お嬢様の色に染められて

平 遊

~それって、まるで……~

 夜明光留よあけみつるは私立の高校に通っている一年だ。自分ではごく普通の目立たない、可もなく不可もない生徒だと思っている。

 けれどもつい先日、ひょんなことから、同じ高校の二年生の、朝陽華恋あさひかれん下僕しもべとなった。

 華恋は光留の通う高校の理事長の姪で、理事長は姪である華恋を殊の外可愛がっているとのこと。頭脳も美貌も学内一と評判の華恋は、その容姿に見合う高飛車な性格で、華恋を少しでも傷つけた生徒はなんのかんのと理由を付けては退学させられている、との噂。それが単なる噂なのか、それとも事実なのかは定かではない。

 けれども光留は折りに触れ、退学の危機を感じているのであった。



「光留、わたくしの好きな色が何色か、知っているかしら?」


 いつものように教室まで華恋を迎えに行った光留は、突然の質問に口ごもった。今までそんな話はしたことが無かったからだ。

 華恋の持ち物からヒントを探ろうと視線を彷徨わせると、ふと視界に日中愛美ひなかめぐみの姿が入り込んできた。

 日中は華恋の親友だ。その日中は何故か、華恋からは見えない場所から、光留に向かって手を合わせて謝っているように見える。


 え?日中先輩、どうしたんだろう?


 つい気を取られていると、華恋が光留の正面に回りこみ、不機嫌そうな目を向けてくる。


「光留、わたくしの話を聞いているのかしら?」

「あ、はいっ!えっと……」


 日中のことは気にはなったが、ひとまず光留は華恋の好きな色について考えることにした。

 そして思い当たったのは、赤。

 以前に華恋がワインレッドのワンピースを着ていたことを思い出したからだ。


「赤、ですか?」

「そうよ!赤よ!真紅が好きなの。良くわかったわね」


 そう言って、華恋は満足そうに微笑む。その微笑みは勝ち気ながらも艶やかで美しく、光留は見とれかけたのだが、次の言葉に戸惑った。


「わたくしの好きな色は、赤。そう、わたくしの色は、赤なの。だからあなたも、赤を好きになってもよくてよ」

「……は?」


『だから』って、どういうこと?


 華恋の言葉の意味が分からず光留はポカンとしたのだが、華恋は気づかず当然のように続ける。


「大事な人の色には、染まりたいと思うものだわ。下僕であるあなたにとって、主人であるわたくしは大事な人よね?ということは、あなたはわたくしの色に染まりたいはず。ねぇ、そうでしょう?光留」


 ……えーと?


 呆気にとられて黙ったままの光留に、華恋はじれったそうな目を向ける。


「まったく鈍い下僕ね。愛美がね、言っていたのよ。大事な人の色に染まっている時が一番幸せだって。主人であるわたくしには、下僕であるあなたを幸せにする義務があると思うの。あなただって、幸せになりたいと思うでしょう?」


 なるほど、だからさっき日中先輩……


 日中が光留に謝っていた理由が分かり、その点においてはすっきりしたものの、華恋の思考回路にはついていけず、光留は小さくため息を吐く。


「まぁっ!わたくしに向かってため息なんて!本当に生意気な下僕ね!」

「あのですね、華恋さん」

「なにかしら?」

「色々間違ってます」

「わたくしのどこがどう間違っているというの?」


 一体どこから説明すればいいのかと、光留は頭を抱えたい気分だった。

 だいたい、『大事な人の色に染まる』なんて、主人と下僕の関係ではなく、それではまるで……


「光留、あなたもしかして、わたくしの色には染まりたくないというの?」

「そうじゃなくて、ですね……えっと」

「もう結構よ!」


 言葉を探しあぐねる光留に業を煮やした華恋は、光留からフィッと顔を背けると、ひとりで教室の出入り口に向かって歩き出す。


「華恋さん?どこに」

「放っておいてちょうだいっ!」

「ちょっと、華恋さんっ!」


 慌てて追いかけようとした光留だったが、直前で日中に捕まってしまった。


「ごめんね下僕君しもべくん、私が華恋におかしな事言っちゃったから」


 捕まったついでにと、光留は事の成り行きを日中に問う。


「何の話からああなったんですか?」

「私はただ、推しのアイドルの話をしてただけなんだけど……華恋、ちょっと思い込み激しい所があるから」


 いや、激しい所がある、ドコロじゃないと思うんだけど……


 平謝りする日中に大丈夫ですからと告げると、華恋を追うべく光留は走り出した。




 華恋さん、まさか理事長の所とか、行ってないよな?


