編集済
4-1、デスゲームの三類型への応援コメント
始めまして。偶然から真莉邑様の論表に辿り着き、現段落に至るまで興味深く拝読させて頂きました。
デスゲームという俗悪な印象が強い創作ジャンル。ですが偏見に囚われずに掘り下げれば、多くの作家たちが積み重ねた試行錯誤のバトンが私たちの眼前へと立ち昇ってくる。
批評という行為の真価を実感し、蒙を啓かれた刺激で脳髄が感動に打ち震えております。
突然ですが、私は「異修羅」というファンタジー小説の大ファンです。
異世界を舞台に人類以外も含めた数多くの個性豊かなキャラクター達が、己のエゴの為に武力や知略を用いて壮絶な争いを繰り広げるという作風なのですが、本作の源流としてはやはりデスゲーム作品、それも「バトロワ」や「龍騎」、「ダンガンロンパ」や「魔法少女育成計画」といった、キャラの個性を重視するタイプの作品群の影響が強いと感じます。
そう考えるとデスゲームに関わった全ての人々に対して、私も足を向けて眠れない立場ですね(笑)。
想像力とは上手で美しい表現だけではなく、低俗さという泥溜まりの中からもまた芽吹き花開くのでしょう。
一読者として論表の続きは気長に待っておりますので、真莉邑様がご無理をなさらず安らかな御心で執筆活動に取り組んで頂ければ私としても幸いです。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
深いご感想をお寄せくださったこと、とても嬉しく思います!
デスゲームというジャンルの奥深さへのご共感には、私も強く頷かされました。本稿を通じてその魅力を再発見し、刺激を受けていただけたのなら、筆者としてこれ以上の喜びはありません。
「異修羅」への熱い想いも伝わってきました。本作の個性豊かなキャラクターたちのエゴと戦いが織りなすドラマには、確かに諸デスゲーム作品の影響があるように思います。
本稿の今後のネタバレになってしまいますが(論評にネタバレというものがあるのなら)、キャラクターの個性を前面に押し出すデスゲームものについても解説を予定しております。こういった系譜を辿ることで、ジャンルの進化や表現の広がりを再認識できるのは、創作を愛する者にとって何より幸せで、楽しいことですね。
温かい励ましの言葉にも感謝いたします! じっくりと執筆を続けてまいりますので、今後ともごゆるりとお付き合いいただければ幸いです。
改めて、お読みいただき、そして貴重なコメントをいただき、ありがとうございました!
3-1、カキワリの中の主題への応援コメント
真梨邑マーリット様へ
大変興味深く拝読させていただきました。
私事ですがデスゲームについて調べることがあり、偶然にも真梨邑マーリット様の史論を見つけ、個人的にとても参考になりました。感謝しております。
これからのご執筆に心から応援を。つづきが楽しみです。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
応援のお言葉までいただき、とても嬉しいです!
遅筆で大変申し訳ございませんが、本年中の完結を目標にしておりますので、どうぞごゆるりとお待ちいただければと思います。
今後ともよろしくお願いします!
2-2、板子一枚下への応援コメント
カイジってそんな古い作品なんですねー!
同じデスゲームでもBRと違って頭脳戦なので、雰囲気はだいぶ違いますね。
日本のデスゲーム作品は頭脳戦・肉弾戦両方ありますが、海外のデスゲーム作品は肉弾戦ばかりのイメージです。
お国柄ですかね?
作品にはそれぞれテーマがあるものですけど、デスゲーム作品だと格差社会になることが多いですね。
本稿でも述べられているように、最終的に権力者の手の平の上のままで、モヤッとした終わり方が多い印象。
現実社会はそういうものなので、ある意味テーマ通りとも言えますが。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
デスゲームに頭脳戦と肉弾戦どちらを採用するのか、という点は非常に興味深いテーマですね。
ちょうど第3章のテーマに合致しそうな内容ですので、上手く構成できそうならそちらについて解説する箇所を3-2に盛り込もうと思います!
