番外編 ボクの名前は『おまえ』である!


 ボクの名前は『おまえ』である。森深くにある魔女の家に住んでいる、それはとても可愛い黒猫である。


 ボクの朝は早い。早いけれど、この家の住人の朝の方がもっと早い。


「起きたのかい」


 朝はいい匂いで満ちている。その匂いを吸って欠伸をすれば、魔女が声をかけてきた。


「にゃおん」


 ボクが礼儀正しく挨拶をすると、魔女は「はいはい」と返事をする。


「おはよう。そこは邪魔だから、端に寄ってくれ」


 魔女に抱きかかえられて、部屋の端っこまで連れていかれる。軽いボクは簡単に運ばれてしまうのだ。不服である。


 この家はボクと魔女、そして小さな少女が一緒に住んでいる。その子は幼いけれど、ボクの食事を用意してくれる。


「…………」


 朝食の準備が終わったのか、アリスがこちらを見ていた。大きな目でじっと見つめると、何も言わずにボクの前に食事を置く。


「にゃあ」


 ボクがお礼を言うと、彼女はうなずいて返事をした。

 アリスは喋らない。だけど、目でお喋りをする。この目はきっと、ボクのことを可愛いと思っているに違いない。


「アリス。猫の食事が用意できたなら、こっちにおいで」


 アリスは立ち上がって、テーブルに着く。みんなで優雅な食事のはじまりである。


「いただきます」


 二人が両手を合わせた瞬間、大きな音を立てて玄関の扉が開いた。


「もう、聞いてよっ!」


 大きな声が居間に響き渡る。優雅な食事が一瞬で終わりだ。

 不満な表情を浮かべて玄関を見れば、金色の髪の女性がズカズカと部屋に入ってくる。女性なのに、ズボンを履いた変な人は魔女の娘だ。


「何だい、朝から騒々しい。こっちは今から朝食だよ」

「私は食べて来たから、いらないわ」

「アンタの食事の心配をしたんじゃないよ。まったく」


 レベッカの無作法にも関わらず、アリスは立ち上がってお茶の準備をしようとする。レベッカはそれを制して、自分で台所に立った。


「アリス、いいわよ。自分で用意するから。あなたはゆっくり食べてて」


 アリスは少し困った顔をして、うなずいてから椅子に座った。相変わらずレベッカはうるさい。


「それで、今日は何の用だい」


 魔女の言葉に、レベッカは怒りを思い出したように眉を上げる。


「そうなのよ! 聞いてちょうだい! あの人がね!」


 レベッカの口から出てきたのは、旦那の愚痴だった。魔女とアリスは、聞いているのか聞いていないのかわからない様子で食事をしながら、ただうなずいている。

 ボクはレベッカをちらちらと見ながら食事をする。彼女は喋りだしたら止まらない。森に来る鳥たちよりもよく喋る。すごいなって思う。


「それで何だい? アンタはこの家にしょっちゅう来るから、旦那に小言を言われたってことかい?」

「そうよ! ここが実家だってわかってるくせに!」


 レベッカは唇を尖らせて、ふてくされる。魔女はあきれたように息を吐いて、頬杖をついた。


「アタシも、アンタはここに来すぎていると思うけどねえ。旦那の言うことが正しいと思うよ」

「正しかろうと正しくなかろうと、どちらでもいいのよ! 私の気持ちを考えてくれない!」


 レベッカがずっと文句を言っている間、魔女とアリスは食事の片づけに取り掛かっていた。机の上が完全に綺麗になったころ、見計らったように馬車が近づいてくる音が聞こえた。

 誰が来たのだろうと思って、ボクは玄関の前に待機する。来客は可愛いボクがすると決まっていたからだ。

 控え目なノックの音がする。ボクが魔女の方に目を向けると、彼女は嫌そうな顔をしながら返事をする。


「入っていいよ」


 魔女の言葉に、玄関が開かれる。そこにいたのは、エリックと……知らない男性だった。


「失礼させてもらうよ」


 男性は家に入ると、ボクの方に目もくれず、すぐさまレベッカの方に目を向けた。レベッカはそっぽを向いたように、玄関とは反対の方向を見ている。


「レベッカ」


 咎めるような言い方だった。その言葉で、なんとなくこの人が話題の旦那なんだろうと思った。


「アンタのとこの嫁が、朝から家に来て困ってるんだ。早く連れて帰りな」


 それを聞いて、男性は魔女に頭を下げる。


「申し訳ございません。……レベッカ、帰ろう」

「嫌よ。ジョナスの顔なんて見たくもないわ」

「俺はおまえの顔が見たいんだが」

「嫌よ」


 レベッカは幼い子どものように拗ねている。ボクが二人のことを交互に見ていると、その頭を誰かが撫でた。


「大人なのに、困っちゃうよね」


 エリックがそう言いながら、頭と顎を撫でてくれる。エリックはボクを撫でるのが上手い。もっと撫でてほしい。


「うにゃう」


 ボクが鳴いて返事をすれば、エリックは嬉しそうに目尻を下げる。ふふん、イチコロである。


「どうしてこうも、しょっちゅう里帰りしたがるんだ? 君には今の家があるだろう」


 ジョナスの言葉に、レベッカは「ふんっ」と鼻を鳴らす。


「実家はここにしかないわ。親の顔が見たいのが、そんなにいけないことかしら?」

「いけないわけじゃない。頻度を少なくしろと言っているんだ」

「何で、あなたに制限されなきゃいけないの?」


 痴話げんかを続ける二人の前をアリスが通る。二人は黙ってアリスの方に目を向けた。


「…………」


 彼女は注目されているのにも気づかずに二人分のお茶を用意して、テーブルの上に置く。そして、ジョナスとエリックの方を向いて、椅子を引いて座るように促した。


「……この子は?」


 ジョナスはようやくアリスの存在に気づいたようで、驚いた顔をする。……あれ。これって、もしかして、ボクのことにも気づいてない?


