花粉症
川谷パルテノン
チューリップ
昼下がりの路地裏。呼吸が乱れていた。身体は随分と重く、痛みに意識が持っていかれる。男は息絶えだえに身を潜めていた。
「おじさん 花ふんしょう?」
迷子だろうか男の前に子供が近づいて語りかける。
「うるせえ どっかいけ」
「ティッシュいる? とーこねティッシュ持ってるよ」
「失せろつってんだよブチ殺すぞ」
子供は一瞬驚くように肩を引き攣らせたが肩から下げた小さなポーチからポケットティッシュを取り出すと男にそっと手渡した。男は無言のままそれを受け取らない。
「おじさん もしかしていたい?」
男は口を開かない。
「とーこのお父さんもね いたいいたいって言いながら天国に行っちゃった おじさんも天国に行くの?」
「行くとしたら地獄だろうな」
少し笑ったせいか腹部に痛みが走った。おさえた掌には血がべっとりとついておりいよいよ潮時かと思わせた。
「チューリップ」
「なんだと」
「おじさんの チューリップ とーこのと同じ」
女児のトレーナーには大きなチューリップのイラストが印刷されていた。あまりにも無邪気。男から徐々に現実感が剥奪されていく。これはなんらかの幻ではないか。自分は暴力団の構成員で白昼に抗争相手の事務所へと乗り込んだ。組長からは死んでこいと言われて覚悟も据えてきた。それでも緊張があった。結果は失敗だった。失敗したとなれば命が惜しくなった。男の運命は一方通行で帰り道はない。ただこうして路地裏に居座り続けるしかなく臆病から先延ばしにした命が尽きるのを待つだけの身だった。そんな中で突如現れたどこの誰ともわからない子供が自分に迫る危機や恐怖を払拭させるかのようにふざけたことを宣う。それでも子供がゆえの真剣な感覚かもしれないと思えばこれはなんらかの導きが見せる幻覚なのではないかと男は思った。女児が差し伸べたティッシュを受け取るとそれを腹部にあてた。すぐに湿り気を帯びて赤く染まったそれは確かに花びらのようでもあった。
「お前 お父さんのことは今でも好きか」
「すきだよ 手品もおしえてくれる」
「そうか じゃあこの痛いのも手品で消せるか」
「できるよ お父さんがいたいのとんでけってやってくれたのとーこもおぼえたから」
「ほんなら頼むわ」
「いたいのいたいのとんでけ」
男にも娘がいた。もう高校生くらいになるだろうか。随分と会っていない。目の前にいる女児と最後に見た我が子が重なって見えた。約束があった。遊園地に連れていく。その前夜、くだらないことで喧嘩の絶えなかった夫婦だったが一線を越えてしまった。娘は施設に引き取られることになり両親を失った。これは罰なのかもしれない。贖罪は赦されることのないまま痛みすらも奪われていく。
「おじさん ねむい?」
「ああ そうだな」
花粉症 川谷パルテノン @pefnk
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