 背中に冷たいものを感じながら、光留は華恋の姿を探しまわる。


『華恋さん、どこにいるんですか?』


 メッセージを送っても、既読はつかない。

 思い当たる場所を全て探した光留は、最後に理事長室へと向かった。


 やっぱり、ここ、かな……


 理事長室の扉の前に立ち、少し前に理事長から手渡された名刺をポケットから取り出すと、光留は意を決して電話を掛けた。

 数度の呼び出し音の後、よく響く低い声が聞こえてきた。


夜明光留君よあけみつるくんかな』

「はっ、はいっ!」

『入りなさい。部屋の前にいるのだろう?』

「はいっ!では、失礼します!」


 電話を切って大きく深呼吸をし、光留は理事長室へと足を踏み入れる。


「失礼します。あの、華恋さん……あっ」


 中に入ると、応接用のソファに華恋と理事長が並んで座っていた。華恋の目元は赤く、泣いていたように光留には見えた。


「もう来る頃だと思っていたよ。そこに掛けなさい」

「……はい」


 俺、華恋さんを泣かせた……きっと傷つけたんだ……


 理事長の指示に従いながらも、光留は華恋から目を離せずにいた。胸が締め付けられるように痛む。そんな光留に、理事長は苦笑を浮かべて言う。


「話は華恋から聞いたよ」

「え?」

「今、ちょうど華恋に話していたところだ。人の『色』というものについて」


 光留の視線の先にいる華恋は、ハンカチを握りしめて俯いたまま。その姿に、光留の胸の痛みが更に増す。


「人の『色』というものは、言わば『個性』と言い換えてもいいだろう。自分以外の人を自分の『色』で染めるということは、その人の個性を自分の個性で潰してしまうことになるかもしれない、とね」

「わたくし」


 ようやく、華恋が顔を上げて光留を見た。その目はまだ涙で濡れているように見える。


「とても傲慢なことをあなたに言ってしまったわ。ごめんなさい、光留」

「華恋さん……」


 華恋の隣に座っていた理事長が立ち上がり、光留に向かって小さく頷くと、執務デスクへと移動する。

 光留は向かいのソファから立ち上がり、華恋の隣に腰をおろした。


「いえ、俺の方こそうまく伝えられなくてごめんなさい」

「ええ、本当に」


 口調はいつもながらも、照れたように華恋は笑う。そして、小首を傾げて言った。


「あなたの好きな色は、なに色かしら?」

「青です。でも、赤も好きですよ」

「そう……わたくしも好きよ、青。そうね、光留には青がよく似合うと思うわ。夜明け前の空のような、柔らかくて優しい青い色が」


 俺、そういう意味ならとっくに華恋さん色に染まってると思うんだけどな。


 光留は嬉しそうに微笑む華恋の顔に、胸の痛みがすっかり消えていることに気づいた。それどころか、心地の良い温もりで満たされている。

 ホッと安堵の息を吐いた光留に、理事長の声が飛んだ。


「ときに夜明光留君」

「はい」


 執務デスクの理事長へと光留が顔を向けると、理事長はペンを持つ手を止めて光留をじっと見ていた。


「下僕の立場としてわたしの可愛い華恋を泣かせた罪は、重いとは思わないかな」


 理事長の言葉に、光留はハッとした。

 華恋の涙に動揺してすっかり忘れていたが……


 これって、メチャクチャ退学の危機じゃないかっ!?


「伯父さまっ、罪だなんてっ!悪いのはわたくしよ!」

「そうだね、華恋」


 とっさに光留を庇う様に肩を抱きしめ、理事長に抗議の声を上げる華恋に軽く微笑むと、理事長は続けた。


「今回は全面的に華恋が悪い。だけど、彼は華恋の下僕だ。今回は大目に見るとしても、もしこの先また華恋を泣かせるようなことがあれば……」


 光留は何も言えずにゴクリと唾を飲み込む。


「分かるね?」

「はいっ!」

「伯父さまったら……あまり光留を怖がらせないで」

「すまない……つい、な」


 緊張で顔を強張らせる光留に、理事長は小さく吹き出す。


 いやいや、笑いごとじゃないですけどっ⁉

 俺、このまま何事もなく華恋さんの下僕でいられるのだろうか……というか、俺そもそも、本当に下僕のままでいいんだろうか……


 光留の心臓は、痛いほどに胸を叩いている。それが、不安のためなのか、それとも吐息が掛かる程の距離にいる華恋の温もりのためなのか、光留には判断がつかなかった。


【終】

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