血と汗と性

宮塚恵一

sexual repression

 布団の上に寝転がる相手の首筋を左手で掴み、ゆっくりと力を入れる。

 柔く細い首に指が沈んでいく。左手で首元を押し込むように、二秒、三秒と頭の中で声に出さずに数を数えて首を握る。十秒を数えた頃に口を大きく開けてだらしなく垂れてくる唾液は、そろそろ窒息の合図だ。

 そこで一度力を緩める。僕と相手の目線が合う。蕩けた眼差しを一心に受け、僕は一気に首を締め上げた。

 びくんと、相手の体が大きく跳ねる。

 僕は左手を離した。


「美咲さん」

 ぜぇはぁと荒く息を吐きながら、僕が首を絞めていた相手は名前を呼ばれて微笑む。その笑顔にどきりとする。


「これ、洗っといて」


 美咲さんから張型ディルドを渡される。彼女の体内から今抜いたばかりのそれからは汗と似つかない匂いが鼻をついた。


「後これも」


 美咲さんは自分が着ていたワンピースを脱ぐと僕に投げて、その場に倒れた。僕はお風呂場に直行する。

 ワンピースを洗濯籠に放る。

 浴室に入ると蛇口を捻ってお湯が出るまでの間、僕は美咲さんから受け取った張型ディルドを口に咥え、股間に手をやった。チャックを開け、性器を自由にする。

 シャワーの音が浴室に響く中、僕は急いで用事を済ませて、口から張型ディルドを離して綺麗にぬめりを洗い流した。

 

 寝室では美咲さんはスマホを弄ってSNSを見ていた。僕はそんな美咲さんの背中に彫られている蝶のタトゥーをじっと見つめた。両肩の下の蝶と蝶の間には“H K”と黒字で彫られている。元カレのイニシャルだとは聞いていた。

 すらりとした彼女の流線型のフォルムは、スタイル良しというよりは痩せぎすといったところだが、その儚さはきっと、多くの男を虜にしてきたのだろう。


 僕が美咲さんの体に見惚れていると、僕の鞄の中からスマホの通知音が鳴った。


『至急』


 それ以外の文面はないが、それだけで宛先を見なくても、誰からのものかわかる。


「じゃあ僕は行きますから」

「うん、ありがとう」


 美咲さんは僕の顔を見ることなく、手だけを振った。


 美咲さんの家の玄関から出て、僕は先ほどのメッセージを送って来た相手に電話する。


結城ゆうき、ちょっとゴミ袋買って来てくれる?」


 酒焼けのしたハスキーな女性のガラガラ声が、電話先から僕の耳に届く。


「黒いやつでいい?」

「ん、当然。じゃあね」


 電話先の相手はそれだけ言って、電話を切った。



🦋


 浴室に血と糞が流れる。

 ブルーシートの上で明梨あかりはザクザクと中華包丁で肉を切り刻んでいた。部屋中に充満する血と排泄物のにおいに、僕は何となく、毎日鶏小屋を掃除していた小学校の頃を思い出す。気管支はその匂いを拒絶して嗚咽させる。けれど、僕が少しでもそんな声を漏らすと、明梨は眉間に皺を寄せ、目を見開いて僕の腹を殴る。


「この辺全部ゴミ」


 明梨が浴室の一角に集めた骨と肉を指して言う。

 僕はその言葉を受け、ゴミを買ったばかりの黒いゴミ袋に捨てていく。明梨はざっくざっくと肉を切り落とす。


「一回さ、こんだけ肉があるなら食べてみても旨いかなと思うんだけどどうよ」

「やめた方がいいよ」

「だよな」


 明梨も本気で言ったわけではないらしい。


「この人、何したの」

「セックスが下手」

「はあ」


 明梨の言葉に、それ以上追求はしない。


 肉と骨を解体している間、明梨は粉塵マスクと競泳水着だけを身につける。かつては美咲さんのようにスラリとしていたその身体も今は腹の贅肉が出ておりだらしなく思ってしまう。


 最初に明梨が殺したのは、彼女の母親とその彼氏だ。高校卒業を控えていた三月、僕は明梨に呼び出されて急いで家に向かった。頭から血を流す二人の死体の前で涙を流す幼馴染を、僕は放っておくことはできなかった。


 死体を隠そうと提案したのは僕だ。細切れにして捨ててしまえば、早々バレないと映画で観たなんて滅茶苦茶なことを言うと、明梨は涙目で僕の目を真っ直ぐに見て「じゃあやってよ」と強い口調で叫んだのだった。