格差社会については、これまで見てきたデスゲームものを参照するならば仰る通りだと思います。
黎明期において、その構造を覆そうとした「バトル・ロワイアルⅡ 鎮魂歌」は非常に果敢な試みだとは思えますが、高見さんの追求した娯楽のための道具という考え方と、深作さんの追求したリアルな社会の反映という考え方は、一定のバランスを保っていたからこそデスゲームとしてのジャンルの枠組みを保てたのでしょうね。
至極当然のことではありますが、ゲームを駆動させる構造を瓦解させようとすれば、デスゲームはなくなってしまうのですから……。
とはいえ、現代デスゲームものの全てに格差社会や競争社会の反映があるか、といえば意外にそんなことはないようにも思えます。
第3章においてまた新たなデスゲームの要素を紹介し、それでデスゲームの主要な要素は全て紹介しきる予定ですので、引き続き楽しみにしていてください!
2-1、『BR』の衝撃への応援コメント
投稿お疲れさまでした。
今回も興味深く読ませていただきました!
きっかけは忘れましたが、バトル・ロワイアルは小説から入りました。
本作がもともとはホラー小説枠だったというのは初耳ですが、まだデスゲームが一般的でなかった時代はそこに振り分けるしかなかったのかもしれませんね。
読んだのはかなり昔ですが、印象的だったのは群像劇としての完成度でした。
42人がバラバラに動いているにもかかわらず、主人公周りだけに焦点を絞らず、一人一人の死に様とドラマを描き、矛盾のない構成になっていたことが凄いなと思いながら読んでいた記憶があります。
デスゲームという概念が浸透した現代においても、これだけの大人数を出したうえで全員のドラマを描ききった作品は少ないと思うので、評価されるべくして評価された作品だったと思います。
作者からの返信
いつも応援ありがとうございます! とっても励みになります!
『BR』の完成度の高さは見事ですよね……仰る通り、これほどの人数を一度に描きながらまとめたデスゲームものを、私は他には知りません。本作の力量あっての今日のデスゲームなのでしょう。
なお、『BR』がホラー小説枠だったのは意外だったとのことですので、少し補足をいたします。本編では省きましたが、高見さんは『BR』で二つの新人賞に応募しています。一つが角川の日本ホラー小説大賞で、もう一つが新潮社の新潮ミステリー倶楽部賞でした。
この二社にした理由は、既に原稿用紙の枚数が1000枚を突破していた中、受け入れてくれる新人賞がこの二つしかなかったからだといいます。
締切が先だった新潮ミステリー倶楽部賞にまず応募したところあえなく落とされてしまったことから、続いて日本ホラー小説大賞にも応募したとのことです。
逆説的ではありますが、もし新潮ミステリー倶楽部賞で受賞していたら、本作はこれほど注目されていたでしょうか……。その場合、デスゲーム史の潮目はまた少し変わったものになっていたかもしれませんね。
1-2、舞台はディストピアへの応援コメント
映画「デス・レース」はリメイク版を観たことがありましたが、原作があることを初めて知りました!
現実に存在したデスゲームとしては、古代ローマの剣闘士が一番に思い浮かびます。
国としては栄えながらも、人権を無視されている人々がいるという状況は、考えてみれば確かにディストピアとも言えると感じました。
未来を描いているにも関わらず、価値観や社会制度が古代と酷似することは何とも皮肉ですね。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
SF作家たちがディストピアを描くのは、現代社会に対して、このような未来が到来しても良いのかという問いかけを行うためであると考えられます。
その際に、それこそ古代ローマなど、人権という概念が誕生する以前の古い国家体制を参考した節もあるのでしょうね。
本来ならSF史の文脈も踏まえてディストピアものについての解説もするべきなのかなとは思いましたが、本筋から逸れますし、何より私にそこまでのSF史の蓄積がないため、割愛としました。
現代のデスゲームものが必ずしもディストピアものではないことからも分かる通り、『死のロングウォーク』以後日本で発生したデスゲームものは独自の路線を辿ることになります。今後ともぜひお楽しみください!