「アリスよ。私の妹みたいな子」


 レベッカに手招きされて、アリスは彼女の隣に座る。


「……この子はこの家が好きなの」


 その言葉に、ジョナスは少し納得した表情をした。


「そうか」


 ジョナスは用意されたお茶の前に座る。エリックもボクから離れて、椅子に座った。


「アリスというのかい? 初めまして、ジョナスだ」


 アリスは返事をしない。ただ、うなずいて返事をする。


「この子はあまり話さないわ。でも、賢い子よ」

「そうか」


 彼は優しい目をアリスに向ける。


「君がこの家を守ってくれるのかもしれないなら、いつか良い商売相手になるのかもしれない」

「道を選ぶのはアリスよ。でも、今から選べる道を増やしておくのは良いことでしょう? それがうちとの取引につながるなら、今のうちに育てておかなきゃ」

「……レベッカは相変わらず、商売人だな」


 ジョナスはアリスの用意したお茶に手を付ける。どうやら、話は解決したらしい。お騒がせな夫婦だ。まったく。

 ジョナスはレベッカに目を向けて、仕方がなさそうに息を吐く。


「たまに帰ることは許す」

「ふふふっ。ありがとう」


 部屋に和やかな空気が流れる。そろそろ可愛いボクに気づけないのは可哀想なので、ボクから膝の上に乗ってあげることにした。ぴょんと飛び上がって、ジョナスの膝の上に乗る。


「うおうっ!」


 ジョナスの驚いた声が聞こえる。顔を上げると、彼は大きく目を開いていた。


「君は……ここの家の子かい?」

「ええ、そうよ。この子は……」


 レベッカが紹介してくれようと、口を開いてそのまま黙る。そして、アリスの方に目を向けた。


「ねえ、アリス。この子の名前は?」


 アリスは首を横に振る。エリックも同じように首を横に振っていた。


「僕も知らない。ねえ、婆ちゃん、この子の名前は?」


 客人を置いて、調合室に入ろうとしていた魔女は嫌そうに顔をしかめる。


「何だい急に。今まで呼ばなくても、問題なかっただろう」

「今、問題が出たのよ。母さんがこの子に名前をつけてないとも思えないわ。……まさか、本当につけてないの?」


 レベッカに疑わしそうに見られ、魔女は面倒くさそうに息を吐く。


「つけてるさ」

「じゃあ、教えてよ」

「…………」


 魔女はボクの方に目を向ける。じっと見つめられる。きっと可愛いと思っているに違いない。


「にゃおん」


 ボクがひと鳴きすれば、魔女は仕方なさそうに口を開いた。


「……クロだよ」

「そのまんまだ」

「そのまんまで何が悪い」


 魔女は不機嫌そうな顔で、彼らにシッシッと手を振る。


「話がまとまったなら、さっさと帰りな。アタシたちはまだ食事が終わったばかりなんだよ」


 魔女の言葉に、ジョナスが立ち上がる。


「突然お邪魔して、申し訳ございません。お礼はまた改めて……」

「いらないよ、そんなもの。その娘を連れて帰るのが一番の礼だよ」


 魔女がそう言うと、レベッカが「えー」と不満そうな声を出す。


「まだ来たばかりよ」

「うるさい。アンタたちは人に迷惑かけないよう、ちゃんと話し合ってから来るんだね」


 レベッカはくすりと笑う。


「話し合ったら、また来ていいんだ?」

「うるさい。魔法で追い出すよ」


 レベッカは肩をすくめて、「はいはい」と立ち上がる。そして、ジョナスの隣に立った。エリックも立ち上がり、彼らのそばに行く。


「また帰ってくるからね」


 バタンという扉の閉まる音とともに、朝の嵐が去っていく。


「やれやれ」


 魔女は疲れたというように肩を回す。ボクもグイッと背中を伸ばした。


「ティ、ティアンナ、さん」


 アリスが呼びかけると、魔女は顔を上げた。


「何だい?」

「……わたしも、里帰り? して、みたい」

「…………」


 魔女は目を大きく開いて、黙った。少し考えるように視線を巡らせてから、小さく息を吐く。


「……アンタは、また母親に会えると信じているんだね」


 アリスは大きくうなずく。彼女の瞳はキラキラしていて綺麗だった。


「アンタが信じていれば、いつか会えるかもしれないね。未来はわからないものだから」


 魔女はそう言って、アリスの頭を優しく撫でる。アリスは嬉しそうに顔をほころばせた。魔女は彼女の頭から手を離す、両手でパンパンと叩く。


「さあ、掃除から始めようか。アリス、準備しな」


 アリスは部屋全体を見渡してから、掃除道具を取りに行く。ボクはその背中を追いかけようとした。


「クロ、おまえは掃除の邪魔だ。向こうの部屋に行ってるんだよ」


 脇を抱えられて、運ばれる。ボクも掃除の手伝いをしようと思ったのに。


「にゃおん……」


 大変不服である。



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最終話まで読んでくださり、ありがとうございました!

最終話公開日である本日に、次回作を公開いたします。


『愛みのリリウム -神に愛された花たち-』

https://kakuyomu.jp/works/16818023212677941649


長編の異世界ファンタジーとなります。

全話執筆完了しておりますので、毎日定期公開です!

7:20より公開です。


よろしければ、引き続き読んでいただけると幸いです。

よろしくお願いいたします。

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灯りの家へおかえり。-ある日、魔女は少女を拾った- 虎依カケル @potinetto

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