第48頁 挨拶成功




「んー……こっちの方が頭の悪そうな顔してるから、こっちが蒼唯あおいだな!」

「いや、顔一緒! 三つ子だから!」

「んで、茜祢はどうしたの? お兄ちゃんと一緒に登校したん?」

「そうだね。家、一緒だし」

「蒼唯は、いつも遅刻ギリギリなのに、よく茜祢の登校時間に間に合ったな」

「ふんっ。あまり舐めて貰っては困るね」




 私はショックで固まっていた。




“い……今まで、松野くんと茜祢くんを見分けられなかった事なかったのに……!”



 元々、暑さで汗はかいていたけれど、今は冷や汗が止まらない。心臓の音がどんどん大きくなっていく。



「ちょっとー……香絵?」




 肩を突かれて、ハッと我に帰る。隣を見上げると希ちゃんがジトーっと私を見下ろしていた。



「挨拶」

「えー……い、今?」



 静かに言い放つ彼女に声を潜めて返すと、グッと目に力を込めて「今!」と返された。でも今、松野くんの周りには数人の男子生徒が居て、あの輪の中には、とても入って行けそうもない。「無理無理無理無理!」と首を横に振って、必死に祈る。頑なに首を振っている私を希ちゃんは、更に目を細めて無言の圧力を掛けてきたが、最後には「しょうがないなぁ……」と唇を尖らせると、私の手を掴んで席を離れた。



「え、ちょっ!? 希ちゃん!」

「しっ!」



 私の予想が正しければ、希ちゃんはあの輪に向かっている。本気であの中に飛び込むというのだろうか。体の重心を後ろへ持って行って、抵抗してみるも希ちゃんは、強い力で引き摺るように前へ進んでしまう。

 その時、タイミング良く松野くんと思われる一人が輪を外れて、自分の席へ荷物を降ろしに行った。希ちゃんの進路も直ぐさま変更される。通学鞄を開けて、必要な物を取り出している松野くんの目の前まで来ると、希ちゃんはとても自然な声で言った。



「おはよう、蒼唯」

「え……お、おはよう」




 松野くんは、驚いたように大きな目を丸くしながら希ちゃんを見た。それから私を見る。

 黙ったままでいる私に催促するように希ちゃんが肘で小突いてくる。



「お……おはようございます、松野くん」



 すると、松野くんはビクリと肩を震わせ、私から視線を外した。そんな彼に少しショックを受ける。やはり彼は、教室では私と関わりたくないのかもしれない。そう落ち込んで視線を下げた時、松野くんの声がした。



「……おはようございます。えっと、高橋さん」



勢い良く視線を上げた時、少し強い力で手を引かれて、よろよろと歩き出す。私達がお互いに挨拶を終えたタイミングで、希ちゃんは私の手を引いて、早足に廊下へ出て行った。何処へ向かっているのか、私の手を掴んだまま、渡り廊下の方へ歩いて行く。



「希ちゃん」

「蒼唯の奴、照れてたね」



 そう言って希ちゃんは、嬉しそうに笑った。



「2人して赤くなってるし、可愛いなぁ君ら」

「え、ええ……?」




 私はさっき、ショックのあまり下を向いていたので、見ていないのだが……本当に? 彼は顔を赤くしていたの? 避けられたわけじゃないの?

 私は空いた手で制服のスカートをギュッと握った。



「希ちゃん、どこ行くの?」

「一周して教室に戻る!」


“ああ、そうか。私が自然に挨拶して、自然にその場を離れられるように、用もないのにフロアを一周してくれるのか……”



 言葉に出来ない感情で胸が一杯になった。決して悪い感情じゃないそれが胸一杯につかえて、息苦しく感じる。それをゆっくり吐き出すように大きく息を吐く。



「希ちゃん、ありがとう。挨拶出来た」

「うん、出来たね」




 希ちゃんの隣に並んで歩くと彼女はにっこり笑った。

 宣言通り、フロアを一周して教室へ戻ると自分の席で、坂口くんと話していた松野くんが、チラリと私達を見たのが分かった。さっき目を逸らされてしまったのも、希ちゃんの言うように照れ隠しだったらいいな。そう思ったら、自然と頬が緩む。2人だけの秘密みたいな物もとても甘美で好きだけれど、場所が何処でも声を掛け合える、気の置けない友人も憧れんなと思った。松野くんともっと仲良く慣れたら良いのに。教室でも廊下でも自然に話せるようになったら、きっと毎日が素敵で、楽しい事も一杯だ。




———————……キーンコーンカーンコーン




 朝読書の予鈴が鳴る。私は静かに席へ着いて【かもめのジョナサン】を開いた。























 登校日よ予定は、全校集会と掃除とLHRだ。全校集会では、例年通り未だ起こっていない非行を心配する生徒指導の先生から、少々説教じみた注意事項を聞いて、全国大会に出場が決まった部活の壮行会をした。女子バレー部と剣道部、それから速記部とテニス部の全国大会出場が確定した。夏休み前に先生方からも生徒からも期待されていた野球部はダメだったらしい。

 自分は、3年間帰宅部だったから素直に凄いなぁと思った。努力を目に見える形にするのは、とても大変だし、凄い事だ。何もしていない私からしたら、どれも偉業である。うろ覚えの応援歌を小声で歌って、拍手は出来るだけ大きく叩いた。皆、最後の大会だから、良い結果を残せたらいいな。


 ……結局、未だに松野くんが何部なのか、私は知らない。でもさっきの壮行会メンバーの中には居なかったから、それ以外の部活なんだろうな。




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