 黒いビニール袋にゴミを捨てて、縛る。それを他のゴミと一緒に区指定のゴミ袋に入れると、僕はそれを車の荷台に積んだ。それでこれは次のゴミの日に捨てれば良い。

 小さく砕いた骨は適当な袋の中に入れて、ドライブしながら川や雑木林など途中途中に捨てていく。

 日が暮れて、僕は骨の廃棄が終わったことを明梨に電話で伝えて帰路についた。



🚿


 家に帰って、僕はシャワーを浴びた。温いお湯を頭から被る。何を考えることもなく。匂いが鼻にこびり付く。血と汗と糞のにおい。シャワーくらいじゃ落ちない気がする。

 美咲さんを思い出した。美咲さんから渡された張型ディルドから漂うあれも、汗と血が混ざったような匂いがするけれど、嗚咽を催すことはない。

 美咲さんが僕に許してくれるのは、首を絞めることと指で彼女の股間を弄ることくらいだ。美咲さんの前で僕自身が裸になったことはおろか、キスもしたことはない。ただ、相手のいない美咲さんのお眼鏡にかなった便利な道具として使われるだけ。


 大学の先輩である美咲さんは、今は不動産会社で働いて、たまに僕を呼びつけて首絞めを要求する。決して進展しない美咲さんとの関係を考えると悲鳴をあげたくなるのをぐっと抑える。

 シャワーを浴びながら、僕は股間に手をやる。美咲さんの口からだらしなく垂れる唾液の匂いと、張型ディルドを咥えた時の彼女の体液の味を思い出して、僕は果てた。



⚫️


 浴室に漂う血と汗と糞のにおい。決して慣れることのないその匂いに僕は耐える。

 明梨は粉塵マスクをしているから良いかもしれないが、僕の鼻を守るのは精々布マスクだ。僕の分もくれと言うと明梨は僕の腹を殴る。


 その日はいつもと違って、明梨の解体する死体の背中が気になった。僕が浴室に来る頃にはいつも首や手足は切断されている。顔はわからないけれど、背中に彫られた蝶には見覚えがある。


「この人、何したの」

「割り込み」

「何の」

「コンビニ。こいつスマホに夢中でさ、あたしのことなんて眼中にねえでやんの」


 明梨は包丁を肉片に振り下ろそうと腕を上げる。待って、と僕は彼女を止めた。


「そのスマホは?」

「荷物にあるんじゃね。今日はやけに気にするな」


 僕は震える手で、美咲さんに電話を掛けた。

 その瞬間、浴槽の端にある鞄の中から着信音が響いた。


「んだよ」


 明梨は面倒臭そうに、鞄をドシドシと踏みつけにした。音が止まる。明梨が解体していた肉片が目に留まる。蝶と蝶の間にある“H K”のイニシャル。


「あ」


 僕は思い出す。美咲さんが口から漏らす息遣いを。けれどその息を漏らすその口は今やどこにもない。


「これ捨てといて」


 明梨は僕に、自分で踏みつけにした鞄を渡す。その鞄にも見覚えがある。


「なあ結城──」


 明梨が次の言葉を口にする前に、僕は渡された鞄を振りかぶり、明梨の頭を強打した。


「痛ッ!」


 咄嗟に頭を抑える明梨の首を左手で捉える。明梨は驚いたように目を見開いたが、頭痛の混乱もあるのか、抵抗する様子はない。二秒、三秒と数を数える。十秒を超えても首を握る手は緩めない。寧ろ、もっと強く。


 カッと声にならない声が明梨の口から漏れる。鼻水と涎がだらりと垂れてくるのを見て、僕は美咲さんの微笑んだ顔を思い出す。


 僕はズボンのチャックを開けて、股間を自由にする。明梨の持っていた包丁でぷつりと競泳水着を切り裂いて、明梨の中に自分の物を入れた。初めて味わう女の体に、僕の性器がむくむくと膨れ上がった。心臓の鼓動が高鳴る。いつもは吐き気を催す血と汗の匂いが、高揚感を誘う気さえした。


 明梨の唇に自分のものを重ねる。だらしなく垂れる唾液を舐め取って、僕は明梨の顔に唾を吐いた。首を絞める手は緩めない。その瞬間、また僕の股間は大きく跳ねる。


 初めて女の中で果てた僕は、自分の物を明梨からゆっくりと抜く。糸の切れた人形みたいに、明梨の身体がどさりと浴室に転がった。明梨の股間からは、僕の出したものだけじゃなく、排泄物も一緒に垂れ流されていく。


 僕はまた包丁を手にする。僕はその包丁を振りかぶり、明梨の頭にストンと落とした。




END.

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血と汗と性 宮塚恵一 @miyaduka3rd

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