第49頁 見分けがつかない



 全校集会を終えて、教室へ戻ると直ぐに掃除が始まるので、皆それぞれの清掃分担の場所へと散って行く。私の担当は、教室だった。机を運び、箒で履いて、雑巾掛けをする。教室の掃除は、なかなか大変なので、人数も多い。だから教室掃除は、何となく騒がしくなって、先生から注意されるなんて、しょっちゅうだ。



「坂口! 太田! 手を動かしなさい!」

「先生、俺はちゃんとやってるよ〜」

「どっちも一緒です。ほら、ゴミ捨てに行ってきて」

「えー!? 嫌だよ」

「何で俺達が行くんですか?」

「騒いで掃除が疎かだからです」

「坂口行けよ。今、暇でしょ?」

「馬鹿野郎!俺は今、必死で掃き掃除してんだよ。お前の方が暇だろ?」




 仕事のなすりつけ合いが始まって、先生は呆れたように溜め息を吐いた。



「もう……誰でも良いから行ってきてよ……」




 丁度、手が空いた所だったので、私は先生に自分がゴミ捨て場に行くと声を掛けた。



「高橋さん! 助かるわ〜。有難う」

「いいえ」

「高橋さん、あざっす!」

「あざーっす!」

「2人は、ベランダに出て窓拭き!」

「ええー!?」




 坂口くんと太田くんの声が、揃って教室に響く。駄々を捏ねて先生を困らせる2人を苦笑いで見て、私はゴミ袋を持ち、ゴミ捨て場へと向かった。

 ゴミ捨て場は、外だからローファーを取りに行かなくてはいけないので、まずは中央階段を下りて、下駄箱へ向かう。3階から2階へ階段を下りていると、目の前を横切る渡り廊下に1人の男子生徒が通りかかった。それは、良く知った横顔。今日も大きな目が窓から溢れる光をしっかり捉えて、キラキラしている。



“松野くんだ!”




 今朝、教室で挨拶が出来た事もあって、私は気が大きくなっていた。少し急ぎ足で階段を下りて、彼の後を追った。【かもめのジョナサン】の事、【ロミオとジュリエット】の事。話したい事が次々に浮かんで来る。



“今、1人だからチャンスだ”



 声を掛けようと息を吸った直後だった。



智翠ちあき〜」





 私の背後から聞こえた声に心臓が縮み上がった。慌てて口を押さえて、顔を伏せる。そして大慌てでさっき下りて来た階段へと戻った。そのまま階段を半分まで駆け下りた所で、階段に座り込み、手で口を押さえた時に一緒に止めた息をゆっくり吐き出した。心臓の鼓動は物凄い速さで脈打っていて、視界までもが鼓動に合わせて揺らいでいる。

 息を殺して耳を澄ますと2人の男の子の声が段々と遠ざかっていく。自分の心音が煩いせいで、話の内容は全く聞こえなかったけれど。というか……また松野くんを間違えてしまった……。まさか松野くんのお兄さんの智翠くんだったとは……。こんな形で噂のお兄さんを見掛けてしまうなんて、びっくりしている。それにしても、本当にそっくりだった。朝も見分けが付かなかったし……。三つ子とは言え、仮にも好きな人の見分けが付かないなんて……ショックだ……。

 実は、少し自信があったのだ。茜祢くんと松野くんを間違えた事が無かったから。



「マグレだったのか……」




 やっぱり、最近の私は浮かれ過ぎて、地に足が付いていない状態なのかもしれない。一旦落ち着かなきゃ。私は胸一杯に深く息を吸い込んで、ゆっくり口から吐いた。そして、足に力を込めて立ち上がり、何事もなかったかのように階段を下りて行った。ゴミも早く捨てなければ。誰も見てやしないのに何食わぬ風を装って歩いていたけれど、心音は落ち着かず、ずっと早いままだった。















◇ ◇





「智翠〜」



 声を聞いた瞬間、すぐに「あ、谷だな」と思った。




「はいはい?」




 返事をしながら振り返ると、そこには予想通り、谷が居た。でも谷は俺じゃなくて、中央階段の方を見ていた。俺も振り返った時、目の端に何かの影が映った気がして、何かあるのかと、谷の視線を追うように階段の方を見たけれど、特別変わった様子は見られない。



「何かあった?」





 まだ視線を階段の方へ送ったままの谷に尋ねると、曖昧に首を傾げて「ううん、何でもない」と言って、此方へ歩いて来た。谷が俺に追い付いた所で、一緒に歩き出す。






「智翠、もうトイレ掃除終わったの?」

「終わってねーよ?」

「じゃあ、サボってんだ」

「バーカ。保健室にアルボース取りに行くの」

「え!? 智翠が真面目に掃除してんの!?」

「失礼だね、お前。俺はね、便器磨かない為にこうして自分の足で皆に貢献してんの」

「……やっぱ掃除する気は無いんじゃん」





 そう言う此奴は、自分の所の掃除はどうしたんだろうか? ずっと俺の隣を歩いている谷に「保健室までついて来てくれんの?」と聞いたら「教室に戻るから」とピシャリと言われた。冷たい……。

 西階段まで来ると谷は、本当に俺と別れて階段を上って行った。反対に俺は、保健室を目指して階段を下りる。

 8月だから当たり前なんだけど、開いた窓からけたたましい蝉の鳴き声が聞こえてくる。あまりに煩くて、俺の上靴が廊下を叩くペチンペチンて音も聞こえない程だ。蝉の声がどんどん迫ってくる感じがして、余計に暑苦しく感じる。



 全校集会が始まる前、体育館に移動している時、高橋さんを見掛けた。図書館で会った時より、少し焼けたかな? 茜祢に八つ当たりをしてしまった日から、俺は土日の図書館は避けている。彼女がまた、家から離れたあの図書館にわざわざ来るか分からないけど、一応ね。どうして土日だけなのかと言えば、高橋さんが平日は夏期講習で学校に通っていると聞いたからだ。あの日話した事を思い出す度、無意識に顔が綻んでしまう。少し苦しくなっていた息を吐き出すと、圧迫するような暑さも軽くなるような気がした。





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文豪たちに倣いませう 青柳花音 @kailu_kai

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