失われた色

月井 忠

一話完結

 それは私がとある講演に呼ばれた時のことだった。


 その昔、図鑑のイラストを描いていたことがある。

 そうした経歴があったからだろうか、古生物学の講演にゲストとして呼ばれたのだ。


 正直、随分昔のことだし、古生物学をテーマにしたものは、そんなに多く描いた覚えもない。

 人違いではないかと返信したのだが、先方はどうしてもと食い下がった。


 それに私はどうやら末席に座っているだけで良いとのことだったので、引き受けることにした。


 仕事を辞めてからというもの、家に引きこもることが多くなった。

 ちょっとした小旅行にもなるし、知らない人物と会うのも楽しみだ。


 それに誰かに求められて、舞台に上がるなんて経験はこれまでなかった。

 初めは面倒なことだと思っていたのに、その日になったら逸る気持ちを抑えることができないほどだった。


 隣県までは電車を使い、バスを乗り継ぎ目的の会場につく。

 市の中心部にあったその会場は、とても大きくて少し怯む気持ちも出てきた。


 受付の女性に話を通すと、一人の男が現れた。


「はじめまして、メールさせていただいたシマムラです」

 シマムラと名乗った若者はそう言って頭を下げた。


「どうも、キタミです」

 礼を返す。


「では、こちらにお願いします」

 そう言うとシマムラは会場の奥へと進んだ。


「今日はお越しいただき、ありがとうございます先生」

「いえ、先生はお辞めください」


 実際彼には何も教えていない。


「いえ、私にとってシマムラさんは先生なんですよ」

 なぜか目を輝かせて振り返った。


「そう言えば、私のことをまだ紹介していませんでしたね」

 彼は懐から何かを取り出した。


 差し出された手には名刺があった。


「はあ、どうも」

 仕方なく受け取る。


 名刺には「古生物学者」という肩書が入っていた。


「すいません。私の方は名刺なくて……」

「いえ、先生のことは良く知っていますから」


 なんとも、食い違ったやりとりに、本当に人違いなのではという不安がこみ上げてきた。


「あの失礼ですが、シマムラさんと私、どこかで会っていましたか?」

「いえ、会うのは初めてです。なので、少し緊張してます」


「はあ」

 いよいよわからなくなってきた。


「まだ時間ありますね」

 彼はスマートフォンで時間を確認して言った。


「実は見ていただきたいものがありまして」

 そう言って肩にかけていたバッグから何やら取り出す。


「これです!」

 出てきたのは図鑑だった。


 これには見覚えがある。

 私がイラストを担当した図鑑だった。


 しかし、随分と昔に描いたもので、私自身この絵を見てもすぐには思い出せなかった。

 実際、図鑑もボロボロになっている。


「私が描いた恐竜の図鑑ですね」


 今でも昔でも、恐竜の図鑑は人気がある。

 たまたま人が足りなくて専門でない私にも依頼が来たということだった。


 そして、この図鑑のイラストには色々な思い出がある。

 苦いものや、楽しいものも。


「はい、これが私の人生を決めた一冊です」

「人生……ですか?」


「はい」

 シマムラは元気良く答えると図鑑をめくった。


「こちらを描かれたの先生ですよね」

 見開きのページには、とてもカラフルな肉食恐竜がいた。


 瞬間、当時のことを思い出す。


 担当の学者は色はどうでもいいと言った。

 なにしろ化石に色はないのだからと。


 だから私は、南国の極彩色の鳥をイメージしてカラフルな色付けにした。

 学者はさすがにコレはと言ったそうだが、結局そのまま掲載となった。


 今にして思えば、ちょっとしたイタズラだった。


「はい。確かに私が描いたものですね」

「この絵が、私を古生物学者へと導いたのです」


 シマムラはその絵を撫でる。


「こんなカラフルな恐竜を見たのは初めてでした。それから、恐竜はどんな体色をしているのだろうと疑問を持つようになったのです」


 当時は恐竜の色について、かなり大雑把だった。

 そもそも証拠がないので、推測するしかなく本当の色は誰も知らない。


 だから、私のようにカラフルな恐竜を描く者も中にはいた。

 まあ、捕食者なら獲物に気づかれるような派手は色は好まないだろうし、被食者も同様だ。


 彼らは、食う食われるの関係にある。

 自然環境で目立つ色は命取りなのだ。


「勉強を始めると、恐竜の体色を示す証拠は何もないということを知りました。だから私は恐竜の本当の色を知ろうとして学者になったのです」

「それは、また」


 私は驚いた。


 彼が私のことを先生と呼び、人生を決めたというのはそういうことなのかと納得する。

 同時になんだか申し訳ない気持ちもあった。


「なんだか、すいません」

 いたたまれなくなって、つい頭を下げてしまう。


「いえいえ、そんな! むしろ、こちらこそありがとうございます。それまで恐竜の色に対して全く関心を抱いていなかった私に、体色という謎を気づかせてくれたのですから。このカラフルな恐竜にはそういう力があったのです」


 シマムラは熱弁するが、やはり私の申し訳ない気持ちは消えない。

 だって、このカラフルな恐竜はイタズラに近いものだったのだから。


「それから、私は古生物学者となって恐竜の体色を知るための研究を始めたのです。今では色素の痕跡が見つかる例もあって、徐々に体色を知る手がかりが得られているのですよ」

「へえ、そうなんですか」


 さすがは学者だった。

 最新の化石に関する情報は、素人の私では足元にも及ばない。


 それにしても恐竜の本当の色とは、なんとも興味深い話だった。


「恐竜が鳥類の祖先ということはご存知ですよね? 近頃は恐竜化石から羽毛が見つかることも増えました。鳥類には異性を引き付けるために、美しい羽毛を見せてディスプレイする種もいます。恐竜がそうでなかったということは否定できません。つまり、このカラフルな恐竜もいたかもしれないわけです」


 私はこの恐竜を描く際、南国の極彩色の鳥をイメージした。

 当時は恐竜が鳥類の祖先だなんてことは知らなかった。


 たまたまだったが全くの見当違いということはなかったのだ。


「シマムラさん。あなた達、研究者は失われた色を蘇らせたのですね」

 私は恐竜研究の、いや人間の知的欲求の成した結末に感心させられた。


「ありがとうございます。ですが、そんな私を作り上げたのは、このカラフルな恐竜なのですよ」

 シマムラはそう言って、右手を差し出した。


 私の行為はちょっとしたイタズラだったかも知れない。

 しかし、それが一人の研究者を作り上げた。


 私は彼の右手を取って握手する。


 自分の描いた絵が、誰かの心に影響を与え、人生の指針になる。

 こんな誇らしい経験は他にない。

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失われた色 月井 忠 @TKTDS

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