緑のカーディガン

時輪めぐる

緑のカーディガン

母の遺品を整理している。

ワードローブの殆どが緑色系であることに、姉と二人で笑い合う。

「お母さん、緑色が好きだったよね」

「家ではミドリムシって呼ばれてたね」

「何で、こんなに緑の服ばかり買ったのかしらね」

母の嫁入り道具だった、桐箪笥きりたんすの引き出しの一番奥にあったのは、リングモヘアの緑のカーディガン。

「これ、お母さんよく着ていたね」

「うん、覚えている」

母は、自宅で小さな万屋よろずやを営んでいた。

駄菓子に文房具、金物、手芸用品、切手、葉書、煙草。色んなものを少しずつ扱っていた。朝早くから、夜遅くまで、子供を育てながら母は働いた。

私も、小学校の頃から、お店番をしていた。

お客さんが来たら、家の奥で家事をしている母に知らせるだけだったが。店の掃除も手伝った。

母がこの緑のカーディガンを着て接客している姿を思い出す。


村に一つしかない万屋よろずやなので繁盛していた。

嫁や姑の愚痴にも忍耐強く付き合い、ご近所の陰口にも耳を傾けた。母は、聡明な人だったので聞いた事を誰にも話さない。

だから、皆、安心して店を訪れ、母に話しては帰って行った。


子供の頃の私は、自宅が店屋であるのが嫌だった。友達の家の様に、ちゃんと玄関があり、落ち着いてご飯を食べられる、仕舞屋しもたやに憧れた。

夕飯時は、一段と客が来るので、母は一口食べては店に出て接客し、また一口食べては接客し、というような生活だった。

「落ち着いてご飯が食べたいものだね」

そんな母を見て、やはり仕舞屋が良いと思う私だった。



祖父母が災害で家と家財の全てを失い、この地にやって来た時、母は高校を卒業したばかりだった。郵便局の窓口係や百貨店の売り場係。仕事をしながら、洋裁学校に通った。

そんな折、祖父が亡くなり、母は一家の大黒柱になって祖母を支え、弟の学費を稼いだ。

サラリーマンの父と知り合い結婚して、店舗付きの小さな家を建て、子供を産み育てた。


母は、勤勉だった。結婚前に習った洋裁で子供と自分の服を自作した。通信教育で編み物や刺しゅう、和裁を習得し、店の客に教えていた。

馬鹿な子供であった私は、友達の様にデパートで買った洋服を着たいと言っては、母を困らせた。

駅前のデパートに、年数回出掛ける時、父は母に「自分の物を買いなさい」と言って、まとまったお金を持たせるのだが、母はいつも子供たちの物ばかり買って来ては、父に叱られていた。


だから、母はずっと同じ物を直しながら着ていた。この緑のカーディガンも、ひじわきが擦り切れて薄くなっている。母はいつから、このカーディガンを着ていたのだろう。

姉が、古いアルバムの整理をしていて写真を見付けた。

「これは、家を建てた時の写真だね。〇〇商店と看板に書いてある」

白黒の写真の中で若い母は、このカーディガンを着ている。

「ええっ、じゃあ私達が生まれる前から着ていたってこと?」

「いやいや、これを見て」

姉は、更にページをめくって、時間をさかのぼった。

母が祖母と写真に写っている。

写真の裏に記入された日付は、父母が結婚する少し前だった。

母子家庭になった祖母が色々やりくりして、嫁入り道具を揃えたのだと聞いた事がある。写真に納まる母は、カーディガンを胸に抱き締めていた。

「お祖母ちゃんが、お母さんのお嫁入りの時にプレゼントした物だったんだ」

「だから、こんなに薄くなってしまっても、処分せずに取って置いたんだね」

結婚してからも、働き詰めだった母。

「気持ちがむしゃくしゃする時は、黙って編み物をするの」

口に出さないけれど、色々辛いことがあったのだろう。

そんな時、祖母に贈られたこの緑のカーディガンを身に着け、自分を奮い立たせて生きて来たのかもしれない。

母にとって、緑色は特別な意味を持っていたのだと思う。



私は、片付けを終え自宅に戻った。

さて、我が家のワードローブは?

笑ってしまった。

私もミドリムシだった。

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緑のカーディガン 時輪めぐる @kanariesku

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