1-1、戦禍とTVショウへの応援コメント
そんな昔からデスゲームの卵があったんだなーと勉強になりました!
戦争中は死を娯楽にすることが不謹慎になるため、「闘技場」ではゲームと表現することが難しかったんじゃないかなと思います。
平和であるからこそ、平和であることに飽きて、死に魅力を感じるようになる印象。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
仰る通り、大戦期から冷戦期に時代が変化する中で「ゲーム」というジャンル付けが受け入れられやすくなったという側面は否定できませんね……。
本編を先取りしますが、第一章の第二節で触れるデスゲーム作品は、特に興行的側面が強い作品たちばかりです。第二章以降の日本デスゲーム作品と比較してみてください!
はじめに――デスゲームをめぐる言説の概観と問いへの応援コメント
まだ序論ですが、大変興味深く拝読させていただきました。
私もデスゲーム物は観たり読んだりしていますが、確かにある程度のヒットはしつつも小粒が多いように感じられます。
改めて考えてみますと、本稿で述べられている通り、テーマ性よりゲーム性を重視した結果であるというのは納得いきました。
スプラッタホラーやモンスターパニックも同傾向にあり、主人公ではなくゲームやモンスターに焦点を当ててしまった結果のようにも思えます。
作者からの返信
コメントありがとうございます!!
同時並行でデスゲーム作品年表をちまちま作っているのですが、本当に近年はメジャーからマイナーまでたくさん作品が出ているなぁという印象です。ネット小説やYouTubeの単発動画なども含めたらキリがない……。
デスゲーム作品のゲーム性(遊び性?)は、本稿を貫く重要なテーマになっております。第一章も近日中に公開予定ですので、ごゆるりとお待ちください!
4-2、非・遊びのミミクリへの応援コメント
拝読させていただきました。
本作における「カキワリ型」について、物語の主題がない(または薄い)という特徴があるように感じました(解釈が間違っていたらすみません)。
少し話題が変わりますが、私が過去に読んだ作品論で、ミステリー作品は物語の主題や登場人物の動機が少なく、謎解きの過程に重きを置いているという論を見たことがあります。これは、ミステリーも「カキワリ型」と同様の特徴を持つのではないかと考えました。逆に、「カキワリ型」もミステリーと同じような特徴があるとも考えられます
これまでの作品や批評を通してデスゲームについて考えることができ、とても面白かったです。これからも執筆頑張ってください。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
カキワリ型につきましてご意見をいただき、ありがとうございます!
近年の作品にまで射程を広げて考えますと、カキワリ型の作品には確かに、作者なりの人生観・社会観・思想などを作品に意識的に込めない特徴があると見ることができると思います(最も近年の商業作品全体の潮流なので一概には言えませんが……)。
4-2でご紹介した「今際の国のアリス」には、とにかく難しい哲学的思考や思想は抜きに、社会の中に確実に存在するであろう誰かのために作品を構築したととれる演出が随所に見られますが、このような作品はむしろ少数派なのでしょうね。
かといって、それはカキワリ型デスゲームについて語らない理由にはならないと考えています。
女子高生コラムニストがいみじくも言ったように、「そこに"深さ"をぶつけてみないと、"浅さ"の本当の切実さはわかんない」のです。
本稿の展開を通じて、カキワリ型(のみならず他の2類型に関しても)デスゲーム作品を見つめる新たな視点を会得していただけたのでしたら、筆者としてそれに勝る幸福はありません。
ミステリとカキワリ型デスゲームの類比に関してのご見識は、非常に鋭いものだと考えます。何となれば私も5-1でまさしくそこを扱う予定でしたので……!
5-1は現在執筆中となりますので、更新された暁にはぜひともご笑覧いただけますと幸いです!
遅筆で大変恐縮ですが、ゆるゆると続けて参りますので、引き続きよろしくお願いします!