眺められる。広々としたデッキには子連れのファミリーや出張帰りのサラリーマン、俺のような航空ファンで賑わっていた。

 展望デッキ前の飲食店でドリンクを購入し、行き交う飛行機を眺めながら一緒の時間を過ごす。


「素敵。この景色、ちゃんと見たことなかったです」

「そっか。いつも真剣に本やノートに向き合っているもんね」


 詩織は小さく頷く。遠くにはビル群が立ち並び、夕焼け色に染まった空港は何度来ても美しく、何時間いても飽きない。詩織もその景色に見とれているようだった。


 ふと、一樹が話していた『アフスク・シンデレラ』のことを思い出した。その異名が彼女の耳に届いているかは知らないが、帰りの便まで一人時間を潰しているにも関わらず、授業が終わったら空港へ直行することに不満はないのだろうか。


「詩織ちゃんは放課後、友達に遊んだりしないの?」


 ふと問いかけると、詩織はこちらを一瞬見た後、遠くのビル群を眺めながら答える。


「・・・・・・本当は遊びたいですし、何回か誘われてます。でも、空港での手続きの時間も考えると遅くまで遊べないですし、周りに気遣われるのも悪いのでずっと断ってます」

「飛行機通学のことは、友達に隠さなくてもいいんじゃない?」

「遠くから毎日通ってくるとなると、私がお嬢様の家系だと周りに誤解される気がするんです。それに、学校側から通学の補助とかいろいろ助けて貰っていますし、それを『裏口入学だ』と叩かれるかもしれなくて・・・・・・」


 実際、彼女がお金持ちなんだろうという勝手な連想は俺もしていた。学校側との癒着なんて発想は微塵もなかったが、彼女にとっては疑われることが重荷なのだろう。


「詩織ちゃんって、超真面目なんだね。まだ入学したばかりだし、肩の力抜いていいと思うよ」

「でも、学内上位に入らないと補助はもらえなくなりますし・・・・・・」

「補助を打ち切られないように頑張り続けるのも大事だけどさ、友達と関わらずに卒業まで遊ぶのを我慢して、高校生活楽しかったって言えるのかな?」


 詩織の表情がはっとなる。ちょうど出発が重なる時間帯で、一本しかない滑走路の手前には離陸待ちの渋滞が発生していた。


「学校以外の時間も三年間ずっと勉強し続けるなんて、俺だったら到底無理。遊ぶ時間があれば気持ちが切り替えられるし、テスト前で勉強が辛い時でも励みになるよ。友達よりも先に俺へ飛行機通学を打ち明けてくれた理由はわからないけど、おかげで詩織ちゃんを応援したいと思えるようになったし、周りの友達もきっと同じこと考えてくれるんじゃないかな?」


 彼女は少々照れつつも、手元のジュースに目線を移してやや自信なさげに答える。


「優翔先輩がそう思ってくれてありがたいです。クラスメイトの考えがそうだといいですが・・・・・・」

「同級生は時にライバルだけど、大体はみんな同志だよ。もし自分のことを悪く言う奴がいたら、その人のことはもう気にしない。そう心がければ、多少は気が楽になるでしょ?」


 俺の問いかけの後、展望デッキには離陸待ちのエンジン音だけがこだまする。少し考えたのち、詩織は目を上げて意を決する。


「・・・・・・わかりました。明日、クラスで一番仲のいい友達から徐々に打ち明けたいと思います」

「うん。上手くいくといいね」

「はい。頑張ります」


 詩織の表情に笑みが戻り、俺も安心した。

 到着機が来ないのか出発機が連続で飛び立っていき、いつの間にか渋滞は解消していた。




 天川エアラインのプロペラ機が着陸したのを確認して展望デッキを後にし、出発ロビーへ降りてきた。保安検査場の前で、詩織が深々とお礼を告げる。


「昨日からいろいろとありがとうございました」

「たまには友達も連れて店においでよ。サービスしてあげる」

「また相談したいことあったら、頼ってもいいですか?」

「いつでも連絡していいよ。気を付けて帰ってね」


 詩織は手列に並ぶと、待っている間もこちらを向いて小さく手を振る。列は徐々に進んでいき、やがて姿が見えなくなった。

 ああ、本当に飛行機通学しているのだなと、この時ようやく実感した。


 詩織を乗せた天川エアラインは時間通りに駐機場を離れ、南の夜空へと飛び立つ。機体から点滅するライトが見えなくなるまで、俺は展望デッキから見送った。

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空の通学路 類家つばめ @swa_rui

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